砂時計奪還任務 2/3
超豪華客船『ポセイドン・ネオ』。
螺旋階段が迷路のように絡み合い、シャンデリアが天井から幾つも垂れ下がる。光が水晶を通して無数に砕け散って見えた。
高級イタリアンスーツに身を包んだニコラが船内に降り立つ。華やかなストライプが身体のラインを際立たせている。髪はいつもより固く撫で付けられ、優雅な笑みが唇に貼り付いていた。ネクタイの位置を直し、視線を一周させる。女性たちが囁き合い、視線がニコラを追った。
「|Salve, ragazze《こんばんは、お嬢さん方》」
視線に気づいたニコラが片手を挙げて小さく笑う。きゃあ、と小さな悲鳴があがった。
その後ろで窮屈そうな黒いスーツを着た迅が、面白くなさそうに頭を掻いた。
「なんで俺がお前のボディーガードなんだよ」
「おや、変わるかい? 君に『大富豪の御曹司』役ができればいいんだけど」
迅は小さく舌打ちをしてサングラスをかけ直した。
「君のその『赤い瞳』、バレたら厄介なんだ。うまく隠してくれたまえよ」
「分かってる。行こうぜ」
ディーラーの制服を着たほたるがすれ違い、にこりと笑った。
ニコラはそれを合図に静かに歩き出した。迅はニコラに影のように付き従う。周囲を警戒しながら進むが、超豪華客船という割にはTシャツ姿のファミリー層もいるようだった。恐らく何も知らない一般人だろう。彼らの警護も必要になるかもしれない。どうか面倒ごとになってくれるな。迅は祈るように通信機の音量を上げた。
『いいかい、僕らは奴らの噛んだチーズだけ奪えばいいんだ。ネズミは相手にするな。ただ、僕らも袋小路にいるのは事実だからね。窮鼠は猫を噛むから』
インカム越しに晴臣の緊張した声が聞こえる。
『……異様な雰囲気ですね』
ほたるの声は警戒を滲ませていた。
『確かに富裕層のパーティー……と思われますけど、纏っている雰囲気が彼らとは違う。半分くらいは関係者じゃないでしょうか』
ふむ、と晴臣は考えるような声を出した。
『迅、いいかい?ニコラやほたる君のことは気にしなくていい。君はただ、その【瞳】で見て、感じたものを報告してくれればいい』
迅の持つ特殊能力――いにしえより続く『異形を狩る者』の一族が持つ燃え盛る炎のように赤い瞳。
悪魔の出現位置や瘴気の濃度など『普通の人には見えないもの』が見える。要するにレーダーのようなものだ。悪魔の動きを予測することも可能だが、この能力に頼りすぎた迅はHAUNDS加入前に手ひどい失敗をしている。
『きゃっ! もう……ダメですよぉ』
ほたるが恥ずかしそうな悲鳴をあげた。
「どうした?」
『あ、いえ、何もないです。ちょっとお尻を触られたみたいで……』
「はあ? どこのどいつだ、ぶん殴る」
「ちょっと待て迅、君は私のボディーガードだろ、持ち場を離れるな」
『おい、君ら僕の話聞いてるか。ちょっと――』
ブツッ、と迅は晴臣の通信を一方的に切った。目を見開いたニコラは迅の肩を掴んだ。
ニヤニヤしながらほたるを見つめている中年の男がいたのだ。
迅の瞳には映っていた。黒い、異様なまでに澱んだ空気が、男を包んでいる。
普通の人間ではない――迅の本能がそう告げていた。
「離せ、ニコ!」
迅はニコラの手を振り払った。
「そうじゃない。見えるんだ、黒いものが」
「Che cosa? 黒いもの……?」
ニコラが眉をひそめて、迅の視線の先に目を向ける。男が二人、酒を片手に談笑している。彼には何も感じられないらしく、首を捻っていた。
「bellissima、接触できるか?」
「は!? なんでほたるが」
迅が声を荒げた。
「向こうから触れてきたんだろう? 興味があるなら好都合じゃないか。概してああ言うのは口が軽い」
『了解、ターゲットに接触します』
迅が拳をぐっと握る。ほたるがにこやかに男に声を掛け、ポーカーテーブルへと誘導していく。ニヤニヤしながら男はほたるの後ろを影のようについていった。
