6-4.洗脳③
――クラウディア、何があってもお前だけは私の味方であってくれるね?
そう言って、祖父はゴールド色のブローチを誕生日に贈ってくれた。
次の瞬間、ブローチは爆発した。
地面を吹き飛ばし、建物を吹き飛ばし――人の身体が吹き飛んだ。
灰色の世界に広がった無数の死体の中を歩くと、足を掴まれた。脳みそを流しながら睨みつける男。
クラウディア・ダールベルク。
戦争の元凶。
違う。こんなの望んでいない。
私はただ――……。
あんたのために、父さんと兄さんは戦死した! あたしと母さんがヘルデンズの空襲で焼け出されたのも、あんたのためだった!
お前はわざわざ指差して、親父を撃たせた!
わたしもいつか大きくなったら、おじいちゃんみたいにヘルデンズ国のためにはたらきたいと思います。
違う、私……。
私、望んだの……?
私は望んでいた……?
――お前の楽園は美しく在らねばならない。そのためには害虫駆除が必要なんだ。
そう言って、目の前の人を撃った。
倒れた人は――焦点の合わない薄鳶色の目を向けていた。
嘘……私、いや、そんな……!
火が広がる。
走っても走っても追いかけてくる。
ようやく逃げ込んで、親切にしてくれる人たち。でも彼らもすぐに火に飲まれた。
あなたが壊したんですよ、すべて。
あなたが望んだんですよ、これを。
だから私と共に来なさい。
お前を楽にしてやる。
私……私……。
ブランカはうなされながら目を開けた。
心臓がうるさく鳴っている。
「おや、お目覚めですか?」
部屋の端から声がした。
カミーユが、天蓋のすぐ外に座っていた。
「泣いていますね。怖い夢でも見ましたか?」
彼はベッドに腰掛け、ブランカの目尻を拭った。
ブランカは、ただ身体を震わせていた。
カミーユは、鼻で笑った。
「まったく。気絶するほど面白い体験だったんですねぇ?」
ブランカはゆっくり窓の外を見た。
まだ明るい日の光が差している。
何も、考えられない……。
涙がとめどなく流れた。
ブランカは肩で荒い息をした。
「さ、午後の授業をしましょう。もう何日もこんな有様で進んでいないんですから」
カミーユが居間の方へ向かうが、ブランカはベッドから動けなかった。
身体に力が入らない。
するとカミーユが戻ってきた。いくつかの新聞を、ブランカのベッドに広げる。
一番上の写真には、大きな木に人が吊るされていた――何人もの人が。
ブランカはベッドの中で後ずさった。
「どうやら村ぐるみで反乱計画を立てていたそうですよ。因果応報ですね」
カミーユは新聞を漁った。
「そうそう。あなた、ヘルネーとかいう町にいたんでしたっけ?」
ブランカはカミーユを見上げた。
カミーユは、別の記事を一番上にした。
ヘルネーの街が、写っていた。ここはヘルネーの中心部だ。
建物が崩れて、人が壁の前で倒れていて。遠方には火も上がっている。
最後に見たヘルネーの街とは、変わっていた。
「あなたが関わると、ろくなことが起きないですね。何もかも壊すんですから」
ブランカは首を横に振った。
どうしてこんなことになってるの……?
私の……せい?
「ほら見てください。こんな子供まで」
カミーユが見せた写真には、真っ黒に焼け焦げた子供が、大きく映っていた。
ブランカは吐き気を催すが、強い力で布を押し付けられた。
「部屋はきれいに使わないと」
カミーユはブランカの頭を上向きにし、喉の奥に込み上げたものを無理やり飲み込ませた。
「あなたは恵まれていますね。寝るところもあり、飢えることもない」
クラウディア・ダールベルクだというのに。カミーユは歯を見せながら言った。
視界がぼやける。
「聞きましたよ。あなた、お父様に詰め寄ったそうですね、治安維持に関して」
ブランカは何も言えなかった。
涙が、ただぽろぽろと落ちるばかり。
「さぁ問題です」カミーユは耳元で言った。「街が焼かれ、人が殺される。一体何が原因ですか?」
ブランカはカミーユを見上げて、息を震わせた。
漏れた息は、音をつないでいた。
クラウディア・ダールベルク――と。
カミーユは笑った。
「つまりあなたです」
そう、私……。
私のせいで、みんなダメになる……。
私のせい……。
「クラウディア・ダールベルクは全てを壊す」
講義室の壇上に立たされて、ブランカは非難を浴びた。
席に座るのは、ブランカと同じ年頃の少年少女たち。みんな、懐かしい顔ぶれだ。
演台に立つ少年が言う。
「皆さんもご存知のように、ダールベルクは怪物だった。我々の父兄の忠告も聞かず、ヘルデンズを貶めた! 我々はその汚名を被せられてきた!」
そうだそうだ!と、部屋にいた他の子たちが同意する。
演台の少年は、その反応に満足そうに頷き、紙を一枚めくった。
「今、僕らの前にいるのは戦争の元凶の血を引く者。その思想を最も近くで受け継ぎ、それを新たな手段で実行している者だ」
部屋中から野次が飛んでくる。
ブランカは首を振りながら後ずさる。「違う、私……そんなつもりでは……」
