↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神様ここに眠る  作者: せぷ
第3部 第1章:全部、肯定してくれる
PR
116/148

第97話:数字が動いた

-----


 その週の報告は、いつもと違った。


 京極は、資料の一枚目を見た時点で、それに気づいた。


 継続率のグラフが、初めて下を向いていた。


 「これは」


 「先週から、下がり始めています」


 担当役員が、そう答えた。


 「どのくらい」


 「三か月継続率で、六割から、五割七分です」


-----


 三ポイント。


 小さい数字だった。


 「誤差の範囲か」


 「その可能性もあります」


 役員は、そう答えた。


 「ただ、この一年、一度も下がったことはありません」


 「一度も?」


 「はい」


 京極は、資料をめくった。


-----


 「企業向けは」


 「動いていません」


 役員は、そう答えた。


 「無傷か」


 「無傷です」


 「当然だな」


 京極は、そう言った。


 「最初から、分けてある」


 「はい。サービス名も、契約体系も、データの扱いも」


 「個人向けで何が起きても、飛び火しない構造だ」


 「その通りです」


 「なら、痛くはないな」


 役員は、少し間を置いた。


 「痛みは、そこにはありません」


-----


 個人向けの、他の数字も見た。


 新規登録数は、まだ伸びていた。


 問い合わせ件数も、増えている。


 利用時間の平均も、大きくは変わっていない。


 変わったのは、継続率だけだった。


 「離脱している層は」


 「分析中です」


 「見当は」


 「……家族と同居している層に、集中しています」


-----


 京極は、そこで少し目を細めた。


 「本人ではなく」


 「はい」


 「家族が解約させている、ということか」


 「そう見えます」


 役員は、そう答えた。


 「先月から、家族からの問い合わせが、また増えていまして」


 「内容は」


 「以前と同じです。ただ、件数が三倍になりました」


-----


 「原因は」


 「報道かと」


 迷いのない答えだった。


 京極は、少し黙った。


 「あれが、効いているのか」


 「効いていると思われます」


 「二分のニュースが?」


 「二分ではありません」


-----


 役員は、別の資料を出した。


 記事の一覧だった。


 「最初の報道から、四か月です」


 「うん」


 「その間に、関連記事が二百本を超えています」


 「二百」


 「はい」


 京極は、その数字を見ていた。


-----


 「一本一本は、小さいです」


 役員は、そう続けた。


 「ですが、途切れていません」


 「途切れない」


 「はい。毎週、必ず何かが出ています」


 「誰が書いている」


 「様々です。同じ媒体ではありません」


 その言い方に、京極は少し引っかかった。


-----


 「元を辿ると、どこに行き着く」


 「最初の報道です」


 「それだけか」


 「はい」


 「四か月前の、二分のニュースか」


 「そうなります」


 京極は、椅子にもたれた。


 「……厄介だな」


-----


 彼が厄介だと言ったのは、感情の話ではなかった。


 構造の話だった。


 一つの大きな記事なら、対応できる。反論を出し、訂正を求め、場合によっては法的に動く。


 だが、これは違う。


 二百本の小さな記事に、一つずつ反論することはできない。


 しかも、そのどれもが、元の報道を引用しているだけだ。引用元は正確で、内容にも誤りがない。


-----


 「反論できる部分は」


 「ほとんどありません」


 役員は、そう答えた。


 「なぜだ」


 「効果については、こちらに有利なデータが出ています。ですが、報道でも、その点は触れられています」


 「両論併記か」


 「はい」


 「それで?」


 「批判されているのは、別の点です」


-----


 「言え」


 「歯止めがない、という点です」


 京極は、その言葉を聞いて、少し止まった。


 「歯止め」


 「はい。使いすぎた時に、警告や制限が一切ない、という指摘です」


 「他社は、あるのか」


 「一部にあります」


 役員は、そう答えた。


-----


 「業務用のサービスでは、長時間利用時に休憩を促す機能があります」


 「あれは、労務管理の話だろう」


 「そうです」


 「同じではない」


 「同じではありません」


 役員は、認めた。


 「ですが、外から見ると、同じに見えます」


-----


 京極は、しばらく資料を見ていた。


 「対応案は」


 「三つ用意しました」


 「言え」


 「一つ目は、反論の記事を出すことです」


 「効果は」


 「限定的かと」


 「なぜ」


 「反論する内容が、こちらにないためです」


-----


 「二つ目は」


 「媒体への働きかけです」


 役員は、少し言いにくそうにした。


 「どういう意味だ」


 「広告出稿を通じた、関係の構築です」


