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【新改訂】戦犯の孫  作者: ふたぎ おっと
第五章 祖父が遺したもの
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5-11.エンゲル地方と老人②

「いやー、ブランカちゃんもお人好しやな」

 使いものにならないソファを外に運びながら、アロイスが言う。

「……まぁあいつの性格なら、分からなくもないが」

 ヴォルフは反対側を支えて言った。

 家の中ではブランカがせっせと部屋掃除をしている。

 老人が猟銃で威嚇してきたことを考えれば、あんまりそばを離れたくなかったが、凶器になるものは没収したし、ブランカ単体の方が老人が大人しい。すぐに駆けつけられる程度に中を見張りながら、ヴォルフも手を動かした。

 家の裏手には、石袋が複数置かれていた。玄関にあったのとは別のハンマーも。

「あのじいさん、何者やと思う? あの山と関係あると思うんやけど」

「まぁ怪しいよな。だが……リビングには化石やら地質やらの本が転がっていたが」

 アロイスが考え込むように石袋を覗き込んだ。

 大小ばらばらの石の山。どれも割られた跡があり、妙に角ばっている。乾いた土が粉のようにまとわりつき、ところどころ紙切れが混じっていた。

「土嚢か?」

「さあな」

 アロイスは面倒臭そうにため息をついた。

「それにしても地雷は予想しとらんかったな」

 まったく。しかもそれがマクシミリアン・ダールベルクの仕業だとしたら腹立たしい。そこまでしてホフマンの爆弾を守りたかったのか。

 ヴォルフは家の中で動いているブランカを窓越しに眺めた。

 一体あの男はどこまで孫を苦しめれば気が済むんだ。知れば知るほど前にも増して憎くなる。

「兄さん、少しここを頼めるか?」

 アロイスが声をかけた。

「多分今日は帰れやんやろから、食料買いに行くついでに、あの山のこと聞いてくる」

 ヴォルフは無言で頷いた。

 遠くの空は、厚い灰色の雲が立ち込めていた。


「これ、その本は持っていくな」

「それはそっちの棚だ」

「コーヒーがぬるい。入れ直せ、役立たずが」

 老人はブランカの一挙一足を迷惑そうに見ながら、逐一口を出した。ブランカは言われた通りに動きながら、本を整理する。

 陶器とガラスの破片がなかなか厄介だ。たまに本のページから出てくるので、丁寧に作業しなくてはいけない。本も大量にあるので、まだまだ時間がかかる。

 それにしても、この部屋には似たような本がいっぱいあった。土壌学、岩石構造、鉱物図鑑。本の下に埋まっていた紙束は、地形防衛に関しての論文。

 その下から、色褪せた通行証がするっと出てきた。

 オットー・グリュンバルト。

 生年月日と出身地の横に、そこに座る老人に似た写真が貼られていた。

「あなたは……オットーさん?」

 ブランカは老人に尋ねた。老人は退屈そうにこちらを見、そして暖炉へ顔の向きを戻した。

 やっぱりそうだ。写真の方が少し若いが、年齢を考えたら違和感なかった。

「あ、私は、ブランカです」

 申し遅れました、と付け加えるが、オットーは鼻で笑った。

「聞いとらん」

「そうですよね……」

 ブランカは片付けを続けた。

 今更になって、これでよかったのかとブランカは後悔し始めていた。自分たちは爆弾に関する調査に来たはずなのに、ヴォルフとアロイスをブランカのわがままに巻き込んでしまった。おまけに当のオットーには厄介者扱いされるし。

