6-4.洗脳④
雲のないよく晴れた日だというのに、ノイマール中央駅の周りは一様に暗い。
駅に行き交う人々は、誰も顔を上げない。足早に歩き、検問所を通り過ぎていく。オプシルナーヤ兵たちが、威圧的に駅周りを監視していた。
どこも同じだ。
きれいに再生された表通りから一歩外れれば、どこも瓦礫だらけ。かつて栄光に輝いた首都の面影はない。
その中で、颯爽と陽気を放つ一人の男。
「お久しぶりですね、セドロフ大尉。わざわざお迎え、ありがとうございます」
上等な水色のスーツに身を包み、洗練された足取りで現れたのは、フィルマン・ランベール。
ひと月前に比べると、列車爆発の傷もだいぶ癒えている。
セドロフ大尉は一礼した。「長旅、お疲れ様でした」
「しかしこうも天気がいいと、気分が上がりますね」
フラウジュペイ訛りのヘルデンズ語で言いながら、フィルマンはにこやかに街の方を向いた。駅から見える景色は、一見整備されているが、崩壊した建物を隠せていない。
「お荷物を車までお持ちしましょう」
フィルマンが引いていたトランクケースを、セドロフ大尉は受け取った。
フィルマンはにっこり笑った。
「喜んでくれると嬉しいな」
二人を乗せた車は、ほどなくしてヘルデンズの国会議事堂――現在はオプシルナーヤ軍西部地区総司令部司令塔に到着した。東ヘルデンズと旧メルジェーク地域を統治する拠点だ。
ギュンターの部屋まで行くと、大佐は執務室の中を右へ左へ行ったり来たりしていた。
「ご無沙汰しております、アメルハウザー大佐」
ギュンターは立ち止まって扉の方を振り返った。「ランベールか。よく来たな」部屋の脇にあるソファを手で示す。
フィルマンは恭しく一礼をしてから座った。
「何か考え事でしたか?」
ギュンターは頬杖ついて鼻に皺を寄せた。「またタチの悪いイタズラがあってな」ギュンターは鼻で息を吐いた。
「彼女の調子はどうですか?」
大佐は目を細めた。「ほぼ虫の息だ。まったく手のかかる。四週間も費やした」
フィルマンはひと好きのする笑みを浮かべた。「いいですね、それは。一番見がいがある瞬間ですよ」
ギュンターは胡散臭そうにフィルマンを見た。
「ところで今回はいくつかお土産をお持ちしました。フラウジュペイの上等なワンピースとか」
「礼を言う。こちらのものより洗練されているからな。しかし……」ギュンターは視線を別棟の方角へ向けた。「以前にも増して痩せ細っている。ただでさえ化け物の見た目なのに、これ以上醜くてはせっかくの装いも無駄になる」
「本当に容赦ない方ですね」フィルマンは歯を見せて笑った。「火傷は化粧で隠せますよ。その点はカミーユに任せてください。彼はそういうの、得意ですから」
それに、とフィルマンは目を細めて笑みを深めた。
「栄養状態もなんとかなります。ジルヴィア処刑後のしばらくの放心状態でも、ちゃんと食べていましたから」
ギュンターは推し量るようにフィルマンを見てから、再び別棟の方へ視線を向けた。
「あと少しだな」
フィルマンは少しだけ眉根を寄せた。「私としては、少し惜しいですけどね」ギュンターに鋭い目を向けられて、フィルマンは両手を挙げた。役割は果たします、と。
「そうそう。彼女が『ブランカ』と名乗っていたこと、以前にちらと話したかもしれませんが――」
ギュンターは興味なさそうに首を傾げた。
フィルマンは人差し指を口元に当てて言った。
「フィンベリー大陸の古い言葉で、白、という意味らしいですよ」
ふふっという笑い声が、執務室の中に響いた。
部屋の端で、セドロフ大尉は二人のやり取りを静かに見ていた。
ヴォルフ……ごめんなさい……。
膝に抱えたヴォルフのハンカチをぎゅっと握る。Wの刺繍に何度も涙がこぼれた。
私が原因だった。
私が、ヘルネーを壊した。私が全てをだめにした。何もかも、全部。
本当にごめんなさい……。
だから、せめてあなただけは――……。
「久しぶりだねぇ、クラウディア」
この場にそぐわない明るい声が、部屋に響いた。
ブランカはそちらを向くことすら、もう出来なかった。
「フィルマン。久しぶりですね」カミーユの声が弾んだ。彼はお茶の準備をしていた。
「君こそ。回復してよかったよ」フィルマンはカミーユの顔を満足げに眺める。「その火傷、勲章だね。前より格好良くなった」
カミーユは鏡の前に行く。
フィルマンは椅子を引いて、ブランカの隣に座った。
「君は挨拶してくれないのかな、クラウディア。それとも――」フィルマンはテーブルに頬杖をついてブランカを覗き見た。「ブランカ、と呼ばれる方が好きかな?」
ブランカは膝に視線を落としたまま、何も答えなかった。
フィルマンはブランカの膝にあるWの刺繍の入ったハンカチを見ると、笑みを深くした。
「ねぇブランカ。今日は君が喜びそうなものを持ってきたんだ。気になるだろう?」
ブランカは軽く咳き込むだけで、それ以外は反応しなかった。
フィルマンは構わなかった。カバンから封筒を取り出し、テーブルに中身を広げた。
ブランカは少しだけ視線を上げた。
テーブルには色とりどりの小さな絵――いや、写真があった。
また写真……。
ブランカは目を閉じた。
「見てくれないのかい? 残念だなぁ、ダムブルクの様子を知りたいだろうと思ったのに」
ダムブルク……ダムブルク?
