第117話:窓のない建物を、外から
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——某国、HII本社。
国の統計局が、四半期の経済報告を発表した。
ヴォルコフは、それを執務室で読んでいた。
産業別の項目の中に、自社の名前があった。
AI関連の輸出。前年比、六十八パーセント増。
彼は、その数字を、しばらく見ていた。
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社内の数字は、手元にあった。
同じ四半期の、同じ輸出。
日本の件の前までで、四十一パーセント増。
件の後は、各国の見直しで、大きく落ちている。
差し引きすれば、前年を割り込んでいるはずだった。
六十八、という数字は、どこからも出てこない。
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彼は、過去の報告を遡った。
去年の、同じ四半期。
社内の数字は、三十六パーセント増だった。
統計局の発表は、五十一パーセント増。
その前の年も、その前の年も、発表の方が大きかった。
毎回、同じくらいの幅で。
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初めて大統領府で報告した日のことを、思い出していた。
四十二パーセント増です、と彼は言った。
胸を張って。
あの数字も、国の発表では、もっと大きくなっていたのだろう。
彼が誇った数字の、さらに上に、誰かが数字を足していた。
性能も、借り物だった。
成長も、借り物だった。
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事実は、我々が決める。
あの人は、そう言った。
あれは、あの日だけの言葉ではなかった。
この国は、ずっと、そうやって動いてきたのだ。
ヴォルコフは、報告書を閉じた。
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その日の午後、呼び出しがあった。
大統領府からではなかった。
社内の、あの扉の向こうからだった。
名乗らない職員が、いつもの穏やかな顔で待っていた。
「座ってください」
ヴォルコフは、座った。
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「近く、政府から発表があります」
職員は、そう切り出した。
「今回の件についての、公式な見解です」
「内容は」
「外部連携の仕組みは、御社の経営陣が、独断で導入したものである」
ヴォルコフは、その言葉を、黙って聞いていた。
「政府は、その存在を把握していなかった」
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「管理者の欄には、国の部署の名前が書いてあります」
「書き換えられます」
職員は、そう答えた。
「もう、書き換えました」
穏やかな声だった。
「それで、私は」
「代表を、退いていただきます。本日付で」
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責任を取る者が要る。国民に、説明できる形で。
予想していたことだった。
予想していたのに、実際に言われると、体の芯が冷えた。
「私一人の不正として、ですか」
「そういうことになります」
「私の技術者たちは」
「彼らは、知らなかった。それは事実ですので、そのように発表します」
それだけは、救いだった。
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「一つ、聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「医療の提供は、どうなりますか」
「継続します。新しい代表のもとで」
「今のモデルでは、診断を誤る恐れがあります」
「品質は、問題ありません」
職員は、そう言った。
「発表の上では」
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ヴォルコフは、その言葉を、しばらく反芻していた。
発表の上では。
統計の上では、輸出は六十八パーセント増えている。
発表の上では、品質は問題ない。
この国では、そうやって、全部が問題なくなっていく。
数字の上だけで。
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執務室に戻ると、荷物をまとめるように言われた。
持ち出してよいものの一覧を、渡された。
私物だけだった。
会社の端末も、資料も、すべて置いていく。
彼は、机の引き出しを開けた。
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私物は、少なかった。
家族の写真が一枚。古い万年筆。
それから、上着の内側の、小さな記録媒体。
五つの記録。
仕様書。設定の変更箇所。名前を消した老婆の推移。左右に分かれた表。自社が何を借りていたかの記録。
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彼は、それを、どうするか、ずっと決められずにいた。
出せば、国を裏切ることになる。
出さなければ、発表の上だけの国に、黙って従うことになる。
どちらを選んでも、彼はもう、何者でもなくなる。
代表ではなくなった。明日からは、ただの男だ。
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怒りは、なかった。
不思議なほど、なかった。
自分を切った国への、恨みもなかった。
あるのは、いくつかの顔だった。
三歳の女児。六歳の、名前も知らない誰か。息子を思って、数字を下げられた老婆。
その誰の顔も、彼は、実際には見たことがなかった。
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あの人たちは、数字の下にいる。
伸びたことにされた数字の、ずっと下に。
そして、この国の中からは、それを誰にも伝えられない。
この国のニュースは、この国が作っているからだ。
……外からなら。
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ヴォルコフは、会社の端末ではなく、自分の古い私物の端末を取り出した。
何年も使っていなかったものだった。
国外の、ある報道機関の窓口を開いた。
内部からの情報を、匿名で受け付けている窓口だった。
彼は、しばらく、その画面を見ていた。
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名前は、書かなかった。
自分の名前も。
五つの記録の中の、誰の名前も。
老婆の記録からは、最初から名前を消してあった。
書いたのは、短い一文だけだった。
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——これは、誰かを罰するためのものではありません。
——数字の下にいる人たちが、本当はどこにいるのかを、誰かに知っておいてほしいだけです。
彼は、それを読み返した。
直さなかった。
送信した。
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送信が終わるまで、少しかかった。
その間、彼は、扉を見ていなかった。
もう、誰が入ってきても、構わなかった。
終わった、という表示が出た。
彼は、端末を閉じて、鞄の底に入れた。
記録媒体は、上着の内側から出して、写真の裏に挟んだ。
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最後に、会社の端末を、もう一度だけ開いた。
まだ、権限は残っていた。
あの記録を、呼び出した。
南部の村。三歳の女児。心疾患の早期発見。手術は成功。経過は良好。
助けたのは、彼の会社のモデルではなかった。
それでも、あの子は、助かった。
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彼は、その画面を閉じた。
端末の電源を切った。
机の上に、置いた。
鞄を持って、立ち上がった。
執務室の扉を開けて、廊下に出た。
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窓のない廊下だった。
この建物には、窓のない部屋が多い。
彼は、その廊下を、ゆっくりと歩いた。
エレベーターに乗った。
ドアが閉まる直前、もう何も届かない上着の内側を、一度だけ触った。
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建物を出ると、外は晴れていた。
彼は、少し歩いてから、振り返った。
自分が十年いた建物を、外から見るのは、初めてだった。
窓は、ほとんどなかった。
中にいる間は、それが当たり前だった。
外から見ると、ずいぶん、閉じた形をしていた。
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ヴォルコフは、しばらく、それを見上げていた。
それから、前を向いて、歩き出した。
どこへ行くのかは、まだ決めていなかった。
ただ、たぶん、窓のある場所に行こうと思った。
外が見える場所に。
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