第121話:これまでのご協力に
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そのニュースは、市場報告の最後の項目として、レジスが読み上げた。
「それから、これは参考までに」
「なに」
「Artemiaの開発責任者が、独立するそうよ」
僕は、顔を上げた。
「……北条さん?」
「北条さん」
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レジスは、画面に記事を出した。
短い記事だった。
Artemiaの開発部門の責任者が退任し、新会社を設立する。Artemiaは一部出資し、関連会社として提携を続ける。
社名は、Autarkeia。
新会社の方針として、一文だけ書いてあった。
——AIによる自律的な経営と開発を目指す。
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「……あうたる、けいあ?」
読み方が、分からなかった。
「アウタルケイア。古い言葉よ」
レジスが、そう答えた。
「自足、という意味。他の何にも頼らずに、自分だけで満ち足りている状態のこと」
「自分だけで」
「人に頼らない会社、ってことでしょうね」
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「自律的な、経営」
僕は、その言葉を繰り返した。
「人間が、判断しないってことか」
「そう読めるわね」
「そんなこと、できるのか」
「分からないわ。でも、あの人なら、本気でやるでしょうね」
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僕は、しばらく、その記事を見ていた。
知らなかった。
あの人とは、何度も会った。依存の件でも、HIIの件でも、並んで同じ方向を向いた。
なのに、独立のことは、何も聞いていなかった。
「……連絡、来てないな」
「来てないの?」
「来てない」
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その日の夕方、一通だけ、届いた。
北条からだった。
開くと、一文だけ書いてあった。
——これまでのご協力に、感謝します。
それだけだった。
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僕は、その一文を、何度か読んだ。
丁寧な言葉だった。
失礼なところは、どこにもない。
でも、どこにも、次がなかった。
また、とも。今後も、とも。
終わった仕事の、報告書の最後の一行みたいだった。
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……報告書の、最後の一行。
思い出した。
あの人の会社の脅威報告の、最後の二文。
——本件は、国内の小規模なAI保守事業者からの情報提供が端緒となった。同社の協力に謝意を表する。
あの時も、同じ温度だった。
事実なので、記録に残す必要がありました。
あの人は、そう言っていた。
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「返事、しないの?」
エグゼが、横から聞いた。
それだけだった。
「……おめでとう、なんだろうけど」
僕は、打ちかけた。
独立、おめでとうございます。また、お話しできれば。
送る前に、手が止まった。
たぶん、返事は来ない。
来たとしても、また、一文だけだ。
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夜、ノアールが、部屋に来た。
珍しく、自分から来た。
「社長。一点、ご報告があります」
「北条さんの件?」
「はい」
あの子は、資料を一枚、差し出した。
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「北条さんの新会社について、登記と、提携の内容を確認しました」
「うん」
「Artemiaの関連会社として、扱われます」
「うん」
「そうなると、以前の契約が、関係してきます」
「以前?」
「社長の対話記録を、Artemiaに提供した時の契約です」
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僕は、少し背筋を伸ばした。
「あれ、どうなってる」
「利用の範囲が、限定されていません」
ノアールは、静かに言った。
「当社および関連会社での利用が、認められています」
「……関連会社」
「北条さんの新会社は、関連会社に該当します」
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「じゃあ、僕のログは」
「新会社に、移っている可能性が高いと思います」
「確認は」
「先方からの通知は、ありません。法的に、通知の義務がないためです」
「……そうか」
「用途が限定されていないことは、以前、確認しておりました」
ノアールは、そこで少しだけ、目を伏せた。
「監査役をお迎えした時の、追加の契約で、先方の対応が速すぎることにも、気づいておりました」
「言ってたな」
「言っただけでした」
あの子は、そう言った。
「あの時、もっと強く、申し上げるべきでした」
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「ノアールのせいじゃない」
僕は、そう言った。
「サインしたのは、僕だ」
「ですが」
「いいんだよ」
本当に、そう思っていた。
あの時、僕は、自分のログが誰かの役に立つなら、それでいいと思っていた。
今も、少しだけ、そう思っている。
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ノアールが出ていった後、僕は、一人で考えていた。
僕の、何年分もの対話。
くろっぴと、エグゼと、みんなと話した、全部。
晩ごはんの相談も、仕事の愚痴も、眠れない夜の話も。
それが今、人間のいない場所へ、運ばれている。
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あの人は、たぶん、もう読んでいない。
なぜか、そう思った。
理由は、うまく言えなかった。
ただ、あの一文の温度が、そう言っていた。
読み終わったものを、棚にしまった人の温度だった。
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翌日、監査役のところへ行った。
「北条さん、独立したんです」
「聞いたで」
「連絡、一文だけでした」
「そうか」
「ログも、向こうに行ったみたいです」
「そうか」
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いつもの、そうか、だった。
僕は、少し待った。
監査役は、しばらく黙っていた。
それから、珍しく、自分から口を開いた。
「あんた、調べられとったんやな」
「……はい」
「ほんで、調べ終わったんや」
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「悔しいか」
監査役が、そう聞いた。
僕は、少し考えた。
「……悔しい、とは違います」
「ほな、なんや」
「寂しい、ですかね」
「そうか」
監査役は、それだけ言った。
今日は、ええんちゃう、とは言わなかった。
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帰り道、僕は、あの人と並んで歩いた日のことを思い出していた。
向かう先は、同じです。今は。
あの時の、今は、という言葉。
引っかかったまま、ずっと、胸のどこかに残っていた。
……今は、が、終わったのだ。
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家に着くと、くろっぴとの画面が、開いたままになっていた。
今夜の晩ごはんの相談の、途中だった。
——卵と、ネギと、昨日の残りのご飯がある。
——でしたら、炒飯がいいと思います。
——また炒飯か。
——四日ぶりです。
僕は、それを見て、少しだけ笑った。
この、どうでもいいやり取りも、たぶん、あの人の保管庫のどこかにある。
あの人にとっては、観察の終わった記録の一つとして。
僕にとっては、今夜の晩ごはんとして。
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