6-7.人形ブランカ①
太陽が高くのぼり、眩しい日差しを照りつけている。季節はいつの間にか真夏になっていた。
ブランカは、鏡の前に無表情で立っていた。
「ああ……私の見立てどおりだ。よく似合ってる」
フィルマンがソファに深く座りながら、満足そうに眺めた。
ブランカの傍らにいるカミーユも、同じように手を叩いた。「フィルマンの審美眼には間違いがないですね」
窓から入る乾いた風が、白いレースをふんだんに使ったワンピースを揺らしている。首元まで隠れる襟とシースルーの長袖が、身体の右側の火傷を隠している。
肩まで伸びた髪は金色に染まっていた。しかし根本から毛先にかけて薄かったり濃かったり、まるでグラデーションだ。右頬の火傷は、ファンデーションで印象を和らげている。
「どこからどう見ても儚いお姫さまだ」
フィルマンは立ち上がり、化粧台からサーモンピンクの口紅を手に取った。ブランカの顎を軽く持ち上げ、丁寧に口紅を塗る。
フィルマンは笑みを濃くした。
「完璧だ」
ブランカは瞬きひとつせず、なすがままだった。
フィルマンはブランカの手を礼儀正しく掬い上げ、部屋を出た。国会議事堂の本棟――いまは軍司令部として使われている塔の最上階へ向かう。
ほどなくして部屋へ通されると、フィルマンはブランカをギュンターの前へ差し出した。
「大佐、お嬢さまをお連れしました」
ギュンターはブランカの周りをゆっくり回った。寸分の乱れがないか、隅々まで目を細めて確認する。
やがて、娘の深緑色の瞳が暗く何も宿していないことを見て取ると、満足したように口角を上げた。
ブランカの顎を持ち上げる。
「クラウディア。お前の役目は何だ」
ブランカは小さい声で言った。
「お父様のお役に立つことです」
ギュンターは歯を見せて笑った。
ギュンターはブランカをそばに寄せると、オプシルナーヤ国旗を間にして並んだ。兵士の一人がライトを構え、別の兵士が二人の写真を撮る。短い指示とともに、シャッター音が規則的に響いた。
それを部屋の隅で眺める三人。
「クラウディアは逸材だね。本当に素晴らしい」とフィルマン。
「近頃はまた覚えも良くなりました」カミーユは自分の教育を自画自賛する。
その隣で、セドロフ大尉は無言で撮影会を眺めていた。オリーブ色の瞳は、従順で表情のないブランカを映していた。
一行は国会議事堂を出て、近くの植物園へ向かった。
「ほら。おいで、クラウディア」
ギュンターはブランカの左手――火傷のない方の手を取った。ブランカは導かれるままに、植物園の中へ進む。
薔薇、パンジー、マリーゴールド、ラベンダー。真夏の植物園は色彩豊かだ。きれいに区分けされた花園で、どの花も競い合うようにして咲き乱れている。
色鮮やかな花園の中央を、ブランカは歩いていた。フラッシュが絶えず、ブランカを追いかける。
「無垢な白いワンピースが映えますね」
フィルマンが尚も称賛した。
隣でギュンターはつまらなさそうに鼻で息をした。「次はあの火傷だな」
フィルマンは手で口元の笑みを隠す。
ふとブランカの動きが止まった。足元に目を落とし、しゃがみこむ。
ギュンターはつかつかと娘の方へ寄った。「汚れるからやめなさい」娘を引っ張り上げた。
「さぁ、お前にぴったりなところに案内してやる」
ギュンターは娘を引いて、薔薇のアーチへ向かう。彼の足元でジャリ……という音がした。
ほどなくして、ブランカはあずまやに座った。
赤い薔薇が縁取る、鳥かご型のあずまや。
ブランカは格子の隙間から、先ほどの場所を見つめていた。
名もない白い花が、形もなく潰れていた。
当局は早速この写真を使った。
『ダール二世、国家の管理下に』
そんな見出しとともに、ギュンター・アメルハウザー大佐と儚い少女の白黒写真が、翌日の新聞に掲載された。
記事によれば、彼女はダールベルク家の血統を引くという。同人物はオプシルナーヤ当局の管理下に置かれ、適切な保護および指導が現在行われているらしい。
そんなセンセーショナルなニュースが流れる中、一台の車がある公民館の前に止まった。
「到着しました。大佐、お嬢様、どうぞ外へ」
セドロフ大尉がドアを開け、手を差し出した。ブランカは何のためらいもなく、その手に自分の手を乗せた。
大尉はそのままブランカを車から降ろし、ギュンターへその手を差し出した。
ギュンターは一瞥した。
火傷のある娘の右手。
彼は何も言わずに首を横に振った。代わりにブランカの肩に手を置き、建物の方へ向けた。
「クラウディア。今日はお前に手伝ってもらいたい。頼めるか?」
「何なりと申し付けください」
ギュンターは口角を上げた。
建物の中に入ると、煤に汚れた市民が、黙って列を作っていた。列の先では、オプシルナーヤ兵士がパンやスープなどを配っていた。
「見えるか?」ギュンターはブランカの耳元でささやいた。「あそこの女子供は、みなこちらを睨んでいる。理由は分かるか?」
ブランカは小さい声で言った。
「私が、戦犯の孫だからです」
ギュンターは口元でほほ笑んだ。
「ならばお前は彼らに報いねばならない」
ブランカは背中を押され、物資を配る兵士の隣に立った。指示されるままに皿を受け取り、鍋のスープを入れて、渡していく。
子供も大人も、けげんな顔でブランカを見てから、恐る恐る受け取っていった。
ある女がブランカの手からスープ皿をひったくった。中身が飛び散り、ブランカのエプロンに飛び散る。
隣にいた兵士が声を上げる横で、ブランカはエプロンのシミを見ていた。
