第107話:中身は、読めません
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翌朝、技術担当くんが、一台の端末を持ってきた。
新品だった。箱から出したばかりで、保護シートがまだ貼ってある。
「これは」
「何も入っていない端末です」
「なんで」
「比べるためです」
あの子は、そう言って、端末を机に置いた。
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「社長の端末には、いろいろなものが入っています」
「……まあ、そうだな」
「どの通信が、どのアプリのものか、切り分けが難しいのです」
「なるほど」
「ですので、何も入っていない端末に、あのアプリだけを入れます」
「それで、比べる」
「はい」
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会議室には、レジスとノアールも来ていた。
ドンナは、少し離れた席に座っていた。
昨日から、あまりこちらを見ない。
技術担当くんが、新しい端末にHIIのアプリを入れた。
インストールの途中で、画面に確認が出た。
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——カメラへのアクセスを許可しますか。
——マイクへのアクセスを許可しますか。
——連絡先へのアクセスを許可しますか。
——位置情報へのアクセスを許可しますか。
——端末内のファイルへのアクセスを許可しますか。
五つ、並んでいた。
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「多いわね」
レジスが、そう言った。
「動画を作るだけよね、これ」
「そのはずです」
技術担当くんが答えた。
それから、こちらを見た。
「社長。ご自身の端末では、どうされましたか」
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「……覚えてない」
「確認してもよろしいですか」
「どうぞ」
あの子は、僕の端末を受け取って、設定を開いた。
数秒で、答えが出た。
「全て、許可されています」
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部屋が、少し静かになった。
「……なんで」
レジスが、聞いた。
「早く使いたかったから」
僕は、正直に答えた。
「全部、許可って押した」
「読まずに?」
「読まずに」
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レジスは、額に手を当てた。
「あなた、うちの会社の社長よね」
「そうだけど」
「健康管理サービスで、利用者のデータを預かってる会社の」
「……はい」
「その社長が、読まずに全部許可したの」
反論の余地は、なかった。
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「では、実験を始めます」
技術担当くんが、話を戻した。
新しい端末の方は、許可を全て拒否した状態にしてある。
「まず、動画を一本作ります」
「うん」
「どなたか、指示を入力していただけますか」
全員の視線が、こちらに集まった。
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「……なんで僕なんだ」
「慣れていらっしゃるでしょう」
ドンナが、こちらを見ずにそう言った。
昨日から、初めての発言だった。
「猫の動画にしてください」
ノアールが、そう付け足した。
「猫以外は、入力しないでください」
念押しが、痛かった。
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僕は、指示を入力した。
——猫が、窓辺で昼寝をしている動画。
それだけだった。
数十秒で、動画ができた。
よくできていた。白い猫が、日差しの中で丸くなっている。
「送信量は」
レジスが聞いた。
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技術担当くんが、画面を見せた。
「指示の文章は、二十文字程度です」
「うん」
「送信された量は、その数百倍です」
「……数百倍」
「動画の生成に、こちらから送る必要があるのは、指示の文章だけのはずです」
「じゃあ、残りは」
「分かりません」
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「許可は、全部拒否してあるんだよな」
「はい」
「それでも、送ってる」
「送っています」
「何を」
「それが、分からないのです」
技術担当くんは、そう答えた。
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「もう一つ、確認します」
あの子は、アプリを閉じた。
「このまま、一時間置きます」
「閉じたまま?」
「閉じたままです」
一時間、全員で待った。
その間、誰も、例の件には触れなかった。
触れないことが、かえって重かった。
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一時間後、技術担当くんが画面を見せた。
通信の記録だった。
十五分おきに、小さな山が並んでいた。
「閉じているのに、通信しています」
「どこに」
「同じサーバーです」
「何を」
「……分かりません」
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「中身は、見られないのか」
僕は、そう聞いた。
「暗号化されています」
「解けないのか」
技術担当くんは、少し間を置いた。
「技術的には、方法が考えられないわけではありません」
「じゃあ」
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「やめてください」
ノアールが、すぐに言った。
全員が、そちらを見た。
「暗号化された通信を、無断で解読すれば、こちらが法に触れる可能性があります」
「相手が、怪しいことをしててもか」
「相手が誰であってもです」
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「それに」
ノアールは、続けた。
「仮に中身が分かったとしても、違法な手段で得たものは、証拠として使えません」
「……使えない」
「はい。向こうに、反論の口実を与えるだけです」
その通りだった。
怒りで先に手を出せば、正しい側に立てなくなる。
この前、手を出しかけた時と、同じだった。
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「では、分かったことを整理します」
レジスが、そう言った。
「一つ。あのアプリは、必要以上のデータを送っている」
「うん」
「二つ。使っていない時も、定期的に送っている」
「うん」
「三つ。許可を全部拒否しても、動画は作れる。つまり、あの許可は、サービスに必要なものじゃない」
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「分からないことは」
僕が、そう聞いた。
「何を、どこへ、何のために送っているか」
レジスは、そう答えた。
「肝心なところは、全部分からないわ」
「……そうか」
「でも、何かを送っていることだけは、確実よ」
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「社長の端末の方も、確認しました」
技術担当くんが、そう言った。
「こちらは、許可が全て出ていましたので、送信量はさらに多くなっています」
「……そうか」
「報告書にまとめてあります」
あの子は、紙を一枚差し出した。
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送信量、時間帯、頻度。数字が、整然と並んでいた。
一番下の欄に、「作成件数」とあった。
そこには、こう書いてあった。
——多数。
それだけだった。
僕は、顔を上げた。
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「……中身、見たか」
「業務の範囲ですので」
技術担当くんは、そう答えた。
「件数は確認しました。内容は、確認しておりません」
「本当に?」
「確認する必要がありませんでしたので」
あの子は、それ以上は何も言わなかった。
……たぶん、見た。
でも、報告書には、一行も書かなかった。
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「アプリは、消すわ」
レジスが、そう言った。
「うん」
「許可も、全部取り消して」
「うん」
「消しても」
ノアールが、そう言いかけた。
「分かってる」
僕は、それを遮った。
「送ったものは、戻らない」
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前にも、同じことを言われた。
あのコンパニオンの時だ。三週間話した内容は、全部向こうにある、と。
今回も、同じだった。
一週間分の、熱心な調査の内容が。
……それから、たぶん、それ以外のものも。
何が送られたのかは、分からない。
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会議が終わった後、僕は一人で端末を見ていた。
アプリは、もう消してある。
でも、あの十五分おきの小さな山が、頭から離れなかった。
使っていない時も、送っていた。
何を。
どこへ。
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うちでは、ここまでしか分からない。
中身を読む手段はないし、読んではいけない。
……じゃあ、どうする。
僕は、しばらく考えてから、一つの連絡先を開いた。
あまり気は進まなかった。
でも、たぶん、あの人が一番早い。
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——HIIのアプリについて、気になることがあります。
送ってから、五分で返事が来た。
——興味深いですね。
——資料を、持ってきてください。
短かった。
あの人らしかった。
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