砂時計奪還任務 3/3
「おじさま、ひとり……ですよね? わたし、恥ずかしいから二人っきりがいいです」
ディーラーの制服姿のほたるが、恥ずかしそうに身を捩る。
「あぁ、勿論だよ」
扉が開いた。男はニヤニヤしながらほたるの肩を掴むように抱き寄せた。
「よく来てくれたね。ルームサービスでも頼もうか」
ベタベタと触りながら男はほたるを部屋の中に連れ込んだ。
迅は離れた場所から飛びかかりそうになるのをぐっと堪えていた。
「ふふっ、わたし、頼んでますよ。おじさまの口に合えばいいんですけど……」
「気が利くねえ。君が飲ませてくれるならなんでも構わないよ。是非口移しで……ね」
男が鼻息を荒くしながらほたるに迫る。
「ふふふっ、やだぁ、おじさまったら」
ほたるはにこやかに笑いながら男を躱す。
「失礼しまァす!」
額に青筋を浮かべながら、迅は力強く扉を蹴り飛ばした。バァン、と大きな音がして、ほたるは窘めるような視線を向けた。一瞬迅はたじろぐ。どうも、ほたるに対しては弱いのだ。
「……お届けにあがりました。ごゆっくり……お楽しみ、ください」
「ありがとうございます」
ほたるがトレーの下で何かを滑らせた。この部屋のカードキーだ。いつの間に盗んだのだろう。こっそりと迅の手に渡す。はっとした迅が顔を上げると、ほたるが悪戯っぽくウインクをした。大丈夫ですよ、と。最悪の場合はこれで突入しろということだ。ニコラに目配せする。ゆっくりと辺りを窺いながらニコラはこちらへ向かってきた。
「どうだ?」
「さあ。上手くやってくれればいいけど」
「迅、君、ほたるを――」
がちゃりと扉が開いた。迅が飛び込み、力強くほたるの肩を掴む。
「大丈夫か!? 変なことされてねぇだろうな!」
「……それより早く会員証を探しましょう」
「あ、あぁ……そうだな」
迅は視線を落とす。ほたるの手が僅かに震えていたのに気付いた。迅はぐっと唇を噛むと、黙ってバゲッジラックに置かれた鞄を漁り始めた。
「EHCのロゴが入ってる……これか?」
迅が会員証を掲げる。事象地平教会のロゴ、名前——幸い、顔写真は入っていない。
「待ってください」
ほたるが男の首元を指差す。
「IDカードのようなものを下げています。オークション関係者かも……或いは界隈で有名な可能性があります。もし名前が知れているなら、この人のIDは使わない方がいいかもしれません」
『僕の方でデータベースをあたってみよう。ほたる君、名前を読み上げてくれるかい?』
晴臣の通信が入る。
「ジュスティーノ・サンマルティーニ――イタリア人のようですが……」
『ほたる君……ヤバい人間に手を出したね』
晴臣の声が珍しく歯切れ悪い。
『マフィアの幹部だよ、彼は』
「マフィアの……」
ほたるの顔から血の気が引いた。
オークション開始まで、あと一時間。
VIPルーム周辺――
迅は壁に寄りかかり、さりげなく視線を巡らせていた。警備員は五人。特別な武装は見当たらないが、銃を持っている可能性はある。だが一般人が多くいる中で発砲はしないだろう。誤射したら国際問題だ。制圧は容易い。非常用脱出口はVIPルームのほぼ隣だ。あらかじめ掃除しておけば三分、そうでなくても五分あればたどり着ける。
ニコラに目配せをする。彼は頷いて、オークション会場の前まで歩みを進める。
「やあ、君」
ニコラは冷徹なマフィアの顔に切り替える。
「オークションがあるって聞いたんだが。先に会場を見せてもらっても?」
「準備中です。それと……会員証の提示を」
警備員が手を上げる。
「会員証? これのことか」
ニコラはパスケースの中に入ったジュスティーノ・サンマルティーニの会員証を取り出す。室内灯の光に反射して、文字は読みづらかった。
「ジュスティーノ様……?」
「ああ。俺がジュスティーノ・サンマルティーニ。連れは後で来る」
「失礼ですが、お客様?」
別の声がした。
ニコラが振り向く。眼鏡をかけた、髪を後ろに撫でつけた細身の男が立っていた。オークション主催者だろうか。無表情のまま男は続ける。
「『合言葉』の認証は?」
「『境界線はまだ遠い』――」
ニコラは会員証を胸ポケットにしまった。
「失礼ですがシニョーレ・サンマルティーニ。以前お会いした時よりも身長が高くなったようにお見受けしますが」
