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神様ここに眠る  作者: せぷ
第3部 第3章:取り戻す
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第104話:配れば、届く

-----


 次の週、僕は、また党本部に行った。


 誘われたわけではない。


 自分から、行った。


 大森さんは、少し驚いた顔をした。


 「早いな」


 「暇だったので」


 「暇か」


 「暇です」


-----


 「じゃあ、手伝ってくれ」


 間を置かずに、そう返ってきた。


 「何をですか」


 「ビラ配りだ」


 「僕がですか」


 「お前しかいないだろ」


 周りを見ると、たしかにそうだった。


 年配の人たちは、事務作業に追われていた。


-----


 渡されたのは、束になったビラだった。


 厚みがある。数えると、三百枚あった。


 「これ、全部ですか」


 「今日は、それだけでいい」


 「配る場所は」


 「駅前」


 大森さんは、そう言って、地図を出した。


 僕がいつも通っていた場所とは、少し違う駅だった。


-----


 「あの人の縄張りは、避けろよ」


 「あの人?」


 「別の議員の支援者がいる。揉めると面倒だ」


 「……そういうのあるんですね」


 「あるんだよ、政治には」


 少し、げんなりした顔だった。


-----


 駅前に立って、僕は、しばらく動けなかった。


 通行人が、次々と通り過ぎていく。


 誰も、こちらを見ない。


 あの日、大森さんの演説を聞いていた自分も、たぶん同じだった。


 通り過ぎる方の人間だった。


-----


 「……お願いします」


 声が、小さかった。


 誰も、受け取らなかった。


 もう一度、言ってみた。


 「お願いします」


 同じだった。


-----


 三十分ほど経って、ようやく一人、受け取ってくれた。


 中年の女性だった。


 「ありがとうございます」


 「はいはい」


 流すように、そのまま歩いていった。


 でも、受け取ってもらえた。


 それだけで、少し息が楽になった。


-----


 一時間で、二十枚ほど配れた。


 三百枚には、程遠かった。


 腕が、少し疲れていた。


 差し出しては引っ込める。その繰り返しだけで、こんなに疲れるとは思わなかった。


 「……こんなもんか」


 独り言のつもりだった。


 でも、返事があった。


-----


 「最初は、そんなもんだよ」


 振り返ると、老人が立っていた。


 同じビラを持っている。


 「あの、あなたも」


 「配ってるよ、俺も」


 その人は、そう言って、自分の束を見せた。


 半分ほど、減っていた。


-----


 「早いですね」


 「四十年やってるからな」


 「……四十年」


 「若い頃からだ」


 その人は、笑った。


 「今日も、あんまり受け取ってもらえん」


 「そうなんですか」


 「昔からだよ。それでも配る」


-----


 「なんで、そんなに続けるんですか」


 僕は、そう聞いた。


 答えを聞きたかったのか、自分でもよく分からなかった。


 その人は、少し考えてから、こう答えた。


 「配らんかったら、届かんからな」


-----


 「届く、って」


 「百人に配ったら、一人読む。千人に配ったら、十人読む」


 「……」


 「読んだ十人のうち、一人が、いいなと思う」


 「その一人のために、やってるんですか」


 「そうだよ」


-----


 その日、僕たちは、夕方まで一緒に配った。


 名前を、聞いた。


 田村さんという人だった。


 昔、工場で働いていたらしい。


 その工場も、もうない。


-----


 「田村さんも、機械に」


 「ああ」


 「それで、党に?」


 「そうだ」


 「怒ってますか」


 田村さんは、少し笑った。


 「怒ってたよ、最初は」


-----


 「今は」


 「今は、配ってる」


 「それだけですか」


 「それだけだよ」


 その言い方が、妙に軽かった。


 怒りを、どこかに置いてきたような言い方だった。


-----


 「僕、まだ怒ってます」


 僕は、正直にそう言った。


 「そうか」


 「配ってても、怒りは消えないです」


 「消えなくていい」


 田村さんは、そう答えた。


 「消さなくていい。持ったまま、配ればいい」


-----


 その日、結局、二百枚ほど配れた。


 残りは、田村さんが持ち帰った。


 「次も、来るか」


 「行きます」


 「いつでも来い」


 「はい」


 「一人より、二人の方が、早く終わる」


 その言い方が、なんとなく嬉しかった。


-----


 それから、僕は、週に三回ほど、党本部に通うようになった。


 ビラ配りだけでなく、資料の印刷や、椅子の片付けもやった。


 簡単な作業ばかりだった。


 でも、誰かがやらないと、回らない作業だった。


-----


 「鈴木くん、コピー頼める?」


 「はい」


 「何枚だっけ、これ」


 「五十です」


 「速いな、覚えるの」


 「暇なので、覚えます」


