↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【新改訂】戦犯の孫  作者: ふたぎ おっと
第六章 灯火は消えない
PR
98/103

6-10.父と祖父②

 昨夜の父は、やっぱり怖かった。

 鏡の前で身支度をしながら、ブランカは昨日のことを考えていた。配給のエプロンの紐を、後ろできゅっと結ぶ。

 父は元々怖い人だ。この右頬がそれを証明している。

 けれども昔の優しい一面を、ブランカはどこかで期待していた。再会してからの父は、至って穏やかだった。だからこそ、父に汚らわしい娘とみなされたことが、ひどく堪えた。

 ブランカは右手を眺めた。

 赤いやけどの残る右手。

 私は、汚れているのかしら……。

 ドアが乱暴に叩かれた。ブランカはびくりと扉の方を振り返る。

 返事をする前に、扉が開かれた。

「ご同行お願いします」

 カミーユでもセドロフ大尉でもないオプシルナーヤ兵士が、片言のヘルデンズ語で強く言った。

 ブランカは一歩後ずさった。

 兵士はそのまま中に入り、ブランカの腕を乱暴に掴んだ。彼はブランカを引っ張っていく。

「あの……! どこへ行くんですか?」

 腕の痛みにブランカは息を詰めた。兵士は何も答えない。

 何……何が起こっているの?

 心臓が激しく脈打ち始める。状況が全く読めなかったが――国会議事堂の本棟の階段を登り始めて、嫌な予感がした。

 まさか――いや、嘘でしょう……?

 ブランカは兵士の腕を振りほどこうとした。だが、びくともしない。

 そのまま階に着いた。

「お願いです! あの部屋はいや!」

「命令です」

 兵士は扉を開くと、ブランカを中に押し込んだ。扉がすぐに閉められる。

 視界に飛び込んでくる壁と天井の写真。 

 ブランカはその場に座り込んで、目をぎゅっとつぶった。

 部屋の照明が、落とされる。

 ブランカはきつく耳を塞いだ。

『わたしのおじいちゃんはヘルデンズ帝国の一番えらいひ――ザザッ』

 何度も聞かされた作文の朗読。この後の続きも覚えている。

 しかし音声は途中で途切れたまま、続きが流れなかった。

 そのまま待ってみても、音声が流れない。

 ブランカはわずかに瞼を開けた。

『めずらしい発明ひ……ザザッ』ブランカは再び目を閉じた。『……世界をきれいに……ザザッ』

 途切れ途切れに流れた音声は、やがて雑音だけになった。耳障りな音が、不気味に響く。

 いや……。いつまで耐えればいいの?

 しかし、何度も聞かされた昔の音声が全く聞こえてこない。

 でも、前にそれで恐ろしい映像が流れていたし……。

 けれども――。

 雑音は、やがて消えた。

 部屋が静まり返る。聞こえてくるのは、ブランカの心臓の音。

 映像の光が、瞼を刺した。

 ブランカは恐る恐る指の隙間から、映像を覗き見た。

 祖父が――そこにいた。

 穏やかに笑う祖父。ブランカが――クラウディアが何度も見てきた顔。

 映像はゆっくりと動いた。

 たくさんの生垣に、いろんな形の花。白黒映像だけど、どんな花の色か分かる。

 ここは母が作った庭だ。ピンクと黄色と白のミニ薔薇。すずらんにすみれ、デイジー、パンジー。母はいつも庭にいた。

 お母さん……。

 大きな帽子をかぶった母が、映像に映る。母は、首から下げたカメラを覗き込んだ。そのカメラの先で、ブランカが――クラウディアが、犬に花冠を乗せていた。犬はクラウディアにのしかかり、顔を舐めている。

 大きく笑う自分。

 私、あんな風に笑っていた……。

 後ろから、祖父が嬉しそうに包み込んだ。

 遠い幼い日の、穏やかな光景。

 涙が頬を伝った。

 このときは……とても幸せだった。

 この日常を疑うこともなかった。世界のことなんて何も知らないまま、ずっとこんな風に生きていたかった。

 祖父のことを、本当に愛していた。

 でも、ブランカは知ってしまった。

 この日常が、幻の上に成り立っていたこと。

 そして、祖父の罪も。

 祖父の悪行を知るたび、自分の罪を知るたび、この血を呪った。母が目の前で殺されたあの日、本当は、ブランカも死にたくてたまらなかった。

 だとしても。

 祖父も母も、全身で愛してくれていた。

 ダールベルクとか関係なく。

 ブランカは涙を拭おうとポケットを探った。しかし、出てきたのはヨモギの葉っぱだった。

 やけど早く治してね。これをくれた子は、そう言って笑顔を見せてくれた。

 ブランカは右手のやけどを見た。右頬を無意識に触る。

 生きてきた証。

 ヴォルフは何度もそう言ってくれた。その言葉で、ブランカは少しだけ前を向くことが出来た。祖父の罪に向き合おうと思えた。そんなブランカを、ヴォルフはずっと支えてくれた。

