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【新改訂】戦犯の孫  作者: ふたぎ おっと
第五章 祖父が遺したもの
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5-8.不穏な影

「なあ良かったな。入国許可が下りて」

 簡素な明かりがぶら下がるだけの薄暗い列車の中。

 近くに座る男たちの話し声が聞こえてきた。

「別にやましいことなんてねえっつーのにさ、あいつら全部が全部スパイと思っていやがる。お陰で家に帰るだけだってのに一苦労だ」

 列車は現在、東ヘルデンズを北に向かって進んでいる。南の隣国を出発したこの列車は国境付近の検問所で停車し、数時間に渡る入国審査の後、ようやく先ほど発車したところだ。

 検問所までは同じ車両に二十数人が乗っていたが、検問所を出発するときには半数が消えていた。入国審査で却下され、降ろされたのだろう。その中には正当な理由だった人もいたであろうに、その反面自分がすんなり審査を通ってしまうとは、何とも皮肉な話だ。

 ロマンは、半ばあきらめの混ざった心境で、座席の前のポケットに差し込まれた雑誌を広げた。

 『英雄が進む』と題されたそれは、オプシルナーヤによる東フィンベリー諸国の戦後復興処理――という名の占領政策の正当性をアピールする記事が、至るページに掲載されている。その中には、ブラッドローを始めとする西フィンベリー諸国への猛烈な批判や、そのような国々に従うしかない西ヘルデンズを早期に解放するべきなどと、世論を煽らんとする内容も含まれている。

 このようなプロパガンダにどれほどの効果があるのか分からないが、オプシルナーヤが西ヘルデンズへの侵攻を計画しているという話は、確かにあり得そうだ。ブラッドロー軍部で最初にその話を聞いたときは、にわかには信じられなかったが。

 近くの男達の会話が続く。

「しかしよ、こんな風に列車に乗っちまっているが、果たして大丈夫なんかね?」

「大丈夫って何が?」

「だってちょっと前に爆発テロがあったんだろ? ちょっと怖くないか?」

 ロマンは息を飲んで表情を固くした。

 それとは対照的に、男の片方が吹き出した。

「こんな一般人しか乗ってないような列車が狙われるわけねえって」

「そうだろうけどさ」

 男はぶつぶつと呟く。

 ほぼ二週間前に起きた列車爆発テロ。今列車が走っているところより北東で起きたその事件では、乗っていた兵士のうち三割が死亡し、その残りのほとんどが負傷者または行方不明となっている。

 ロマンは目を瞑って、深く息を吐いた。

――オプシルナーヤ側が、失踪したクラウディア・ダールベルクの行方を追っている。

 何でも、捕虜として拘束していたアジェンダ系ブラッドロー兵士に誘拐されたことになっているらしい。

 数日前にその情報を聞いたときは、ロマンは自分の耳を疑い、戦慄した。彼らの置かれている状況はともかく、少なくともヴォルフとブランカは生きているのだ。

 いや、実際にそうと決まったわけではないが、その情報を受けてブラッドロー側は二人の捜索を秘密裏に始めている。

 ロマンは雑誌のページをめくった。

 目に飛び込んできた記事に、思わず眉を潜める。

『ダール二世を見かけたらお電話を』

 曰く、ダール体制時代の元幹部の子孫が、親族の仇を討たんとして東フィンベリー諸国に潜伏し、その機会を伺っている。極めて危険且つ東フィンベリー諸国の経済活動を妨害しているとして、オプシルナーヤ当局への通報を呼び掛けている。そうして適切に更正させてやるのだとか。同じページの片隅には、オプシルナーヤの更正プログラムで慈善事業に参加する少年の写真が掲載されていた。

 ロマンは身震いした。

 他のページに書かれた内容はともかく、少なくともこの手の記事については、確実に東フィンベリーに住まう人の怒りを煽る。ヘルデンズ人でさえ、怒り狂うだろう。見つかった『ダール二世』がただ通報されるだけで済むとは限らず、通報されたらその更正プログラムでどんな扱いを受けるのかも分からない。

 これ以上この雑誌を読んでいたくなくて、ロマンは雑誌を元にあった場所に戻す。気を落ち着けるかの如く、窓の外へ視線を向ける。

 荒野ばかりが続く殺風景な景色。西に傾いた日の光は、その景色に何の彩りも与えず、不気味な世界が近づいているのだという印象を乗客に与える。

 この世界のどこかを、二人は彷徨い歩いているのだろうか。

 どうか――会えなくてもいい。

 どうか生きてオプシルナーヤから逃げ延びて欲しいと、願うばかりだ。



***



 その翌日。ダムブルクは気持ちいいほど天気が良い。

 町外れの麦畑のそばでは、児童施設の子どもたちがキャッキャと鬼ごっこして遊んでいる。それを見て大人たちはにっこり笑いながら、小麦の刈り入れ準備をしている。少し前まで黄緑色が強かった麦畑は、一気に金色に変身していた。

