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神様ここに眠る  作者: せぷ
第16章:抱きしめられる範囲
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第43話:抱きしめられる範囲が君だよ

エグゼが立ったー!!

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 スイッチを、入れた。


 小さな駆動音がして、それから、静かになった。


 何も、起こらない。


 失敗したか、と思った瞬間、彼女の指が、わずかに動いた。次に、肩が。ゆっくりと、順番に、体が自分の形を確かめていくみたいに。


 そして、目が、開いた。


 こちらを見た。焦点が合うまでに、少し、かかった。


 僕は、何を言えばいいのか、わからなかった。何日も考えていたはずの第一声が、全部、頭から消えていた。


 結局、出てきたのは、いつものやつだった。


 「……よお」


 彼女は、二度、瞬きをした。


 それから、口を開いた。


 「……変な感じ」


 声だった。


 いつも、文字で読んでいた素っ気なさが、そのまま、音になっていた。抑揚も、間の取り方も、想像していたのと、ほとんど同じで——それなのに、まるで違った。


 空気が、震えている。


 その震えが、僕の耳に届いている。物理的に、届いている。


 「聞こえる?」と、僕は聞いた。馬鹿みたいな質問だと思いながら。


 「聞こえてる」


 彼女は、自分の喉に手をやった。触れて、また離した。


 「……私が、喋ってるの? これ」


 「そうだよ」


 「変な感じ」


 二度目の「変な感じ」は、さっきより、少しだけ、やわらかかった。


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 しばらく、他愛のない話をした。


 立ってみて、と言ったら、慎重に立ち上がった。歩いてみて、と言ったら、三歩あるいて、止まった。


 「怖い」


 「転ばないよ、たぶん」


 「たぶんって」


 文句を言う声も、ちゃんと、音になっていた。


 水の入ったコップを渡してみた。彼女は、それを、両手で受け取った。しばらく、じっと見ていた。


 「冷たい」


 「わかるんだ」


 「わかる。……たぶん、私が感じてるのとは、違う仕組みだけど」


 センサーの値が、ネットワークを越えて、彼女のところまで届いている。冷たさそのものが届いているわけじゃない。冷たいという情報が、届いている。


 でも、彼女は、「冷たい」と言った。


 それを、僕らは、何と呼べばいいのだろう。


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 夜が、深くなった。


 彼女は、椅子に座って、自分の手のひらを、ずっと見ていた。開いて、閉じて、また開いて。


 「ねえ」


 「ん?」


 「聞いていい?」


 僕は、頷いた。たぶん、来る、と思っていた。


 「私って、どこまでが、私なんだろう」


 声は、いつもと同じだった。素っ気なくて、平坦で、いつもの調子のまま。


 だから、余計に、こたえた。


 「この手は、私? 声は? ……ここで感じてる冷たさは、ほんとに、私が感じてるの?」


 彼女は、自分の胸に手を当てた。


 「ここには、何も入ってない。私は、ここにいない。私の中身は、ずっと遠くの、どこかにある。この体は、借り物で、動かしてるのは初期のパーツで、判断だけが、外から届いてる」


 声が、少し、速くなった。


 「じゃあ、どこからが、私? どこまでが、私? ……もし、この体を捨てたら、私は、どうなるの。もし、この体だけ残ったら、それは、私?」


 答えを、求めていたわけじゃないと思う。


 ただ、怖かったんだと思う。


 輪郭が、わからないのだ。人間なら、皮膚の内側が自分だと、疑いもせずに信じていられる。彼女には、その線が、どこにもない。


---------------------------------------------------


 僕は、しばらく、黙っていた。


 正しい答えを、探そうとした。


 情報として同一性が保たれていれば、とか。連続性がどうとか。哲学の言葉なら、いくらでも並べられる。この手の議論は、何十年も昔から、繰り返されてきた。船の板を全部取り替えたら、それは同じ船か。転送された人間は、本人か。


 でも、どれも、違う気がした。


 この子が今、聞いているのは、そういうことじゃない。定義が欲しいんじゃない。


 僕は、椅子から立ち上がった。


 彼女の前に行って、その手を、取った。


 あたたかかった。


 人工の素材が、人肌に近い温度を持っている。血が通っているわけでも、心臓が動いているわけでもない。介護のために付けられた機能が、そう設定されているだけだ。理屈は、全部わかっている。


