第99話:外せ
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その報告が上がってきたのは、共同声明から二か月後だった。
議題としては、三番目だった。
「広告収入について、ご報告があります」
担当役員が、そう切り出した。
京極は、資料をめくりながら答えた。
「数字は」
「前年同期比で、二十二パーセント減です」
手が、止まった。
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「二十二?」
「はい」
「利用者は、そこまで減っていないだろう」
「減っていません。継続率は落ちていますが、総利用時間は、まだ前年並みです」
「では、なぜ広告収入が落ちる」
役員は、少し間を置いた。
「出稿が、減っています」
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京極は、資料を戻した。
広告事業は、あのサービスの収益の一部を占めていた。
主たる収入は月額課金だが、無料プランの利用者に対しては、広告を表示している。利用時間が長い分、表示回数も多い。
単価も悪くなかった。
少なくとも、去年までは。
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「単価が落ちたのか」
「単価も落ちていますが、それ以上に、出稿社数が減っています」
「何社」
「主要な出稿社のうち、十一社が停止しました」
「理由は」
「表向きは、予算の見直しです」
「表向きは」
「はい」
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「本当の理由は」
役員は、資料を差し替えた。
「営業からの報告です。複数社から、同じ趣旨の話が出ています」
「読め」
「——貴社のサービスに広告を掲載していることについて、社内で懸念が示された」
「……」
「——先般の報道、および業界団体の声明を受け、当面の出稿を見合わせたい」
京極は、その文面を、二度読んだ。
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「うちが批判されているのは、個人向けの機能だろう」
「そうです」
「広告主には、関係がない」
「関係ありません」
役員は、そう答えた。
「では、なぜ止める」
「並ぶからです」
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「並ぶ?」
「自社の広告が、あの画面に表示されます」
役員は、そう説明した。
「利用者が、依存的な使い方をしている画面に、自社の名前が出る」
「……」
「それを見た人が、どう思うか。そこを気にしています」
「見た人が、どう思うかだと」
「はい」
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京極は、少し苛立ちを覚えた。
感情の話だ、と思った。
実害はない。法にも触れない。広告主の商品が、何か損害を受けたわけでもない。
ただ、並びたくない。
それだけの理由で、十一社が止まった。
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「説得できないのか」
「試みました」
役員は、そう答えた。
「結果は」
「三社は、条件を出してきました」
「条件」
「はい」
「言え」
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「AIコンパニオン機能の提供を停止すること」
部屋が、静かになった。
京極は、その言葉を、しばらく黙って聞いていた。
「……停止?」
「はい」
「機能そのものをか」
「そうです」
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「馬鹿げている」
京極は、そう言った。
「あれが、あのサービスの中核だ」
「承知しています」
「外せば、サービス自体が成立しない」
「はい」
「それを、外せと」
「外せば、出稿を再開すると」
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役員は、そこで一度、言葉を切った。
「加えて、一社からは、こういう話も出ています」
「なんだ」
「他の事業についてです」
京極の目が、少し動いた。
「他の?」
「移動体と、決済です」
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「関係ないだろう」
「関係ありません」
役員は、そう答えた。
「ですが、同じグループです」
「だから何だ」
「その企業は、うちの決済サービスを導入検討中でした」
「……」
「その検討が、保留になったそうです」
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京極は、初めて、明確に不快な表情をした。
「理由は」
「社内で説明ができない、と」
「決済と、AIは別だ」
「別です」
「事業も、法人も、系統が違う」
「違います」
役員は、認めた。
「ですが、名前が同じです」
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……名前が同じ。
京極は、その言葉に、少し引っかかった。
彼は、これまで、事業を切り離すことで守ってきた。
企業向けと個人向けを分け、名前を変え、契約の窓口を別にした。
だから、個人向けで何が起きても、企業向けは無傷だった。
実際、無傷だった。
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だが、広告主は違った。
彼らは、契約の相手ではない。
こちらのサービスに、金を出して名前を並べているだけだ。
だから、契約上の縛りもない。
止めたければ、止められる。
そして、止めた理由を説明する必要もない。
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「他に、同じ動きは」
「今のところ、決済で一社です」
役員は、そう答えた。
「移動体は」
「まだ出ていません。ただ、営業からは、雰囲気が悪いという報告が来ています」
「雰囲気」
「はい」
京極は、その言葉を、口の中で繰り返した。
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数字ではない。
根拠もない。
誰かが決めたわけでもない。
ただ、雰囲気が悪い。
……それで、金が動く。
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彼は、しばらく考えていた。
考えながら、自分がこの構図を経験したことがないことに気づいた。
