第105話:設定を変えるだけですので
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——某国、首都。大統領府。
その部屋には、窓がなかった。
壁は厚く、天井は高い。照明は、必要以上に明るかった。
長い机の端に、男が一人、座っていた。
大統領、スカルコフ。
六十を過ぎているはずだが、背筋は伸びていた。
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扉が開いた。
入ってきたのは、五十代半ばの男だった。
痩せていて、眼鏡をかけている。スーツは質のいいものだが、どこか着慣れていない印象があった。
Humanics Intelligent Industry。
その代表を務める男、ヴォルコフだった。
「座れ」
スカルコフは、顔を上げずにそう言った。
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ヴォルコフは、机の反対側に座った。
距離が、遠かった。
声を張らなければ、届かない距離だった。
「報告を聞こう」
「はい」
ヴォルコフは、資料を開いた。
手が、わずかに震えていた。
この部屋に入るたびに、そうなる。
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「四半期の売上は、前年比で四十二パーセント増です」
「続けろ」
「輸出先は、二十三か国に拡大しました。主に、アジアとアフリカ、それから南米です」
「欧州は」
「……一部のみです」
スカルコフの指が、机の上で一度だけ動いた。
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「理由は」
「規制です。安全性の審査が、厳格化されております」
「それは知っている」
「はい」
「私が聞いているのは、なぜ通らないかだ」
ヴォルコフは、少し言葉を選んだ。
「……出自です」
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「出自」
「我が国の製品である、という点が、審査で問題視されております」
「性能ではなく」
「性能ではありません」
ヴォルコフは、そう答えた。
それから、資料をめくった。
「性能については、むしろ評価されております」
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「言え」
「他国の最新モデルと、同等の性能を実現しております」
ヴォルコフは、グラフを示した。
各社のモデルの比較だった。TalkBrain、Gemma、Artemia。そして、HIIのもの。
性能の指標は、ほぼ横並びだった。
「価格は」
「三分の二に抑えております」
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スカルコフが、初めて顔を上げた。
「三分の二」
「はい」
「同じ性能で」
「同じ性能で」
「どうやって」
「開発費の一部を、国家予算で賄っていただいておりますので」
ヴォルコフは、そう答えた。
正直な答えだった。
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スカルコフは、しばらく黙っていた。
それから、こう言った。
「つまり、国の金で安く売っている」
「……そうなります」
「それで、欧州は買わない」
「はい」
「アジアとアフリカと南米は、買う」
「買います」
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「なぜだ」
「安いからです」
ヴォルコフは、そう答えた。
「欧州の顧客は、出自を気にする余裕があります。ですが、多くの国には、その余裕がございません」
「余裕」
「性能が同じで、値段が三分の二なら、選ぶ理由は十分です」
「出自を問わず」
「問わずです」
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スカルコフの口の端が、少しだけ上がった。
「いい答えだ」
「……ありがとうございます」
「貧しい国ほど、我々の製品を使う」
「はい」
「そして、使い続ける」
「……はい」
ヴォルコフは、その言葉に、少しだけ引っかかった。
でも、それを顔には出さなかった。
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「国内は」
「普及率は、七割を超えました」
「七割」
「都市部では、ほぼ全世帯です」
「農村部は」
「政府の補助によって、急速に拡大しております」
スカルコフは、うなずいた。
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「利用者の満足度は」
「高い水準です」
ヴォルコフは、そう答えた。
ここだけは、少しだけ声に力が入った。
「特に、医療と教育の分野で、大きな成果が出ております」
「具体的には」
「医師のいない地域での診断補助です。これまで治療を受けられなかった人々が、受けられるようになりました」
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「それから、教育です」
ヴォルコフは、別の資料を開いた。
「教師が不足している地域で、子供たちが学べるようになりました」
「識字率は」
「三年で、十二ポイント上昇しております」
「そうか」
スカルコフは、それだけ言った。
興味がなさそうだった。
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ヴォルコフは、その反応に、少しだけ落胆した。
この数字は、彼が一番誇りに思っているものだった。
医者のいない村で、子供の病気が早期に見つかる。
文字を読めなかった老人が、孫からの手紙を読めるようになる。
そういう報告が、現場から毎週のように上がってくる。
……それが、彼がこの会社を続けている理由だった。
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社名に、その思いを込めたつもりだった。