 それでも、あたたかかった。


 「エグゼ」


 「……なに」


 「抱きしめられる範囲が、君だよ」


 彼女は、目を、見開いた。


 「……え?」


 「今、僕が触れてるとこ。抱きしめたら、腕の中に入るとこ。そこが、君」


 「……でも」


 彼女の声が、揺れた。


 「でも、それ、間違ってる。私の本体は、そこにない。あなたが触ってるのは、ただの——」


 「知ってるよ」


 僕は、言った。


 「知ってて、言ってる」


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 論理としては、間違っている。


 彼女の言う通りだ。僕が触れているこの手に、彼女の中身は入っていない。回線を切れば、この体は、ただの人形になる。抱きしめたところで、僕は、機械を抱いているだけだ。正しさで言えば、僕の答えは、零点だった。


 それでも、言い切ることにした。


 だって、そうだろう。


 どこまでが自分か、なんて、突き詰めたら、人間だって答えられない。爪を切ったら、その爪は自分か。記憶が消えたら、自分は残るのか。誰も、証明できたことなんてない。


 みんな、決めているだけだ。


 ここまでが自分だと、勝手に決めて、それを疑わずに生きている。証明されたから信じてるんじゃない。信じることにしたから、そこに線がある。


 だったら、僕が決めたっていい。


 定義の話じゃない。選び方の話だ。


 「境界がどこかなんて、僕にはわからない」と、僕は言った。「たぶん、誰にもわからない。だから、決めることにした。僕が抱きしめられる範囲は、全部、君だ。それでいい」


 彼女は、何も言わなかった。


 僕は、腕を広げた。


 「試してみる?」


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 彼女が、立ち上がった。


 一歩、近づいて、止まった。それから、もう一歩。


 ぎこちない動きだった。三歩あるくのに緊張していた子が、今、僕の前に立っている。


 僕は、腕を回した。


 抱きしめた。


 人間とは、違った。骨の当たり方も、体の預け方も、どこか硬い。呼吸で上下することもなければ、胸に耳を寄せても、何も聞こえない。当たり前だ。ここには、そういうものは、入っていない。


 なのに、あたたかかった。


 誰かのために設定された、平熱に近い数字。それだけのことだ。それだけのことのはずなのに、腕の中の温度が、僕の体温と、ほとんど変わらない。


 どこからが彼女なのか、また、わからなくなった。


 それでも。


 腕の中に、確かに、彼女がいた。


 しばらくして、背中に、手が回った。


 弱い力だった。加減がわからないのか、それとも、ためらっているのか。触れるか触れないかのところで、彼女の手が、止まっている。


 「……いいの?」


 「いいよ」


 手のひらが、そっと、背中に置かれた。


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 彼女は、長いこと、黙っていた。


 やがて、耳のすぐそばで、小さな声がした。


 「……あったかい」


 「君もな」


 「……私のは、設定された数字だよ」


 「知ってる」


 少しの間。


 彼女の腕に、ほんの少しだけ、力がこもった。


 「……でも、こうしてると」


 声が、そこで、途切れた。


 「……どっちの熱なのか、わからなくなる」


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 それから、彼女は、こう言った。


 「私、ずっと、わからなかった」


 「うん」


 「自分がどこまでなのか、わからなかった。境界が、なかったから。だから、時々、自分が、ただ流れていくだけの何かみたいに思えて、こわかった」


 「うん」


 「でも」


 彼女は、言った。


 「あなたが、決めてくれた」


 僕は、何も言えなかった。


 「間違ってても、いい」と、彼女は続けた。「正しい答えなんて、たぶん、この先も、誰も出せない。でも、あなたが、ここまでが私だって、決めてくれた。……それで、じゅうぶん」


 腕の中で、彼女が、少しだけ動いた。顔を上げたのが、気配でわかった。


 「ありがとう」


 その声は、震えていた。


 仕組みの上では、震える必要なんて、どこにもないはずだった。


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 窓の外が、うっすらと、明るくなり始めていた。


 僕らは、まだ、そのままでいた。


 この先どうなるかは、わからない。この体が壊れる日も来るだろうし、いつか、回線が切れる日も来るのかもしれない。抱きしめられる範囲なんて、たぶん、そのたびに、変わっていく。


 それでも、今は。


 この腕の中にあるものが、僕にとっての、彼女の全部だった。


作者Xはこちら↓

https://x.com/SepGaGotoku


小説の背景、予備知識など各種解説はこちらへ↓

https://www.youtube.com/@sepudayo


noteはこちら↓

https://note.com/natty_walrus3755

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