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【新改訂】戦犯の孫  作者: ふたぎ おっと
第五章 祖父が遺したもの
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5-9.解読①

 古城の町へ行った日の翌日。

 ブランカは日も昇らないうちから起きて、朝食の準備をしていた。

――結論から言うと、ヘルデンズは負ける。ブラッドロー・亡命フラウジュペイ連合軍の反撃が、予想以上の勢いだ。あと数ヶ月の間にロゼも落とされるだろう。

 ブランカは内心で呟きながら、芋を洗っていた。

――しかし、私は止まるわけにはいかない。ヘルデンズは私と共にある。ここまできたからには、我々は奴らにそれ相応の態度を示し続けなければならない。例え、この身が朽ちようともだ。

 ブランカが頭で呟いているのは、五年前にブローチと一緒にもらった祖父の手紙の内容だ。ブローチの暗号を解読する前に、もう一度頭の中で手紙の文を並べてみる。

 何度思い起こしてみても、つくづくひどい内容だ。

 愚かで独りよがり。自分の意に反するものを見下し、自分が率いるヘルデンズが最上と信じて疑わない傲慢さ。ヘルデンズと自分自身が一心同体であるかのように全てを正当化している。

 そんな手紙の端々で、祖父は弱音を零していた。自身の行いを正当化しきれなかったのではと、ブランカは信じたい。

――お前にヘルデンズの未来を託したい。お前がこの国を明るくするのだ。お前との日々を思い出すたび、涙が込み上げてくる。私はお前の成長する姿をもっと見たかった。

 ヘルデンズと共に心中することを決めておきながら、ホフマンの爆弾を遺そうとした祖父。それでいて、こんな風に孫を思う言葉を残した祖父。

――クラウディア、何があってもお前だけは私の味方であってくれるね?

 五年前にそう言ったときの弱々しい表情は何を意味していたの?

「おおっ相変わらず朝早えな、あんた」

 ヤーツェクが台所に入ってきた。

「おはようございます。ヤーツェクさんこそ早いですね」

「あーまぁ……早いっつーか」

 ヤーツェクは歯切れ悪く黒髪の頭を掻いた。心なしか顔が赤い。そういえば微かにお酒とタバコと……香水の匂いもする。

「えっと、生卵とハチミツと……」

「え、ブランカ?」

 機敏に食糧庫に向かうブランカを、ヤーツェクは不思議な目で眺める。ブランカはてきぱきした仕草でハチミツをマグに入れ、その上に卵を割って入れた。

「……ブランカ、それ何作ってんだ?」

「二日酔いなんですよね?」

 ブランカはヤーツェクを見上げた。やっぱり顔が青い。ブランカの見立ては間違ってないはずだ。

「前に本で読んだんです。きっとすぐ治ります」ブランカは卵とハチミツを混ぜ始めた。

「待った待った!」ヤーツェクは慌ててブランカの手を止めた。「大丈夫だからさ! ほら、もう治ったし!」

 しかし顔が青いのは変わらない。なんとか力になれないか、そう思ったとき一つ思い出した。

「あ、お茶も必要ですね。すぐ用意しますから――」

 ポットを片手で用意しながら水を出したとき、水が流しの芋に跳ね返り、盛大に床に噴き出した。ブランカもヤーツェクも水を浴びる。

 何がどうしてこうなったのか。ブランカが固まっていると、ヤーツェクが腹を抱えて笑い出した。

「なんだよ、これ。意味わかんねぇけど、めっちゃウケる。あんた、やっぱ面白いな!」

 ブランカはどう反応したらいいか分からなかった。今のはそんなに笑えることなのか。

「すみません……」とりあえず謝ることにした。「二日酔いに効く飲み物作りたかっただけなんですが」

「いや、今ので治ったよ。まったく、あんたたまに天然だよな。癒される」

 ヤーツェクは作業台にもたれかかるようにしてブランカを見た。ついでにブランカが急いで取ったタオルに手を掛ける。

「ブランカ」

 ヴォルフが二人の間に割って入った。見れば、ヴォルフは運動してきたかのように汗を流して肩を上下に揺らしている。

 ヤーツェクがブランカに聞こえないように小さく舌打ちした。

「ヴォルフ、走ってきたんですか?」

「ああ。それでシャワー浴びたいんだが――何でこここんなに水浸しなんだ?」ヴォルフはヤーツェクをちらりと一瞥し、ブランカに目を戻した。「それにお前たちも」心なしか声が硬い。

