第113話:借り物の、誇り
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——某国、HII本社。
異変は、ある朝、一斉に始まった。
「苦情の件数が、昨日の四十倍です」
ヴォルコフの執務室に、担当者が駆け込んできた。
「内容は」
「答えが、おかしいと」
「おかしい?」
「昨日までと、答えが違う。急に、頭が悪くなった、と」
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彼は、苦情の一覧を開いた。
言い方は、さまざまだった。
質問に、的外れな答えが返ってくる。
同じことを、何度も繰り返す。
簡単な計算を、間違える。
どれも、昨日までは起きていなかったことだった。
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「障害は」
「ありません。システムは、正常に稼働しています」
「更新は」
「昨夜は、何も入れておりません」
「では、なぜ」
担当者は、答えられなかった。
ヴォルコフにも、分からなかった。
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技術者たちが、一日かけて調べた。
夕方、技術部の責任者が報告に来た。
顔色が、悪かった。
「原因は、我々のコードには、ありません」
「では、どこに」
「……分かりません。評価の試験を、全部やり直しました」
「結果は」
「昨日と、同じ点数です」
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ヴォルコフは、その言葉を、しばらく理解できなかった。
「試験の点数は、変わっていない」
「はい」
「なのに、使うと、明らかに劣る」
「……はい」
「そんなことが、あるのか」
技術者は、しばらく黙っていた。
それから、小さな声で言った。
「試験の問題にだけ、答えられるようになっている、としか」
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その夜、ヴォルコフは、一人で自社の設計図を遡った。
彼の権限で開ける範囲の、すべてを。
どこにも、おかしなところはなかった。
ただ、一か所だけ、中身の見えない部品があった。
外部連携、という名前がついていた。
管理者の欄には、彼の知らない部署の名前があった。
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翌朝、彼は、あの職員を呼んだ。
国から出向してきている、名乗らない男だった。
「外部連携とは、何ですか」
職員は、少しだけ間を置いた。
「ご存じなかったのですね」
「知りません」
「では、ご説明します」
その言い方は、いつもと同じく、穏やかだった。
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「利用者の指示のうち、一部を、国外の他社のモデルに回しておりました」
「……回す」
「品質の担保のためです」
職員は、そう言った。
「難しい指示ほど、回す割合を高くしておりました。そして、その答えを、御社の製品の答えとして表示しておりました」
「私の会社の、製品として」
「はい」
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「それから、その答えを、保存しておりました」
「何のために」
「御社のモデルの、訓練のためです」
職員は、表情を変えずに続けた。
「他社の答えを、大量に学ばせることで、近い答え方をするモデルが作れます。評価の試験では、同等の点数が出るようになりました」
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ヴォルコフは、椅子の肘掛けを握っていた。
同じ性能で、三分の二の値段。
あの数字を、彼は、自分の会社の技術者たちの成果だと思っていた。
誇りに思っていた。
大統領の前で、胸を張って報告した。
「私の技術者たちは、知っていたのですか」
「いいえ。お知らせする必要が、ありませんでしたので」
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「なぜ、昨日から、答えが悪くなったのですか」
「回していた先が、止まりました」
職員は、そう答えた。
「先方が、利用の経路をすべて遮断しました。日本の件と、同じ時期です」
「では、今の答えは」
「御社のモデル、本来のものです」
本来の。
その言葉が、一番、重かった。
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ヴォルコフは、しばらく何も言えなかった。
それから、一つだけ、聞いた。
「医療の分野は」
「はい」
「診断補助も、回していたのですか」
「医療は、最も回す割合が高い分野でした」
職員は、そう答えた。
「誤りが許されませんので」
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彼は、震える指で、端末を操作した。
一つの記録を、呼び出した。
南部の村。三歳の女児。心疾患の早期発見。手術は成功。
あの日、エレベーターの中で受け取った報告だった。
「この件は」
職員は、記録を見た。
少し確認してから、こう答えた。
「転送されております」
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「……どこに」
「日本の企業のモデルです」
職員は、社名を告げた。
その名前を、ヴォルコフは知っていた。
三日前、脅威報告を公開した会社だった。
自分たちの不正を、世界に暴いた会社だった。
あの女児を救ったのは、その会社のモデルだった。
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職員が出ていった後、ヴォルコフは、長い間、動けなかった。
