5-15.ブランカの決意
サーチライトが右へ左へあたりを照らす。
銃を持った人影が、うようよ蠢いている。
たまに銃声が聞こえた。
「こんなところまで見張り増やしよって……」
崩れた小屋の影から双眼鏡を覗きながら、アロイスが歯噛みした。
「他に行くしかないか」
ヴォルフがあたりを鋭く監視しながら、低い声で言った。
近くを通り過ぎていく軍用車を、ブランカは目で追いかけた。
西ヘルデンズへはあと少しなのに、東西境界はどこもオプシルナーヤ兵の監視だらけ。少し危険ルートやけど、とアロイスに言われて来た廃道も、この有様だ。今までは監視の薄い穴場だったらしいのに。
「あとは……森伝いに行くしかないか」
アロイスは南の方を見た。
夜陰に紛れて少し歩けば森に入れる。そこからどうやって西ヘルデンズへ行けるのかまったく想像がつかないが、逃げ切れる保証はない。
ブランカはキャスケットの下から、ヴォルフとアロイスを見た。二人とも、ぐっと息を詰めて、動ける隙を窺っている。
ブランカはヘルネーの方を見た。暗い夜に、街の方から煙が上がっている――平穏とはまったく言えない黒い煙だ。
胸元からゴールドのブローチを取り出した。
――ヘルデンズの運命は、お前の手に
祖父が地雷を撒きながらもブランカに伝えた油田は、確かにヘルデンズの未来を変えられる。
しかしこれを爆弾の情報だと思っている父は、これを手に入れるために、ヘルデンズに影を落としている。
ブランカは、花の装飾の側面に小さく刻まれた『N4CLK1RM△3』の文字を、指でなぞった。
不思議と勇気が湧いてきた。
「ヴォルフ」
囁くように呼ぶと、ヴォルフがこちらを見た。「どうした?」
「これをお願いしたいの」
ブランカは、ゴールドのブローチをヴォルフに差し出した。
ヴォルフは目を見開いてブローチを見ると、眉を寄せてブランカを見た。
「どういう意味だ?」
「私は……」
ヴォルフの射抜くような瞳を見ていると、言葉がすぐに出てこなかったが、ブランカはまっすぐヴォルフを見て言う。
「私は、出頭します」
重い沈黙が、その場に降りた。
アロイスは息を飲んでブランカを見つめ、ヴォルフは――目を見張り、眉間に皺を寄せたまま、声にならない言葉をいくつか発した。
「何を言っている……」ヴォルフは低い声で言った。
「私が出ていけば、監視兵たちの注意をそらせるかもしれない」
ヴォルフは首を横に振った。
「私が出ていかなければ……今日エンゲル地方からの帰り道にあったような村の破壊や、ヘルネーであったような横暴は、ずっと続きます。父は、私を見つけるためなら、いくらでも人の暮らしを壊す。ここで逃げても、また同じことが起きる」
「それは違う」アロイスが小さく否定した。「ブランカちゃんが出てったところで、オプシルナーヤの反乱分子潰しは続く」
「そうかもしれない。でも――」
ブランカは頷いてから、ヘルネーの方を見た。
「私を炙り出すためにオプシルナーヤが――父が、罪のない人々の生活を壊すのなら、私はそれを許すわけにはいかない」
ヴォルフとアロイスをまっすぐ見て、ブランカは言った。二人とも、目を見開いたまま、一瞬言葉を失った。
「ふざけるな」ヴォルフが鋭く切り込んだ。「お前が行ってギュンター・アメルハウザーが止まるわけがない。あいつの狂気はお前がよく知ってるだろう!」
「だからこそ立ち向かわないと」ブランカはヴォルフを見上げた。「父はどこまでも追ってくる。そのためにみんなが犠牲になるのはもう嫌なの。だからお願い、これだけは守って」
ブランカはヴォルフの手に無理矢理ブローチを握らせた。
「エンゲル地方の油田のことは、父もオプシルナーヤも知らない。道のりは難しいけれど、これはオットーさんが繋いでくれた未来。奪われるわけにはいかない」
ヴォルフは首を横に振った。
「お前も一緒に行くんだ」
ブローチごと、ブランカの手をきつく握りしめた。
「お前も一緒に行くんだ!」
ヴォルフは繰り返した。
ブローチが手に食い込んでくる。ヴォルフの手の震えを感じた。
ブランカは首を横に振った。
「ヴォルフ、お願い――」
最後まで言葉が続かなかった。
ヴォルフの唇に、きつく封じられた。
何が起きたのか、まったく分からなかった。ただひたすらに唇を貪り、息を奪われる。性急で乱暴でいて、まっすぐな思いをぶつけてくる。
絶対離さない、と。
「行かせるものか」
大きな手でブランカの顔を包み、ヴォルフは口づけを続けた。荒い息の合間にブランカはヴォルフを説得しようとするが、どの言葉もヴォルフは言わせてくれなかった。
それどころか、声にならない言葉で、ヴォルフは何度も言った。
だめだ。
行かせない。
好きなんだ――……。
いつしかブランカはヴォルフの手を握って、自分から口づけを返していた。
熱くて切実で、しょっぱい味がした。
ヴォルフはブランカを腕の中に閉じこめた。
「行かせるものか……」
ブランカはヴォルフの腕の中で、涙を流した。
いつも安心させてくれる大好きなぬくもり。大きくて強くてまっすぐで、ありのままのブランカを引っ張ってくれた。
たくさん勇気をくれた。
そんなヴォルフが、震えている。心臓が激しく音を立てているのが聞こえた。
ブランカは少し腕を伸ばし、胸元からハンカチを取り出した。もう何度も汚した白くもないハンカチ。
角に刺繍されたWの字に、ブランカは唇を付ける。
そしてヴォルフを見上げて、出来るかぎり微笑んで見せた。
ヴォルフは赤い目で言葉を失った。
「兄さん」アロイスが声をかけた。「行こう。時間がない」
サーチライトが遠くの一点に集まり、兵士がそちらへ駆けていく。この隙を逃してはいけない。
ブランカは一歩離れ、ヴォルフの手をちゃんと握らせた。中にはゴールドのブローチ。
「兄さん、早く」
ブランカは背伸びして、ヴォルフの唇の端にキスをした。
「行って。私は大丈夫」
ヴォルフは首を振りながらも、ブランカの両手をぎゅっと握った。
「必ず……必ず迎えに行く。だからお前も約束しろ。絶対死ぬな」
ブランカはヴォルフの手をぎゅっと握り返して頷いた。
「行くで」
アロイスがヴォルフを引っ張っていく。
名残惜しそうに力を込めるヴォルフの手を、ブランカは放した。
ブランカはヴォルフの大きな身体と、鳶色の髪と、納得がいってなさそうな薄鳶色の瞳を、目に焼き付けた。
ヴォルフ、ありがとう。
大好き。
こぼれ落ちた涙をハンカチで拭い、胸元にしまう。
もう怖くない。
私は父を止めに行く。
ブランカは姿勢を正し、ヴォルフたちに背を向け、まっすぐサーチライトに向かっていった。




