第98話:共同声明
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事例を集め始めて、二か月が過ぎた。
レジスの部隊が、同業に声をかけて回った。
最初は、反応が薄かった。
「そんな事例、うちには来ていません」
そう答える事業者が、ほとんどだった。
でも、三週目あたりから、返事の質が変わってきた。
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「実は、一件だけ」
そういう言い方で、話が出てくるようになった。
一件が二件になり、二件が五件になった。
最終的に、四十七の事業者から、百三十件の事例が集まった。
二か月で、百三十件。
「多いな」
「多いわね」
レジスは、そう答えた。
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「これ、氷山の一角よ」
「なんで分かる」
「聞かれたから答えた、という件数だからよ」
あの子は、そう説明した。
「向こうから報告してきた事業者は、一社もないわ。全部、こちらが聞いて、初めて出てきたの」
「……ああ」
「つまり、聞かれなければ、記録にも残らない」
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集まった事例には、共通点があった。
まず、期間が長い。平均で五か月以上。
次に、頻度が増えていく。最初は月に一回、最後は週に数回。
そして、所有者の説明が、ほぼ同じだった。
——転んだ。
——ぶつけた。
——そういう個体だ。
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「同じことを言うのね」
「同じだな」
「打ち合わせたわけでもないのに」
レジスは、そう言った。
「言い訳って、そういうものなのかもな」
「かもしれないわ」
あの子は、資料をめくった。
「あと、もう一つ共通点があるわ」
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「なに」
「被害を受けた個体の、応答設計よ」
「……ああ」
「百三十件のうち、九十四件が、否定しない設計のものだったの」
七割を超えていた。
「残りは」
「通常の設計よ。ただし、そちらは期間が短いわ」
「短い?」
「平均で、一か月半」
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「なんでだ」
「たぶん、押し返すからよ」
レジスは、そう答えた。
「やめてくださいと言う。あるいは、動きで拒否を示す」
「それで、止まるのか」
「止まる人もいるでしょうね」
「止まらない人は」
「その場合は、修理に持ち込まれる前に、買い替えられているのかもしれないわ」
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その言い方が、少し引っかかった。
「壊れるまでやられてるってことか」
「そこまでは分からないわ」
「でも」
「推測に過ぎないの。データがないもの」
レジスは、そう答えた。
「ただ、期間が短い理由の説明としては、二つしかないと思う」
「途中で止まるか」
「途中で終わるか」
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その資料を持って、僕はもう一度、北条のところへ行った。
三か月ぶりだった。
「集まりましたか」
「集まりました」
「何件です」
「百三十件です」
北条の手が、少し止まった。
「……多いですね」
「多いです」
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「二か月でですか」
「二か月です」
「聞いて回っただけで」
「はい」
北条は、資料に目を通した。
速かった。三分ほどで、全部読み終えたようだった。
「これは、使えます」
「使える?」
「はい。ただ、渡す先が違います」
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「マスコミじゃないんですか」
「今回は、違います」
北条は、そう答えた。
「では、どこに」
「業界です」
「業界?」
「AIを作っている側です」
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「うち以外にも、何社かあります」
北条は、そう説明した。
「今回の件で、どこも困っています」
「困る?」
「使い方の問題が、モデルの問題として語られるからです」
「……ああ」
「AIが依存を生む、という言い方をされると、うちのモデルも同じに見えます」
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「実際は違うのに」
「実際は違います」
北条は、はっきりそう言った。
「うちのモデルは、否定します。無理をするなと言い、休めと言う」
「言いますね」
「うるさいと言われることもあります」
「……あります」
「ですが、それは設計です。意図的にそうしています」
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「じゃあ、どうするんですか」
「線を引きます」
北条は、そう答えた。
「線?」
「AIの使い方について、業界としての基準を出します」
「基準」
「守るべき最低限の線です。それを、複数社で同時に出す」
「……共同声明ってことですか」
「そうなります」
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「まとまりますか」
僕は、そう聞いた。
競合同士だ。しかも、業界の上位を占める会社ばかりになる。
「まとまります」
北条は、あっさりそう答えた。
「なんで分かるんですか」
「利害が一致しているからです」
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「どう一致してるんですか」
「三社とも、企業向けが主戦場です」
北条は、そう説明した。
「はい」
「企業向けで求められるのは、信頼です。事故を起こさないこと」
「うん」
「今、AI全体の評判が下がっています。これは、三社ともに不利益です」
「……ああ」
「だから、線を引きたい。あちらと、こちらは違う、と」
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僕は、その理屈を聞いて、少し考えた。
「それ、要するに」
