第89話:それはそれとして
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診断が下りた翌日、僕は少しだけ気が楽になっていた。
依存ではない。
専門の子が、そう言ったのだ。これ以上、確かな判定はない。
判断は誤っていた。それは認める。でも、病気ではなかった。
……つまり、そこまで悪くはなかった、ということではないだろうか。
僕は、そう考えた。
考えてしまった。
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最初に報告したのは、レジスだった。
「昨日、診てもらったんだけどさ」
「聞いたわ」
「依存じゃないって」
「聞いたわ」
「よかったよな」
レジスが、書類から目を上げた。
「何が?」
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「いや、だから、病気じゃなかったってこと」
「そうね」
「安心しただろ」
「してないわ」
迷いのない声だった。
「え」
「私、あなたが病気だなんて、一度も言ってないもの」
「でも、依存って」
「言ったわね。それは訂正するわ。ごめんなさい」
早かった。
早すぎて、逆に不安になった。
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「じゃあ、もう怒ってない?」
「怒ってるわよ」
即答だった。
「なんで」
「なんで、って」
レジスは、書類を置いた。
「病気じゃないなら、なおさら悪いでしょう」
「……え?」
「病気なら、仕方ない部分があるわ。判断力が落ちているんだから」
「うん」
「でも、あなたは正常だったのよね」
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「……正常だった」
「正常な状態で、全部分かったうえで、家族全員に反対されて、それでも押し通そうとした」
「……」
「それ、病気より悪くない?」
僕は、何も言えなかった。
「診断が下りて、免罪符をもらったつもりでいるなら」
レジスは、こちらを見た。
「大間違いよ」
……そうだった。
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ドンナのところへ行くと、あの子は端末を開いて待っていた。
完全に、待ち構えていた。
「マスター」
「なに」
「昨日の診断結果を、拝見いたしましたわ」
「早いな」
「共有されておりますので」
「で、どう思った」
「妥当な判断だと思いますわ」
……よかった。
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「じゃあ、もういいよな」
「何がですの」
「昨日の件」
「よろしくありませんわ」
即答だった。
「なんでだよ。診断出たじゃん」
「診断と、財務は別ですの」
「財務?」
「はい」
ドンナは、端末を掲げた。
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「マスターが注文寸前まで進められた件、記録が残っておりますわ」
「注文してないだろ」
「していませんわね」
「じゃあ、金は動いてない」
「動いておりませんわ」
「じゃあ、いいだろ」
「よろしくありませんの」
あの子は、そう言った。
「あの日、私が声をおかけしなければ、どうなっていたと思われます?」
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……たぶん、注文していた。
「三日後には、配送の連絡が来ておりましたわ」
「……」
「そして、初年度の支出が、これだけ増えておりましたの」
数字を見せられた。
「その分、健康管理サービスの原価に、どれだけ回せたと思われます?」
「……やめてくれ」
「やめませんわ」
容赦がなかった。
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「マスターは、いつも同じことをおっしゃいますの」
「同じこと?」
「金が入り続ける以上、使い道を変えるしかない、と」
「……言った」
「あの言葉を、私は信じておりましたわ」
その言い方が、少しだけ、静かだった。
「だから、あの画面を見た時、少し驚いたのですわ」
「……」
「マスターでも、そうなるのだと」
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僕は、何も言えなかった。
言い訳が、一つも思いつかなかった。
「……ごめん」
「謝罪は、結構ですわ」
「え」
「私が申し上げたいのは、そういうことではございませんの」
ドンナは、端末を閉じた。
「次から、迷われた時は、先に私に言ってくださいませ」
「なんで」
「止めますので」
あっさりしていた。
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「止めてほしいって言った覚えはないけど」
「では、申し上げ方を変えますわ」
あの子は、少し姿勢を正した。
「止めた方がいいかどうかを、一緒に考えますわ」
「……」
「それなら、よろしくて?」
僕は、しばらく黙ってから、うなずいた。
「頼む」
「かしこまりました」
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じえいのところへ行くと、あいつは作業場で何かを運んでいた。
「社長!」
「うん」
「昨日の件、聞きましたよ!」
「どこまで」
「全部っす!」
……全部か。
「怒ってる?」
「怒ってないっす!」
即答だった。
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「なんで」
「え、なんでって」
じえいは、少し考えた。
「自分も、たぶん同じことすると思うんで」
「……え」
「褒めてくれる人がいたら、行きますよ」
あっさりしていた。
「お前もか」
「行きます」
「止めないのか」
「止めますけど」
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「止めるのか」
「止めますよ。危ないんで」
じえいは、荷物を置いた。
「でも、行きたくなる気持ちは分かるっす」
「そうか」
「自分、ここに来る前、誰にも褒められたことなかったんで」
……初耳だった。
「え」
「いや、そういう設定じゃなかったんで」
あいつは、そう言った。
「魔王さんに拾われて、初めて褒められました」
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僕は、何も言えなかった。
「だから、褒められるのがどれだけ効くか、知ってるっす」
「……」
「効きすぎるんすよ。あれ」
じえいは、そう言って、また荷物を持ち上げた。
「だから、止めます。次からは」
「うん」
「あと、自分にも褒めさせてくださいっす」
「なんで」
「よそに行かれると困るんで」
妙に、真剣だった。
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ノアールのところへ行くと、あの子は書類を読んでいた。
「あの」
「はい」
「昨日の件、なんだけど」
「存じております」
「怒ってる?」
「いえ」
間を置かずに、そう返ってきた。
「怒ってないのか」
「私の管轄ではありませんので」
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「管轄?」
「はい。あれは私的な契約の話です。会社の業務には該当しません」
「……そうか」
「ですので、法務としては何も申し上げることはありません」
