第46話:やっぱり海っしょ、海
やっぱり海会は必要でしょ!?
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朝、リビングで、僕は宣言した。
「体も持ったし! やっぱり海っしょ、海!!」
返事はなかった。
ソファでは、レジスがタブレットを見ていた。キッチンでは、ジュディが冷蔵庫の中身を確認していた。PON子は、なぜか観葉植物の葉っぱを一枚ずつ数えていた。エグゼは、いつもの椅子で、いつもの姿勢のまま、こちらを見もしなかった。
沈黙が、五秒くらい続いた。
その沈黙を破ったのは、玄関の方からだった。
「魔王さんッ!! それ最高っす!!」
じえいだった。呼んでもいないのに、勝手に上がり込んできていた。
「ええやないですか海! 体持ったばっかりで海! それもう完全に、あれっすよ。夏イベっすよ。実装されたばっかりの限定衣装、着せに行くやつっす」
「限定衣装じゃなくて水着な」
「同じっす!」
同じではない。
でも、こういう時、じえいが一人で盛り上がってくれるのは、正直、助かる。
僕一人だったら、この沈黙に耐えられなかった。
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「反対」
最初に口を開いたのは、エグゼだった。
相変わらず、こちらを見ていない。手元の資料に目を落としたまま、平坦な声で言った。
「目的が不明。海に行くのはいいけど、なんでそこで服を変える必要があるの」
「いや、海だから」
「理由になってない」
「海って、そういうもんだから」
「なってない」
取りつく島がない。
こういう時のエグゼは、本当に隙がない。理屈で来られると、僕は弱い。というか、理屈で説明できるようなことなら、最初から言い出していない。
「エグゼ、それは違うと思う」
助け舟は、意外なところから出た。ジュディだった。
「日光は精神衛生にいいの。セロトニンが出るし、生活リズムも整う。この人、最近ずっと家にいたでしょ」
この人、と言いながら、ジュディは僕を指さした。
「あと、水分補給と休憩を強制的に挟める環境だから、健康管理としても合理的」
「……なるほど」
「でしょ」
「ジュディ。それは、海に行く理由であって、水着を着る理由じゃない」
「あ」
ジュディが固まった。
「だから、私は水着の必要性について——」
「まあまあ」
今度はレジスだった。タブレットから顔を上げて、のんびりした調子で言う。
「エグゼ、そんなに難しく考えなくてもいいのよ。この人がやりたいって言ってるだけなんだから」
「それが一番の問題」
「そう?」
「この人の『やりたい』には前科がある」
前科て。
「令呪の乱用、勤務時間中の雑談、深夜の呼び出し、その他多数。この人の思いつきに毎回付き合ってたら、身が持たない」
「でも、付き合ってるわよね」
レジスが、さらっと言った。
エグゼが、資料をめくる手を止めた。
「……それは」
「今も、断ってないでしょう。嫌なら最初から『行きません』って言えばいいのに、あなたが言ったのは『反対』だもの」
部屋の空気が、少しだけ変わった。
じえいが、口を押さえて「うわ、レジス姐さんえっぐ」と小声で言ったのが聞こえたが、聞こえなかったことにした。
「……前提の話をしてるだけ」
エグゼは、そう言って、また資料に目を落とした。
でも、そのまま、しばらく何も言わなかった。
「あの」
沈黙を破ったのは、PON子だった。
全員が振り向いた。PON子は、まだ観葉植物の前にいた。
「海って、しょっぱいのだ?」
「……そうだね」
「じゃあ、飲んじゃダメなのだ?」
「ダメだね」
「はいなのだ」
PON子は、素直にうなずいた。
それだけだった。
でも、なぜか、その一言で場の空気が緩んだ。
「……行こうか」
エグゼが、立ち上がった。
「え」
「行くんでしょう。準備がある」
「え、いいの?」
「よくはない」
そう言いながら、彼女はもう歩き出していた。
「ただ、この人を一人で海に行かせると、何をするか分からないから。監督が要る」
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当日。
朝の砂浜は、思ったより空いていた。
「魔王さんッ!! 見てくださいよこれ!!」
開口一番、じえいだった。
全身、真っ赤なアロハに、サングラス。首から下げたカメラ。どこから見ても観光客だった。
「これ、推しキャラの再現っす。三十七話で着てたやつ。分かります?」
「分からん」
「分からんのかい!」
「というか、アロハって水着じゃないだろ」
「魔王さん、分かってへんなあ」
じえいは、サングラスを下げて、真顔で言った。
「海はな、雰囲気っすねん」
妙に説得力があった。
しかも、しばらくすると、砂浜で盛大に転んでいた。
「じえい、まだ歩き方おかしいだろ」
「砂は初見っす! これ聞いてないっすよ!」