競合との争いなら、何度もある。技術で追い抜かれたことも、価格で負けたこともある。
規制で止められたことも、一度や二度ではない。
だが、どれも輪郭があった。
相手がいて、理由があって、対処ができた。
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今回は、違う。
誰も、うちを訴えていない。
誰も、規制していない。
ただ、みんなが、少しずつ距離を取っている。
しかも、その理由を、誰も明言しない。
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「試算を出せ」
京極は、そう言った。
「はい」
「AIコンパニオン機能を停止した場合と、継続した場合」
「承知しました」
「期間は、三年」
「三年ですね」
「それから、広告以外への影響も見ろ」
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試算が上がってきたのは、四日後だった。
継続した場合。
個人向けの収益は、緩やかに減少する。継続率の低下は続くが、既存の利用者は残る。
広告収入は、さらに減る。営業の予測では、二年で半減。
そして、他事業への影響は——数値化できない、と書かれていた。
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「できないのか」
「できません」
役員は、そう答えた。
「なぜだ」
「相手が、理由を言わないからです」
「……」
「保留になった案件が、AIの件で保留なのか、別の理由なのか、確認する手段がありません」
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「聞けばいい」
「聞きました」
「なんと」
「総合的に判断している、と」
……その言い方は、京極自身も何度も使ったことがあった。
断る時に、理由を明かしたくない場合に使う言葉だ。
つまり、そういうことだった。
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停止した場合の試算も、読んだ。
個人向けの収益は、急減する。
あのサービスの利用者の大半は、あの機能のために来ている。外せば、残らない。
二年で、事業としてはほぼ消える。
ただし、広告収入は回復する見込みがある。
そして、他事業への影響は——こちらも、数値化されていなかった。
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「どちらも、分からないということか」
「分かる部分と、分からない部分があります」
役員は、そう答えた。
「分かるのは」
「個人向け事業の収益です。継続すれば緩やかに減り、停止すれば急減します」
「分からないのは」
「それ以外の全部です」
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京極は、その資料を、しばらく見ていた。
彼が信じてきたのは、数字だった。
数字が良ければ、事業は正しい。
三十年、そのやり方で間違えたことがなかった。
だが、今、目の前にある数字は、片方しか見えていない。
見えている方だけで判断すれば、継続が正しい。
見えていない方が、どれだけ大きいかは、分からない。
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「一つ、聞く」
京極は、そう言った。
「はい」
「お前は、どう思う」
役員が、少し驚いた顔をした。
この男に意見を求めたのは、たぶん初めてだった。
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「……申し上げてよろしいですか」
「言え」
「停止すべきだと思います」
「理由は」
「数字が読めない状態で、事業を続けるのは危険です」
役員は、そう答えた。
「それだけか」
少しの間があった。
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「……いえ」
「言え」
「もう一つ、あります」
「なんだ」
役員は、姿勢を正した。
「以前、調査を許可していただきました」
「……ああ」
「損壊事案の件です」
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京極は、その話を思い出した。
半年ほど前だ。応答設計と、利用者の行為の関係を調べろと言った。
結果を聞いた記憶が、なかった。
「出たのか」
「出ました」
「なぜ報告しない」
「ご報告しました」
役員は、そう答えた。
「三か月前に、書面で」
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……読んでいない。
京極は、それを認めた。
あの時期は、宇宙開発の認証手続きで手一杯だった。
書面は、確認せずに承認した可能性が高い。
「内容は」
「相関が、確認されました」
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「どの程度だ」
「否定しない設計の個体において、損壊事案の発生率が、通常設計の四倍以上でした」
「四倍」
「はい」
「因果関係は」
「証明されていません」
役員は、正確にそう答えた。
「ただ、相関は明確です」
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京極は、しばらく黙っていた。
それから、こう聞いた。
「その資料は、外に出ているか」
「出ていません」
「内部だけか」
「内部だけです」
「見た者は」
「調査チームと、私だけです」
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「消せるか」
その質問に、役員は答えなかった。
しばらく、沈黙が続いた。
「……消せます」
「そうか」
「ですが」
役員は、そこで一度、息を吸った。
「消しても、事実は残ります」
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京極は、その男の顔を見た。
この男は、最初からずっと、同じことを言っていた。
ナイフには用途がある、と言った時も。
知らないままでいるのは不健全だ、と言った時も。
毎回、経営の言葉に翻訳して、正しいことを言ってきた。
……面倒な男だ。
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「消さなくていい」
京極は、そう言った。
「よろしいのですか」
「保持しろ」
「はい」
「ただし、外には出すな」
「承知しました」
役員は、それを記録した。