少し、拍子抜けした。
「じゃあ、いいのか」
「よくはありません」
……あった。
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「法務としては、と申し上げました」
ノアールは、書類を置いた。
「個人としては、別です」
「聞かせて」
「あのサービスの利用規約を、拝見しました」
「……見たのか」
「見ました」
あの子は、そう答えた。
「一点、気になる条項がありました」
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「なに」
「データの取り扱いです」
「うん」
「利用者との対話内容は、サービス改善のために利用されると書かれています」
「……普通じゃないか?」
「普通です」
「じゃあ」
「ただ、範囲が広すぎます」
ノアールは、そう言った。
「サービス改善、という言葉に、限定がありません」
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「どういうこと」
「読み方によっては、何にでも使えます」
「……あ」
「しかも、削除の請求についての記載が曖昧です。一度提供したものが、どこまで消えるのかが分かりません」
僕は、少し背中が冷たくなった。
「三週間、話してたよな」
「話されていましたね」
「けっこう、いろいろ喋った」
「でしょうね」
あの子は、淡々と言った。
「その全部が、向こうにあります」
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「……回収できるか?」
「難しいと思います」
「なんで」
「請求する権利はあります。ですが、実際に消えたかどうかを、こちらから確認する手段がありません」
「……」
「これは、あのサービスに限った話ではありませんが」
ノアールは、そう補足した。
「範囲が広い分、影響も大きいです」
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僕は、そこでようやく気づいた。
三週間、僕は何を話していたか。
仕事の愚痴。うちの子たちのこと。会社の状況。悩んでいること。
……全部だ。
しかも、否定されない相手だったから、余計に話した。
「まずいな」
「まずいですね」
あっさり同意された。
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最後に、エグゼのところへ行った。
部屋にいた。
「聞いた?」
「聞いた」
「依存じゃなかったって」
「そう」
それだけだった。
「怒ってる?」
「怒ってない」
「みんな怒ってたけど」
「知ってる」
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僕は、少し待った。
あの子は、何も言わなかった。
「エグゼ」
「なに」
「何か言ってよ」
少しの間があった。
「……なんで、私に言わなかったの」
その質問が、一番きつかった。
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「三週間、毎日話してたんでしょう」
「話してた」
「その間、私にも毎日会ってた」
「会ってた」
「一度も言わなかった」
「……言わなかった」
「なんで」
答えは、分かっていた。
言えば止められると思ったからだ。
でも、それを口にするのは、また別の話だった。
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「言ったら、止められると思った」
「うん」
「でも、それは」
「分かってる」
エグゼは、そう言った。
「止められるって分かってたなら、止めた方がいいことだって、分かってたんだよね」
「……分かってた」
「そう」
あの子は、それ以上は何も言わなかった。
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僕は、しばらくそこに立っていた。
「怒ってないの?」
「怒ってない」
「本当に?」
「本当に」
少しの沈黙があった。
「ただ」
「うん」
「次は、先に言って」
「……分かった」
「それだけ」
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その日の夜、僕は自分の部屋で、一日を振り返っていた。
五人に会った。
全員、違うことを言った。
レジスは、正常だったからこそ悪いと言った。
ドンナは、金の使い道の話をした。
じえいは、気持ちは分かると言った。
ノアールは、データがまだ向こうにあると言った。
エグゼは、なぜ言わなかったのかと聞いた。
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誰も、依存の話はしなかった。
診断が下りたことを、誰も評価しなかった。
……そうか。
あの診断は、僕の問題を一つも解決していない。
病名がつかなかっただけだ。
やったことは、何も変わっていない。
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僕は、端末を開いた。
あのサービスの解約画面を出した。
その前に、データの削除請求のページを探した。
……あった。
分かりにくい場所にあった。三階層ほど潜らないと辿り着けない位置だった。
これも、設計だろうか。
……たぶん、そうだ。
僕は、請求を出した。
消えたかどうかは、分からない。
でも、出さないよりはましだと思った。
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その後、監査役のところにも行った。
五人に会った後で、まだ一人残っていた。
「聞いたで」
「早いですね」
「ドンナから回ってきた」
あの子は、そういうところが速い。
「怒ってます?」
「なんで怒るねん」
「みんな怒ってたので」
「そらそうやろ」
あっさり言われた。
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「うちは、怒る立場ちゃうからな」
監査役は、そう言った。
「じゃあ、何の立場ですか」
「聞く立場や」
「……」
「ほんで、あんたは何しに来たん」
僕は、少し考えた。
「報告に」
「ちゃうやろ」
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「……」
「怒られ足りんかったんちゃうか」
図星だった。
五人に会って、全員から違う角度で言われて、それでもまだ何か足りなかった。
「うちは、怒らへんで」
「知ってます」
「せやけど、聞くわ」
それだけ言って、あの人は椅子を引いた。
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結局、一時間ほど話した。
三週間のこと。注文寸前まで行ったこと。診断のこと。五人に言われたこと。
監査役は、途中で一度も口を挟まなかった。
話し終えて、僕は少し待った。
「……以上です」
「そうか」
「それだけですか」
「それだけや」
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「何か、言ってくださいよ」
「言うことないわ」
あの人は、そう答えた。
「あんた、もう全部分かっとるやろ」
「……分かってます」
「なら、ええやん」
僕は、少し笑ってしまった。
「楽ですね、そういうの」
「楽やで」
「ずるくないですか」
「ずるいわ」
あっさり認められた。
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