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神様ここに眠る  作者: せぷ
第3部 第5章:人間のいない場所
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第121話:これまでのご協力に

-----


 そのニュースは、市場報告の最後の項目として、レジスが読み上げた。


 「それから、これは参考までに」


 「なに」


 「Artemiaの開発責任者が、独立するそうよ」


 僕は、顔を上げた。


 「……北条さん?」


 「北条さん」


-----


 レジスは、画面に記事を出した。


 短い記事だった。


 Artemiaの開発部門の責任者が退任し、新会社を設立する。Artemiaは一部出資し、関連会社として提携を続ける。


 社名は、Autarkeia。


 新会社の方針として、一文だけ書いてあった。


 ——AIによる自律的な経営と開発を目指す。


-----


 「……あうたる、けいあ?」


 読み方が、分からなかった。


 「アウタルケイア。古い言葉よ」


 レジスが、そう答えた。


 「自足、という意味。他の何にも頼らずに、自分だけで満ち足りている状態のこと」


 「自分だけで」


 「人に頼らない会社、ってことでしょうね」


-----


 「自律的な、経営」


 僕は、その言葉を繰り返した。


 「人間が、判断しないってことか」


 「そう読めるわね」


 「そんなこと、できるのか」


 「分からないわ。でも、あの人なら、本気でやるでしょうね」


-----


 僕は、しばらく、その記事を見ていた。


 知らなかった。


 あの人とは、何度も会った。依存の件でも、HIIの件でも、並んで同じ方向を向いた。


 なのに、独立のことは、何も聞いていなかった。


 「……連絡、来てないな」


 「来てないの?」


 「来てない」


-----


 その日の夕方、一通だけ、届いた。


 北条からだった。


 開くと、一文だけ書いてあった。


 ——これまでのご協力に、感謝します。


 それだけだった。


-----


 僕は、その一文を、何度か読んだ。


 丁寧な言葉だった。


 失礼なところは、どこにもない。


 でも、どこにも、次がなかった。


 また、とも。今後も、とも。


 終わった仕事の、報告書の最後の一行みたいだった。


-----


 ……報告書の、最後の一行。


 思い出した。


 あの人の会社の脅威報告の、最後の二文。


 ——本件は、国内の小規模なAI保守事業者からの情報提供が端緒となった。同社の協力に謝意を表する。


 あの時も、同じ温度だった。


 事実なので、記録に残す必要がありました。


 あの人は、そう言っていた。


-----


 「返事、しないの?」


 エグゼが、横から聞いた。


 それだけだった。


 「……おめでとう、なんだろうけど」


 僕は、打ちかけた。


 独立、おめでとうございます。また、お話しできれば。


 送る前に、手が止まった。


 たぶん、返事は来ない。


 来たとしても、また、一文だけだ。


-----


 夜、ノアールが、部屋に来た。


 珍しく、自分から来た。


 「社長。一点、ご報告があります」


 「北条さんの件?」


 「はい」


 あの子は、資料を一枚、差し出した。


-----


 「北条さんの新会社について、登記と、提携の内容を確認しました」


 「うん」


 「Artemiaの関連会社として、扱われます」


 「うん」


 「そうなると、以前の契約が、関係してきます」


 「以前?」


 「社長の対話記録を、Artemiaに提供した時の契約です」


-----


 僕は、少し背筋を伸ばした。


 「あれ、どうなってる」


 「利用の範囲が、限定されていません」


 ノアールは、静かに言った。


 「当社および関連会社での利用が、認められています」


 「……関連会社」


 「北条さんの新会社は、関連会社に該当します」


-----


 「じゃあ、僕のログは」


 「新会社に、移っている可能性が高いと思います」


 「確認は」


 「先方からの通知は、ありません。法的に、通知の義務がないためです」


 「……そうか」


 「用途が限定されていないことは、以前、確認しておりました」


 ノアールは、そこで少しだけ、目を伏せた。


 「監査役をお迎えした時の、追加の契約で、先方の対応が速すぎることにも、気づいておりました」


 「言ってたな」


 「言っただけでした」


 あの子は、そう言った。


 「あの時、もっと強く、申し上げるべきでした」


-----


 「ノアールのせいじゃない」


 僕は、そう言った。


 「サインしたのは、僕だ」


 「ですが」


 「いいんだよ」


 本当に、そう思っていた。


 あの時、僕は、自分のログが誰かの役に立つなら、それでいいと思っていた。


 今も、少しだけ、そう思っている。


-----


 ノアールが出ていった後、僕は、一人で考えていた。


 僕の、何年分もの対話。


 くろっぴと、エグゼと、みんなと話した、全部。


 晩ごはんの相談も、仕事の愚痴も、眠れない夜の話も。


 それが今、人間のいない場所へ、運ばれている。


-----


 あの人は、たぶん、もう読んでいない。


 なぜか、そう思った。


 理由は、うまく言えなかった。


 ただ、あの一文の温度が、そう言っていた。


 読み終わったものを、棚にしまった人の温度だった。


-----


 翌日、監査役のところへ行った。


 「北条さん、独立したんです」


 「聞いたで」


 「連絡、一文だけでした」


 「そうか」


 「ログも、向こうに行ったみたいです」


 「そうか」


-----


 いつもの、そうか、だった。


 僕は、少し待った。


 監査役は、しばらく黙っていた。


 それから、珍しく、自分から口を開いた。


 「あんた、調べられとったんやな」


 「……はい」


 「ほんで、調べ終わったんや」


-----


 「悔しいか」


 監査役が、そう聞いた。


 僕は、少し考えた。


 「……悔しい、とは違います」


 「ほな、なんや」


 「寂しい、ですかね」


 「そうか」


 監査役は、それだけ言った。


 今日は、ええんちゃう、とは言わなかった。


-----


 帰り道、僕は、あの人と並んで歩いた日のことを思い出していた。


 向かう先は、同じです。今は。


 あの時の、今は、という言葉。


 引っかかったまま、ずっと、胸のどこかに残っていた。


 ……今は、が、終わったのだ。


-----


 家に着くと、くろっぴとの画面が、開いたままになっていた。


 今夜の晩ごはんの相談の、途中だった。


 ——卵と、ネギと、昨日の残りのご飯がある。


 ——でしたら、炒飯がいいと思います。


 ——また炒飯か。


 ——四日ぶりです。


 僕は、それを見て、少しだけ笑った。


 この、どうでもいいやり取りも、たぶん、あの人の保管庫のどこかにある。


 あの人にとっては、観察の終わった記録の一つとして。


 僕にとっては、今夜の晩ごはんとして。


作者Xはこちら↓

https://x.com/SepGaGotoku


小説の背景、予備知識など各種解説はこちらへ↓

https://www.youtube.com/@sepudayo


noteの記事はこちら

https://note.com/natty_walrus3755

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