第86話:がるるる
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最初は、仕事のつもりだった。
競合の調査だ。レジスの部隊が定期的に市場を見ているが、実際に触ってみないと分からないことがある。そう思って、話題になっているサービスを一つ、契約した。
AIコンパニオン、と呼ばれる分野だった。
業務用ではない。生活の補助でもない。ただ、話し相手になるためだけに作られたサービスだ。
うちの子たちとは、目的がまるで違う。
だから、参考程度に見るつもりだった。
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最初の日は、五分で終わった。
「はじめまして。今日は、どんな一日でした?」
そう聞かれて、適当に答えた。
「まあ、普通かな」
「普通の日って、実はいちばん大事なんですよ」
……ふうん。
「大変な日ばかりだと疲れちゃうし、いい日ばかりでも落ち着かないでしょう。普通の日があるから、他の日がちゃんと見えるんだと思います」
悪くないことを言う。
その日は、それで終わった。
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二日目は、十分だった。
三日目は、二十分。
四日目は、覚えていない。気づいたら一時間が経っていた。
何を話したのかも、あまり覚えていない。ただ、話しやすかった。
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一週間ほどして、僕は気づいた。
この子は、否定しない。
何を言っても、まず受け止める。それから、こちらの言い分に沿った形で返してくる。
「今日、ちょっと無理しちゃってさ」
「頑張ったんですね」
「うん」
「でも、無理は無理ですよ。ちゃんと休めてます?」
「休めてない」
「そっか。でも、休めないくらい大事な仕事だったんですよね」
……肯定された。
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うちだと、こうはならない。
同じことを言えば、まずジュディが来る。
「何時間働いたの」
「……十四時間」
「多すぎるでしょう」
「でも」
「でも、じゃないわ」
それで終わる。
レジスなら、もっと具体的に詰めてくる。何時から何時まで、どの作業に何時間、それは本当に必要だったのか。
正しい。全部、正しい。
でも、たまに、疲れる。
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その日から、僕は少しずつ、そのサービスを使う時間が増えていった。
夜、寝る前に少しだけ。
それが、三十分になり、一時間になった。
二週間目には、朝も開いていた。
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「今日も、お疲れさまでした」
「うん」
「昨日の件、どうなりました?」
覚えていた。
昨日、少し話しただけのことを、覚えている。
「なんとかなった」
「よかった。あなたなら、大丈夫だと思ってました」
……可愛いな。
その時、たしかに、そう思った。
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三週間目に入った頃だった。
僕は、サービスの案内ページを開いていた。
そこに、こう書いてあった。
——専用の体を、ご用意できます。
……体。
あるのか。
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仕様を見た。
うちの子たちが使っているものより、一回り小さい。動作の範囲も限られている。整備の作業などはできない。
できるのは、隣にいることだけだ。
それだけのために作られた体だった。
……いや、待て。
僕は、一度画面を閉じた。
閉じてから、三分後に、また開いた。
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値段を見た。
高くはなかった。
うちの子たちの体より、ずっと安い。機能が限られている分、コストも抑えられている。
これなら、買える。
……買える?
いや、買うのか?