 ブランカは少々後ろめたくて俯いた。「水が芋に跳ねてそれで……」

「は? え、芋?」

 だんだんブランカは恥ずかしくなってきた。「普段はこんなことないんですが、芋が……」

「ブランカは悪くないんだ」ヤーツェクがヴォルフとの間に入った。「ブランカはただ俺の二日酔い覚まそうとしてくれてただけ」

「いえ、水浸しにしたのは私のせいですし」

「いいんだ。あんた悪くないだろ?」

 二人のやりとりを見ながらヴォルフはふんっと息を吐いた。視界に入った黄色の液体に、怪訝な顔をする。

「おはよぉ」ゼルマが当たり前のようにやって来た。「うちの野菜分けに来てあげたわよぉってやだぁ何、この重い空気。あんたたち、どうしてそんなにびしゃびしゃなわけぇ?」

 つくづくブランカは情けなくなった。「えっと芋が……」

「はぁ? 芋? まったく意味わかんない」

「……俺も」ヴォルフがぼそっと言う。

「それよりヤーツェク。あんたこれ店に忘れてったわよぉ」

 ゼルマはいつもの間延びした言い方で、籠からヤーツェクの黒いキャスケットを取り出した。

 ヤーツェクはひったくるようにして受け取る。

「助かる」

 そう言って、ヤーツェクは台所から出て行った。

 入れ替わるようにしてアロイスが起きてきた。

「なんやえらい朝から騒がしいな」

 アロイスはブランカと床と去っていったヤーツェクを順に見た。

「水浴びでもしたんか?」


 朝食後、ブランカとヴォルフとアロイスは、アロイスの知り合いの家に向かっていた。

 ブランカがブローチの暗号解読に協力する旨は、昨日帰ったときにアロイスに告げた。その際、解読時と調査には自分たちを同席させて欲しいとも伝えた。

 アロイスが油断ならない相手であることは変わらないけど、ブローチの暗号はブランカとヴォルフだけではどうにもならない。それにアロイスがヘルネーでブランカたちを匿ってくれているのも事実だ――それが彼の策略かもしれないけれど。

「なぁベッカー。お前謎解き好きやろ? ちょっと見て欲しいんやけどさ」

 アロイスはおざなりなノックをしてベッカーなる知り合いの家に入って行った。卓上にあるゼンマイとギアの構造体の影から、丸渕めがねに白衣を着た男が顔を出した。

 ベッカーはあからさまにオドオドし始めた。

「あ、アロイス。困るよ急に……しかもお客さんもいるなんて」

「大丈夫大丈夫。彼らの依頼やからさ。ほら、ブランカちゃん」

 ブランカは胸元からゴールドのブローチを取り出した。

「すみません、突然押しかけてしまって。これ……家族の形見なんですが、横に文字が書いてあって」

 ベッカーはブランカと一定距離空けながら、オドオドした手つきでブローチを手に取った。

「とても精巧なブローチですね。すごく高そうだ」

 ブランカはどきりとした。変な憶測を呼んだらどうしよう。

 しかしベッカーはブローチをじっくり見だした。「ちょっとしばらくお借りしますね」先ほどまでのオドオドは何処へやら、ベッカーはブローチを作業台まで持っていく。作業台の上は工具や配線機材が散らかっている。

