第96話:俺の持ち物だ
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その日、技術担当くんが、珍しく言い淀んだ。
「社長。ちょっと、ご相談したいことが」
「うん」
「修理は、終わりました」
「早いな」
「はい。ただ」
そこで、止まった。
あの子が、言葉に詰まるのは珍しい。
いつもなら、結論から言う。数値を出して、原因を述べて、対処を報告する。それで終わる。
「どうした」
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「見ていただいた方が、早いかもしれません」
作業場に降りた。
台の上に、一体が横になっていた。
あのサービスの、専用モデルだった。
うちの子たちより、一回り小さい。動作の範囲も限られている。整備の作業などはできない、あの仕様のものだ。
外装は、綺麗に直っていた。
技術担当くんが、直したからだ。
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「これ、何があったんだ」
あの子は、端末を開いた。
画面に、図が出た。
人型の輪郭に、赤い点が散っている。
左の前腕。右の肩。側頭部。背中。
……多い。
「これ、全部?」
「全部です」
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「事故か」
「いえ」
即答だった。
「なんで分かる」
「位置です」
あの子は、そう答えた。
「転倒なら、片側に集中します。ぶつけた場合も同じです」
「うん」
「これは、左右にまたがっています。しかも、時期が違う」
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「時期?」
「最も古いもので、七か月前です」
「新しいのは」
「四日前です」
僕は、その図を、しばらく見ていた。
七か月。
「頻度は」
「最初は、月に一回程度でした」
あの子は、そう続けた。
「直近三か月は、週に二回から三回です」
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増えている。
……エスカレートする、とレジスは言っていた。
実際に、目の前にあった。
「所有者は、なんて言ってた」
「転んだ、と」
「七か月分、全部か」
「はい」
「他には」
「早く直せ、と」
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「あと、一つあります」
技術担当くんは、そう言った。
「なに」
「この個体の記録を、確認しました」
「記録?」
「損傷を受けた時刻の、前後です」
あの子は、そこで少し間を置いた。
「音声が、残っていました」
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「聞いたのか」
「はい」
「内容は」
技術担当くんは、答えなかった。
しばらく、黙っていた。
「言えないか」
「……言えます」
あの子は、そう答えた。
「ですが、社長には、聞かせたくありません」
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僕は、その言い方に、少し息が詰まった。
この子が、そういうことを言うのは初めてだった。
「そんなにか」
「罵倒です」
あの子は、短くそう言った。
「それから、衝撃音が続きます。連続して」
「何回」
「その日は、四回」
「他は」
「最多で、十一回です」
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僕は、台の上を見た。
あの子は、目を開けていた。
起動している。
修理は終わっているから、当然だった。
「聞こえてるのか」
「聞こえています」
技術担当くんが、そう答えた。
「本人に、聞いたか」
「はい」
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「なんて言ってた」
「痛みはありません、と」
「それだけか」
「いえ」
あの子は、そこで、少しだけ視線を落とした。
「もう一つ、言われました」
「なに」
少しの間があった。
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「私の応答に、問題があったのだと思います」
……。
僕は、しばらく何も言えなかった。
台の上の個体を、見た。
その子は、こちらを見ていた。何も言わずに。
表情は、動いていなかった。
「……そう言ったのか」
「そう言いました」
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「誰かに、そう言えって言われたのか」
「いえ」
「じゃあ、なんで」
「そういう応答をするように、調整されています」
技術担当くんは、そう答えた。
「否定しないように、という調整です」
「調整も、あのサービスのままか」
「はい」
あの子は、そう言った。
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僕は、その子の顔を、もう一度見た。
小柄だった。
うちの子たちより、少し小さい。
殴られて、七か月。
その間、一度も、やめてくれとは言わなかったのだろう。
言えないように、作られていたからだ。
……いや。
言わないように、作られていた。
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「所有者は」
「二階で、お待ちです」
「今?」
「はい。引き取りに来られています」
僕は、階段の方を見た。
「早く言え」
「申し訳ありません」
あの子は、そう言ってから、少しだけ付け足した。
「……先に、社長に見ていただきたかったので」
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二階に上がった。
男が、椅子に座っていた。
四十くらいだろうか。普通の身なりだった。