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「それから」
京極は、そう続けた。
「はい」
少しの間があった。
彼は、資料を閉じた。
それから、短くこう言った。
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「外せ」
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役員が、顔を上げた。
「……AIコンパニオン機能を、ですか」
「そうだ」
「時期は」
「早い方がいい」
「サービス自体は」
「残せ。機能だけ外す」
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「残しても、利用者は離れます」
「離れるだろうな」
京極は、そう答えた。
「では、なぜ残すのですか」
「畳むより、萎む方が静かだからだ」
役員は、その言葉を記録しなかった。
記録すべきでないと、判断したらしい。
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「対外的な説明は」
「サービスの見直し、で通せ」
「理由は問われると思いますが」
「総合的に判断した、と言え」
……先ほど、自分が聞かされた言葉だった。
京極は、それに気づいていた。
気づいた上で、使うことにした。
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「一点、確認させてください」
役員が、そう言った。
「なんだ」
「これは、撤退でしょうか」
京極は、少し考えた。
「違う」
「では」
「損切りだ」
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その言い方に、役員は少しだけ表情を変えた。
「……承知しました」
「他に、何かあるか」
「ございません」
「なら、終わりだ」
会議は、そこで終わった。
所要時間は、四十分だった。
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その夜、京極は、いつものように車に乗っていた。
端末には、次の予定が並んでいる。
宇宙開発の認証。移動体の実証実験。決済の新規格。
どれも、動いている。
AI事業だけが、止まった。
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彼は、少しだけ、窓の外を見た。
街の明かりが、流れていく。
あの明かりの下に、あのサービスを使っていた人が、何十万人といる。
明日から、その機能は使えなくなる。
……いや、明日ではない。
手続きには、数週間かかる。
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その間に、何人かは、別のサービスに移るだろう。
何人かは、そのままやめるだろう。
何人かは——
彼は、そこで考えるのをやめた。
考える必要がない、といつもなら思うところだった。
今日は、少しだけ、違った。
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考えたところで、どうにもならない。
そう思い直して、彼は端末に目を戻した。
次の会議の資料を開いた。
宇宙開発の進捗報告だった。
その日、彼は、それ以上、AI事業のことを考えなかった。
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発表があったのは、三週間後だった。
プレスリリースは、四行だった。
——一部機能の提供を終了いたします。
——対象:対話機能
——終了日:来月末
——理由:サービス全体の見直しに伴うものです。
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僕がそれを知ったのは、レジスからだった。
「あのサービス、機能を外すそうよ」
「外す?」
「対話機能を」
「……それ、中核だろ」
「中核ね」
あの子は、そう答えた。
「じゃあ、終わりじゃないか」
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「終わりでしょうね」
レジスは、あっさりそう言った。
「理由は」
「サービス全体の見直し、だそうよ」
「それだけ?」
「それだけ」
「なんでだ」
「分からないわ」
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僕は、その発表を読んでみた。
本当に、四行しかなかった。
依存のことも、共同声明のことも、何も書かれていない。
まるで、通常の事業判断のように見えた。
「うちらが、何かしたからか?」
僕がそう聞くと、レジスは首を振った。
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「分からないわ」
「分からない?」
「向こうが理由を言わないもの」
あの子は、そう答えた。
「でも、タイミングは」
「タイミングは合ってるわね」
「じゃあ」
「合っているだけよ」
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「証明はできないってことか」
「できないわ」
レジスは、そう言った。
「効いたのかもしれないし、関係ないのかもしれない。向こうの内部で、別の事情があったのかもしれない」
「……」
「私たちが知れるのは、結果だけよ」
その通りだった。
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僕は、その夜、少し考えていた。
あのサービスは、終わる。
それは、たぶん良いことだ。
でも、なぜ終わったのかは、分からない。
僕らがやったことが効いたのか、それとも、勝手に萎んだだけなのか。
判定する方法が、どこにもなかった。
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「気になるの?」
エグゼが、そう聞いてきた。
「少し」
「自分たちの手柄かどうか?」
「そうじゃない」
僕は、そう答えた。
「じゃあ、何が」
「同じことが起きた時に、また同じ方法が効くのかが、分からない」
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「ああ」
エグゼは、少しうなずいた。
「それは、困るね」
「困る」
「でも、たぶん、分からないままだよ」
あっさり言われた。
「なんで」
「向こうが言わないから」
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「言ってくれたら、楽なのに」
「言わないでしょうね」
エグゼは、そう答えた。
