6-8.当局の慈善事業②
夏の暑さは日に日に増していく。強い日差しを浴びるだけで汗が流れてくる。そんな日のがれき撤去場は、最悪だった。
炊き出しに参加する下働きの婦人たちは、汗を拭いながら、作業員たちにスープを配る。男たちは煤汚れた手で器を抱え、列に並んでいる。現場を監督している兵士たちも、日陰に入りながら、手で仰いでいた。
ブランカは淡々とスープを器に入れて渡していく。
今日の作業は、少し身体に堪える。ここ最近、あんまり寝付けていないせいだ。
何度も夢に現れる。この前のアジェンダ人達も――ヴォルフも。夢の中で、彼らは鳶色の目でじっとブランカを見つめていた。まるで何かを訴えようとしているかのように。
やめて。私に期待しないで。
私に出来ることなんてない。
私は――……。
そんなことを考えていたとき、やけに息切れの酷い男性が、列の前に来た。日焼けして汗まみれで、まっすぐ立てていない。目もうつろだった。
彼の震える手から皿を受け取ると、ブランカはスープの鍋を見て手が止まった。スープは、熱い湯気を上げている。
代わりに後ろにあった皮袋を手に取る。ブランカは彼を支え、水を飲ませた。
周りから息を飲む気配が走った。
しばらくして、男はようやく水を飲み込んだ。
彼は力なく微笑む。
「すみません、ありがとうございます」
未だ苦しそうに息切れをしながらも、小さい声でブランカに言った。
ブランカは彼の顔をまじまじと見ることしかできなかった。
「お嬢様」近くにいたオプシルナーヤ兵が、威圧的にブランカのそばに立った。「勝手な行動は控えていただきたい」
兵士はブランカの腕から男をはぎ取った。乱暴に男の腕を引いていく。
「待て」
別の声が兵士の足を止めた。
セドロフ大尉だった。
「彼を休憩所へ」
兵士は息を飲んで大尉を見つめた。
大尉は無機質に言う。
「作業員をまた連れて来るのも手間だ」
オプシルナーヤ兵士は男を抱え直して、休憩所の方へ向かった。
ブランカはセドロフ大尉を見上げた。
あまり大きくないオリーブ色の瞳。
どこかで見た気がした。
大尉は無表情にブランカに言った。
「炊き出しにお戻りください」
翌日。ブランカは広場の配給所に向かわされた。
いつもと同じように、指示されるままにスープやパンを配布する。
やはり昨日もあまり眠れなかった。どうしてこんなにヴォルフの夢ばかり見るの? ここ最近の自分はどうかしている。
重い頭で配給を配りながら、列に並ぶ人たちをブランカは半ば羨ましく感じた。彼らはスープを受け取ったら休める。
そんなことをぼんやり考えて、ブランカは胸が痛くなった。列に並んだ人たちは、みんな煤とぼろをまとっている。みんな痩せこけていて、疲れた顔をしていた。
ブランカは鍋の中のスープを見た。沢山あるわけではない。指示された量を配る。それ以外、ブランカには出来ない。
それに、私が何かしたらまた――。
「しゃーねーな。少しだけな」
少し離れたところから、カタコトのヘルデンズ語が聞こえてきた。オプシルナーヤ兵が、十歳くらいの男の子にパンを一個ともう半分あげていた。二人は口に人差し指を当てて、にっと笑い合っている。
少しだけ……。
赤ん坊づれの女性に、ブランカはパンを二つ渡していた。
少しだけ、少しだけ……。
ブランカよりも少し年下に見える痩せた男の子には、スープを多めに注いでいた。
気が付いた近くの兵士が注意した。「適量を守ってもらわないと困る」
ブランカは機械的に答えた。「すみません。気を付けます」
やっぱりダメだった。ブランカは肩を落とした。でも痩せた男の子がきらきらした目を向けてきたときには、身体がすごく疼いた。
今日の配給作業が終わると、ブランカは慣例に従い記録係の元へ向かう。
「こちらにご署名を」
記録係の下士官が、ブランカの前に書類の束を差し出した。今日の配給に関しての報告書だ。
ブランカは特に中身も読まずに指定されたところに自分の名前を書いていく。複数枚分、同じことをした。
あれ、これなんだろ……。
下の方の書類の右端に、小さな紙が折りたたまれて挟んであった。
ブランカはその部分を指でもてあそんだ。
「もう済みましたか?」
記録係が早く帰りたそうにしながら言った。
ブランカは小さな紙を手で隠したまま、書類を彼に渡した。
エプロンで手を拭くふりをして、ポケットにしまう。
その後、国会議事堂別棟の自室に戻ると、ブランカは誰もいないことを確認してから、紙を開いた。
『俺は信じてる――W』
筆圧の強い、無骨な字。
紙切れの端には、花の絵が描かれていた。
***
扉が叩かれた。
返事をする間もなく開かれる。
参謀長だった。
ギュンターは立ち上がった。
「ご用件を」
参謀長はソファに向かい腰掛けた。懐から出したタバコに火をつける。
「例の件はどうなっている?」
参謀長はタバコの灰を、高価な絨毯に落とした。
ギュンターは立ったまま言った。
「東ヘルデンズの統制は、進んでおります。不穏分子は排除し、志願者も増えて――」
参謀長は鋭く見据えた。「本気でその話をしたいのか?」
ギュンターは言葉に詰まった。
参謀長はタバコの煙を吐き出した。
「手紙からは何も出てこなかった。娘を確保してから、もう二ヶ月以上。成果は?」
ギュンターは唾を飲み込んだ。参謀長が何を求めているかは分かっている。
マクシミリアン・ダールベルクの秘密――ホフマンの爆弾だ。街を丸ごと破壊する程の威力を持つとも言われる爆弾。
それさえ手に入れれば、オプシルナーヤの計画は速やかに次の段階に移行できる。
「……娘は長らく堕落し、機能していませんでした」ギュンターは抑えた声で言った。「ようやく口を割らせる段階に入ったところです」
参謀長はしばらく何も言わなかった。タバコを吸っては吐き、ソファに、絨毯に、灰を落とす。
やがて彼は、顎髭をいじりながら鼻で笑った。
「ふん、確かによく躾けられている。“よく出来た人形だ”と、部下が言っていたよ。あの従順さには、同志も喜んでいた」
ギュンターは頷いた。
先日のパーティに参加した軍の関係者は皆口を揃えて言っていた。
クラウディア・ダールベルクを従えるのは、なんと爽快であることか。
旧体制の象徴である娘は、思いの外使い勝手が良い。鬱屈したオプシルナーヤ軍部の気分を晴らす格好の道具だ。更なる高みを目指す上ではまだまだ使いどころがある。
参謀長はじっとギュンターを観察し、吐き捨てた。
「我々は、人形遊びをしたいのではない」
よく磨かれたテーブルに、タバコの先をこすりつける。
「お前が娘をどう料理しようが構わんが、結果は出せ」
参謀長はゆっくり立ち上がり、距離を詰めた。
軍帽の下から冷たく見下ろす。
「我々は見ている」