 しかし、オットーに何かしなくてはと思ったのだ。不便そうな義足に、心が痛む。

――お前がこの国を明るくするのだ。

 ますます祖父が分からない。一体何を守りたかったの? そのために守るべき国民を犠牲にするなんて、あまりに無情すぎる。

 丸まった老人の背中を見てると、怒りと虚しさが湧いてくる。

 するとオットーがこちらを向いた。「もうサボりか?」

 ブランカは咄嗟に首を横に振った。「あの、コーヒーを入れ直してきます」

「ふん、それなら火を入れろ」オットーは暖炉を顎で指した。「それくらい気が回らんのか」

 ブランカは唾を飲み込んだ。可能であればやりたくなかったが、ここは仕方ない。

 暖炉の近くの棚からマッチ箱を取り、マッチを擦った。こんな小さな火でも、やっぱり身体が震える。

 ブランカはそれを暖炉に差し入れた。

 一瞬ついた火は、すぐに弱まった。

「なんだそれは。やる気があるのか?」

 オットーが嘲るように覗き込むが、ブランカの横顔を見て、押し黙った。

 オットーは憮然としたため息をついた。「暖炉の付け方も知らんとは。最近の若者は」

 ブランカはオットーに顔向けできなかった。その通りだ。ブランカは自分で暖炉をつけたことがない。

 こんなところで役に立たない自分が恥ずかしい。

「ブランカ、コーヒー入れてきてくれ」

 ヴォルフがブランカの肩を二、三叩き、暖炉の前に腰を落とした。

 ブランカは俯いたまま、台所に向かった。

 ヴォルフは手近にあった火かき棒で木くずと小枝を整え、薪を組み直した。

「じいさん、あんまり当たらないでくれ」

 言いながら火を足した。火はじわりと広がっていく。

「わしに説教か。若造が」

「そんなんじゃない。ただあいつは、あんたを気にかけてるだけだ」

 オットーは荒く息を吐いた。胡散臭そうにヴォルフを上から下まで眺める。老人の目は、腕まくりしたヴォルフの腕に、しばらく止まった。

 ヴォルフは次に言われる言葉に身構えるが、オットーはややして目を逸らした。


 ぽつりぽつりと降り出した雨は、夕方には土砂降りに変わっていた。

 びしょ濡れになって、アロイスが買い物袋を抱えて帰ってきた。

「なんだお前ら。うちに居座る気か」

 アロイスが袋からソーセージや野菜を取り出し、台所の作業台に置いた。

「じいさんもたまにはいいもん食べたいやろ。そんな硬そうなパンばっか食べてないで」アロイスは作業台の奥に置かれた黒パンを指した。少しカビが生えている。

「一体何のつもりだお前たちは。図々しいのも程がある」オットーは顔を赤くして詰め寄った。

「ありがとう、それは褒め言葉。僕らはちょっとしたお節介と――」アロイスはブランカを見て、にっと笑う。「ちょっと親切にしたいだけや」

 アロイスの横で、ヴォルフが手際よく野菜を切り、ソーセージと一緒に火にかける。

 早く彼らを追い出したいのにいい匂いがしてきては、オットーは歯軋りするしかなかった。

「それ食べたらさっさと帰るんだな」

 オットーは杖をつきながら暖炉の前に戻った。

 アロイスがヴォルフの方を見てにやっと笑った。

 ブランカはウッドチェアの横のサイドテーブルにコーヒーを置いた。

 オットーがブランカを見上げる。「君は料理せんのか?」

「私は……」ブランカは内心ため息ついた。「下手なんです、料理」

 オットーは頬杖をつきながら鼻で笑った。「暖炉も付けられないくらいだ。さもありなん」

 ブランカは何も言い返さなかった。

 引き続き、散らばった本や論文を片付け、陶器とガラスの破片を集めていく。オットーはそれをじっと眺めていた。

 飾り棚の近くの本を整理していると、表面の割れた写真たてが出てきた。

 若い男女三人が写った古い写真。三人とも、学帽にマント姿だ。真ん中の若い女性も、彼女を囲む若い青年たちも、どこか見覚えがあった。

「何を見とる」

「ごめんなさい」

 ブランカは写真たてを飾り棚に置いた。オットーが忌々しそうにそれを見る。

「それは伏せといてくれ」

 オットーは暖炉を向いて言った。

 苛立ちがより滲んで聞こえた。


 雨の音がますます強くなる。

 ヴォルフの料理をしっかり平らげたオットーは、未だに胡散臭そうにしながらも、渋々三人の滞在を許した。

