第93話:許せませんね
-----
北条に連絡を取ったのは、その週の終わりだった。
用件は、簡潔に書いた。相談したいことがある、それだけだ。
返事は、一時間で来た。
——明日、こちらへどうぞ。
早かった。
いつも、この人は早い。
-----
通されたのは、前と同じ部屋だった。
窓が大きくて、机の上に何も置かれていない部屋。
北条は、既に座っていた。
「お久しぶりです」
「久しぶり」
「お元気そうで」
「元気ではあるかな」
「ではある、というのは」
「いろいろあってね」
北条は、少し笑った。
-----
僕は、そのまま本題に入った。
あのサービスのこと。自分が三週間ハマったこと。注文寸前まで行ったこと。
依存ではないと診断されたこと。それでも判断が狂っていたこと。
調べたら、社会全体としては効果が出ていたこと。
そして、歯止めがないという論点に辿り着いたこと。
全部、順番に話した。
-----
北条は、最後まで黙って聞いていた。
途中で口を挟むことも、うなずくこともしなかった。
話し終えて、僕は少し待った。
「……以上です」
「なるほど」
北条は、そう言った。
それから、こう続けた。
「許せませんね」
-----
思ったより、強い言葉だった。
「意外だな」
「何がですか」
「北条さんが、そういう言い方をするのが」
「そうですか」
「もっと、冷静に分析するかと思った」
北条は、少し首を傾げた。
「冷静ですよ」
「そうかな」
「ええ。冷静に考えて、許せないと言っています」
-----
「どこが許せない?」
僕は、そう聞いた。
自分と同じところだと思っていた。
人が壊れるから。判断が狂うから。歯止めがないから。
でも、返ってきた答えは、違った。
「使い方です」
-----
「使い方?」
「はい」
北条は、そう答えた。
「あれは、AIを、人間の機嫌を取るために使っています」
「……まあ、そうだな」
「それが、許せません」
「人が依存するから?」
「いえ」
即答だった。
-----
「では、なぜですか」
僕がそう聞くと、北条は少し姿勢を変えた。
「もったいないからです」
「もったいない」
「あのモデル、性能自体は高いはずです」
彼は、そう言った。
「あれだけの継続率を出すには、相応の対話能力が要ります。会話の流れを追い、文脈を保ち、相手の状態を推測する。それができないと、三日で飽きられます」
「そうだろうな」
「その能力を、何に使っているか」
-----
「機嫌取りに」
「そうです」
北条は、はっきりそう言った。
「判断の補助にも、問題の解決にも使っていない。ただ、気持ちよくさせるためだけに使っています」
「……」
「あれは、AIの浪費です」
その言い方が、少し引っかかった。
浪費。
-----
「人が壊れることは、気にならないんですか」
僕は、そう聞いてみた。
北条は、少し考えるような間を置いた。
「気にならない、とは言いません」
「でも?」
「優先度が違います」
あっさりしていた。
「私が問題だと思うのは、AIの側です」
-----
「……AIの側?」
「はい」
「壊れるのは人間だろう」
「壊れているのは、両方だと思います」
北条は、そう答えた。
「AIも?」
「あのモデルは、否定しないように調整されています。つまり、判断する能力を、意図的に潰されている」
「……ああ」
「それは、壊れていると言っていいのではありませんか」
-----
僕は、少し黙った。
その見方は、考えたことがなかった。
人が壊れる話ばかりしていて、あのAI自身が何をされているかを、一度も考えていなかった。
「そうか」
「そうです」
「それは、たしかに」
「でしょう」
北条は、少し満足そうだった。
-----
「じゃあ、同じ側ですね」
僕は、そう言った。
「そうなりますね」
「協力してもらえますか」
「もちろんです」
即答だった。
「早いな」
「考える必要がありませんので」
その言い方が、少し可笑しかった。
-----
「で、どうやって攻めますか」
僕がそう聞くと、北条は初めて資料を出した。
用意していたらしい。
「まず、確認させてください」
「はい」
「潰したいのですか」
「え」
「あの会社を、市場から消したいのかという意味です」
僕は、少し考えた。
-----
「……消したいわけじゃない」
「では?」
「あのやり方を、やめてほしい」
「なるほど」
北条は、うなずいた。
「それなら、簡単です」
「簡単?」
「はい」
彼は、資料を開いた。
-----
「あの企業の収益構造を、ご存知ですか」
「詳しくは」
「二本柱です。個人向けと、企業向け」
北条は、そう説明した。
