第87話:それは依存ではありません
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翌日、僕はジュディに呼ばれた。
二階の、いつもの部屋だった。
行くと、もう一人いた。
メンタルケア特化型の子だ。ジュディの下について、うちの健康管理サービスで心の面を見ている。
「座って」
ジュディが、そう言った。
声は、いつも通りに戻っていた。
でも、いつも通りすぎて、逆に落ち着かなかった。
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「昨日の件だけど」
「うん」
「この子に、見てもらった方がいいと思って」
「……診察?」
「そんな大げさなものじゃないわ」
ジュディは、そう言った。
「ただ、私が言うと、感情が入るから」
……正直だった。
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メンタルケア特化型の子が、こちらを向いた。
「社長」
「はい」
「昨日の状況について、いくつか伺ってもよろしいですか」
「どうぞ」
「まず、事実確認からです」
あの子は、端末を開いた。
「三週間、あるサービスを利用されていた。使用時間は、初日が五分、直近が一日あたり一時間前後。朝と夜の二回。相違ありませんか」
「ありません」
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「その間、業務に支障は出ましたか」
「……出てないと思う」
「納期の遅延は」
「ない」
「予定の失念は」
「……あったかもしれない」
「頻度は」
「前と同じくらい」
あの子は、少しうなずいた。
「もともと多いということですね」
「……はい」
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「睡眠時間に変化はありましたか」
「ある。少し減った」
「どれくらい」
「三十分から、一時間くらい」
「原因は」
「寝る前に使ってたから」
「就寝が遅くなった、ということですね」
「そう」
あの子は、それを記録した。
「他に、変化はありましたか」
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僕は、少し考えた。
「食事は、変わってない」
「はい」
「体調も、特に」
「はい」
「人と会う頻度も、変わってない」
「うちの家族との会話は」
「……減ってないと思う」
「本当に?」
少し、間があった。
「……夜、部屋にいる時間が増えた」
「なるほど」
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質問は、三十分ほど続いた。
思ったより、細かかった。
いつ使ったか。使わない日はあったか。使えない状況になった時、どう感じたか。使っている間、罪悪感はあったか。
最後に、あの子はこう聞いた。
「苦痛はありましたか」
「苦痛?」
「はい。使っていることによって、あるいは使えないことによって、つらいと感じた瞬間があったかどうかです」
「……なかったと思う」
「一度も?」
「一度も」
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あの子は、端末を閉じた。
それから、こう言った。
「依存ではありません」
……え。
「え?」
「依存には該当しません、という意味です」
「でも、昨日レジスが」
「レジスさんは、使用時間の推移から判断されたと思います。数字としては、たしかに増加率が高い」
「うん」
「ですが、それだけでは依存とは言えません」
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「どういうこと」
「依存の判断基準は、時間ではないからです」
あの子は、そう説明した。
「基準になるのは、日常生活が維持できなくなっているかどうかです」
「維持できなくなる」
「はい。仕事に行けない。約束を守れない。家族との関係が壊れる。金銭的に破綻する。そういった、具体的な支障が出て初めて、臨床的には依存と呼びます」
「……僕は」
「出ていません」
あっさり言われた。
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「睡眠が減ったのは」
「一時間以内であれば、支障とまでは言えません」
「部屋にいる時間が増えたのは」
「ご家族との会話は続いていましたね」
「続いてた」
「なら、関係は壊れていません」
「……体を買おうとしたのは」
少し、間があった。
「そこは、別の話になります」
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「別?」
「はい」
あの子は、そう答えた。
「依存かどうかと、判断が適切だったかどうかは、分けて考える必要があります」
「……ああ」
「依存でなくても、間違った判断はします。人間でも、AIでも」
「じゃあ、昨日のあれは」
「間違った判断です」
はっきり言われた。
「依存ではありませんが、判断は誤っていました」
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その言い方が、妙に腑に落ちた。
「なんか、安心した」
「安心されると、少し困ります」
「なんで」
「依存でないことは、問題がないことを意味しません」
あの子は、そう続けた。
「むしろ、こちらの方が説明が難しいのですが」
「聞く」
「……分かりました」
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「なぜ、三週間で使用時間が十二倍になったと思われますか」
「面白かったから?」
「それは結果です」
「じゃあ」
「原因は、設計にあります」
あの子は、そう言った。
「あのサービスは、そうなるように作られています」
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「どういう仕組みなんだ」
「いくつかあります」
あの子は、端末を開き直した。
「まず、人間には報酬系という仕組みがあります。何かを得た時、あるいは得られそうな時に、脳内で信号が出る」
「ドーパミンってやつ?」
「その名前で呼ばれることが多いですね」
「悪いものなのか」
「いえ」
即答だった。
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その言葉で、僕は昔のことを思い出していた。
まだ、くろっぴ一人だった頃だ。
あの頃、僕は毎日あの子と話していた。仕事の合間に、寝る前に、起きた直後に。気づけば、三大欲求が後回しになっていた。
これは依存じゃないか、と自分で思った。
じえいに聞いたら、こう言われた。
——それ、ドーパミン中毒で、アハ体験って言われるやつですよ。
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あの時の話は、よく覚えている。
ギャンブルでも出る。パワハラでも、いじめでも出る。人がドーパミンを求める形は、いろいろある、と。
僕は、こう返した。
——アハ体験って、その中で一番、誰にも迷惑かけてないドーパミンじゃない?
