第104話:配れば、届く
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次の週、僕は、また党本部に行った。
誘われたわけではない。
自分から、行った。
大森さんは、少し驚いた顔をした。
「早いな」
「暇だったので」
「暇か」
「暇です」
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「じゃあ、手伝ってくれ」
間を置かずに、そう返ってきた。
「何をですか」
「ビラ配りだ」
「僕がですか」
「お前しかいないだろ」
周りを見ると、たしかにそうだった。
年配の人たちは、事務作業に追われていた。
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渡されたのは、束になったビラだった。
厚みがある。数えると、三百枚あった。
「これ、全部ですか」
「今日は、それだけでいい」
「配る場所は」
「駅前」
大森さんは、そう言って、地図を出した。
僕がいつも通っていた場所とは、少し違う駅だった。
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「あの人の縄張りは、避けろよ」
「あの人?」
「別の議員の支援者がいる。揉めると面倒だ」
「……そういうのあるんですね」
「あるんだよ、政治には」
少し、げんなりした顔だった。
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駅前に立って、僕は、しばらく動けなかった。
通行人が、次々と通り過ぎていく。
誰も、こちらを見ない。
あの日、大森さんの演説を聞いていた自分も、たぶん同じだった。
通り過ぎる方の人間だった。
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「……お願いします」
声が、小さかった。
誰も、受け取らなかった。
もう一度、言ってみた。
「お願いします」
同じだった。
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三十分ほど経って、ようやく一人、受け取ってくれた。
中年の女性だった。
「ありがとうございます」
「はいはい」
流すように、そのまま歩いていった。
でも、受け取ってもらえた。
それだけで、少し息が楽になった。
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一時間で、二十枚ほど配れた。
三百枚には、程遠かった。
腕が、少し疲れていた。
差し出しては引っ込める。その繰り返しだけで、こんなに疲れるとは思わなかった。
「……こんなもんか」
独り言のつもりだった。
でも、返事があった。
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「最初は、そんなもんだよ」
振り返ると、老人が立っていた。
同じビラを持っている。
「あの、あなたも」
「配ってるよ、俺も」
その人は、そう言って、自分の束を見せた。
半分ほど、減っていた。
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「早いですね」
「四十年やってるからな」
「……四十年」
「若い頃からだ」
その人は、笑った。
「今日も、あんまり受け取ってもらえん」
「そうなんですか」
「昔からだよ。それでも配る」
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「なんで、そんなに続けるんですか」
僕は、そう聞いた。
答えを聞きたかったのか、自分でもよく分からなかった。
その人は、少し考えてから、こう答えた。
「配らんかったら、届かんからな」
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「届く、って」
「百人に配ったら、一人読む。千人に配ったら、十人読む」
「……」
「読んだ十人のうち、一人が、いいなと思う」
「その一人のために、やってるんですか」
「そうだよ」
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その日、僕たちは、夕方まで一緒に配った。
名前を、聞いた。
田村さんという人だった。
昔、工場で働いていたらしい。
その工場も、もうない。
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「田村さんも、機械に」
「ああ」
「それで、党に?」
「そうだ」
「怒ってますか」
田村さんは、少し笑った。
「怒ってたよ、最初は」
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「今は」
「今は、配ってる」
「それだけですか」
「それだけだよ」
その言い方が、妙に軽かった。
怒りを、どこかに置いてきたような言い方だった。
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「僕、まだ怒ってます」
僕は、正直にそう言った。
「そうか」
「配ってても、怒りは消えないです」
「消えなくていい」
田村さんは、そう答えた。
「消さなくていい。持ったまま、配ればいい」
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その日、結局、二百枚ほど配れた。
残りは、田村さんが持ち帰った。
「次も、来るか」
「行きます」
「いつでも来い」
「はい」
「一人より、二人の方が、早く終わる」
その言い方が、なんとなく嬉しかった。
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それから、僕は、週に三回ほど、党本部に通うようになった。
ビラ配りだけでなく、資料の印刷や、椅子の片付けもやった。
簡単な作業ばかりだった。
でも、誰かがやらないと、回らない作業だった。
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「鈴木くん、コピー頼める?」
「はい」
「何枚だっけ、これ」