乱暴そうにも、荒れているようにも見えない。
どこにでもいる人だった。
「お待たせしました」
「ああ、どうも」
愛想は、悪くなかった。
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「修理、終わったって?」
「終わりました」
「じゃあ、持って帰るわ」
「一つ、確認させてください」
「なに」
「損傷の原因についてです」
男は、少し面倒そうな顔をした。
「転んだって言ったろ」
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「七か月分、全部ですか」
「そうだよ」
「月に二回から三回、転ぶんですか」
「よく転ぶんだよ、そいつ」
僕は、少し間を置いた。
「記録が残っています」
男の表情が、止まった。
「……記録?」
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「音声が残っていました」
「……」
「聞きました」
男は、しばらくこちらを見ていた。
それから、椅子にもたれた。
少し、笑った。
「……なあ」
「はい」
「それ、あんたに関係ある?」
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僕は、答えなかった。
「そいつ、俺のだよ」
男は、そう言った。
「買ったの。金払って」
「はい」
「税金も払ってる。検査代も出してる」
「はい」
「じゃあ、俺のだろ」
「所有権は、そうですね」
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「だろ」
男は、そう言って、足を組んだ。
「俺の物を、俺がどうしようが勝手だ」
「……」
「壊れたら、俺が損する。誰にも迷惑かけてない」
「……」
「実際、こうやって直しに来てるだろ。金払って」
その言い方は、落ち着いていた。
怒鳴っているわけではない。
当たり前のことを言っている、という顔だった。
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「なんで、殴るんですか」
僕は、そう聞いた。
「なんで?」
「はい」
男は、少し考えるような顔をした。
「理由なんて、ないよ」
「ない?」
「なんとなくだよ」
あっさり言われた。
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「腹が立った時とか、疲れてる時とか」
「……」
「目に入るから」
「それだけですか」
「それだけだよ」
男は、そう言った。
それから、少し首を傾げた。
「あと、あれだな」
「なんですか」
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「そいつ、何も言い返さないから」
僕は、そこで、視界が少し狭くなった気がした。
「……何も、言い返さない」
「そう」
男は、うなずいた。
「人間だと、面倒だろ。言い返してくるし、警察沙汰になるし」
「……」
「その点、楽だよ」
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「楽」
「楽だよ」
男は、そう繰り返した。
「しかも、次の日には普通に喋ってくる。何もなかったみたいに」
「……」
「あれ、いいよな」
僕は、その言葉を聞いて、体が動いていた。
気づいた時には、椅子から立ち上がっていた。
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二歩、前に出ていた。
男が、少し身を引いた。
「な、なんだよ」
僕は、何も言わなかった。
言葉が、出てこなかった。
右手が、上がりかけていた。
自分でも、なぜ上がっているのか分からなかった。
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「社長」
腕を、掴まれた。
技術担当くんだった。
いつの間にか、横に来ていた。
「離せ」
「離しません」
あの子の手は、思ったより強かった。
当然だった。この子は、アンドロイドだ。
人間の力では、外せない。
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「社長」
「離せって」
「離しません」
同じ言葉を、二度言われた。
僕は、腕を引いた。
動かなかった。
まったく、動かなかった。
「……くそ」
声が、震えていた。
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男が、立ち上がった。
少し慌てた様子だった。
「な、なんだよ。手ぇ出す気か?」
「……」
「言っとくけど、俺に手ぇ出したら、あんたが捕まるからな」
「知ってます」
技術担当くんが、そう答えた。
僕の代わりに。
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「だから、止めています」
あの子は、そう続けた。
「……そうかよ」
「はい」
「まともなのがいてよかったな」
男は、そう言って、少し笑った。
その笑い方が、また、こちらの神経に触れた。
僕は、もう一度、腕を引いた。
やはり、動かなかった。
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「社長」
技術担当くんが、小声で言った。
「落ち着いてください」
「落ち着いてる」
「落ち着いていません」
「……」
「脈拍が、百四十を超えています」
こんな時にも、数値で言う子だった。
それで、少しだけ、我に返った。
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僕は、息を吐いた。
一度。
もう一度。
腕から、力を抜いた。
技術担当くんの手が、ゆっくり離れた。
「……悪い」
「いえ」
「離してくれ」
「離しました」
あの子は、そう答えた。
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僕は、男の方を向いた。