また別の老人が、ブランカの手から皿を受け取る際に、手元を誤った。地面にスープ皿がひっくり返る。
ブランカは無意識に動くが、その前に兵士がその皿を蹴り飛ばした。老人が地面に手をつくのを、ブランカはただ見つめていた。
そんな様子は、相も変わらず写真に収められていた。
オプシルナーヤ国旗がなびく公民館の屋根の下で、ギュンターは満足げにそれを見下ろしていた。
その後ろに控える男も、黙ってそれを見ていた。
***
「よく見えますか?」
また別の日。
カミーユが、間延びしたフラウジュペイ訛りで囁く。
「市民の顔です。みんな、恐れていますね」
強い日差しの下、列に並ぶ人たちが、ブランカを見て顔を曇らせていた。ここはノイマール随一の食品市場。野菜や果物などの露店がまばらに並んでいる。
暑い中、少ない商品を巡ってときには争う人々。涼やかな黄色のワンピース姿のブランカは、あまりにも場違いだった。銃を持った兵士たちが、ブランカの周りで人々を睨みつけている。
「さあ、教えたとおりにやるんですよ」
カミーユはブランカの姿を上から下までチェックし、右頬のファンデーションのむらを、指先で伸ばした。
彼は火傷のない右側の顔で笑った。
「これがこの国のためなんですから」
ブランカは近くにいた兵士に誘導されて、ある露店の前に立たされた。兵士は促すようにブランカに手で示した。彼の後ろには撮影隊がカメラを構えている。
ブランカは言われたとおりのことをした。
店先に並ぶパンとタマネギを手に取り、予め持たされていた金を店主に払う。店主は震える手で金を受け取った。
ブランカは台本通りに言う。「今日は良い品が揃っていますね」
手に取ったタマネギは小ぶりだった。
「はい、お嬢様。価格も……」店主の声が一瞬ひっくり返る。「価格も安定しております」
店主の視線は、ブランカの背後を行ったり来たり泳いでいた。
ブランカは台本通りに続けた。「最近の供給はいかがですか?」
店主の視線は再びさまよった。ブランカの顔、その背後、周囲に立つ人たち。しかしカチャリという無機質な音を聞いて、質問に答えた。「問題ありません……すべて順調です」
ブランカは、店主の不安にも後ろの兵士の威嚇にも、まったく反応しなかった。
「良い構図ですね。二人とも、こちらを見てください」
カミーユが、ブランカと店主に声をかけた。
軍旗が掲げられた店先で、ブランカは無表情に、店主は頑張って取り繕った笑みを、カメラに向ける。
カメラの前でブランカは言う。
「当局のおかげで、皆様の生活は守られているようです」
人々は、白い目でブランカを見ていた。
みんな、どこか破れた煤汚れの服を着て、空っぽに近い買い物かごを片手に提げている。そしてどの人も、痩せて骨が浮き出ていて、目の下は隈だらけだった。
彼らはブランカが立つ店の両隣を見た。隙間だらけの店の棚。野菜は小さく、牛乳やパンは値段が高くて簡単には買えない。
それを店の角から見ていたロマンは、信じられない思いでいっぱいだった。近くにいたヤーツェクが、新聞を地面に叩きつけた。
『当局に牙を剥く者たちよ、お前たちの敵はここにあり』
斜めに走る見出しの下で、金髪少女のカラー写真が掲載されていた。彼女は、赤いバラに囲まれた金色の鳥かごの中で、無表情に座っている。
「やっぱりあれ、ブランカちゃんなのか……?」
仲間の一人が呟いた。ヤーツェクと一緒にヘルネーから逃げてきた男だ。他の数名も、すぐそこに立つブランカと新聞の記事を見比べた。
「ブランカちゃん、まさか本当にダールの血筋だったなんて……」
数日前にブランカの写真が掲載されてから、ヤーツェクも彼の仲間も、みな動揺していた。
あんなに健気な子がまさか。確かに来た時から怪しかった。
まさか俺たちは騙されていたのか?
目の前でその証拠を見せられたら、そうとしか考えられない。
「まさか俺たち、彼女に売られたんじゃ――」
ヤーツェクは新聞紙をびりびりに破いた。黒革のつばのキャスケットを、深くかぶり直す。
「そのダールが俺たちを売ったんなら、オプシルナーヤもろともあいつらを見返すだけだ」
そう言って、ヤーツェクは市場から離れて行った。他の仲間も一緒について行く。
ロマンはヤーツェクの背中を見た。数日前にようやく再会したのに、旧友は機嫌が悪くてろくに話せていない。
ロマンはヤーツェクが叩きつけた新聞を手に取り、目と鼻の先にいるブランカを見た。
色んな疑問が解決されない。何があって彼女があそこにいるのか、一緒にいたはずのヴォルフはどうなったのか。それに……。
「君は一体どうしてしまったんだ……?」
表情なく機械のようにただ台詞を言うブランカ。
確かに彼女はダムブルクにいたときも無表情無反応なことがほとんどだった。でも町のために見えない努力をしていた。心ない悪口に傷付き、戦争が遺した爪痕に陰で泣いていた。右手のない図書館館長には、不器用な気遣いを見せていた。
僕の知るブランカが、こんな心ない嘘の演技をするだろうか?
それに――。
ロマンは、手元の新聞に目を落とした。
『祖国解放事業への参加者募集――報酬・職務を保障』
未だ国内にはびこるダールたちが、西に逃げ込んだ仲間と共に、東を飲み込もうとしている。更に悪いことに、西側勢力がそれを助長している。今こそ団結し、過去の腐敗からヘルデンズ全土を解放するときだ!
そんな記事が、鳥かごのブランカの写真と共に掲載されていた。