 私は災いで、だからヴォルフは……。

 だけど――。

 ブランカは、ヨモギの葉っぱをじっと眺める。

 あの子の笑顔を、守りたい。

 ノイマールの人の暗い顔を、少しでも晴らせたら。

 ブランカはぐっとつばを飲み込んで、映像を見上げた。

 映像には、どこかのアパートが映っていた。

 笑顔のヘルデンズ兵士が、扉をたたく。中から、けげんな顔をした女性が出てきた。兵士は女性にマイクを向けながら、他の兵士と一緒にアパートの一室に入って行く。

 マイクを持った兵士が女性に何か質問している。別の兵士は、台所や寝室を漁っていた。ある兵士は寝室のクローゼットからきれいなワンピースを手に取ると、カメラの前に掲げた。他の兵士は台所の床下から銀の燭台を取り出し、持ってきた袋に入れた。

 兵士たちは、それら全部を持って、女性のアパートから出て行った。

 ブランカはぞっとした。

 数週間前、アジェンダ人の家を訪問した際のことを思い出す。入ったときには掛かっていた玄関の絵が、帰る頃には消えていた。落ちていた写真をひったくった奥さんの鋭い目が、脳裏に浮かぶ。 

 私……当然だわ……。

 映像は、別のシーンに切り替わった。

 何もない平原で、人々が穴を掘っている。彼らはみな瘦せ細っていて、暗い顔をしていた。映像の隅で、ヘルデンズ兵士たちが一人の男に暴行している。

 次のカットには、人々の行列が出来ている。一番前の人は、順に何かを出していた。宝石、眼鏡、時計。ヘルデンズ兵士たちは、集めたものを、それぞれの家で妻や恋人に渡していた。

 何が……違うの?