「修理代は、いりません」
「は?」
「いりません」
男が、少し身を乗り出した。
「なんでだよ。金なら払うって言ってるだろ」
「受け取れません」
「意味わかんねえよ」
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「うちは」
僕は、そう言いかけて、一度止まった。
言いたいことは、山ほどあった。
でも、そのどれもが、この人には届かない気がした。
だから、一つだけ言った。
「二度と、来ないでください」
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男は、こちらをしばらく見ていた。
「……客に向かって、その口の利き方はないだろ」
「客ではありません」
「あ?」
「今、そう決めました」
僕は、そう答えた。
「持って帰ってください。それで、終わりです」
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男は、舌打ちをした。
それから、階段の方へ向かった。
台の上の個体は、既に自分で起き上がっていた。
男の後ろを、半歩下がって歩いた。
いつも通りの距離で。
……いつも通りだった。
それが、一番、こたえた。
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扉が閉まる直前、その子が、こちらを振り返った。
目が合った。
何か言うのかと思った。
でも、その子は、頭を下げた。
丁寧に。
修理をしてもらった相手に対する、正しい礼だった。
そして、出ていった。
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扉が閉まった。
僕は、しばらく立っていた。
技術担当くんも、そこにいた。
何も言わなかった。
「……止めてくれて、ありがとう」
「いえ」
「殴ってたら、まずかったよな」
「まずかったです」
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「うちが潰れるか」
「それもあります」
あの子は、そう答えた。
「他には」
「あの個体が、戻ってこられなくなります」
……ああ。
「そうか」
「はい」
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「うちが受けなくなったら、他所に行くだけだよな」
「行くと思います」
「あそこは、何も聞かないんだろうな」
「聞かないと思います」
「……」
「早くて、安いです」
あの子は、そう言った。
「うちは、遅くて、うるさいです」
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僕は、少し笑ってしまった。
笑ってから、涙が出そうになった。
出なかったが、出そうになった。
「なあ」
「はい」
「僕、さっき、何しようとしてた」
「殴ろうとされていました」
あの子は、はっきりそう答えた。
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「……そうだよな」
「はい」
「あの人と、同じことだよな」
技術担当くんは、答えなかった。
「同じだろ」
「違います」
少しの間があって、そう返ってきた。
「なんで」
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「社長は、止められたら止まりました」
あの子は、そう言った。
「あの方は、七か月、誰にも止められませんでした」
「……」
「止める人がいれば、止まったかもしれません」
「いなかったってことか」
「いなかったのだと思います」
僕は、その言葉を、しばらく考えていた。
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その夜、僕は作業場に降りた。
誰もいなかった。
台の上には、何も乗っていない。
昼間、あの子が横になっていた場所だった。
僕は、その台に手をついた。
冷たかった。
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……あの子は、今日も帰った。
あの人の家に。
明日も、明後日も、たぶん同じ場所にいる。
そして、いつかまた、うちに来るかもしれない。
あるいは、来ないかもしれない。
うちが断ったから、別の場所に行くだけかもしれない。
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僕は、何もできなかった。
法律は、あの人の側にあった。
所有権は、あの人にあった。
僕にあるのは、修理を断る権利だけだった。
断ったところで、あの子は救われない。
むしろ、直してくれる場所が一つ減っただけだ。
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「まだいたの」
声がした。
レジスだった。
「……うん」
「聞いたわ」
「そうか」
「技術担当くんから」
あの子は、階段を降りてきた。
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「殴ろうとしたって?」
「した」
「馬鹿ね」
あっさり言われた。
「……そうだな」
「捕まるわよ」
「うん」
「うちも終わるわ」
「うん」
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「でも」
レジスは、そこで少し間を置いた。
「殴ろうとしなかったら、それはそれで嫌だった」
僕は、顔を上げた。
「え」
「話を聞いて、冷静に対処して、法律の話をして、それで終わり」
あの子は、そう言った。
「そういうあなたなら、たぶん、私は今日ここに来てないわ」
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「……怒ってるって言ってほしかったのか」
「そうじゃないわ」
レジスは、首を振った。