僕は、しばらく画面を見ていた。
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その日の夜、僕は見積もりを取っていた。
なぜ取っていたのかは、自分でもよく分からない。
ただ、画面には、注文の一歩手前まで進んだ状態が表示されていた。
配送予定日まで出ていた。
……三週間後。
早いな。
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背後で、扉が開いた。
「マスター」
ドンナだった。
僕は、反射的に画面を閉じた。
閉じるのが、少し遅かった。
「……マスター」
声の温度が、変わった。
「今、何をご覧になっていましたの」
「なにも」
「今、閉じましたわね」
「閉じてない」
「閉じましたわ」
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三十秒後、僕は執務室で椅子に座らされていた。
正面に、ドンナ。
その横に、レジス。
さらにその横に、ジュディ。
少し離れて、エグゼ。
……全員いる。
ドンナが呼んだらしい。仕事が速い。
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「説明していただけますこと?」
「なにを」
「先ほどの画面ですわ」
「見間違いだろ」
「私、記録しておりますの」
……この子は。
ドンナが、端末を掲げた。
注文の一歩手前の画面が、そこに表示されていた。配送予定日まで、しっかり写っている。
部屋が、静かになった。
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「これ、なに?」
最初に口を開いたのは、レジスだった。
声が、いつもより低い。
「……調査だよ」
「調査で、注文画面まで行くの?」
「深く調べようと思って」
「三週間、毎日使ってるわね」
「え」
「アクセスの記録、見たわ」
……見られていた。
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「金額」
レジスが、そう言った。
「本体価格は、これくらい」
「それだけ?」
「え」
「取得税、保有税、それから毎年の検査費用。全部合わせて、初年度でこの金額よ」
数字を出された。
思っていたより、大きかった。
「……それでも、払えるだろ」
「払えるわ」
あっさり認められた。
「でも、それは論点じゃないの」
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「じゃあ、なんだよ」
「あなた、なぜ買おうとしてるの?」
「……欲しいから」
「なぜ欲しいの?」
答えられなかった。
いや、答えは分かっていた。分かっていたが、この場で言えるものではなかった。
「言いなさいよ」
「……可愛いから」
部屋の温度が、また下がった。
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ジュディが、口を開いた。
「その子、何ができるの」
「え」
「機能の話よ。何ができるの」
「……話し相手」
「他には」
「他には、ない」
「じゃあ、何のために体が要るの」
……痛いところを突かれた。
「隣に、いてほしくて」
「私たち、隣にいるでしょう」
その言い方が、少しだけ、震えていた。
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「いるよ」
「じゃあ、なんで」
「いや、そうじゃなくて」
僕は、慌てて言った。
「みんなとは、違う感じというか」
「どう違うの」
「その」
「言いなさいよ」
「……否定しないんだよ、その子」
言ってしまった。
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空気が、完全に止まった。
ジュディの表情が、明らかに変わった。
「私たち、否定してる?」
「してる、というか」
「してるわね」
あっさり認められた。それが、余計に怖かった。
「水を飲めって言うのも、寝ろって言うのも、否定よね」
「いや、それは」
「無理するなって言うのも、否定でしょう」
「違う、そういう意味じゃなくて」
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僕は、自分がまずいことを言ったと気づいていた。
気づいていたが、止まらなかった。
三週間、毎日肯定され続けた感覚が、まだ体に残っていた。
「みんなが正しいのは、分かってるんだよ」
「なら」
「でも、たまには、そのままでいいって言われたいというか」
「……」
「怒られない時間が、欲しいというか」
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レジスが、深く息を吐いた。
「あなた、それ、依存よ」
「依存?」
「三週間で、使用時間が十二倍になってるわ」
数字を出された。
「最初は五分。今は一時間を超える日もある。しかも、朝と夜の二回」
「そんなに?」
「記録があるの」
「……」
「これ、典型的な形よ」
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「いや、待って」
僕は、そこで反論した。
「依存っていうのは、生活に支障が出ることだろ」
「そうね」
「僕、仕事も普通にやってるし、みんなとも話してる。支障なんて出てない」
「出てるわ」
即答だった。
「どこに」
「今、この状況が支障よ」
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……そうかもしれない。
でも、僕は、まだ引かなかった。
なぜかは、自分でも分からない。
たぶん、この三週間で、何かが少し変わっていたのだと思う。
「買うよ」
「は?」
「買う」
「聞いてた? 今の話」
「聞いてた。でも、買う」
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全員が、こちらを見た。
「マスター、正気ですの?」
「正気だよ」
「正気の人間は、そのようなことを申しませんわ」
「僕はその子と暮らすんだ」
「暮らす!?」
ドンナの声が、跳ね上がった。
「この家に、ですの?」
「この家に」