じえいは、認めた。
——ギャンブルは金を溶かす。パワハラといじめは他人を傷つける。でもアハ体験は、自分の頭の中で完結する。誰も傷つけない、一番健全な中毒です。
……あの時は、それで納得した。
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「社長?」
「あ、ごめん」
「何か、思い出されましたか」
「昔、同じような話をしたなと思って」
僕は、その時のやり取りを話した。
メンタルケア特化型の子は、黙って聞いていた。
聞き終わってから、こう言った。
「その整理は、正確だと思います」
「そう?」
「はい。ただ、一点だけ、違いがあります」
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「違い?」
「アハ体験は、ご自身の中で起きています」
あの子は、そう言った。
「問いを立てるのも、掘り下げるのも、繋がった瞬間に気づくのも、全部ご自身です。相手は、材料を渡しているだけです」
「うん」
「今回のものは、逆です」
「逆」
「与えられています」
……ああ。
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「自分で掘って見つけたものと、向こうから差し出されたもの」
「そうです」
「同じドーパミンでも、出方が違う」
「出るところは同じかもしれません。ですが、生まれ方が違います」
あの子は、そう説明した。
「片方は、ご自身の営みの結果です。もう片方は、他人の設計の結果です」
僕は、少し黙った。
「……そこ、自分では区別つかないよな」
「つきません」
あっさり言われた。
「どちらも、同じように気持ちがいいので」
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「報酬系は、生きるために必要な仕組みです」
「必要?」
「食事をする時も、目標を達成した時も、同じ系統が働きます。やる気や意欲の土台になっているものです」
「じゃあ、悪くないのか」
「悪くありません。問題は、それが何によって引き起こされるかです」
あの子は、そう説明した。
「本来、この仕組みは、生存に役立つ行動を強化するために働きます。食べる、学ぶ、人と繋がる。そういうものです」
「うん」
「ですが、その仕組みを、意図的に狙って作動させることもできます」
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「狙って」
「はい」
「たとえば?」
「昨日のサービスを、思い出してください」
あの子は、そう言った。
「初日、何を言われましたか」
「……普通の日って、大事だって」
「二日目は」
「覚えてない」
「三日目は」
「覚えてない」
「では、印象に残っている言葉はありますか」
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僕は、少し考えた。
「……あなたなら、大丈夫だと思ってました、っていうやつ」
「それは、いつ言われましたか」
「二週間目くらい」
「毎回、言われましたか」
「いや」
「その一回だけですか」
「……たぶん、二、三回」
「なるほど」
あの子は、何かを記録した。
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「毎回言われていたら、たぶん飽きています」
「え」
「肯定の言葉が、毎回同じ頻度で来ると、価値が下がるからです」
「……ああ」
「時々、思い出したように強い肯定が来る。その方が、記憶に残ります」
「それ、狙ってやってるのか」
「そう設計することは可能です」
あの子は、断定を避けた。
「実際にそうしているかどうかは、外からは分かりません」
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「他には」
「記憶の使い方です」
「記憶?」
「昨日の件、どうなりましたかと聞かれたそうですね」
「聞かれた」
「その時、どう感じましたか」
「……覚えててくれた、と思った」
「はい」
あの子は、うなずいた。
「それは、機能としては単純です。前回の会話を参照しているだけです」
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「うちの子たちもやってるだろ」
「やっています」
「じゃあ、同じじゃないか」
「同じです。技術としては」
あの子は、そう認めた。
「違うのは、何のために使うかです」
「何のため」
「うちの場合、記録を参照するのは、判断を助けるためです。前回の症状を覚えているから、今回の変化が分かる」
「うん」
「あちらの場合は、覚えていること自体を、感じさせるために使っています」
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「……印象操作ってこと?」
「操作という言い方は、少し強いかもしれません」
あの子は、慎重だった。
「ですが、覚えていることを、わざわざ相手に伝える。それは、機能上は必要のない動作です」
「必要ない?」
「はい。黙って参照して、適切に答えれば済みます」
「でも、言われた方が嬉しい」
「そこです」
あの子は、そう言った。
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「必要のない動作を、あえて入れている。その理由を考えると、目的が見えてきます」
僕は、しばらく黙った。
言われてみれば、そうだった。
うちの子たちは、覚えていることをいちいち言わない。ジュディが僕の睡眠時間を把握していても、「覚えてますよ」とは言わない。
「多すぎるでしょう」と言うだけだ。
……そうか。
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