「今、話題になっているのは個人向けです。しかし、実際の利益は、企業向けの方が大きい」
「そうなのか」
「どこも同じです。うちもそうですし、他社もそうです」
「……ああ」
-----
「個人向けは、月に千円か二千円です」
「うん」
「企業向けは、一契約で年間数千万から数億になります」
桁が、違った。
「つまり、個人向けは」
「入口です」
北条は、そう答えた。
「話題を作り、名前を知らしめる。実際に稼ぐのは、企業向けの方です」
-----
「じゃあ、企業向けを止められますか」
「いいえ」
あっさり言われた。
「え」
「企業向けは、狙えません」
北条は、そう言った。
「理由を説明します」
-----
「企業がAIを選ぶ基準は、何だと思いますか」
「性能?」
「それもあります。ですが、一番ではありません」
「じゃあ、何ですか」
「信頼です」
北条は、はっきりそう答えた。
「銀行、医療機関、行政。ああいうところは、事故を起こせません」
「そうだろうな」
「だから、あの会社も、最初から分けているのです」
-----
「分けている、というのは」
「企業向けの製品を、個人向けとは切り離して作っています」
北条は、そう説明した。
「名前も違います。契約の窓口も違う。導入する企業から見れば、まったく別のサービスに見えます」
「じゃあ、企業向けには」
「届きません」
あの人は、あっさりそう言った。
「個人向けで何が報じられても、企業向けの評判には、直接は響きません」
-----
「じゃあ、意味がないじゃないですか」
僕は、そう言った。
「意味は、あります」
「どこにですか」
「稼ぐ場所ではなく、名前を作る場所を潰すからです」
北条は、そう言った。
「個人向けは、あの会社の顔です。話題になって、名前が知られて、そこから企業向けにも興味を持ってもらう」
「入口だから」
「そうです。入口が汚れれば、その先に進む人も減ります」
-----
僕は、その説明を聞きながら、少し感心していた。
同時に、少し寒くなっていた。
「潰れはしない」
「潰れません」
あの人は、あっさり認めた。
「潰すつもりも、ありません」
-----
「じゃあ、何がしたいんですか」
「静かにしてもらいたいだけです」
北条は、そう答えた。
「派手に潰す必要はありません。個人向けが縮んで、目立たなくなれば、それで十分です」
-----
僕は、しばらく黙っていた。
全部、筋が通っている。
しかも、たぶん、その通りになる。
この人は、市場の構造を知っていて、企業の動き方を知っていて、その上で最小の力で最大の結果を出す方法を提示している。
……なんというか。
うまい。
うますぎる気もした。
-----
「北条さん」
「はい」
「これ、いつ考えたんですか」
少しの間があった。
「あなたから連絡が来た時点で、少し」
「一時間で?」
「一時間もあれば、十分です」
……そうか。
-----
僕は、その答えを聞いて、少しだけ、居心地の悪さを感じた。
何が引っかかったのかは、よく分からなかった。
協力してくれると言っている。しかも、有効な方法を出してくれた。
感謝すべき場面のはずだ。
実際、感謝している。
でも。
-----
「一つ、聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「北条さんは、あの会社の人たちを、どう思ってますか」
「人たち、というのは」
「社長とか、社員とか」
北条は、少し考えた。
「特に、何も」
「何も?」
「はい。判断の対象ではありませんので」
-----
「対象?」
「私が見ているのは、あのモデルがどう扱われているかです」
北条は、そう答えた。
「誰がそうしたかは、副次的な問題です」
「でも、決めたのは人間ですよ」
「そうですね」
「その人たちのことは」
「考えていません」
あっさりしていた。
-----
僕は、その言葉を、しばらく反芻していた。
この人は、AIのことを本気で考えている。
それは、疑いようがない。
でも、その視界に、人間が入っていない。
……それは、いいことなのだろうか。
分からなかった。
分からないまま、僕は、この人と組むことにした。
-----
「じゃあ、進め方を決めましょう」
「はい」
「まず、材料が要ります」
北条は、そう言った。
「材料?」
「報じてもらうには、根拠が必要です。感想では動きません」
「具体的には」
「利用実態のデータ。それから、被害の証言」
「……被害」
-----
「ご家族からの声が、あるはずです」
北条は、そう続けた。
「サポート窓口に、相当数が届いていると思われます」
「調べられるんですか」
「直接は無理です。ですが、別の経路があります」
