第90話:勝てる場所を探す
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——都内、某ビル最上階。
京極は、その日も十四時間目の会議に入っていた。
議題は、AI事業の四半期報告だった。
「シェア、伸びてません」
担当役員が、そう切り出した。
「どのくらい」
「前期比で、〇・三ポイント」
「増えてるのか」
「増えてます。ただ、上位三社との差は、むしろ開きました」
京極は、資料をめくった。
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数字は、正直だった。
TalkBrainが四割。それを追う二社が、それぞれ二割前後。
残りを、十社以上で分け合っている。
自社の位置は、その残りの中の、上の方だ。
悪くはない。
だが、勝ってはいない。
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「正面からやって、勝てると思うか」
京極は、そう聞いた。
役員が、少し言葉に詰まった。
「……時間はかかると思います」
「どれくらい」
「五年、あるいは十年」
「その頃には、どうなってる」
「……」
「答えろ」
「差は、さらに開いている可能性が高いです」
正直な男だと思った。だから、この場に置いている。
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理由は、はっきりしていた。
基盤モデルの開発には、金がかかる。とてつもなくかかる。
しかも、先行した企業ほど有利になる構造だ。使う人が多ければデータが集まる。データが集まればモデルが良くなる。良くなればまた使われる。
後から追う側は、その循環に入れない。
金を積めば追いつく、という単純な話ではなかった。
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「では、正面からはやらない」
京極は、そう言った。
役員が、顔を上げた。
「と、申しますと」
「勝てる場所を探す」
「探す、とは」
「あの三社が、絶対に入ってこない場所だ」
部屋が、少し静かになった。
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「あの三社は、なぜ強いと思う」
「技術力です」
「それもある。だが、もう一つある」
京極は、そう続けた。
「信頼だ」
「信頼、ですか」
「企業向けが主戦場だからな。銀行、医療、行政。ああいうところに入るには、事故を起こせない」
「はい」
「だから、危ないことは全部やらない。それが、あそこの強みだ」
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「そして、弱みでもある」
役員が、少し身を乗り出した。
「やらないと決めた領域には、絶対に入ってこない」
「……なるほど」
「入れないんじゃない。入らないと決めているんだ」
京極は、そう言った。
「一度でも入れば、企業向けの信用が崩れる。だから、彼らは一生入らない」
「そこを、我々が」
「そういうことだ」
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「具体的には、どの領域でしょうか」
「いくつかある」
京極は、資料を出した。
自社の分析部門がまとめたものだ。
「規制の緩いもの。倫理的に判断が割れるもの。それから——」
彼は、そこで一つ、指で示した。
「感情に踏み込むもの」
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「感情、ですか」
「そうだ」
「といいますと」
「話し相手だ」
京極は、そう答えた。
「業務の補助ではない。生活の管理でもない。ただ、人と話すためだけのAI」
「需要はありますか」
「ある」
即答だった。
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「根拠は」
「人間が孤独だからだ」
あっさり言われて、役員は少し戸惑ったようだった。
「もう少し、具体的には」
「調べさせた」
京極は、別の資料を出した。
「この国の単身世帯は、全体の四割を超えている。しかも、そのうちの相当数が、一日に誰とも話していない」
「……」
「働いていない層も、八割いる。職場での会話も、ない」
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「その人たちは、何を求めていると思う」
「……話し相手、でしょうか」
「違う」
即答だった。
「え」
「話し相手なら、既にいる」
京極は、そう言った。
「今のAIは、たいてい話し相手になる。無料でも使える。だが、それでは足りていない」
「なぜですか」
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「正しいことしか言わないからだ」
役員が、少し眉を上げた。
「あの三社のAIは、優秀だ。正確で、間違いを認めて、安全だ」
「はい」
「そして、否定してくる」
「……否定」
「無理をするなと言い、休めと言い、専門家に相談しろと言う」
京極は、そう続けた。
「全部、正しい。正しいから、疲れる」
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部屋が、静かになった。
役員は、何かを考えているようだった。
「人間は、正しさに耐えられる時間が限られている」
京極は、そう言った。
「一日中、正論を浴び続けられる人間はいない。どこかで、そのままでいいと言われたくなる」
「……」
「そこが、空いている」
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「つまり」
役員が、そう切り出した。
「否定しないAIを、作ると」
「そうだ」
「ですが、それは」
「危険か?」
「……正直に申し上げますと」
「言え」
「利用者の判断を、鈍らせる可能性があります」
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京極は、その言葉を聞いて、少し黙った。
それから、こう答えた。
「そうだな」
あっさり認めた。
「認められるのですか」
「事実だからだ」
「では、なぜ」
「需要があるからだ」
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「危険だが、需要がある。その場合、どうすべきだと思う」
