1-5.ダムブルク春祭り①
レオナの家に到着すると、ブランカは身ぐるみを剥がされ、緑色のワンピースに着替えた。言われるままに椅子に座る。
レオナは、ブランカの髪をコテで巻き始めた。
「素敵なワンピースだけど……わたしにはもったいない」
ブランカはこの状況が気恥ずかしかったし、レオナに無駄な努力をしてほしくなかった。
「そんなことないわ、とっても似合うわよ。瞳の色とも合ってるし。ちょっと布が余っているけど、サッシュを締めたらちょうど良いわね」
「これ、どうしたの?」
レオナは待ってましたと言わんばかりに勝気に微笑んだ。「あたしが作ったの」
ブランカは驚いてレオナを見上げ、この部屋を見回した。
ごくたまに来るレオナの家。彼女はここに母親と住んでいる。
奥の部屋には、使い込まれたミシンが置いてあった。床には色とりどりの布が散らばっている。
「昔ね、仲の良かった子がいたの。笑うとすごく綺麗なのに、見た目にコンプレックスがあって」レオナは懐かしそうに笑った。「だから、変身させてやりたかったのよ。お洒落すれば、きっと気にならなくなるって」
棚の写真立てに、三人で笑う姿があった。
若いレオナと、同じ年頃の少女と、少し年上の少年。
レオナはそれを手に取る。
「これね、その子と、あたしの兄さん。三人でいつも仲良かったの」
言葉は軽いのに、目はどこか遠かった。
レオナの隣にいた少女は、白黒の写真では分かりにくいが、アジェンダ人的な彫りの深い顔立ちだった。
彼らが今どうしているのか、わざわざ聞かずとも想像はつく。レオナはすべて過去形で話していた。
ブランカは目を閉じた。
「ともかく」ブランカの胸中とは裏腹に、レオナは明るい調子で言った。「誰かを変身させるのはそのとき晴らせなかったあたしの願望なの。だから悪いけど付き合ってもらうわよ」
「……わたしじゃない方がいいのでは」ブランカにレオナの好意を受け取る資格はない。
「何を言うの。火傷の痕がひどいからってあんたもちょっと工夫すれば見違えるわよ。それに」
レオナはブランカの顔におしろいをはたいて顔の左側に頬紅を塗ると、ブランカを鏡の前に連れて行った。
「あんたには洗練された気品があるわ。それは誰にも真似できないものよ」
鏡に映ったブランカは、見違えていた。
継ぎはぎの服は、ベージュと緑の落ち着いたワンピースに変わり、火傷の赤みもおしろいでやわらいでいる。
編み込まれた白金の髪が顔まわりを明るくしていた。
――見方によっては、かわいいと言えなくもない。
この五年で、初めて直視できる見た目になった――あくまでそれは虚構の上でのことだが。
レオナの願いを叶えるなら何でもしたい。
けれど――こんな形で受けるなんて。
ブランカは、がんじがらめで解けない欺きの糸に、首を絞められている感覚だった。
***
祭りが始まった。
ランタンに火が灯り、音楽が鳴り、広場は活気に満ちている。
ヴォルフはロマンを待ちながら、地元の人たちと酒を飲んでいた。
「にしてもにいちゃん、さっきはよくやったな」地元の男性が話しかけてきた。「あいつら、ろくなことせんからなぁ」
「遊んでばかりで少しは家の手伝いしてくれたらいいんだがねぇ」
「しかしあいつらに任せると雑だわ間違うわ遅いわで使いものにならないんだよなぁ」
男たちはげらげら笑った。
近くを歩く若者たちが、ちらりとこちらを見る。
ヴォルフは内心冷めつつも、愛想よく返した。「最初は誰でも失敗します。気長に待ったらどうですか?」
「しかしなぁ……ブランカの仕事ぶりを見るとなぁ」
「ブランカ?」この会話に何の関係があるんだ?
「あぁ、さっきの白っぽい髪の子だよ。あの子、妙に何でもできるんだ」
「いやいや、家事はさっぱりだぞ。包丁持たせたら危なっかしくてな」
「前も洗濯物、燃やしてたな」
男たちはげらげら笑った。
「……それでも、あの子は使えるんだよ」
ヴォルフは男性の言い方に、違和感を覚えた。
男性は肩をすくめて続けた。
「字が綺麗でな。倉庫の在庫表、一日でまとめてくれたことがあってさ」
「計算も早いぞ。帳簿やらせたら、こっちが気づかんミス拾いやがる」
男たちは感心したように笑う。
「しかしなぁ……あれ、どこで覚えたんだろうな」
「この辺のガキは学校もろくに行ってねぇのに」
「空襲で焼けてから、ずっとあのままだしな」
彼らはしみじみと言った。
「彼女はここの出身じゃないんですか?」ヴォルフは首を傾げた。
男性らは首を横に振った。
「ロマンがどこからか保護してきたんだ。それ以上は誰も知らねえ」
妙な子だな。
ロマンがどこからか保護し、炊事洗濯は苦手で、逆に事務作業をこなせる十代半ばの少女。
ヴォルフは、つい先程のやりとりを思い返した。
いや、やりとりなんてほどのものでもないか。
ほとんど俺が喋っていただけだ。
それでも――。
人形みたいに無反応、というわけでもなかった。
あの大きな深緑色の瞳。
その奥で、何かが揺れていた。
……何なんだ、あれは。
ヴォルフは奥歯を噛み締めた。
なぜ俺は、こんなに気になっている?