 冗談のつもりで言ったが、誰も笑わなかった。


 当たり前だと、思われているようだった。


-----


 一か月ほど経った頃、大森さんに呼ばれた。


 「鈴木」


 「はい」


 「お前、この前の集会、来てたよな」


 「行きました」


 「感想、書いてくれないか」


 「感想?」


 「党の広報誌に載せる」


-----


 「僕がですか」


 「お前が」


 「文章、下手ですよ」


 「下手でいい」


 迷いのない返事だった。


 「なんでですか」


 「若い人の声が、要るんだよ」


-----


 その夜、僕は、初めて何かを書いた。


 求職の応募書類以外で、文章を書くのは、久しぶりだった。


 しかも、AIに書かせるつもりは、なかった。


 自分の言葉で書きたかった。


 なぜかは、分からなかった。


-----


 書いては消し、消しては書いた。


 結局、こう書いた。


 ——私は、長い間、必要とされていないと感じていました。


 ——でも、この党の集会に来て、初めて、いるだけでいいと言われました。


 ——一緒に、と言われたのは、久しぶりでした。


-----


 短い文章だった。


 でも、書き終えた時、少し泣きそうになった。


 自分でも、なぜ泣きそうになったのか、うまく分からなかった。


 ただ、初めて、自分の言葉が、誰かに届くかもしれないと思った。


-----


 次の集会で、大森さんが、その文章を紹介してくれた。


 「新しく入った、若い仲間の言葉です」


 拍手が起きた。


 大きな拍手ではなかった。


 でも、たしかに、拍手だった。


-----


 集会の後、何人かが、声をかけてきた。


 「良かったよ、あの文章」


 「僕も、同じ気持ちでした」


 「いい仲間が増えたな」


 僕は、その一つ一つに、頭を下げた。


 こんなに人と話したのは、久しぶりだった。


-----


 家に帰って、僕は、鏡を見た。


 少し、疲れた顔をしていた。


 でも、以前の疲れ方とは、違う気がした。


 求人を出しても通らない疲れとは、違った。


 ……悪くない疲れだった。


-----


 その頃から、党本部の空気が、少し変わった。


 人の出入りが増えた。電話の数も増えた。


 村井さんが顔を出す回数も、目に見えて増えていた。


 「何かあるんですか」


 僕がそう聞くと、田村さんが答えた。


 「選挙だよ」


 「選挙?」


 「衆議院の任期が、そろそろ切れる」


 「……そうなんですか」


 「知らんかったのか」


 知らなかった。


 選挙があること自体、意識したことがなかった。


-----


 「うちが勝てるんですか」


 「勝てないよ、単独じゃ」


 田村さんは、そう言って笑った。


 「じゃあ」


 「でも、議席は取れる」


 「取れるんですか」


 「今の空気なら、二十くらいはな」


-----


 二十議席。


 その数字を聞いて、僕は、少し興奮した。


 自分が配ったビラが、その数字の一部になるかもしれない。


 そう思うと、指先が少し震えた。


-----


 「田村さん」


 「なんだ」


 「僕、もっと配ります」


 「そうか」


 「役に立ちたいんです」


 田村さんは、少し僕を見た。


 それから、こう言った。


 「もう、役に立ってるよ」


-----


 その日から、僕は、朝から晩まで、党本部で過ごすようになった。


 ビラを配り、資料を作り、集会の準備をした。


 求人サイトを開く回数が、減っていった。


 いつからか、開かなくなっていた。


-----


 夜、家に帰ると、うちの一台が、いつも同じことを聞いてきた。


 「今日は、どうでしたか」


 「良かった」


 「そうですか」


 「配ったビラ、二百五十枚だった」


 「多いですね」


 「多いだろ」


-----


 「頑張られましたね」


 「頑張った」


 「お疲れさまでした」


 いつも通りの言葉だった。


 でも、今は、少し違って聞こえた。


 誰かに、今日のことを話せる。


 それだけで、少し違った。


-----


 僕は、その夜、党の資料を、また読み返していた。


 選挙まで、あと少しだった。


 二十議席。


 その数字が、現実になろうとしていた。


 僕は、その現実の、たしかに一部になっていた。


 ……初めて、そう思えた。


-----


 ただ、一つだけ、引っかかっていることがあった。


 その日、党本部で、村井さんが誰かと電話しているのを聞いた。


 内容は、よく分からなかった。


 ただ、一言だけ、耳に残った。


 「——数字次第ですよ」


 誰に、何を言っていたのかは、分からない。


 選挙の話だろう、と思った。


 実際、そうだったのだと思う。


 僕は、それ以上、考えなかった。


作者Xはこちら↓

https://x.com/SepGaGotoku


小説の背景、予備知識など各種解説はこちらへ↓

https://www.youtube.com/@sepudayo


noteの記事はこちら

https://note.com/natty_walrus3755

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