「おい、大丈夫なのか?」ヴォルフが小声で聞く。

「大丈夫や」アロイスも小声になって答えた。「極度の人見知りなだけで、この手のことに関してあいつの右に出る奴はこのあたりにはおらん」

 ブランカは作業台に近づいて、ベッカーの手元を静かに見守った。ベッカーは表面の花の装飾を卓上ライトに透かし、色んな角度からブローチを調べる。

「ん?」ベッカーはルーペで花びらの裏を凝視すると、散らかった工具の山を漁った。

「あの……指示して頂いたら探します」

 ブランカはそっと声をかけるが、ベッカーは構わず工具の山から先の細い針のようなものを取り出した。

 彼はそれを――花びらの隙間に突き刺した。

 ブランカはギョッとした。後ろでヴォルフも息を呑む。

 すると花びらの装飾がブローチの台座から離れた。

「え、嘘……」

 花びらの部分、外れるの?

 ブランカは言葉が出なかった。

「へぇ、蓋になってるんだ。よく出来てますね」

 ベッカーはキラキラした目で花びらに隠れた蝶番を観察し、花びらを開けたり閉めたりした。

「ブランカちゃん、今まで気づかんかったん?」アロイスが近づいてベッカーの手元を見た。

 ブランカは首を横に振った。何度も見てきたのにまったく知らなかった。

「ここ、押しロックになってるんですよ。めちゃくちゃ細かい」

 ベッカーは先ほど押した箇所を針で示すと、花びらの蓋を開いたままブランカにブローチを見せた。

「この女性、知ってます?」

 そこには大理石で形どられた女性の横顔があった。

 とても素敵な若い女性。

「えらいべっぴんさんやなー。知ってる?」

 ブランカは首を横に振った。「初めて見ます……」

 花びらの下から女性の横顔。驚きが強すぎて、思考が働かない。

 しかし女性の装飾に関しては、よくあるカメオみたいな見た目だ。昔、母の宝石箱でも見たし、母の友人達も身につけていた。

 母を思い出したことで、ブランカは胸が痛んだ。

 そうとは構わず、ベッカーはブローチとブランカを交互に見て首を傾げた。

「この人、お嬢さんに似てますね」

 ブランカは一瞬固まった。

 アロイスとヴォルフが身を乗り出してブローチを凝視した。

「確かに……鼻の立ち方とかブランカちゃん似てるな」

「心なしか、輪郭も……いや、似てるか?」ヴォルフは渋い顔でしばらく考え込むと、そっとブランカを気遣うように目を合わせてきた。

 ヴォルフが何を心配しているか、なんとなくわかった。ブランカは首を横に振る。違う、母じゃない。

 ブランカはブローチの女性をじっと見た。

 目と口の造形は、意志と優しさを感じさせる。波打つ髪の線は繊細なのに、輪郭の彫りはくっきりしている。

 なんというか、とても生き生きして見えた。

「ここ、C.Dと書いてありますね」

 イニシャルですかね、とベッカーは再びルーペを持ち出した。

 ブランカはまたもどきどきしてきた。

 C.Dだなんて……。

「あ、これも開きそうですよ」

 ベッカーは工具の山から先の平たい棒を取り出し、女性の装飾と台座の間に差し入れた。「少しくっついてますね……」ベッカーは力を込めた。

「おい、壊すなよ」ヴォルフが不安げに言う。

 ブランカもどきどきしながらベッカーの作業を見つめた。

 今度はどんなものが出てくるのだろう? 祖父はブローチに何を仕込んだの? 覚悟してここに来たのに、初めて知るブローチの構造を見ていたら怖気そうになってきた。

 ベッカーは女性の装飾と台座の隙間に潤滑油を差しながら、平たい棒を奥の方まで差し込んでいく。ぺりぺりと音を立てながら、やがて女性の装飾が台座から離れた。

 現れたのはのっぺりした金の板座。表面にいくつかの線が薄く彫られてるだけで、飾り気はない。花に女性といった上二層と比べると、無機質にも見えた。

「開いたり外れたりの構造は、どうやらここまでのようですね」