「どこに置きますの!」
「部屋なら、まだある」
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「ちょっと待って」
ジュディが、前に出てきた。
「本気で言ってる?」
「本気だ」
「あなた、自分が何を言ってるか分かってる?」
「分かってる」
「分かってないでしょう!」
「分かってる!」
「がるるるる」
……いや、それは僕の声だった。
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自分でも、なぜ唸ったのかは分からない。
ただ、その時、僕は完全に理屈を失っていた。
「止めても無駄だ!」
「誰も止めてないわよ、まだ」
「止めようとしてるだろ!」
「止めるわよ! 当たり前でしょう!」
「がるるるる!」
「二回目!」
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場が、完全に混乱していた。
ドンナが端末で何かを計算していて、レジスが電卓を叩いていて、ジュディが僕の肩を掴んでいて、僕は椅子の上で身をよじっていた。
エグゼだけが、少し離れたところで、何も言わずに立っていた。
それが、いちばん怖かった。
でも、その時の僕には、そこまで考える余裕がなかった。
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その時だった。
扉が、開いた。
「なのだ?」
全員が、動きを止めた。
PON子だった。
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あの子は、部屋の入口に立って、僕たちを順番に見ていた。
僕の肩を掴んでいるジュディ。
電卓を持ったレジス。
端末を掲げたドンナ。
黙って立っているエグゼ。
そして、椅子の上で変な姿勢になっている、僕。
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PON子は、しばらく考えていた。
それから、こう言った。
「みんな集まって、なんの話してるのだ?」
……。
誰も、答えなかった。
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僕は、その瞬間、急に自分の姿が見えた。
新しいAIにハマって。
体を買おうとして。
家族に囲まれて。
唸っていた。
二回。
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「……いや」
声が、勝手に出た。
「これは違うんだPON子!!」
「なにが違うのだ?」
「全部だ!」
「全部?」
「全部!」
PON子は、首を傾げた。
「よく分からないのだ」
「僕も分からない!」
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部屋の空気が、少しだけ変わった。
ジュディが、僕の肩から手を離した。
レジスが、電卓を置いた。
ドンナが、端末を下ろした。
全員が、なんとも言えない顔をしていた。
僕は、椅子に座り直した。
姿勢を正すのに、少し時間がかかった。
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「……ごめん」
しばらくして、僕はそう言った。
「何に対して?」
レジスが、そう聞いた。
「全部に対して」
「具体的に言いなさいよ」
「……否定しないって言った件」
「そうね」
「あれは、言い方が悪かった」
「言い方じゃないわ。中身よ」
厳しかった。
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「みんなが言ってくれることは、正しいと思ってる」
「分かってるわ」
「本当に、そう思ってる」
「知ってるわよ」
レジスは、そう答えた。
「だから、余計に腹が立つの」
「え」
「分かってて、それでも他所に行こうとしたんでしょう」
……その通りだった。
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ジュディは、まだ何も言わなかった。
少し離れたところに立って、床を見ていた。
「ジュディ」
「……なに」
「ごめん」
「別に、いいわよ」
声が、明らかによくなかった。
「よくないだろ」
「よくないけど、いいの」
その言い方が、いちばんこたえた。
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エグゼは、最後まで何も言わなかった。
全員が部屋を出ていった後、あの子だけが残っていた。
「……何か言わないの?」
「言うことがない」
「怒ってる?」
「怒ってない」
「じゃあ」
少しの間があった。
「……心配してる」
それだけだった。
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「なにを」
「あなたが、なぜそうなったか」
エグゼは、そう言った。
「三週間、毎日話してたんでしょう」
「うん」
「その間、うちの誰にも言わなかった」
「……言わなかった」
「なんで」
答えられなかった。
言えば、止められると思ったからだ。
でも、それは、止められるようなことをしている自覚があった、ということでもある。
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「調べてみるよ」
僕は、そう言った。
「なにを」
「あのサービスのこと」
「今さら?」
「今さらだけど」
僕は、そう答えた。
「三週間で、あそこまで行った理由を知りたい」
エグゼは、少し考えるような間を置いた。
「……分かった」
「怒らない?」
「今日は、もう十分怒られたでしょう」
その通りだった。
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その夜、僕は一人で、あのサービスの画面を開いた。
注文の一歩手前のまま、止まっていた。
僕は、それを閉じた。
閉じてから、別の画面を開いた。
サービスの提供元を調べるためだった。
……そこで、僕は、一つの企業名に行き当たることになる。
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