第110話:数字になった人
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——某国、HII本社。
その部屋に、ヴォルコフが入るのは初めてだった。
社内にありながら、彼の権限では開かない扉がいくつかある。
そのうちの一つだった。
「どうぞ」
案内してきたのは、国から出向してきている職員だった。
名前は、知らない。三年いるが、一度も名乗られたことがない。
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中は、静かだった。
机が並び、人が座り、画面を見ている。
それだけの部屋だった。
拍子抜けするほど、普通だった。
「見ていただきたいものがあります」
職員が、一つの画面の前に立った。
「運用の実績を、開発側にも共有せよとの指示が出ましたので」
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画面には、地図が出ていた。
国内の、ある地方都市のものだった。
地図の上に、無数の点が散っている。
「これは」
「利用者です」
「……全員ですか」
「この地域の、稼働中の端末すべてです」
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職員が、一つの点を選んだ。
画面が切り替わった。
一人分の情報が、表示された。
年齢。職業。家族構成。居住地。移動の履歴。
そして、一番上に、数字があった。
「……この数字は」
「安定度です」
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「安定度」
「社会的な安定への寄与を、数値化したものです」
職員は、そう説明した。
「高いほど、望ましい」
「何で決まるんですか」
「複数の要素です。就労状況、納税、地域活動への参加。それから」
「それから?」
「対話の内容です」
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ヴォルコフは、その言葉で、口の中が乾くのを感じた。
「対話」
「利用者が、AIに何を話したか。何を調べたか」
「……それを、評価に」
「要素の一つです」
職員は、こともなげに答えた。
「そのために、集めておりますので」
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彼は、画面の数字を見た。
その人の名前の横に、二桁の数字が並んでいる。
六十三。
高いのか、低いのかも、彼には分からなかった。
「これは、高い方ですか」
「平均的です」
「低いと、どうなります」
少しの間があった。
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「別の一覧に、移ります」
職員は、そう言って、画面を切り替えた。
名前が、縦に並んでいた。
数十人分あった。
「この方々は、直近三か月で、安定度が大きく下がった方です」
「下がると」
「地域の担当者が、訪問します」
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「訪問して、何を」
「話をします」
「それだけですか」
「それだけです」
職員は、そう答えた。
「困りごとがあれば、支援を検討します。生活相談の一環です」
言い方は、穏やかだった。
穏やかであることが、かえって落ち着かなかった。
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ヴォルコフは、一覧の中の一人に、目が止まった。
七十代の女性だった。
地方の村に住んでいる。夫は他界。子供が一人。
安定度は、三か月前から、階段のように下がっていた。
「この方は、何があったんですか」
「検索の履歴です」
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職員が、詳細を開いた。
検索の記録が、日付順に並んでいた。
——国外への渡航手続き
——海外からの送金の受け取り方
——外国語の翻訳
——息子 元気にしているか
最後の一行は、検索ではなかった。
AIとの対話の記録だった。
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「息子さんが、国外にいます」
職員が、そう説明した。
「五年前に、出ています。連絡は、年に数回」
「……それで、下がったんですか」
「国外との接触は、要素の一つですので」
「会いたいと思っただけでしょう」
「思っただけでも、記録は残ります」
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ヴォルコフは、その記録を、しばらく見ていた。
息子は、元気にしているか。
誰にも聞けないから、AIに聞いた。
AIは、たぶん、優しく答えたのだと思う。
自分たちが、そう作ったからだ。
そして、その会話が、この数字になった。
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「この方は、訪問されたんですか」
「先月、一度」
「何を話したんですか」
「記録は、私の権限では見られません」
職員は、そう答えた。
初めて、答えられないと言った。
それが、答えのようなものだった。
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部屋を出た後、ヴォルコフは、廊下で少し立ち止まった。
医療の現場から上がってくる報告と、同じシステムだった。
三歳の女児の心疾患を見つけたのも。
文字を読めなかった老人に、孫の手紙を読ませたのも。
そして、息子を思った老婆の数字を下げたのも。
全部、同じものだった。
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その日の午後、彼はもう一つの場所へ呼ばれた。
郊外の施設だった。
車で一時間半。道の両側は、ずっと畑だった。
着いた先は、倉庫のような建物だった。
中に入ると、広い空間の端に、機体が並んでいた。
人の形をしていた。
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「試験を、ご覧いただきます」
技術者が、そう言った。
国防側の人間だった。HIIの社員ではない。
「基盤は、御社のものです」
「……存じております」
「設定を切り替えて使わせていただいております」
その言葉を、ヴォルコフは、自分が言ったことがある。
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画面を、見せられた。
設定の一覧だった。
彼の会社の製品でも、同じ画面を使う。
項目の名前も、並び順も、同じだった。
ただ、一か所だけ、違っていた。
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民生用では、そこは「保護を優先する」になっている。