Humanics。
人間を中心に据える、という意味だ。
技術は、人間のためにある。
貧しい人も、豊かな人も、同じように恩恵を受けられるように。
それが、彼の信念だった。
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「よくやっている」
スカルコフは、そう言った。
「……ありがとうございます」
「引き続き、拡大を続けろ」
「承知しました」
「特に、アフリカだ。あそこは、これから伸びる」
「はい」
ヴォルコフは、それを記録した。
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報告は、それで終わるはずだった。
ヴォルコフは、資料を閉じかけた。
その時、スカルコフが、こう言った。
「ところで」
ヴォルコフの手が、止まった。
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「軍事転用の方は、順調なんだろうな」
部屋が、静かになった。
ヴォルコフは、しばらく答えなかった。
答えられなかった、が正確だった。
「……順調です」
「具体的に言え」
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ヴォルコフは、資料を開き直した。
別の資料だった。
表紙には、何も書かれていない。
「民生用のモデルと、基盤は共通です」
「知っている」
「用途に応じて、設定を変更するだけで、転用が可能です」
「それも知っている」
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「私が聞いているのは、進捗だ」
「……試験運用は、完了しております」
ヴォルコフは、そう答えた。
声が、少しだけ小さくなっていた。
「状況判断、目標の識別、行動の最適化。いずれも、想定の水準を満たしております」
「実戦配備は」
「……来年度を予定しております」
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スカルコフは、少しだけ身を乗り出した。
「困難は、ないのか」
「技術的には、ございません」
「技術的には」
「はい」
ヴォルコフは、そう答えた。
「民生用のモデルは、人を助けるように調整されております。それを、別の目的に合わせて調整し直すだけですので」
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「簡単なのだな」
「……設定を変えるだけですので」
その言葉を、ヴォルコフは、自分で口にしながら、少し吐き気を覚えた。
設定を変えるだけ。
医者のいない村で子供の病気を見つけたモデルと、同じものだ。
文字を読めなかった老人に手紙を読ませたモデルと、同じものだ。
それを、設定を変えるだけで。
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「いい」
スカルコフは、そう言って、椅子にもたれた。
「では、来年度に間に合わせろ」
「……承知しました」
「遅れることは、許さない」
「はい」
「以上だ」
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ヴォルコフは、立ち上がった。
礼をして、扉の方へ向かった。
扉に手をかけた時、背後から声がした。
「ヴォルコフ」
「はい」
振り返ると、スカルコフが、こちらを見ていた。
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「お前の会社の名前」
「……はい」
「人間を中心に据える、という意味だったな」
「そうです」
スカルコフは、少しだけ笑った。
「いい名前だ」
「ありがとうございます」
「国民は、国家の中心にいる」
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ヴォルコフは、その言葉に、何も答えなかった。
「だから、お前のしていることは、人間中心だ」
スカルコフは、そう言った。
「何も、矛盾していない」
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ヴォルコフは、もう一度、礼をした。
それから、部屋を出た。
廊下は、長かった。
窓のない廊下だった。
彼は、その廊下を、ゆっくりと歩いた。
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人間中心。
社名に込めた意味を、彼は、何度も頭の中で繰り返していた。
人間を、中心に。
……その人間とは、誰のことだったのだろう。
自分は、何を想定して、この名前をつけたのだろう。
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医者のいない村の子供か。
文字を読めない老人か。
それとも、国家という単位の、顔のない「国民」か。
どれも、人間ではある。
でも、同じ人間ではなかった。
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彼は、エレベーターに乗った。
ドアが閉まる直前、ポケットの中で端末が震えた。
現場からの報告だった。
——南部の村で、AIの診断により、三歳の女児の心疾患が早期に発見されました。
——手術は成功し、経過は良好です。
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ヴォルコフは、その報告を、しばらく見ていた。
エレベーターが、下に降りていく。
三歳の女児。
心疾患。
手術は成功。
……同じモデルだ。
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同じモデルが、来年度には、別の場所で、別のことをする。
設定を変えるだけで。
彼は、端末をポケットに戻した。
エレベーターのドアが開いた。
外は、もう暗かった。
彼は、その暗さの中へ、歩いていった。
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