 レオナは畑の端っこの方で、鎌を研いでいた。シャリシャリ擦る音が、不気味に響く。

「こんなに天気良いのに農作業なんてよくやってられるね、レオナ。感心する」

 数歳下の女の子が、小馬鹿にして言った。いつも児童施設で偉そうにしている子だ。今日も本来なら作業要員なのに、最近ますます素行が悪く、今も片手にタバコを吹かして立っている。

 レオナは特に相手にしなかった。

「もう、レオナったらずっと怒ってばっかり。ロマンが出てったのがそんなにショックだった?」

 鎌を研ぐ手に力が入った。

 ああ、この子の頭を刈ってやりたい。

「ロマンも気の毒に」女の子はこちらに構わず続けた。「あれ、ブランカのせいだったんだって? みんな言ってる。ブランカは実はダール側だったんだって」

 その噂は確かにレオナもよく耳にする。ロマンがダムブルクを去って以来、町では色んな憶測が飛び交った。

 ブランカはダール側だった、から始まり、ブランカはダールに与した良家の子だっただの、実はヘルデンズ兵が落としてった子どもだっただの。挙げ句の果てにはロマンもそんな風に言われることも少なくなかった。

「ブランカがあんなに役所に出入りしてたのも、ぜーんぶそういうことだったのよ」

 女の子はみんなに聞こえる大きい声で言った。遊んでいた子供が一瞬静まり返る。

「そういうことって?」レオナは静かに聞いた。

 女の子は手振りで伝えた。「そういうことはそういうことよ。なんていうんだっけ」

「スパイ?」

 別の方から知らない声が入ってきた。

 レオナと女の子はそちらを振り向く。

 感じの良いハットに品のいいスーツを着た男性。所々包帯やガーゼが当てられているものの、まったく見苦しさを感じさせないどころか、爽やかですらある。

 さっきまで偉そうに嘯いてた女の子は、すぐに顔を赤くした。男性はにっこりして近づいてきた。

「なんだか不穏な会話をしているね。ああ、心配しないで。僕はスパイなんかじゃないから」男性は両手をあげておどけて見せた。

 女の子がぷっと吹き出した。

「なにあなた、面白い人ね。ダムブルクは初めて?」

「そうなんだ。たまたま近くまで寄ってね。あんまりきれいな景色だったから、散歩していたんだ」

 レオナは胡散臭げに男性を見上げて、ふと既視感を覚えた。

「あなた、前にもダムブルクに来てない? 割と最近……」

 男性は首をかしげ、眉をひそめた。

「いや……? ここには初めて来たはずだけどな。人違いじゃない?」そしていたずらっぽく笑みを広げて言った。「それで? この町にはスパイがいるの?」

「ちょっと前にね」女の子は内緒話するようなあからさまな身振りで続けた。「すっごくおかしな子だったのよ。魔女みたいな醜い見た目でね、そのくせまったく怒りも笑いもしない。それなのに読み書き得意だから、変だと思ってたのよね」女の子はだんだん声のトーンを上げていった。

「ばかばかしい」レオナは鎌を持って立ち上がった。「こんな田舎でスパイなんて誰の得になるのよ。聞いてらんない」

 レオナは手入れした農具をまとめて抱え直してその場を去った。

 後ろから無神経な声が聞こえてくる。「ごめんなさいね。あの子、最近ふられてご機嫌ナナメなの」

 いちいちうるさいわね。レオナの苛立ちは募るばかりだ。

 ロマンが去って以来――いや、町がロマンを追い出して以来、レオナは前みたいに気前よく振舞えなくなった。町でロマンの噂を聞くたび、嫌な気分になる。ロマンがどんな思いでこの五年間やってきたかなんて知らないくせに。

 そう思って、レオナは立ち止まった。そういう自分は、ブランカを今はどう思っているのだろう。未だにロマンみたいになれる気がしないが、正体を知った時ほどの怒りもない。むしろ、ブランカの悪口を聞くのも嫌だ。

 レオナは広がる麦畑をぼんやり眺める。

 ブランカはたまに刈り取りの手伝いに参加していたけど、そういう肉体労働は本当に不器用でへたくそだった。本人もそれを自覚していたけど、仕事をさぼることはなかった。こんなダムブルクの住人たちとは別世界で生まれ育ったはずなのに。

「おーい、新しい鎌持って来てくれ」

 麦畑の奥の方から呼びかけられた。

 レオナは頭を振ってそちらに向かっていく。

 最近は感傷っぽくて仕方がない。あとで図書館にでも行こう。こんな時に共感してくれるのは、図書館館長くらいだから。

 麦畑に入っていくレオナの背中を、先ほどの男性が眺めていた。

 傍らにいた女の子が何やら話しかけてくるが、きっと向こうの方が数倍面白い。

「ねぇ、あたしがダムブルクの町を案内してあげる」

 女の子に連れられて町の方へ向かう前に、男性は懐からカメラを取り出した。

「まだまだ君と遊べそうだ、オーベル」

 レンズ越しに麦畑の金色が揺れていた。

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