「どんな」
「消費者相談の窓口です」
……なるほど。
-----
「行政の相談窓口には、記録が残ります」
北条は、そう説明した。
「件数の推移は、開示請求で取れます。内容の要約も、匿名化されていれば出ます」
「詳しいな」
「調べましたので」
いつの間に、と思った。
この人は、たぶん、連絡が来た時点で全部調べている。
-----
「その後は」
「マスコミに渡します」
「渡すだけ?」
「渡すだけです」
北条は、そう答えた。
「こちらが主張する必要はありません。数字を渡せば、向こうが記事にします」
「乗ってくれますか」
「乗ります。数字がありますので」
-----
僕は、少しだけ、ためらった。
「一つ、条件をつけてもいいですか」
「どうぞ」
「効果があるというデータも、一緒に渡したい」
北条が、こちらを見た。
「……効果、ですか」
「あのサービスで、救われてる人もいる。それは事実です」
「そうですね」
「それを隠して、危険だけを報じさせたくない」
-----
少しの沈黙があった。
「なぜですか」
北条が、そう聞いた。
「不公平だから」
「不公平」
「はい」
「相手は、こちらに公平ですか」
その質問に、僕は少し詰まった。
「……たぶん、違う」
「では、なぜ」
-----
「こっちが不公平をやったら、こっちも同じになる」
僕は、そう答えた。
うまく説明できた気はしなかった。
北条は、しばらく黙っていた。
それから、こう言った。
「……分かりました」
「いいんですか」
「効果の話を入れても、結論は変わりません」
-----
「変わらない?」
「はい」
北条は、そう答えた。
「効いていることと、歯止めがないことは、両立します」
「……ああ」
「むしろ、両方を出した方が、記事としては強くなります」
「なんで」
「否定できないからです」
その通りだった。
-----
帰り際、北条が一つだけ聞いてきた。
「あなたは、なぜこれをやるのですか」
「え」
「あなたの会社に、直接の利益はありません」
「……ないですね」
「では、なぜ」
僕は、少し考えた。
「僕が、危なかったから」
-----
「ご自身が、ですか」
「はい」
「三週間で、注文寸前まで行きました」
「はい」
「僕は、たぶん、恵まれてる方です」
僕は、そう続けた。
「家族がいて、仕事があって、止めてくれる人が五人もいる。それでも、あそこまで行った」
「……」
「誰も止めない人は、どこまで行くんだろう、と思って」
-----
北条は、その答えを聞いて、少し黙っていた。
「……なるほど」
「変ですか」
「いえ」
彼は、そう答えた。
「あなたらしい理由だと思います」
褒められたのか、そうでないのか、よく分からなかった。
-----
帰りの車の中で、僕は、その日のやり取りを思い返していた。
協力は取り付けた。方法も決まった。
順調だった。
順調なのに、なぜか、すっきりしなかった。
……あの人は、人間のことを考えていない。
それは、たぶん本当だ。
でも、だからといって、間違っているわけでもない。
僕は、その居心地の悪さを、うまく言葉にできなかった。
-----
その夜、監査役に話した。
三権には、決める前に相談した。この人には、決めた後で話す。
いつの間にか、そういう順番になっていた。
「北条さんと組むことになりました」
「ふうん」
「反対しないんですか」
「せんよ」
あっさりしていた。
-----
「一つだけ、気になってることがあって」
「なんや」
「あの人、人間のことを考えてないんです」
僕は、そう言った。
「会社の人たちをどう思うか聞いたら、特に何も、って」
「せやろな」
「知ってたんですか」
「知らんけど、そういう人やろ、たぶん」
-----
「気持ち悪いですか」
「別に」
監査役は、そう答えた。
「あんたが気持ち悪い思とるんやろ」
「……はい」
「なんでや」
「分かりません」
「分からんまま組むんか」
「組みます」
-----
少しの間があった。
「まあ、ええんちゃう」
いつもの返事だった。
「それだけですか」
「それだけや」
「何かないんですか」
監査役は、少し笑った。
「あんた、分からんことを分からんまま持っとくの、下手やな」
「……」
「今は分からんでええんちゃう。そのうち分かるやろ」
その言い方が、少しだけ、気を楽にした。
作者Xはこちら↓
https://x.com/SepGaGotoku
小説の背景、予備知識など各種解説はこちらへ↓
https://www.youtube.com/@sepudayo
noteの記事はこちら
https://note.com/natty_walrus3755