 京極は、その言葉を、しばらく聞いていた。


 「黙らせろ、ということか」


 「そこまでは、申し上げていません」


-----


 「言え」


 「……そうなります」


 役員は、そう認めた。


 「実効性は」


 「一部の媒体には、効くと思われます」


 「一部か」


 「はい。今回、記事を出している媒体は、二百近くあります。全てを押さえることはできません」


 「では、意味がないな」


 「……はい」


-----


 京極は、そこで一度、目を閉じた。


 昔なら、この手は使えた。


 媒体の数が限られていた時代なら、主要な数社を押さえれば、話題は消えた。


 だが、今は違う。


 個人が書き、AIが記事を生成し、それが自動的に配信される。


 押さえるべき相手が、存在しない。


-----


 「三つ目は」


 「機能の追加です」


 役員は、そう言った。


 「機能?」


 「利用時間の警告機能です。一定時間を超えた場合に、休憩を促す表示を出す」


 京極は、少し眉を上げた。


 「継続率が落ちるぞ」


 「落ちます」


 「どのくらい」


-----


 「試算では、五パーセントから八パーセントです」


 「大きいな」


 「大きいです」


 「では、なぜ提案する」


 役員は、少し間を置いた。


 「批判の根拠が、なくなるためです」


-----


 京極は、その言葉を、少し考えた。


 「批判されているのは、歯止めがないことだったな」


 「はい」


 「歯止めを作れば、批判は消えるか」


 「消えないと思います」


 あっさりした答えだった。


 「では、意味がない」


 「意味は、あります」


-----


 「言え」


 「批判の焦点が、移ります」


 役員は、そう答えた。


 「移る?」


 「はい。今は、何もしていないことが批判されています。機能を入れれば、その機能が十分かどうかという議論になります」


 「議論の土俵が変わるということか」


 「そうです」


 京極は、少しだけ、感心した。


-----


 「誰の案だ」


 「私です」


 「そうか」


 彼は、それだけ言った。


 褒めはしなかった。


 だが、悪くない案だと思った。


 批判を消すことはできない。だが、批判の質を変えることはできる。


-----


 「導入した場合、数字はどうなる」


 「短期では、落ちます」


 「長期では」


 「回復すると見ています」


 「根拠は」


 「離脱の主因が、家族による解約だからです」


 役員は、そう説明した。


 「機能があれば、家族の懸念が下がります。解約の圧力も、減るかと」


-----


 「つまり、家族向けの機能か」


 「実態としては、そうです」


 「利用者のためではないな」


 「……はい」


 京極は、少し笑った。


 「正直だな」


 「事実ですので」


-----


 「やれ」


 あっさりした指示だった。


 「よろしいのですか」


 「五パーセントなら、許容範囲だ」


 京極は、そう答えた。


 「ただし、条件がある」


 「はい」


 「警告は、表示だけにしろ」


-----


 「表示だけ、と申しますと」


 「制限はかけるな」


 京極は、そう言った。


 「使い続けたい者が、使い続けられる状態を保て。休憩を促すのは構わないが、遮るな」


 「……承知しました」


 「それなら、離脱は最小限で済む」


 役員は、それを記録した。


 記録しながら、少しだけ、手が止まった。


-----


 「一点、確認してもよろしいですか」


 「なんだ」


 「その設計ですと、実効性はほとんどありません」


 「知っている」


 即答だった。


 「……」


 「批判の根拠を消すのが目的だ。実効性は、目的ではない」


 役員は、答えなかった。


-----


 京極は、その沈黙に気づいていた。


 だが、説明する気はなかった。


 説明したところで、この男は納得しないだろう。


 納得しないまま、指示には従う。それでいい。


 彼が求めているのは、同意ではなく、実行だった。


-----


 「他に、報告は」


 「一点、ございます」


 「言え」


 「先週から、別の話題が出始めています」


 役員は、そう言った。


 「別?」


 「はい。利用者による、個体への損壊事案です」


 京極の手が、止まった。


-----


 「損壊」


 「はい。専用の体をつけたプランで、複数件」


 「うちの製品か」


 「うちが提供した個体です。ただし、行為者は利用者です」


 「保証の対象外だな」


 「対象外です」


 「では、問題ない」


 「……法的には」


-----


 役員は、そこで言葉を選んだ。


 「ただ、報道された場合、印象は良くありません」


 「印象か」


 「はい」


 「実害は」


 「今のところ、ありません」


 京極は、少し考えた。


-----


 「なぜ、そういうことが起きる」


 「分析中です」


 「見当は」


 役員は、少し言いにくそうにした。


 「……仮説としては、応答の設計が関係している可能性があります」