 見れば見るほど、今との違いが分からない。

――お前はヘルデンズに報いなければならない。

 父は何度もそう言って、従うことを要求してきた。

 ブランカもヘルデンズに報いたい。大陸中に償いたいと思っている。

 けれど――これじゃない。

 ブランカはヨモギの葉っぱをもう一度見た。


「ご協力に感謝します」

 翌日。ブランカは広場の献納イベントにいた。

 受け取った腕時計を、色んな角度から確かめた。そして、それを相手につき返した。

「これは……こちらでは受け取れません」

 列の前にいた人は、目を丸くしてブランカを見た。

 ブランカは少々気まずいものの、もう一度その人に腕時計を突き付けた。彼は恐る恐る腕時計を受け取り、列を離れていく。

 後ろに並んでいた女性が、彼とブランカを交互に見ながら、一歩前に出た。彼女はそろりと大きな袋を差し出した。中を開けると、大きなティディベアが出てきた。

 女性は、あとこれもと言って、写真入りの楯を出した。そこには若い男性と、ぬいぐるみを持った小さな女の子が写っていた。

 ブランカは女性を見上げた。彼女は写真を見ると、ハンカチで鼻を隠した。

「ご協力ありがとうございます」

 そう言って、ブランカはティディベアだけ受け取った。女性はブランカを見上げた。ブランカは首を横に振って、写真楯を女性の手に戻した。

 次の男性は、何枚か服を差し出した。ウールのコート、スーツのジャケット。それからマフラーなど。

 ブランカはコートとジャケットを広げた。そして男性に返した。「受け取れません」

「<何で返すんですか>」オプシルナーヤ兵士がそれらを掴んだ。

 ブランカは兵士を見上げて、オプシルナーヤ語で言った。「<いくつか……穴が開いています>」

「<それくらい問題ない>」

「<それに、ウールは偽物でした>」言いながら、心臓がどきどきしてきた。

「<何で分かる?>」

 ブランカは小さく息を吸って言った。

「<これでも私は……ダールです>」

 兵士は言葉に詰まった。

 ブランカは兵士をじっと見てから、改めて男性にコートとジャケットを返した。

 男性はそそくさと列を離れていった。


 ロマンとヤーツェクの脇を、子供たちが走っていく。

「元気だな」ヤーツェクが呟いた。

「子供が元気なのは、気分が明るくなっていい」ロマンは眩しそうに目を細めた。

 ここ一週間のうちに、そういう光景をよく見るようになった。漏れ聞こえる噂によると、ダール二世の子がお菓子を配っているらしいとか。

 ロマンはこの状況を、心配するべきか喜んでいいのか分からなかった。

「ねぇその草、何に使うの?」走っていく女の子が尋ねた。

「ダールのお姉ちゃんにあげるんだ! 笑うと絶対きれいだよあの人!」男の子が、片手に緑色の草を持って、走っていく。

 笑うときれい――か。

 ロマンはふっと微笑んだ。

「何笑ってんだ」ヤーツェクが鋭く問いただす。

「いや別に」ロマンは手で口元を隠した。

 すると、広場の方から呆けた顔の人たちが、歩いてきた。

「なあ、これ、偽物なのか?」

「知らねえよ。俺に聞くなよ、分かるわけねーじゃん」

「あたしのコート、質が悪いって言われた。絶対嘘なんだけど」

「良かったじゃない、取られなくって」

 広場に向かうにつれ、そんな会話が漏れ聞こえてきた。

 ロマンはヤーツェクと顔を見合わせた。

 ヤーツェクは手を振って、回れ右をした。

「俺は戻る」

 黒いキャスケットをかぶり直すと、ヤーツェクは来た道を戻っていった。

 ロマンはため息をついて友人の背中を見る。

 なかなかヤーツェクも意地っ張りだ。

 ロマンは噂が気になって、広場の方へ向かった。

 すると、別の噂が漏れ聞こえてきた。

「あのダール二世の子、大丈夫か?」

「あの子だよな、いつもスープ多くくれる子」

「たまたまでしょ。腐ってもダールよ」

「でもこの前市場で赤ちゃんにパンあげてたよ」

 ロマンは話している人たちを見た。

 何人かが固まって言っているわけではなく、それぞれがダール二世の子の話をしていた。

 彼らの目線の先には、ブランカがいた。


 その夜。

 ブランカは部屋に戻って、大きく息を吐いた。鏡台の椅子に座り込む。

 とっても緊張した……。

 今日一日で、ずいぶん嘘をついた気がする。

 いや、ダムブルクでは日常的に嘘をついていたと思い直した。けれども今日のは、ダムブルクにいたときとは違う。

 訝しむオプシルナーヤ兵士の顔を思い出すと、今でもまだ心臓がどきどき鳴っている。ブランカは震える手をポケットに突っ込んで、ヨモギの葉っぱを取り出した。

 あの男の子、今日も来てくれた。

 あんなことで良かったのかな。

 人々の驚いた顔。でもその下には、微かな希望が見えていた。

 初めて自分の名前に感謝した。こんな風に使える日が来るなんて……。

 でも、本当にこれで良かったのかな?

 ブランカは立ち上がり、部屋履きに履き替えた。

 すると、つま先で覚えのある感触がした。

 部屋履きを脱いで、靴の奥を確かめる。

 やはり、小さな紙きれが入っていた。

 ブランカは、じっと紙切れを眺めた。

 もうこれで三度目だ。流石に開くのは緊張する。

 ブランカは縋るようにヨモギの葉っぱを見ると、目を閉じて深呼吸した。

 中を開く。

『迷ったら俺を信じろ――W』

 見覚えのある筆圧の強い字。

 端っこには、女性の横顔が描かれていた。

 最近知ったブローチの二層目。

 お祖母様……。

 ブランカはしばらくその絵を眺めると、ベッドに駆け寄った。横にある引き出しを開ける。二枚の紙切れと、Wの刺繍の入ったハンカチを取り出した。

 ブランカはそれらと、新しい一枚を並べた。

『迷ったら俺を信じろ――W』という文字と、祖母の絵。

『俺は信じてる――W』と、ブローチの花の絵。

『必ず行く。お前はお前だ――W』

 同じような筆跡の、同じような力強いW。

 文字だけだったら、ブランカはこれをいたずらだと思い続けられた。

 でも、祖母の絵。

 祖母の絵……。

 ブランカはその三枚とハンカチを胸に抱いた。

 涙が一粒落ちる。更にもう一つ。おまけにもう一つ流れて。

 いつしか涙が溢れてやまなかった。

 ブランカはハンカチを額に当てた。

 ヴォルフ……。

 生きてるの……?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。