第111話:左の列と、右の列
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——某国、HII本社。
その報告は、朝の定例の、三番目の議題として上がってきた。
「取引先の国で、隣国との間に、衝突が起きました」
担当者は、そう読み上げた。
天候の報告と、同じ声だった。
「国境付近です。現在も、継続中とのことです」
ヴォルコフは、手元の資料をめくった。
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あの国は、取引先の一つだった。
この国と、古くから繋がりのある国だ。
五年前、HIIの製品を大量に導入した。行政、医療、物流。国の仕組みの多くに、うちのモデルが入っている。
安かったからだ。
同じ性能で、三分の二の値段。
選ぶ理由は、十分にあった。
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「うちへの影響は」
「現時点では、ございません」
「隣国の方は」
「隣国は、自社の主要な顧客ではありません」
担当者は、そう答えた。
「導入を検討されたことはありましたが、予算の都合で見送られております」
買えなかった国だ、と彼は思った。
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定例は、次の議題に移った。
四半期の見通し。新しい輸出先。欧州の審査の進捗。
衝突の件は、それ以上、誰も触れなかった。
遠い国の話だった。
少なくとも、その部屋にいる全員にとっては。
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三日後、別の報告が届いた。
国防側からだった。
封のされた文書で、ヴォルコフ宛てに、個人で送られてきた。
開けると、一枚目にこう書いてあった。
——運用実績のご報告。
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彼は、その題名を、しばらく見ていた。
運用。
あの国に輸出していたのは、民生用のはずだった。
行政と、医療と、物流。
契約書にも、そう書いてある。
彼は、二枚目をめくった。
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短い文書だった。
あの国の防衛部門が、導入済みの基盤を活用し、設定を切り替えて運用を開始した。
基盤の提供元として、貴社に謝意を表する。
運用は、想定通りの成果を上げている。
それだけだった。
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設定を、切り替えて。
ヴォルコフは、その一行を、何度も読んだ。
民生用として売ったものが、向こうで切り替えられた。
同じ画面の、同じ項目。
保護を優先する、が、任務を優先する、に。
自分の目で見た、あの画面だった。
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三枚目は、表だった。
衝突が始まってからの、双方の損害をまとめたものだった。
左右に、二つの列があった。
左が、あの国。右が、隣国。
彼は、その表を、上から順に読んだ。
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左の列には、機体の数が書いてあった。
損傷、何体。回収、何体。修理中、何体。
どれも、物の数え方だった。
右の列には、人の数が書いてあった。
同じ行の、同じ欄に。
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隣国は、機体を持っていない。
買えなかったからだ。
だから、前に出ているのは、人間だった。
左の列の数字が増えれば、補充される。
右の列の数字は、補充されない。
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ヴォルコフは、その表から目を離せなかった。
同じ表の、同じ行だった。
罫線一本を挟んで、片方は物を数え、片方は人を数えている。
それを作った者は、たぶん、何も感じずにこの表を作った。
作る必要があったから、作った。
それだけのことだ。
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その日の午後、スカルコフから連絡が来た。
「報告は、読んだか」
「読みました」
「想定通りだそうだな」
「……そう書いてありました」
「お前の会社の製品が、役に立っている」
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「民生用として、契約したものです」
ヴォルコフは、そう言った。
言ってから、自分でも驚いた。
この人に、こういう言い方をしたのは初めてだった。
少しの沈黙があった。
「契約は、契約だ」
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「導入した国が、それをどう使うかは、その国が決める」
スカルコフは、そう続けた。
「我々が口を出すことではない」
「……ですが」
「以前、言ったな」
「はい」
「貧しい国ほど、我々の製品を使う。そして、使い続ける」
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ヴォルコフは、その言葉を覚えていた。
あの時は、市場の話だと思っていた。
売れ続ける、という意味だと。
今は、違う意味に聞こえた。
一度入れたら、抜けられない。
国の仕組みの中に入り込んで、その国がどこへ向かっても、ついていく。
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「あの国は、我々の友人だ」
スカルコフは、そう言った。
「友人が、困っている時に、役に立った。それだけのことだ」
「……はい」
「以上だ」
回線が、切れた。
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その夜、ヴォルコフは、一人で執務室に残っていた。
端末で、社内の運用記録を開いていた。
彼の権限で見られる範囲のものだけだ。
医療分野の、利用状況の一覧だった。
国外の支援事業として、無償で提供している分も、そこに含まれている。
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その中に、隣国の名前があった。
買えなかった国だ。
ただ、国際的な医療支援の枠組みで、診断補助の端末だけは、数十台、届けられていた。
国境に近い地域の、診療所に。
彼は、その一覧を、ゆっくりと下にたどった。
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端末の一つ一つに、最後に通信した時刻が表示されている。
ほとんどの端末は、今日も通信していた。
今日も、誰かを診ていた。
その中に、一台だけ、止まっているものがあった。
最後の通信は、五日前だった。
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衝突が始まった日の、翌日だった。
所在地は、国境から、十数キロの村の診療所。
最後の記録は、診断の途中で途切れていた。
患者の年齢の欄に、数字が一つ残っていた。
六歳。
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それ以上のことは、何も分からなかった。
端末が壊れたのか。電源が落ちたのか。診療所が閉じたのか。
記録は、何も語らない。
ただ、止まっている。
五日前から、ずっと。
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ヴォルコフは、その画面を、長い間見ていた。
皮肉なことに、それが見えるのは、自分たちがすべてを集めていたからだった。
どの端末が、いつ、どこで、何をしていたか。
全部、ここに届く仕組みを作った。
その仕組みのおかげで、彼は、止まった一台に気づくことができた。
気づいたところで、何もできなかった。
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同じ基盤だった。
左の列を動かしているものと。
右の列の、診療所で、子供を診ていたものと。
片方の国で、人を撃つように切り替えられたものと、
隣の国で、人を救うように置かれていたものが、
同じものだった。
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彼は、上着の内側に手を入れた。
硬いものが、まだそこにあった。
三つの記録。
仕様書と、設定の変更箇所と、名前を消した老婆の推移。
……三つでは、足りない。
彼は、そう思った。
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ヴォルコフは、記録媒体を端末に差した。
国防側から届いた、あの文書を開いた。
運用実績のご報告。
三枚目の、左右に分かれた表。
彼は、それを複製した。
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四つ目だった。
終わるまで、一分もかからなかった。
彼は、媒体を抜いて、また上着の内側に戻した。
それから、止まったままの端末の画面を、もう一度だけ見た。
六歳。
彼は、その数字を、覚えておくことにした。
名前も知らない誰かのものとして。
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帰り際、廊下の窓から、外が見えた。
この建物には、窓のある廊下が一つだけある。
夜の首都は、明るかった。
遠い国の、国境の村とは、何の関係もないように見えた。
……関係は、ある。
自分が、繋いでしまった。
ヴォルコフは、窓から目を離して、歩き出した。
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