男が眼鏡を押し上げる。やはり――オークション主催者とマフィアはつながっている。
「そうだったか? 以前会ったのはサザビーズ? それともクリスティーズだった?」
「あなたがご本人ならお持ちのはずですよね。マテバ・オートリボルバー――グリップにファミリーの刻印があるはずだ」
「あぁ、すまない。部屋に置いてきちまってね。取ってこよう」
最後まで表情を崩すことなく、ニコラは手をひらひらさせてその場を後にした。
「――マエストロ、やはり顔が割れてた。突撃の許可を」
ニコラが囁く。
開始十五分前。VIPルーム周辺に人が集まり始めていた。今から会員証を集めるのは不可能。その上ニコラは主催者に顔が割れてしまった。入室はできない。
『……やはりか。やむを得ない。プランBだ』
高価な呉服に身を包んだ晴臣が、ハットで髪を隠しながら、足音を立てることなく非常用脱出口へと向かっているのが見えた。彼の銀髪は往来でよく目立つ。
『迅、君はニコラと一緒に正面突破。警備員は一般人だ。気絶させる程度にとどめてくれ。ほたる君、通気口の配置は先ほど通信で送った通りだ。侵入し、ブツを回収。会場がパニックになれば警備も一般人を収めるのに人員を割かざるを得ない。豪華客船のリソースは有限だからね。迅・ニコラはほたる君を守りながらこちらへ。小型ボートの手配はできている。まあ……エンジンをかけるくらいなら僕にもできるだろう。やってみる』
『了解。今ちょうどステージ真上ですよ、晴臣くん』
「僕が合図をしたら突撃してくれ」
オークションが始まる。
ヴェールが剥がされる。厳重にケースに収められた砂時計――中世ヨーロッパの装飾を思わせるような豪奢な装飾だ。中の砂の色は七色にぐにゃりと歪んだような光を放っていた。
おお、と観客から感嘆の声が上がる。
晴臣はその魔道具の気配に吐き気を感じながら、力強く言った。
「GO! おやつの時間だよ、HAUNDS(僕の犬)!」
合図とともに迅がVIPルームの扉を蹴破る。
客席から悲鳴が上がった。慌てて取り押さえようとした警備員を、流れるような動作でニコラが無力化していく。
「ぐっ……頭が……!」
通気口から飛び降りたほたるが、ケースを抱えながら一瞬ぐらりと揺れた。晴臣の読み通り会場はパニックになっていた。オークション関係者と警備員、一般客が揉み合いになっている。その隙間を縫うようにして、意識をとられそうになりながらも、ケースを抱える手に力を込めて、ほたるは扉を開け放った迅の方へと走り出す。
「よくやった、エージェント!」
「――逃がすな!」
美術商が指示を出す。警備員が銃を構えた。ほたるの背後を狙っている。
その瞬間をニコラは見逃さない。
「Sei un cattivo ragazzo」
(いけない子だ)
冷徹な顔でベレッタを構える。ニコラは迷わず警備員の手元を狙い、持っている銃を弾き飛ばした。
あえてサイレンサーは外している。銃声は一般人には効力が強いのだ。
人々が発砲音に悲鳴を上げ、ますますパニックになって逃げ惑う。通路はごった返していた。
迅はほたるの顔色が悪いことに気付いた。足元が覚束ない。魔道具の瘴気による意識混濁――まずい。彼女の肩を抱きかかえるようにして小型ボートに滑り込む。その後ろをニコラが追う。
「おい、これどうやって操作すんだよ!」
「僕に聞くなよ!」
晴臣はエンジンと格闘している。
「エンジンだってようやくかけられたところだ」
「やれやれ、世話が焼けるねえ」
ニコラが晴臣を押しのけ、慣れた手つきでボートを操作する。
大きなエンジン音を立てて、ボートが駿河湾の闇の中に溶けていく。
「くそ!」
美術商の男が壁を拳で叩く。
「取り逃がした! 奴らBPMAの犬か!」
通信を入れようとした瞬間――黒いフードをかぶった男が足音を立てずに横に並んだ。
「大丈夫ですよ」
その声は柔らかく、夜の海のように凪いでいた。
「二重の手は打ってあります。……ご苦労様でした。あなたの役はこれで終わりだ」
サイレンサーのついたグロックが美術商に向けられる。
彼は悲鳴を上げる間もなく、その場に崩れ落ちた。
血溜まりが広がっていく。黒いフードの男は美術商に一瞥もせずに踵を返し、闇に消えた。
残されたのは、混乱の残響と、冷たくなった死体だけだった。