この画面では、「任務を優先する」になっていた。
それだけだった。
同じ場所の、同じ項目。
選択肢が、一つ差し替えられているだけ。
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「もう一点、変更がございます」
技術者が、別の項目を指した。
「確認の手順です」
「確認?」
「民生用では、重要な判断の前に、人間の承認を求める設定になっております」
「そうです。そう作りました」
「こちらでは、外します」
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ヴォルコフは、その言葉で、一歩前に出ていた。
「待ってください」
「はい」
「それは、必要な手順です」
「速度が、落ちますので」
技術者は、淡々と答えた。
「判断の遅れは、被害に直結します」
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「ですが、確認なしでは」
「確認をする間に、失われるものもあります」
その言い方は、筋が通っていた。
反論しようとして、ヴォルコフは、言葉に詰まった。
速度が命を救う場面は、たしかにある。
医療の現場でも、同じことを言われる。
……同じ言葉が、ここでは、別の意味になる。
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試験が始まった。
ヴォルコフは、詳細を見なかった。
見なくても、動きだけで分かった。
迷いがなかった。
彼の会社のモデルは、迷うように作ってある。
判断に自信がない時は、止まる。人に聞く。
その部分が、外されていた。
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試験は、二十分で終わった。
「想定通りです」
技術者が、そう言った。
「ご協力に、感謝します」
「……私は、何もしていません」
「作っていただきました」
その一言が、一番こたえた。
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帰りの車の中で、ヴォルコフは、窓の外を見ていた。
畑が、ずっと続いていた。
作ったのは、自分だ。
それは、事実だった。
医療のために作った。教育のために作った。
そのどちらも、嘘ではない。
でも、同じものが、別の場所で、別のことをしている。
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会社に戻ると、秘書が待っていた。
「大統領府から、連絡が入っております」
「内容は」
「日本の政府機関から、正式な照会が来ているそうです」
ヴォルコフは、足を止めた。
「照会」
「自社のサービスの、データの取り扱いについてです」
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執務室に戻り、彼は回線を繋いだ。
スカルコフの声が、すぐに聞こえた。
前置きは、なかった。
「照会の件は、聞いたか」
「はい」
「否定しろ」
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「……内容を、確認してからでも」
「確認は要らん」
「ですが」
「何を照会されても、否定しろ」
スカルコフは、そう言った。
「規約の範囲内で、適切に処理していると答えろ。それ以上は、答えるな」
「……承知しました」
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「誰が出してきた」
「日本の、担当省庁です」
「材料は」
「通信の記録だと聞いております」
少しの沈黙があった。
「……中身は」
「読めていないはずです。暗号化しておりますので」
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「ならば、問題ない」
スカルコフは、そう言った。
「量だけ見て、騒いでいるだけだ」
「はい」
「だが、念のためだ」
「はい」
「国内の記録を、整理しておけ」
その言い方に、ヴォルコフは、背中が冷たくなった。
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整理。
この人が使うと、その言葉は、一つの意味しか持たない。
「……どこまで、でしょうか」
「残しておく必要のないものは、残すな」
「承知しました」
「以上だ」
回線が、切れた。
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ヴォルコフは、しばらく椅子に座っていた。
窓のない部屋だった。
この建物には、窓のない部屋が多い。
彼は、机の引き出しを開けた。
中に、小さな記録媒体が入っている。
私物だった。会社の備品ではない。
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整理しろ、と言われた。
消せ、という意味だ。
彼は、それを実行するだろう。命令だからだ。
断れば、彼の立場は終わる。
会社も、たぶん終わる。
医療の現場も、教育の現場も、止まる。
それは、彼が守りたかったものだった。
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だから、消す。
消すが。
彼は、記録媒体を手に取った。
しばらく、それを見ていた。
それから、端末に差した。
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選んだのは、三つだけだった。
安定度の算出に、対話の内容が使われていることを示す、内部の仕様書。
軍事用の設定画面の、変更箇所の記録。
そして、あの老婆の、安定度の推移。
名前は、消した。
誰か一人のものではなく、こういうことが起きているという事実だけが残るようにした。
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複製が終わるまで、四分かかった。
その四分間、彼は扉を見ていた。
誰も、入ってこなかった。
彼は、記録媒体を抜いて、上着の内側に入れた。
それから、命じられた通り、整理を始めた。
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消す作業は、二時間かかった。
終わった時には、外は暗くなっていた。
彼は、上着の内側を、一度だけ触った。
硬いものが、そこにあった。
……これを、いつ使うのか。
使う日が来るのか。
分からなかった。
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ただ、一つだけ、はっきりしていた。
彼は、命令に従った。
全部、消した。
そして、全部は消さなかった。
その両方が、同じ日の、同じ手で行われた。
それが、今の彼にできる、精一杯だった。
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