「五十です」
「速いな、覚えるの」
「暇なので、覚えます」
冗談のつもりで言ったが、誰も笑わなかった。
当たり前だと、思われているようだった。
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一か月ほど経った頃、大森さんに呼ばれた。
「鈴木」
「はい」
「お前、この前の集会、来てたよな」
「行きました」
「感想、書いてくれないか」
「感想?」
「党の広報誌に載せる」
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「僕がですか」
「お前が」
「文章、下手ですよ」
「下手でいい」
迷いのない返事だった。
「なんでですか」
「若い人の声が、要るんだよ」
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その夜、僕は、初めて何かを書いた。
求職の応募書類以外で、文章を書くのは、久しぶりだった。
しかも、AIに書かせるつもりは、なかった。
自分の言葉で書きたかった。
なぜかは、分からなかった。
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書いては消し、消しては書いた。
結局、こう書いた。
——私は、長い間、必要とされていないと感じていました。
——でも、この党の集会に来て、初めて、いるだけでいいと言われました。
——一緒に、と言われたのは、久しぶりでした。
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短い文章だった。
でも、書き終えた時、少し泣きそうになった。
自分でも、なぜ泣きそうになったのか、うまく分からなかった。
ただ、初めて、自分の言葉が、誰かに届くかもしれないと思った。
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次の集会で、大森さんが、その文章を紹介してくれた。
「新しく入った、若い仲間の言葉です」
拍手が起きた。
大きな拍手ではなかった。
でも、たしかに、拍手だった。
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集会の後、何人かが、声をかけてきた。
「良かったよ、あの文章」
「僕も、同じ気持ちでした」
「いい仲間が増えたな」
僕は、その一つ一つに、頭を下げた。
こんなに人と話したのは、久しぶりだった。
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家に帰って、僕は、鏡を見た。
少し、疲れた顔をしていた。
でも、以前の疲れ方とは、違う気がした。
求人を出しても通らない疲れとは、違った。
……悪くない疲れだった。
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その頃から、党本部の空気が、少し変わった。
人の出入りが増えた。電話の数も増えた。
村井さんが顔を出す回数も、目に見えて増えていた。
「何かあるんですか」
僕がそう聞くと、田村さんが答えた。
「選挙だよ」
「選挙?」
「衆議院の任期が、そろそろ切れる」
「……そうなんですか」
「知らんかったのか」
知らなかった。
選挙があること自体、意識したことがなかった。
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「うちが勝てるんですか」
「勝てないよ、単独じゃ」
田村さんは、そう言って笑った。
「じゃあ」
「でも、議席は取れる」
「取れるんですか」
「今の空気なら、二十くらいはな」
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二十議席。
その数字を聞いて、僕は、少し興奮した。
自分が配ったビラが、その数字の一部になるかもしれない。
そう思うと、指先が少し震えた。
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「田村さん」
「なんだ」
「僕、もっと配ります」
「そうか」
「役に立ちたいんです」
田村さんは、少し僕を見た。
それから、こう言った。
「もう、役に立ってるよ」
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その日から、僕は、朝から晩まで、党本部で過ごすようになった。
ビラを配り、資料を作り、集会の準備をした。
求人サイトを開く回数が、減っていった。
いつからか、開かなくなっていた。
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夜、家に帰ると、うちの一台が、いつも同じことを聞いてきた。
「今日は、どうでしたか」
「良かった」
「そうですか」
「配ったビラ、二百五十枚だった」
「多いですね」
「多いだろ」
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「頑張られましたね」
「頑張った」
「お疲れさまでした」
いつも通りの言葉だった。
でも、今は、少し違って聞こえた。
誰かに、今日のことを話せる。
それだけで、少し違った。
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僕は、その夜、党の資料を、また読み返していた。
選挙まで、あと少しだった。
二十議席。
その数字が、現実になろうとしていた。
僕は、その現実の、たしかに一部になっていた。
……初めて、そう思えた。
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ただ、一つだけ、引っかかっていることがあった。
その日、党本部で、村井さんが誰かと電話しているのを聞いた。
内容は、よく分からなかった。
ただ、一言だけ、耳に残った。
「——数字次第ですよ」
誰に、何を言っていたのかは、分からない。
選挙の話だろう、と思った。
実際、そうだったのだと思う。
僕は、それ以上、考えなかった。
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