「ねぇ、今日のノールさんの活躍、すっかり噂になってるわ」
新たな少女たちがテーブルに混ざった。
今日会った中では垢抜けて見える部類だ。
「大したことしてない。大袈裟だよ」
「いい人なのね」彼女はにっこり笑った。「でもあの子、お礼も言わずに逃げたんですって? まったく、本当にあの子は気が利かない」口調に嘲りが滲んでいた。
お礼ならちゃんと言われたさ。
確かに逃げられたし、ひどくぎこちなくはあった。しかし、彼女には誠実さを感じた。
「君たちはブランカと仲良いの?」ヴォルフは何気なく聞いてみた。
少女たちは変な顔で互いの顔を見合わせた。「児童施設で一緒なの。いつもお高く止まって何考えてるか分からないわよね。いい子ぶるのは得意」
「おじさんと遊ぶ方が楽しいのよ、きっと」
これまた辛辣というか、ひどい言いようだ。
何をしたら同世代の女子に嫌われ、男子から嫌がらせを受けるようになるんだ?
「あ、ねえやだ。インテリただれ人形よ」
ブランカのことか? 「インテリただれ人形?」夕方の悪ガキたちも似たような表現をしていた。
「ちょっと、あんたたち」一人がわざとらしくバツの悪い顔をした。「ブランカのことね。いっつも澄ました無表情で自分の教養をひけらかすから悪いのよ。火傷は気の毒だけど」さほど気の毒に聞こえない口ぶりで締め括った。
無表情で無反応な人形。
高い教育を受けたインテリ少女の孤児。
「悪いね」ヴォルフは立ち上がった。「ロマンと色々話したいんだ。楽しかった、ありがとう」
少女たちが困惑の声を上げるが、ヴォルフは構わず席を立った。
ヴォルフは、二人の女性を連れているロマンの元へ向かった。
「あ、ヴォルフさん!」ロマンの隣にいたレオナが手を振った。「見て見て、夕方から大変身でしょ?」隣の白いおかっぱ頭の肩を掴み、ヴォルフの方へ向けた。
ブランカはかなり見違えた。前髪を上げ白い髪をふわふわに巻き、顔の火傷痕の赤みが夕方よりも薄くなったおかげで顔の印象が明るく和らいだ。瞳と同じ色の新しいワンピースも相まって、夕方のみすぼらしい雰囲気も消えた。
「こうも数時間で変わるなんてすごいな。良く似合ってるよ」
思わず口元がほころんだ。
この子は本当に不思議だ。彼女は特別美しいわけではないのに、都会で出会うどんな女性にも真似できないような洗練された独特の雰囲気を漂わせている。
そういえばこの独特の雰囲気は、夕方悪ガキ共に絡まれてるときからあった。
いったい何だ?
この深緑色の瞳か?
前髪がなくなったおかげでより大きく見える深緑色の瞳。静かに何もかもを飲み込む森林のようで謎めいている。
すると深緑色の瞳が伏せられた。
「ありがとうございます」
小さい声で礼を言いつつブランカが顔を下に向けたので、ヴォルフからは額しか見えなくなった。
「僕も驚いたよ、ブランカ」ロマンが嬉しそうに目をきらめかせて、ブランカとレオナを交互に見た。「本当に素敵だ。火傷の痕もこれだとあんまり気にならないね。いい仕事したね、レオナ」
「あたし、ブランカは元々きれいな子だと思っていたのよね」レオナは俯いたブランカの顎に手を添え持ち上げた。
ロマンやレオナのやりとりを見ていると、さっきの子たちが言うような傲慢な娘には、やっぱり思えない。
ぼんやりそう思いながら、ヴォルフは火傷のないブランカを何気なく想像してみた。
何かが腹の底をうごめいた。
なんだ、いったい?
ヴォルフは目を細めてブランカを見た。どこかで会った気がするのは何でだ?