 更に老人を宥めようと、アロイスが何処からか引っ張り出してきたチェスボードを広げて、暖炉の前で対戦していた。

「あいつのああいうところ、清々しいほど役に立つな」

 食器を洗いながらヴォルフが言う。ブランカは隣で皿を拭いていた。

「ヴォルフの料理も、オットーさん喜んでいました」

「喜んでたか? 味が濃いだの文句言ってたぞ」

 その割にはぺろりとすぐに完食していた。

 ブランカは輪をかけて情けなくなってきた。

「ブランカ」ブランカの視界が下がる前に、ヴォルフが声をかけた。「お前がきっかけを作ったんだぞ」

 ブランカは曖昧に頷いた。みんなの足を引っ張っているようにしか思えない。

 ヴォルフは作業する手を止めて、ブランカに向き合った。

「本当だ、ブランカ。俺とアロイスではあのじいさんの世話しようとは思わなかっただろうから」

 ブランカはヴォルフを見上げた。まっすぐ気遣うような薄鳶色の瞳。

 あんまりいじけていても仕方がない。

 するとヴォルフがニッと笑った。

「それに部屋も大分片付いた」

 ブランカは居間を覗き込んだ。

 確かにここに来た時よりは足の踏み場が増えたし、陶器とガラス破片もだいぶ取り除いた。とはいえ、まだ半分くらい散らかっている。

 ブランカたちが帰ったら、また汚くなるのだろうか。オットーは右足をウッドチェアから居心地悪そうに伸ばしている。

 食器洗いが終わると、ブランカは寝室を片付けることにした。

 ここも足の踏み場がないくらい本と紙が散らばっている。おまけに少しかび臭い。

 雨が上がれば窓を開けてシーツを替えられるのに。

 そう思ってベッド周りの本を片付け始めた。

 掘削方法、断層力学、化石。こちらにある本も、居間にあるのと同じようなものが多い。

 こんなにも地学に関する書籍があるということは、土木関係の人なのだろうか。きっと尋ねてもすぐに答えてくれなさそうだ。

 ブランカは本をまとめながら、ベッドの下に落ちた写真に気が付いた。明かりの下に持っていく。

 居間で見たのと似たような古い写真。同じ女性が斜めを向いて大きく映っていた。

 あれ? この女性……。

 ブランカは胸元からゴールドのブローチを取り出した。ブローチのピンで、表面の飾りの花と葉の隙間を押した。

 やっぱり……。

 似ている。

 ブローチの二層目の女性の横顔と写真の女性を見比べる。

 似ているなんてものではなかった。

 波打つ薄い色の繊細な髪。意志と優しさを感じさせる目と口。写真の彼女の方が生き生きとしてはいるけれど、同じ人だった。

 とても素敵な女の人――。

「なんだ、またさぼっているのか?」

 ブランカは顔を上げた。寝室の入り口に杖を突いたオットーが立っていた。

 ブランカはすぐに言葉が出なかった。

 どうしてこの人の家に、この写真があるの?

「お前、そのブローチ……」オットーはブランカの手元のブローチを見て、目を見開いた。「どこで手に入れた?」

 ブランカはブローチに目を落として、オットーに視線を戻した。

「祖父から誕生日に……」

「祖父?」

 オットーはブランカをまじまじ見た。見る見る老人の顔が白くなっていく。信じられないとでもいうように、顔を横に振った。

「ブランカ、じいさん? どうしたんだ?」

 ヴォルフとアロイスが様子を見に来た。

 しかしオットーはそれにかまわなかった。

「お前、歳は?」オットーはかすれる声で尋ねた。

「十六……です」ブランカは囁くように答える。

 オットーはしばらく押し黙った。

 一歩ブランカに近づいた。「そのブローチを……見せてくれないか?」

 ブランカはオットーの目の高さにブローチを持ち上げた。

 オットーは震える手で、女性の横顔に触れる。

「ケラミン……」

「え……?」

 ケラミン? 愛する私の天使(ケラ・ミン・インゲル)のこと?

 何故この老人の口からその言葉が出るのか。

 オットーは間近でブランカを見下ろした。

「君は、クラウディアか……?」

 ブランカは固まった。

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