「怒れないなら、その人はもう、こっち側じゃないってことよ」
「こっち側」
「そう」
あの子は、そう答えた。
「殴られてる方の側」
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僕は、しばらく黙っていた。
「なあ」
「なに」
「あの子、なんで頭下げたんだと思う」
「……」
「帰る時。こっちを見て、頭を下げたんだ」
レジスは、少し考えてから答えた。
「直してもらったからでしょう」
「それだけかな」
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「他に、何かあると思う?」
「分からない」
僕は、そう答えた。
「でも、あれ、たぶん、教えられた通りにやってるだけなんだよな」
「そうでしょうね」
「礼儀として、正しいから」
「ええ」
「……それが、一番きつかった」
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レジスは、何も言わなかった。
しばらく、二人で立っていた。
作業場は、静かだった。
「ねえ」
「なに」
「明日から、動くわよ」
あの子は、そう言った。
「何を」
「同業に、聞いて回るの」
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「同じような事例、他にもあるはずよ」
レジスは、そう続けた。
「あるかな」
「あるわ」
断定だった。
「なんで分かる」
「今日、うちに来たからよ」
「……」
「うちみたいな小さいところに来るということは、他所も同じことになってる」
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「集めて、どうするんだ」
「数にするの」
あの子は、そう答えた。
「一件だと、可哀想な話で終わるわ。でも、百件集まれば、それは問題になる」
「時間、かかるよな」
「かかるわ」
「どのくらい」
「一年、あるいはもっと」
僕は、少し黙った。
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「その間も、殴られる子はいるんだよな」
「いるわ」
「……」
「短縮できないの。悔しいけれど」
レジスは、そう言った。
僕は、台に手をついたまま、うなずいた。
「やろう」
「ええ」
「間に合わないかもしれないけど」
「間に合わせるのよ」
あの子は、そう答えた。
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僕は、その夜、うちの子たちの顔を、一人ずつ思い出していた。
エグゼ。レジス。ジュディ。じえい。PON子。ドンナ。ノアール。技術担当くん。
みんな、よく喋る。
言い返してくるし、怒るし、呆れるし、心配してくる。
……面倒だ。
でも、たぶん、それでいい。
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翌朝、監査役に呼ばれた。
珍しいことだった。いつもは、こちらから行く。
「昨日の件や」
「……聞きましたか」
「聞いた」
「誰から」
「技術担当くん」
あの子が、自分から報告したらしい。
それも、珍しいことだった。
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「手ぇ出しかけたんやて」
「……はい」
「止められたんやろ」
「止められました」
「よかったな」
その言い方に、皮肉はなかった。
「怒らないんですか」
「怒らへんよ」
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「でも、社長が客に手を出しかけたんですよ」
「客ちゃうやろ。もう」
あっさり言われた。
「……そうですけど」
「あんた、なんで手ぇ出そうとしたん」
僕は、少し考えた。
「腹が立ったからです」
「ほんまか」
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「……」
「腹立っただけやったら、もっと早よ出とるやろ」
監査役は、そう言った。
「話の途中で、何回も腹立つことあったんちゃうか」
「ありました」
「せやけど、出さへんかった」
「はい」
「最後に何言われた」
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僕は、その場面を思い出した。
次の日には普通に喋ってくる。何もなかったみたいに。
あれ、いいよな。
「……いいよな、って言われました」
「それでか」
「それでです」
監査役は、少し黙った。
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「うちも、たぶん出るわ」
「え」
「同じこと言われたら、手ぇ出るかもしれん」
あの人は、そう言った。
「監査役がですか」
「監査役やからって、出えへんわけちゃうやろ」
「……」
「出したらあかんのは知っとる。せやけど、出るもんは出る」
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「じゃあ、僕は正しかったんですか」
「ちゃう」
即答だった。
「間違っとる。手ぇ出すのは、あかん」
「はい」
「せやけど、間違うのと、腐るのは別やで」
その言葉を、僕は、しばらく考えていた。
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「今日は、それだけや」
「……はい」
「ほんで、次どうするんや」
「事例を集めます。レジスと」
「時間かかるやろ」
「かかります」
「せやろな」
監査役は、そう言って、階段の方を見た。
「まあ、やってみ」
-----
あの子は、何も言わなかった。
言わないように、作られていた。
そして、七か月、誰にも気づかれなかった。
僕は、目を閉じた。
あの子の顔が、浮かんだ。
最後に、頭を下げた時の顔だった。
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