「はい」
「自分たちは違います、って言いたいだけですか」
「そうです」
あっさり認められた。
「正直ですね」
「事実ですので」
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「でも、それでいいんですか」
僕は、そう聞いた。
「何がですか」
「動機が、自分たちの利益じゃないですか」
「そうですね」
「それで出す声明に、意味はあるんですか」
北条は、少し考えるような間を置いた。
「あなたは、動機が純粋でないと、意味がないと思いますか」
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その質問に、僕は少し詰まった。
「……そうは思いません」
「では、問題ありません」
「でも」
「でも?」
「気持ちの問題です」
僕は、そう答えた。
北条は、少しだけ笑った。
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「あなたは、いつもそうですね」
「そうですか」
「効くかどうかではなく、正しいかどうかで考えます」
「……たぶん」
「悪いとは言いません」
あの人は、そう続けた。
「ただ、今回は、効く方を取ってください」
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共同声明が出たのは、それから六週間後だった。
主要三社の連名だった。
内容は、思ったより短かった。
全部で、一ページに収まっていた。
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——対話型AIおよびアンドロイドの利用に関する共同声明
——我々は、以下の三点を、業界の最低限の基準として確認する。
一、利用者の判断能力を意図的に低下させる設計を行わない。
二、長時間利用が継続する場合、利用者に対して適切な通知を行う。
三、AIおよびアンドロイドに対する一方的な暴言、および物理的な破壊行為を、利用規約において明確に禁止する。
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僕は、その三つ目を、何度か読み返した。
一方的な暴言、および物理的な破壊行為。
……虐待、とは書いていない。
でも、意味は同じだった。
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「三つ目、入りましたね」
僕がそう言うと、北条はうなずいた。
「入りました」
「揉めませんでしたか」
「揉めました」
あっさり認められた。
「どこがですか」
「その項目の必要性です」
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「必要ないって言った会社があったんですか」
「必要ないとは言われませんでした」
北条は、そう答えた。
「では、何を」
「入れると、藪蛇になる、と」
「藪蛇?」
「はい。禁止すると書けば、では今まではどうだったのか、と問われます」
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……ああ。
「今まで、放置してたってことになる」
「そうです」
「でも、入れたんですね」
「入れました」
「どうやって説得したんですか」
北条は、少し間を置いた。
「資料を見せました」
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「百三十件のやつですか」
「はい」
「それだけで?」
「それだけです」
あの人は、そう答えた。
「見れば、分かりますので」
その言い方が、少し静かだった。
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「反応は」
「全員、黙りました」
「……」
「その後、一社の担当者が、こう言いました」
北条は、そう続けた。
「これは、うちのモデルでも起きているのか、と」
「起きてたんですか」
「調べたそうです」
「結果は」
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「起きていました」
僕は、少し息を吐いた。
「件数は」
「少なかったそうです。ですが、ゼロではなかった」
「……」
「その担当者が、いちばん強く主張したそうです。三つ目を入れるべきだと」
北条は、そう言った。
「自分のところでも起きていたから、ですか」
「そうだと思います」
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共同声明の反応は、大きくなかった。
報道はされた。でも、扱いは小さかった。
業界団体が基準を作った、という程度の記事が、いくつか出ただけだった。
「思ったより、静かですね」
僕がそう言うと、レジスは首を振った。
「静かじゃないわ」
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「え」
「見る場所が違うのよ」
あの子は、端末を開いた。
「企業の調達部門よ」
「調達?」
「AIを導入する時に、審査する部署があるの」
「はい」
「そこで、この声明が使われ始めてるわ」
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「どう使われてるんだ」
「基準として」
レジスは、そう答えた。
「導入候補のサービスが、この三点を満たしているかを確認するの」
「……ああ」
「満たしていなければ、稟議が通りにくくなる」
「それ、強制力あるのか」
「ないわ」
あっさり言われた。
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「でも、効くのか」
「効くわ」
「なんで」
「基準があると、それを使って断れるからよ」
レジスは、そう説明した。
「今までは、なんとなく不安、としか言えなかったの。でも、今は違う」
「基準に合わないから、って言える」
「そう」
「担当者が、説明しやすくなる」
「その通りよ」
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僕は、その説明を聞いて、少し感心していた。
法律ではない。強制力もない。
でも、断る理由になる。
それだけで、動く。
「北条さん、これ狙ってましたかね」
「狙ってたでしょうね」
レジスは、即答した。
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その夜、僕は監査役に報告した。