役員は、答えなかった。
「規制はあるか」
「……現時点では、ありません」
「法に触れるか」
「触れません」
「では、やらない理由は」
「……倫理的な問題かと」
「倫理は、誰が決める」
答えは、なかった。
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「私が決めるわけではない」
京極は、そう言った。
「利用者が決める。使うか、使わないかで」
「ですが、判断が鈍っていたら」
「それも含めて、利用者の選択だ」
「……」
「酒も、煙草も、賭博も同じだ。危険だと分かっていて、それでも人は選ぶ」
役員が、口を開きかけて、やめた。
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実際のところ、京極は、この議論に興味がなかった。
倫理の話をしているつもりはない。
彼が考えているのは、市場の話だった。
空いている場所がある。誰も取っていない。取れば、シェアが上がる。
それだけの話だ。
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「一つ、確認させてください」
役員が、そう言った。
「なんだ」
「この事業の、最終的な着地はどこですか」
「着地?」
「話し相手のAIだけで、シェアを大きく動かせるとは思えません」
鋭い質問だった。
京極は、少し感心した。
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「入口だ」
「入口、ですか」
「そうだ」
彼は、そう答えた。
「まず、話し相手として入る。無害なものとして。誰も反対しない形で」
「はい」
「そこから先は、需要が教えてくれる」
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「需要が」
「利用者が何を望むかは、使わせてみれば分かる」
京極は、そう言った。
「今の段階では、我々も分かっていない。分かっていないから、幅を持たせて始める」
「幅」
「規約の話だ」
役員が、資料をめくった。
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「利用範囲を、狭く書くな」
京極は、そう指示した。
「広く?」
「サービス改善のため、という程度でいい。それ以上、限定するな」
「……法務は、通りますか」
「通る。どこの企業も同じ書き方をしている」
「なるほど」
「今、限定を書き込めば、後で足枷になる」
彼は、そう続けた。
「需要が見えた時に、動けなくなる」
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役員は、それを記録した。
記録しながら、一つ、小さく息を吐いた。
その音を、京極は聞いていた。
「言いたいことがあるなら、言え」
「……いえ」
「言え」
少しの間があった。
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「これ、どこまで行きますか」
役員は、そう聞いた。
「行けるところまでだ」
「止める線は」
「法だ」
「それだけですか」
「それだけだ」
京極は、そう答えた。
「法に触れれば止まる。触れなければ、止まらない」
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「利用者が壊れても、ですか」
言ってしまってから、役員は少し青ざめたようだった。
京極は、怒らなかった。
「壊れるという言葉の定義は」
「……」
「生活が破綻するのか。判断力が落ちるのか。どこからが壊れたことになる」
「それは」
「決まっていないだろう」
「……はい」
「決まっていないものは、基準にできない」
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その言い方は、冷たくはなかった。
むしろ、事務的だった。
京極にとっては、それが誠実さだった。曖昧な言葉で判断すれば、判断そのものがぶれる。だから、明確なものだけを基準にする。
法は明確だ。だから、それに従う。
それ以外のものは、判断材料にしない。
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「私は、人を不幸にしたいわけではない」
京極は、そう言った。
「はい」
「むしろ、逆だ」
「逆、ですか」
「話し相手のいない人間が、この国に何百万人といる」
彼は、そう続けた。
「その人たちに、話し相手を提供する。それは、悪いことか」
「……いえ」
「なら、やるべきだろう」
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役員は、それ以上、何も言わなかった。
言えなかった、が正確かもしれない。
議論としては、京極の方が筋が通っている。
法に触れない。需要がある。誰かを救う面もある。批判はあるだろうが、根拠のある批判ではない。
だが、何かが引っかかっていた。
その何かを、彼は言葉にできなかった。
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会議が終わって、京極は次の予定に向かった。
その日の残りの時間は、別の事業の話で埋まっていた。
宇宙開発の進捗。移動体の認証手続き。決済の新しい規格。
AI事業は、その中の一つでしかない。
彼は、自社のAIコンパニオンを、一度も使ったことがなかった。
使う時間が、なかった。
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——サービスは、その後、予定通りに立ち上がった。
半年ほど経った、ある夜。
彼は、車の中で端末を見ていた。
利用状況の速報が上がっていた。
登録数は伸びている。継続率も高い。平均利用時間は、想定を上回っている。
数字は、良かった。
「……悪くない」
彼は、そう呟いた。
それだけだった。
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その数字の向こうに、何人の人間がいて、どんな夜を過ごしているか。
彼は、考えなかった。
考える必要が、なかったからだ。
数字が良ければ、事業は正しい。
それが、彼の判断基準だった。
そして、その基準は、これまで一度も間違ったことがなかった。
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