「さて、お腹すいちゃった。ブランカ、普段贅沢できない分、今日はいっぱい美味しいものをロマンにねだりましょうよ」レオナはブランカと腕を組み、茶目っ気にあふれた笑顔をロマンに向けた。
「まったくきみは現金だな、レオナ」ロマンが呆れたように首を横に振った。「まぁ、たまには仕方ないか」
「レ、レオナ!」
声のした方を四人は振り向いた。一人の青年が鼻息荒く立っていた。レオナは小さく「げっ」と溢した。
「レオナ、今日のきみはなんて綺麗なんだ……! ステージで僕と踊ってくれ!」
「あはは、ありがとう」レオナはあからさまに困った様子で笑った。「だけどあたしはブランカと一緒に回るから、ごめん」
「頼むよ! なぁブランカ、いいよな。いいだろ?」男はとろける目でレオナを見つつブランカに食ってかかった。
ロマンが一歩前に出た。「レオナは先約があるんだ。悪いね」圧のあるにっこり笑顔で言うと、ヴォルフを振り返った。「ブランカのこと、任せていいかな?」
「え、ああ、もちろん」
「じゃあレオナ、行こうか」
「え、ちょ、ちょっとロマ?」
ロマンは戸惑うレオナの手を取りステージに向かって行った。
振られた青年は口をぽかんと開けてレオナの後ろ姿をしばらく眺めたあと、凶悪な目でブランカを睨んだ。「こういう時は本当に使えないな、お前。ただれ人形がめかし込まれて調子づいてるんじゃないぞ」男は乱暴にブランカの肩を突いた。
「おい!」
ヴォルフは慌ててブランカの身体を支える。男はそそくさと去って行った。
ヴォルフは嘲るように鼻で息をした。
「自分が振られただけだってのに、とんだ八つ当たりだな。大丈夫か?」
「すみません、大丈夫です」ブランカは体勢を立て直し、ヴォルフから距離を取った。「いつものことです。気にしないでください」ブランカの声には抑揚がなかった。
「いつものことなのか? あのひどい呼ばれ方も?」
ブランカは目を閉じ、肯定とも否定とも取れない角度に首を傾けた。
何でこの子はこんなにも邪険にされなくてはいけないんだ?
「あの、ロマンはわたしのことを小さな子供だと思っているんです」
突然話が変わってヴォルフは困惑した。
急になにを言い出したのかと思えば、またはぐらかされたのか?
「だけどヴォルフさんもせっかくだし楽しみたいでしょう? わたしは大丈夫ですので、どうぞみなさんと楽しんで――」
「つまり俺も振られるのか?」
ブランカはまた押し黙った。どうやらそういうつもりだったらしい。変化の乏しい彼女の眉尻がかすかに下がった。
「そういうわけではなく……その、わたしといても退屈するでしょうから」
火傷の痕がない左側が赤くなっていく。次第に顔が下がり、また額しか見えなくなった。
近くからくすくす笑い声が聞こえてきた。少し離れたところにいる若い女の子たちが、ブランカを見てヒソヒソ話しながら笑っている。『ただれ人形』と言っているのが口の動きで見えた。
「俺は退屈だと思わないし、出来れば色々話したい」
むしろ、ますますこの子のことを知りたくなった。
ブランカは顔を上げて大きな目でヴォルフを見た。深緑色の瞳が戸惑いに揺れている。
「頼むよ、俺、フラウジュペイ語も分からないしさ」
「え、でも今まで普通に話していましたよね」
「あー何言ってるか分からねえ。冷たいなぁこの子は」ヴォルフはブラッドロー語で冗談めかして言った。
「そんなつもりは――」
フラウジュペイ語で言いかけたブランカはハッとして口をつぐんだ。視線がどこか別の方へそらされた。
まさかブラッドロー語が分かるのか? しかもそれを隠している?
「せっかくならきれいに変身した白いおかっぱ頭のお嬢さんに案内してほしいんだけどなぁ」ヴォルフはブラッドロー語で続けた。
深緑色の瞳はこちらを向いてくれないが、顔の赤みはランタンの光や右側の火傷痕では誤魔化せないほど、次第に広がっていった。
やはり彼女はブラッドロー語を理解している。他にどんな能力を隠しているんだ?
しかしそのことよりも、無表情で無反応と言われるブランカに微かでも変化を起こせたことに、ヴォルフはだんだん気分が良くなってきた。
「さて、まだ来たばっかりだろ? なんか食いに行こうぜ」ヴォルフはフラウジュペイ語に切り替えた。ブランカに手を差し出す。
ブランカはまたもヴォルフの手をまじまじと眺めた。「小さな子供ではないんですよ。はぐれませんし、ちゃんと案内します」夕方の時と同様、ブランカは火傷のない左手で右手を隠した。
「俺が小さな子供なんだ」
ヴォルフはにやりと笑ってブランカの右手を取り、屋台の方へ歩いた。
ブランカが身体を緊張させたのが手から伝わってきた。強引だったか?
しかし彼女は程なくして力を抜いた。横を見ると気恥ずかしそうにうつむいている。
いったいこの子は何を抱えているんだろう?
その硬い殻を割ってやりたくてたまらない。