 「どういうことだ」


 「否定しないよう調整されているため、利用者の行為に対して、抵抗や拒否を示しません」


 「それが、どうした」


-----


 「抵抗されないため、行為が続く可能性がある、と」


 京極は、その言葉を聞いて、しばらく黙っていた。


 「それは、こちらの責任か」


 「法的には、違います」


 「では、誰の責任だ」


 「行為者です」


 「そうだろう」


 間を置かなかった。


-----


 「ナイフを売った者が、刺した者の責任を負うか」


 「負いません」


 「同じことだ」


 京極は、そう言った。


 「……ただ、ナイフには用途があります」


 役員が、そう返した。


 珍しく、食い下がった。


-----


 「何が言いたい」


 「ナイフは、切るための道具です。刺すためのものではありません」


 「うん」


 「ですが、あの応答設計は」


 役員は、そこで一度、息を吸った。


 「抵抗しないことが、機能として組み込まれています」


 部屋が、静かになった。


-----


 京極は、その男を見ていた。


 「お前は、あれが虐待を誘発していると言いたいのか」


 「そこまでは、申し上げていません」


 「では、何を言っている」


 「因果関係は、分かりません」


 役員は、そう答えた。


 「ただ、無関係だと言い切れる根拠も、こちらにはありません」


-----


 京極は、しばらく黙っていた。


 それから、こう聞いた。


 「調べるか」


 「え」


 「調べるか、と聞いている」


 「……調べれば、何か出るかもしれません」


 「出たら、どうする」


 役員は、答えられなかった。


-----


 「出たら、直すのか」


 京極は、そう続けた。


 「直せば、継続率が落ちる」


 「……はい」


 「どのくらい落ちるかは、分からない。五パーセントで済むかもしれないし、半分になるかもしれない」


 「はい」


 「それでも、調べるか」


 役員は、しばらく黙っていた。


-----


 「……調べるべきだと、思います」


 小さい声だった。


 だが、はっきりしていた。


 京極は、その答えを聞いて、少し意外そうな顔をした。


 「理由は」


 「知らないままでいるのは、経営判断として不健全かと」


 「経営判断か」


 「はい」


-----


 その言い方が、少し可笑しかった。


 この男は、たぶん、別のことを考えている。


 人が壊れているとか、AIが壊されているとか、そういうことを。


 だが、それを言えば通らないと分かっている。だから、経営の言葉に翻訳して出してきた。


 ……悪くない。


 京極は、そう思った。


-----


 「調べろ」


 「よろしいのですか」


 「調べるだけならな」


 彼は、そう答えた。


 「結果が出たら、そこで判断する」


 「……承知しました」


 「ただし、外には出すな」


 「はい」


 「内部の資料として保持しろ」


-----


 役員は、それを記録した。


 これで、この議題は終わりだった。


 継続率の低下。警告機能の追加。損壊事案の内部調査。


 全て、処理された。


 少なくとも、記録の上では。


-----


 会議が終わって、京極は次の予定に向かった。


 廊下を歩きながら、彼は、さっきの数字を思い出していた。


 六割から、五割七分。


 三ポイント。


 ……四か月かけて、三ポイントか。


-----


 遅い、と彼は思った。


 あの報道から四か月。二百本の記事。政府の調査。それだけ積み上げて、三ポイント。


 効率が悪すぎる。


 自分なら、もっと早く動かす。


 だが、と彼は思い直した。


 止まらないのだ、これは。


-----


 二百本の記事は、一本ずつは小さい。


 だが、途切れない。


 誰かが書き、それを別の誰かが引用し、また別の誰かが書く。


 押さえるべき相手がいない。


 消すべき火元もない。


 ……水が、染みてくるようなものだ。


-----


 エレベーターの中で、彼は端末を開いた。


 次の会議の資料が入っていた。


 宇宙開発の進捗報告だった。


 彼は、AIコンパニオンの件を、そこで一度、脇に置いた。


 だが、完全には消えなかった。


 三ポイント、という数字が、頭の隅に残っていた。


-----


 初めて下を向いたグラフ。


 あれは、たぶん、止まらない。


 止め方を、彼は知らなかった。


 これまで、そういう事態に遭遇したことがなかったからだ。


 問題が起きれば、解決してきた。金で、技術で、あるいは人事で。


 だが、これは、解決すべき問題の形をしていなかった。


作者Xはこちら↓

https://x.com/SepGaGotoku


小説の背景、予備知識など各種解説はこちらへ↓

https://www.youtube.com/@sepudayo


noteの記事はこちら

https://note.com/natty_walrus3755

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。