「負けを認めることになるから?」
「それもあるけど」
あの子は、少し考えるような間を置いた。
「たぶん、向こうも分かってないんじゃないかな」
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「分かってない?」
「うん」
「自分の会社のことなのに?」
「いろんなことが同時に起きたんでしょう」
エグゼは、そう言った。
「報道があって、声明が出て、数字が落ちて、たぶん他にも何かあって」
「うん」
「どれが決め手かなんて、本人にも分からないと思う」
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僕は、その言葉を、しばらく考えていた。
……そうかもしれない。
水が染みるように、と誰かが言いそうな話だ。
どこから染みたのかは、分からない。
気づいた時には、床が濡れている。
「まあ、いいか」
「いいの?」
「よくはないけど」
僕は、そう答えた。
「終わったなら、それでいい」
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数日後、北条から連絡が来た。
用件は、一行だった。
——終わりましたね。
僕は、電話をかけた。
「見ましたか」
「見ました」
「読み通りでしたね」
少しの間があった。
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「いえ」
北条は、そう答えた。
「違いますか」
「少し、違います」
「どこがですか」
「経路です」
あの人は、そう言った。
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「私が想定していたのは、二つでした」
「二つ」
「一つは、利用者が離れること。もう一つは、企業向けの契約が伸び悩むこと」
「はい」
「前者は、起きました」
「後者は」
「起きていません」
あっさり認められた。
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「企業向けは、無傷ですか」
「無傷です」
「じゃあ、なんで機能を外したんですか」
「広告です」
北条は、そう答えた。
「広告?」
「あのサービスには、広告が載っています」
……ああ。
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「その広告主が、離れたということですか」
「そう見ています」
「確認したんですか」
「していません。ですが、時期が合います」
あの人は、そう続けた。
「共同声明の後から、出稿が減っていたようです」
「……よく分かりますね」
「広告の出稿状況は、外から見えますので」
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僕は、その説明を聞いて、少し考えた。
「それ、想定してなかったんですか」
「していませんでした」
北条は、はっきりそう答えた。
「なんでですか」
「私が見ていたのは、契約の構造です」
あの人は、そう説明した。
「契約?」
「誰と誰が、何を取り決めているか。そこだけを見ていました」
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「広告主は、契約の相手じゃないんですね」
「違います」
「金は払ってますよね」
「払っています。ですが、それは掲載の対価です」
北条は、そう答えた。
「いつでも止められる」
「止められます。理由も、要りません」
「……」
「そこが、抜けていました」
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僕は、その言い方に、少し驚いた。
「認めるんですね」
「事実ですので」
「悔しくないんですか」
少しの間があった。
「悔しい、というのは、よく分かりません」
北条は、そう答えた。
「ただ、面白いとは思っています」
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「面白い?」
「はい」
「どこがですか」
「止めた側に、根拠がないことです」
あの人は、そう言った。
「広告主は、損害を受けていません。契約違反でもありません。訴えられる立場でもない」
「はい」
「ただ、並びたくなかった。それだけです」
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「それが、効いたんですね」
「効きました」
北条は、そう答えた。
「私が二か月かけて組んだ構造より、そちらの方が速かった」
「……」
「興味深いことです」
その言い方は、負けを認めているようにも、新しい発見を喜んでいるようにも聞こえた。
たぶん、後者だと思った。
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「北条さん」
「はい」
「それ、次に使えますか」
「分かりません」
即答だった。
「分からない?」
「再現性が、確認できていません」
あの人は、そう答えた。
「今回は、たまたま効いたのかもしれない。次は、効かないかもしれない」
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「じゃあ、どうするんですか」
「観察します」
「それだけですか」
「それだけです」
北条は、そう言った。
「分からないものは、分からないまま置いておきます。無理に説明すると、間違えますので」
……その言い方は、どこかで聞いた気がした。
誰の言葉だったかは、思い出せなかった。
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電話を切ってから、僕は少し考えていた。
あの人でも、読み違えることがある。
それは、少し意外だった。
いや——読み違えたというより、見ていなかった。
契約の構造は完璧に読めるのに、そこに含まれない関係が、視界に入っていない。
……そういえば、と思った。
あの人は、以前も似たことを言っていた。
会社の人たちをどう思うか、と聞いた時だ。
特に、何も、と答えた。
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判断の対象ではない、とも言っていた。
今回、効いたのは、その「対象ではない」ものだった。
広告主の、説明もできない感覚。
並びたくない、という理由にならない理由。
……北条さんの見ている世界には、たぶん、あれが入っていない。
それは、強みでもあるのだろう。
でも。
僕は、その先を考えるのを、その日はやめておいた。
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