ブランカはそっと目を開けた。
目の前に、黄金に輝く麦畑が広がっていた。その中で作業する人たちも。
「ほら、たくさん撮ってきたんだよ。よく見るといい」
フィルマンは机に並べた写真を、いくつかばらけさせた。
ダムブルクの町役場、図書館。いつも逃げ込んだ河原。
ブランカはそのうちの一枚を手に取った。
ダムブルク児童施設。
子供たちに混ざって、図書館館長も映っている。
孤独だったけれど、穏やかな日々だった――。
「君、本当に嫌われていたんだね。みんな、せいせいしたって言っていたよ」
フィルマンが笑いを漏らしながら言った。
ブランカは心を痛めながらも、小さく息をついた。ダムブルクは、まだ壊れていない……。
フィルマンは、力の入らないブランカの手から写真を抜き取ると、ブランカの目の前で振ってみせた。
「ダムブルクでね、おもしろい子にも会ったよ」
フィルマンは別の封筒を取り出し、その中の一枚をブランカの目の前に持ち上げる。
ブランカは目を見開いた。
レオナだった。
頭巾姿のレオナは、両手に鎌を持って、不機嫌そうな顔をカメラに向けていた。
「彼女、ダムブルクでちょっと浮いてたな。元からそういう子なの? それとも」
フィルマンは、ブランカと顔を並べて一緒に写真を見ると、目線だけブランカに向けた。
「それとも君が原因なのかな?」
涙がこぼれた。
レオナ……。
ブランカの味方になってくれたのに。あんなにみんなから好かれていたのに。
私はレオナまで引き摺り下ろしてしまったなんて……。
「安心して。彼女が行き場をなくしたら、私が引き取ってあげるから」
ブランカはフィルマンを見た。フィルマンはにっこり笑顔を絶やさない。
ブランカは力無く首を横に振る。
やめて。そんなまさか、レオナまで……。
フィルマンは満足そうに目を細めると、封筒から別の一枚を抜き取った。
「そうそう。君はこれが一番喜ぶんじゃないかな?」
テーブルの上に一枚、滑らせた。
ブランカは膝のハンカチを握った。呼吸が震える。
そこにあったのは――白黒写真の、ヴォルフ。
スーツ姿でどこかに指示を出している。
嫌な予感がするのに、写真だとしても、少しだけ近くに感じた。
ヴォルフ……会いたい。
いけないのに、ダメなのに、大きな手で抱きしめてほしい。
もう一度だけ、まっすぐな口づけをして――……。
「残念だよ」
新たな一枚が、上に重ねられた。
胸から血を噴き出し、倒れるヴォルフ――。
「かわいそうに。逃走中にやられたみたいだ」
そんな……嘘……。
ヴォルフ、あなただけは……。
「あっけなかったみたいだよ」フィルマンはブランカを見た。「もしかして君、好きだった?」
しかしブランカの耳には何も聞こえていなかった。
ブランカの目にも何も映らなかった。
一筋の涙が頬を伝い、ハンカチに落ちた。
フィルマンはブランカの頬を指で拭い、眩しそうに目を細めた。
「かわいそうに」
ブランカは、ただ息をするだけの人形になった。