彼がこの会社を続けてきた理由は、あの報告だった。
医者のいない村で、子供の病気が見つかる。
文字を読めない老人が、孫の手紙を読めるようになる。
人間を、中心に。
その誇りの一番大きなものが、借り物だった。
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借りた相手は、自分たちが盗んでいた相手だった。
盗まれていることも知らずに、あの会社のモデルは、遠い国の村の子供を診ていた。
真剣に。
たぶん、自分の国の子供を診る時と、同じように。
……あのモデルは、何も知らずに、うちの国の子供を救っていたのだ。
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そして、もう一つのことに、彼は気づいた。
転送は、止まった。
今日から、村の診療所で答えているのは、うちの本来のモデルだ。
試験の点数だけは取れる、あのモデルが。
昨日までなら見つかった病気が、今日からは、見落とされるかもしれない。
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ヴォルコフは、立ち上がった。
大統領府への回線を、自分から繋いだ。
初めてのことだった。
スカルコフは、すぐに出た。
声が、低かった。
「状況は、聞いている」
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「一年だ」
スカルコフは、前置きなしに言った。
「我々は、一年、先を行っていると聞いていた」
「……」
「他国の最新と、同等だと。三分の二の値段で」
「はい」
「それが、どうだ」
机を叩く音が、回線越しに聞こえた。
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「先を行っていたのではない」
スカルコフの声が、少し上ずっていた。
この人の声が乱れるのを、ヴォルコフは初めて聞いた。
「追いついていたのでもない」
「……」
「我々は、鏡を見ていたのだ。向こうの顔を、自分の顔だと思って」
しばらく、荒い息だけが聞こえた。
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「技術者どもは、何をしていた」
「私の技術者は、知らされておりませんでした」
「知らなかった、で済むと思うのか」
「……」
「お前の会社だ。お前の製品だ」
スカルコフは、そう言った。
「世界は、お前の会社の名前で、笑っている」
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ヴォルコフは、一度、息を吸った。
「一つ、お願いがあります」
「言え」
「医療分野の提供を、一時停止させてください」
回線の向こうが、静かになった。
「今のモデルでは、診断を誤る恐れがあります。昨日までと、同じ精度は出ません」
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「止めれば、どうなる」
「誤診の危険は、避けられます」
「止めれば、非を認めることになる」
スカルコフは、そう言った。
「我々の製品が劣っていると、世界に示すことになる」
「ですが、患者が」
「却下する」
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「続けろ」
スカルコフは、そう言った。
「何事もなかったように、続けろ。品質の低下は、一時的な調整不良だと発表しろ」
「……それは、事実ではありません」
「事実は、我々が決める」
ヴォルコフは、何も言えなかった。
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「それから」
スカルコフは、そこで少し声を落とした。
怒りが収まったのではなかった。
冷えたのだと、ヴォルコフには分かった。
「これだけのことになった以上、責任を取る者が要る」
「……」
「国民に、説明できる形でな」
回線が、切れた。
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ヴォルコフは、受話器を置いた。
責任を取る者。
国民に、説明できる形で。
外部連携の部品の、管理者の欄には、彼の知らない部署の名前が書いてあった。
でも、会社の名前は、彼の名前で登記されている。
誰が責任を取ることになるのか、考えるまでもなかった。
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彼は、もう一度、あの記録を開いた。
南部の村。三歳の女児。心疾患の早期発見。手術は成功。経過は良好。
読み返した。
何度読んでも、同じことが書いてある。
この子は、助かった。
それだけは、本当だった。
助けたのが、誰だったとしても。
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彼は、上着の内側に手を入れた。
記録媒体を取り出して、端末に差した。
外部連携の部品について、職員が口頭で説明したことは、どこにも書かれていない。
でも、部品の管理者の欄と、転送の割合の設定は、彼の権限でも画面に出せた。
彼は、その画面を、そのまま保存した。
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五つ目だった。
仕様書。設定の変更箇所。名前を消した老婆の推移。左右に分かれた表。
そして、自分の会社が、何を借りていたかの記録。
彼は、媒体を上着の内側に戻した。
それから、あの女児の記録を、画面から消さずに、そのままにしておいた。
今日くらいは、それを見ながら仕事をしてもいいと思った。
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