「私には何も感じなかったが……君が言うなら何かあるんだろうね」
ニコラは腕を組みながら視線を迅に向けた。
「あの野郎、ニヤニヤしながらほたるの胸元見てやがる……」
迅は低く唸った。
「全く……聞いちゃいないね。ほら、行くよ。まだ情報が集まってないんだ」
ニコラは迅をバーカウンターへ引っ張っていった。
「Scusi un Aperol Spritz , per favore《アペロールスプリッツを頼めるかな》
……あと私の番犬にはミルクで構わない」
この野郎。迅は黙ってにこやかにカウンターに座るニコラを睨んだ。彼はそれを無視して、反対側に座る女性に声を掛けた。
「やあ、また会ったね。まるで運命みたいじゃないか」
「あら、さっきの」
髪が揺れるたびキツい香水の匂いがした。イブニングドレスの女性は頬を赤く染める。
「今夜は特別なんだって? なんでもVIPルームでオークションがあるって聞いたんだ。是非僕も参加したい。美術品には目がないんだ」
「まあ、オークションのことあなたもご存じなのね」
当たりだ――ニコラの口角が僅かに上がった。
女性がカクテルグラスを傾けた。オレンジの香りに混ざるアルコールの香りが揺れる。
「でもね、会場に入るには今夜だけの『合言葉』が必要なのよ」
「へえ、ミステリアスだ」
ニコラは身を乗り出した。
「まるで君みたいだね……いいね、ますます気に入ったよ。その続きは、僕の部屋でゆっくり教えてもらおうかな?」
「まぁ」
「レオナルド・ヴァザーリ。君さえ良ければレオと呼んで欲しいな、bellissima」
ニコラは甘い笑みを浮かべながら、女性の手の甲に口付ける仕草をした。
迅はめんどくさそうにニコラを見た。確かに自分が潜入捜査で『御曹司』の役をするとしたら、同じように情報を拾うことはできない。
退路だけ作ってもらって、突撃する。それが一番最短で確実な方法だ。元フィクサーのニコラと、エージェントほたるの情報収集方法はよく似ていた。どちらも色仕掛けなのだが、言葉の使い方が巧みなのだ。
自分にはできない。だからこそ、晴臣は迅をニコラと組ませたのだろう。
成人したてでほたると同い年と聞いたが、人員の配置方法は老獪な空気を醸し出していた。
『こちらほたる。正面から入るには二重認証が必要です。会員証と、合言葉。会員証一枚で二人まで入れるようです』
「会員証……か。二人まで入れる」
合言葉と会員証の二重認証。情報は集まった。
迅とニコラは正面から、通気口を使えば小柄なほたるの侵入も容易だろう。
VIPルームは客船の最深部にある。魔道具の回収はほたるが担当し、二人で脱出のフォローする。
脱出用の小型ボートへのルートは最短時間にして五分弱。充分間に合う。
「で、どうすんだ? おっさんぶっ潰して会員証盗れってか」
「迅、彼が黒幕とは限らないんだよ? 一般人だったら大変なことになる」
ニコラが窘める。
「ほたるにセクハラしたなら死刑だろうが」
『えっ、じ、迅さん……?』
『じゃあ少しの間眠ってもらおうか。ほたる君、何かいいもの持ってない?』
『ありますよ、高圧スタンガン』
『執行係は迅、君にしようか』
晴臣の声に愉悦が滲んでいる。楽しんでいる。確実に。
『ジャケットだけ脱いだらルームサービスに見えるだろう? 部屋に酒を届けて……ほたる君と乾杯した後はそのおじさまにはお休みしてもらおう。会員証は彼が“落としてしまった”……ルームサービスの迅がそれを拾う。眠ったおじさまを前にして新人ディーラーは仕方なく帰る……そういうシナリオにしようか』
胡散臭い三文芝居だ。
「まあ、ほたるのことだから大丈夫だろうが……もし何かあったら?」
『だから迅にやらせるんだよ。“ほたる君へのセクハラは死刑”なんだろ? 死なない程度に殴っていいよ』
あっさりと晴臣は言った。
「よっしゃ! 話がわかるな晴臣ぃ!」
ニコラは大きくため息をついた。