「まだそんなことを言うのか」演台の少年は言う。「では聞こう。街が焼かれ、人が死んでいる。その原因は何だ?」
ブランカは力無く首を横に振った。
答えろよ、という声がかかる。分かっているだろ、と。
壊れたヘルネーの街並みが頭に浮かぶ。道端で倒れる無数の人々も。
「……なさい……」
「何だ? 聞こえない!」
「ごめん……なさい……。ごめんなさい……」
ブランカは項垂れた。知らず握っていたWの刺繍入りのハンカチに、顔を埋める。
誰かが机を叩く音がした。
「おい、まだ自分が特別だと思っているのか!」
「いい加減、演技やめたら? みんな分かってるから、あんたが偽善者なの」
部屋中から掛かる声が、鋭く突き刺さる。みんな、昔アカデミーや祖父のパーティで会ったときは、にこやかに親切だったのに。
そこまで考えて、ブランカは思い至った。
当然かもしれない。
「ほら、ちゃんと答えてくれないか?」演台の少年が促した。「街が焼かれ、人が死んでいる。その原因は何だ?」
ブランカは、ハンカチから薄く顔を上げた。
「わたし……」言葉が詰まる。
「聞こえない!」
「私が……! こ、壊しました……」
何もかも、全部。
みんな、私が壊した……。
「そうだ。君は危険を招く」
私は、危険……。
「だからここで宣誓してもらいたい」演台の少年は言う。「自分の考えを捨て、いかなることがあろうと、当局に従うと」
ブランカは震える息を吐きながら、少年を見た。席に座る少年少女たちを見た。
一人の少女が言う。
「分からないの? オプシルナーヤ軍はみんなを守ってくれてるのよ」
「僕は当局の秩序を支持する。逆らうから、壊れるのだ」
みんなを守ってくれる。
逆らわなければ、壊れない……?
街も、人も、みんなの生活も……。
私が従えば、私が危険だから――……。
「ちかいます……」
そう言ったとき、何かが音を立てて崩れていく気がした。
ブランカは、立っているのがやっとだった。
「ならば忠誠を見せてもらおう」
演台の少年が、壇上の真ん中に歩み寄る。
ブランカの目の前に来ると、ぐっと肩を掴んだ。
「跪け」
ブランカは、ゆっくりと膝をついた。地面に手をつき、頭を下げる。
部屋中から響く嘲笑は、もはやブランカの耳には届いていなかった。
講義の時間が、終了した。席に座っていた子たちが立ち上がる。
ブランカは壇上に膝をついたまま、動けなかった。
一人の少女が、ブランカの前にやって来た。
周囲のざわめきがわずかに引いた。みんなその子に一目置いているようだった。
きれいな金髪の、大人びたきれいな女の子。胸元には、オプシルナーヤの紋章が刻まれた金色のネックレスが、輝いていた。
ブランカは掠れる声で、その子を呼んだ。
「リーゼ……」
昔、アカデミーで仲良かったアンネリーゼ。
ブランカは、縋るように手を伸ばした。
リーゼは、顔を歪めて一歩下がった。
「いやだ、汚らしい」
ブランカは、リーゼを呆然と見た。
リーゼはブランカを見て鼻で笑った。
「勘違いしないように言っておくと、私、あんたのこと昔から嫌い。お姫様だったから、仲良くしてあげただけよ」
ブランカは力無く首を振った。
アンネリーゼはブランカをまじまじ見て、笑みを深めた。
「それにしても何その火傷。醜くて気持ち悪い」
ブランカはリーゼを見ていられなくて、顔を伏せた。目線の先に、Wの刺繍入りのハンカチが映る。
――生きてきた証。
生きてきた証。ヴォルフが言ってくれたその言葉を、必死で手繰り寄せる。
でも……私は……。
「ねぇ、聞いたわよ。あんた、アジェンダ人と一緒にいたんだって?」
するとまだ講義室に残っていた子たちが、ざわめいた。笑い声が、たくさん聞こえた。
「アジェンダ人と一緒なんて、汚らしくて嫌だわ」
「堕ちたものだな、クラウディアも」
「でも、アジェンダ人駆逐しようとしてたの、この人たちだよね?」
あぁ……。そうだった。
私はアジェンダ人も滅ぼしたんだった……。
何を自惚れていたんだろう。
「あんたのアジェンダ人も、どっかで死んでるかもね。あんたのせいで」
アンネリーゼはWの刺繍入りのハンカチを踏み付けると、講義室を出て行った。複数の女の子が、リーゼに付いていく。扉の外で、兵士が彼女に敬礼した。
ブランカは壇上にうずくまったまま、起き上がれなかった。
扉から、新しい足音が近づいてくる。
ゆっくりと歩み寄り、やがてブランカの前に磨かれた軍靴が現れた。
見上げると、父が見下ろしていた。
父は屈み込むと、娘の頭を引き寄せた。
「つらかったな」
父は、ブランカの頭を撫でた。
ブランカは、父の胸にしがみついて肩を震わせた。
父は耳元で言う。
「しかし、彼らはありのままの現実を教えてくれたんだ。お前が間違っていたことも」
私は間違っていた……。
私は危険……。
「心配するな。すぐに元に戻る。街も、彼らとの仲も」
ギュンターは歯を見せて言った。
「お前が、私に従えば」
「し……したが……」
言いかけて、言葉が続かなかった。
頭を掴む父の手に、力が込められた。