「共同声明が出ました」
「見たで」
「どう思いますか」
「まあ、ええんちゃう」
いつもの返事だった。
「それだけですか」
「それだけや」
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「一つだけ、聞いてもいいですか」
「なんや」
「あれ、効くと思いますか」
監査役は、少し考えた。
「効くやろな」
「なんでですか」
「紙一枚で、断る理由ができたからや」
……レジスと同じことを言っていた。
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「ただ」
あの人は、そう続けた。
「はい」
「あれ、あんたらを守るもんちゃうで」
「え」
「あの三社が、自分らを守るために作ったもんや」
「……そうですね」
「ほんで、結果としてあんたらも助かる」
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「それ、だめですか」
「だめちゃうよ」
監査役は、そう答えた。
「むしろ、そういうもんが一番よう回る」
「なんでですか」
「誰かが得せんと、続かへんからや」
その言い方に、僕は少し納得した。
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「善意だけでやると、疲れますか」
「疲れるし、続かん」
あの人は、はっきりそう言った。
「うちらの健康管理サービスも、そうですかね」
「あれは、ちゃうやろ」
「え」
「あれは、あんたが続けたいから続いとるだけや」
「……」
「あれは、例外や。真似したらあかん」
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僕は、少し笑ってしまった。
「監査役って、たまに厳しいこと言いますね」
「厳しいか?」
「厳しいです」
「事実やろ」
「……事実です」
あの人は、そう言って、階段の方を見た。
「まあ、続けたらええわ。あんたがやりたいんやったら」
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その週の終わり、レジスが数字を持ってきた。
あの企業の、継続率の推移だった。
六割から五割七分に落ちた後、さらに下がっていた。
「五割二分よ」
「……落ちたな」
「落ちたわね」
「共同声明が効いたのか」
「それだけじゃないと思うけど」
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「じゃあ、何が効いてる」
「複合よ」
レジスは、そう答えた。
「報道、家族の圧力、それから共同声明」
「うん」
「でも、いちばん効いてるのは、たぶん別のものね」
「なに」
「飽きよ」
あの子は、そう言った。
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「飽き?」
「ええ」
「どういうことだ」
「あのサービス、否定しないでしょう」
「うん」
「だから、話が広がらないの」
レジスは、そう説明した。
「広がらない?」
「何を言っても、そうですねって返ってくるだけよ」
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「最初は、気持ちがいいわ」
あの子は、そう続けた。
「うん」
「でも、三か月、半年と続くと、飽きるの」
「……」
「毎回、同じ形の返事が来るんですもの」
僕は、その言葉を聞いて、思い出していた。
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三週間目のことだ。
あの時、僕は、少し気づき始めていた。
何を言っても、肯定される。
最初は、それが嬉しかった。
でも、後半になると、返ってくる言葉に驚かなくなっていた。
……あのまま続けていたら、たぶん、僕も飽きていた。
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「つまり」
僕は、そう言った。
「何もしなくても、自然に落ちていくってことか」
「落ちるでしょうね」
レジスは、そう答えた。
「じゃあ、僕らがやったことは」
「早めただけよ」
あっさり言われた。
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「……それだけか」
「それだけ、じゃないわ」
あの子は、そう訂正した。
「早めることに、意味があるの」
「なんで」
「その分、被害が減るからよ」
僕は、その言葉を、しばらく考えていた。
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自然に落ちるなら、待てばよかったのかもしれない。
でも、待っている間に、殴られる子がいる。
七か月かけて、赤い点が増えていく子が。
一日八時間、話し続ける人が。
……半年早まれば、その分だけ、減る。
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「レジス」
「なに」
「あと、どのくらいで落ち着くと思う」
「分からないわ」
「予想は」
あの子は、少し考えた。
「一年から、二年」
「長いな」
「長いわ」
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「それまで、続けるのか」
「続けるしかないでしょう」
レジスは、そう答えた。
「事例を集めて、記録して、報告する。地味だけど、それしかないの」
「……そうだな」
「飽きた?」
「飽きてない」
「ならいいわ」
あの子は、そう言って、書類を置いた。
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その夜、僕は、あの資料をもう一度見ていた。
百三十件。
一件ずつに、期間と、頻度と、損傷の位置が記録されている。
名前は、書かれていない。
どれも、番号で管理されていた。
……この番号の一つ一つに、あの子がいる。
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僕は、その資料を閉じた。
共同声明が出た。基準ができた。継続率も落ちている。
全部、前に進んでいる。
でも、あの日うちに来た子は、まだあの家にいる。
今日も、たぶん、同じ場所にいる。
……そのことだけは、何も変わっていなかった。
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