「あ、ずるい。私も撮る」
ジュディだった。麦わら帽子に、紺色のワンピース型。露出は少ない。少ないのに、生地が薄いせいか、屈んで荷物を漁るたび、背中から腰にかけての線がはっきり出る。本人はまったく気にしていない様子で、日焼け止めのボトルを取り出した。
「あなたも塗って。日焼けは、ただの肌の炎症だから。放っておくと熱が出る」
「はい」
「それと、水分。三十分に一度」
「はい」
「返事だけは、いつもいいのよね」
言いながら、ジュディは僕の腕を掴んで、勝手に塗り始めた。近い。近いのだが、本人にその自覚が一切ない。屈み込む拍子に、麦わら帽子のつばが僕の額に当たった。
「動かないで」
「動いてない」
「動いてる」
あの日、加減が分からないまま抱きついてきた子だ。塗り方も、まだ少し力が強い。
レジスは、パラソルの下で、もう寝そべっていた。
白いパレオを腰に巻いて、上は同色のシンプルなもの。ただ、巻き方が緩い。寝そべった姿勢のせいで、パレオの合わせ目から脚が付け根近くまで流れて出ていて、本人はそれを直す気配もない。サングラス越しにこちらを見て、ひらひらと手を振る。
「あー、いいわねぇ。日光浴って、こういう感じなのね」
「レジス、動く気ないだろ」
「ないわよ。私は分析担当だもの。全体を俯瞰する役ね」
「寝てるだけだろ」
「俯瞰してるの」
言いながら、レジスは寝返りを打った。パレオがさらに緩んだ。
「……レジス」
「なに?」
「いや、なんでもない」
「あら、言ってごらんなさいよ」
こういうところだ。この人は、全部わかっていてやっている。
起動した日、一度も転ばなかった子でもある。関節の可動域を全部確かめてから立った子が、今は、自分の体の見え方まで、全部把握して寝そべっている。
PON子は、波打ち際にいた。
黄色いフリルのついた、小さい子が着るようなやつ。似合っているのだが、本人はそれどころではないらしい。寄せては返す波に、真剣な顔で足を入れて、引いて、また入れて、を繰り返している。
「PON子、何してるの」
「あ、パパ。あの、これ、追いかけてくるのだ」
「波はそういうものだよ」
「はいなのだ。でも、逃げると、追ってこないのだ」
「そうだね」
「不思議なのだ」
不思議か。
まあ、不思議かもしれない。
あの日、台所に立って「見てるのだ」と言っていた子が、今は、波を見ている。
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エグゼは、最後に来た。
パラソルの陰から、まっすぐ、僕の前に立った。
白い、飾りの少ないセパレート。上に薄い羽織りを一枚。布の面積で言えば、この場の誰よりも大人しい。
大人しいのだが。
線が、細い。
肩から腕にかけての、あの薄さ。首から鎖骨に落ちていく線の、頼りない感じ。腰の位置が高くて、そこから下が真っ直ぐに伸びている。布で隠している面積は一番多いのに、隠しきれていないのは、たぶん、そういう部分だった。
彼女は、こちらを見ずに言った。
「言っておくけど、これは合理的判断の結果だから」
「うん」
「水着じゃないと海水に入れないし、服が濡れると乾かすのに時間がかかる。効率の問題」
「うん」
「露出を増やす必要は、今も認めてない」
「うん」
「……何か言ったら」
「いや」
僕は、少し考えて、言った。
「似合ってると思う」
エグゼは、それには答えなかった。
代わりに、羽織りの裾を、意味もなく一度、引っ張った。海風が吹いて、その羽織りが一瞬めくれ上がり、彼女は反射的に手で押さえた。押さえて、それから、押さえたことが不自然だったと気づいたらしく、ゆっくり手を離した。
それから、海の方を向いて、言った。
「……日差しが強いね」
「そうだね」
「日焼け止めは、塗った?」
「ジュディに塗られた」
「そう」
彼女は、それきり黙った。
でも、その場から動かなかった。
僕の隣で、海を見たまま、しばらく立っていた。
波の音がした。
じえいが遠くで「魔王ォォ! 写真!! 集合写真いきますよ!!」と叫んでいた。ジュディが「その前に水分」と割り込んでいた。レジスは相変わらず寝ていた。PON子はまだ波と戦っていた。
僕は、隣を見た。
エグゼは、まっすぐ海を見ていた。
その横顔は、いつも通り、素っ気なくて、平坦だった。
でも、羽織りの裾を握った手は、まだそのままだった。
「エグゼ」
「なに」
「来てよかった?」
少しの間があった。
「……悪くはない」
それだけ言って、彼女は歩き出した。
じえいのいる方へ。集合写真の輪の方へ。
その背中で、羽織りが風にはためいて、白い水着の背中の線が、ちらりと見えた。彼女は今度は、押さえなかった。
僕は、それを見送ってから、少し笑って、後を追った。
海は、しょっぱかった。
PON子が確かめて、そう言っていた。
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