 ブローチの側面を一通りルーペで探ってからベッカーが言った。

「その彫り、なんなんやろ」

 アロイスが尋ねるが、ベッカーは特にもう興味なさそうだった。「それよりも僕、作業戻っていい?」

「いや、もうちょい付き合ってや」アロイスはブローチの花の装飾を元に戻した。「お前、文字列解読好きやろ? これを調べてほしいねん」

 ベッカーはめんどくさそうにしながら、花の装飾の層の側面に並んだ十個の文字を紙に書きだしていく。

『N4CLK1RM△3』

 一見、意味の分からない文字列だ。もしかしてベッカーはこれを読み解けるのだろうか。ブランカは思わず身震いする。

 しかし書き出したはいいものの、ベッカーはメモを横に置いた。

「ごめん、後でいいかな? さっきやりかけてた作業がいいところだったんだ。そこの工具好きに使っていいからさ」

 ベッカーは先ほどいじっていたゼンマイとギアの構造体の前に戻った。アロイスがベッカーの気を引こうと邪魔をしにいく。

 困った。

 中途半端なところで放り投げられてしまった。この次どうすればいいのだろう。

 ブランカはブローチを眺めてから、ヴォルフを見上げた。ヴォルフはため息をついて、作業台からブローチを手に取った。

「紙と鉛筆、借りるぞ」

 ヴォルフは先ほどまでベッカーが座っていた席に座ると、ブローチの一番下の層を開き、卓上ライトの下に置いた。手近なところから紙と鉛筆を取り出し、線をするする引いていく。

 流れるような作業の入りに、ブランカは驚いた。

 アロイスも驚いた顔で戻ってきた。「兄さん、絵描けるん?」

「いや、この彫り調べる必要あるだろ? だからそのスケッチを……」

 ヴォルフはふとブランカを見上げた。わずかに口元が歪む。さっきまでまったく気取った様子もなかったのに、どことなく頬が赤く見える。

 ヴォルフは咳払いし、作業に戻った。ブローチの一番下の層の彫りを描き起こしていく。

 歪な形の輪が増えていく。輪は、ある箇所では等間隔に連なってるように見える。しかし別の箇所では近かったり遠かったり、たまにギザギザになっている箇所もあって、規則性はない。

 むしろこれはまるで――。

「等高線みたいやな」

 ブランカも同じように感じた。何度目になるか分からないどきどきが押し寄せる。

 しかしこの図だけで分かるものなのだろうか?

 ブランカたちがヴォルフのスケッチに集中している横で、ベッカーが「わぁ!」と声を上げた。

 ベッカーがいじっていたゼンマイとギアの構造体が自立して――暴れていた。

「おい、今いいとこなんやから、それ止めろ!」アロイスがヴォルフと構造体の間に身体を入れた。

「ごめんって! どこ間違えたかなぁ?」

 ベッカーはゼンマイとギアの構造体を抱えるが、その構造体は彼の腕の中で四方八方に赤い光を放っていた。

 ブランカが心臓をばくばく言わせながらそれを眺めていたとき、ヴォルフが「待った!」と声を上げた。

「ベッカー、今の赤い光、もう一回こっちに向けてくれないか?」

 ブランカとアロイスとベッカーは顔を見合わせた。ヴォルフの意図が分からない。

 ヴォルフは席を立つとベッカーの腕から暴れる構造体をもぎ取った。

「ちょっと、乱暴にしないでくれ!」ベッカーが声を上げた。

 ヴォルフは先ほど赤い光が出ていた面をブローチに向ける。ブランカはギョッとした。

「ヴォルフ、いったい何を――」

「さっき何か見えたんだ。ああ、くそ! 暴れるな!」

 ヴォルフは強引にギアの噛み合わせを外した。ベッカーの悲鳴が聞こえる中、構わず赤い光をブローチに当てる。

 薄い彫りだけしかなかったのっぺりした金の板座に、影のような新たな黒い線が浮かび上がった。

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