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【新改訂】戦犯の孫  作者: ふたぎ おっと
第五章 祖父が遺したもの
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5-6.ヴォルフの過去

「俺はルトビュッテルで生まれ育った。親父がその街の警察官だった」

 そこはヘルデンズ東部の都市。

 当時は工業都市として栄え始めたばかりの比較的新しい街だった。野心溢れる実業家と日雇労働者が次々に流れてくるこの街で、ノール家はそこそこの暮らしをしていた。

「ガキの頃はまだ自由だった。もちろん当時からアジェンダ人への風当たりは強かったけど、普通に学校に通えていたし、悪口の意味もよく理解していなくて受け流していた。近所のゼルマもそんなんだった」

 古城の庭のベンチにブランカと並んで座って、ヴォルフは淡々と語った。

 古城と併設する大きな教会から聖歌隊の歌声が響き渡っているが、ヴォルフの耳の中では、工場の蒸気音や忙しない金属音が蘇っていた。当時のルトビュッテルの日常音だ。

「アジェンダ人じゃない友達の親から、嫌な顔をされることもあった。街中で嫌がらせをされることもあったがな。街はごちゃ混ぜだった。工場帰りのやつらと、古い連中と、どこから来たのか分からない奴ら。誰がどっち側なのかも、よく分からなかった。だから――そういうものだと思ってた」

 ヴォルフはブランカを見て、ニヤッと笑った。「こう見えて俺、結構ワルしてたんだぜ」

 ブランカは首を傾げた。

「よく映画館に潜り込んだりしてさ、金も払わずに追い出されるまで居座ってた」

 ブランカはますます理解不能な顔をした。「お父さんが警察なのに、大丈夫なんですか?」

「案外バレないもんだよ」

 ヴォルフは得意げに笑った。

「工場に忍び込んだりもしたな。柵乗り越えて、まだ熱の残ってる機械の横を抜けてさ。見つかって全力で逃げた。いつも俺が先頭でさ、振り返ったら、みんなついて来たよ」

 ヴォルフは目を細めて、昔を懐かしんだ。

 まだ平和だった幼少時代。

 長くは、続かなかった。

「……俺が八歳か九歳の頃かな、違和感が増え出したのは」

 違和感は、学校から始まった。間違っていないのにテストで低い点数を付けられたり、意味不明なことで先生から怒られる。アジェンダ人じゃない友達は、遊んでくれなくなった。

「でも他にも友達はいたし、先生ってえこひいきするもんだと思ってたから、深く気にしないようにしていた」

 その頃ヘルデンズでは、マクシミリアン・ダールベルクに政権が渡っていた。

 街中のラジオではダールベルクを賛美する内容ばっかり流れて、それを聞いた大人たちが拍手をする。そんな光景があちこちで見られた。

「……親父や、近所のアジェンダ人らは引いていたけどな」

 ヴォルフの近所の人たちは、ラジオの前で浮かれる連中を避けるようにしていた。

 ブランカは、暗い顔で頷いた。

「職業訓練学校に上がったときに――」

「職業訓練学校?」ブランカは首を傾げた。

 ヴォルフはブランカを観察するように見ると、頷いて説明を加えた。「十歳になると分けられる。頭のいいやつは上の学校に行く。残りは……働きながら学校だ」

「それってみんなそうなんですか? その……」ブランカは言いにくそうに目を伏せた。

「そういうもんだよ」ヴォルフはブランカの手を叩いて答えた。

 技術系の実技を現場で叩き込まれながら、進路に合わせた勉強をする。「親が親だからな。俺もいつか警察になるんだと思って通ってた」

 ちなみにヴォルフはブランカには言わなかったが、十歳の秋に異様な現象が起きた。街中の広告もラジオも、職場の大人達の会話も、みんな同じことを言う――希望の子、クラウディア。

 そう。その年に、クラウディア・ダールベルクが誕生した。

 マクシミリアン・ダールベルクに湧いていた連中はこぞって涙し、新たに誕生する子供に同じ名前を付けた。犬や猫にまで、その名前が付けられてた。

「ヴォルフは、その職業訓練学校で警察の勉強をしたんですか?」

 ヴォルフは我に返ってブランカを見た。

 ブランカは続きを聞きたそうに、純粋な目を向けている。

「いや、そこまでいかなかった」

 ヴォルフは続きを話した。

 最初は機械いじりを勉強した。大人がやるのを見よう見まねで機械を組み立てる。手先が器用なのもあって、大体の作業はすぐに覚えた。

 しかしいつの頃か、単純な仕事ばかりやらされるようになった。

「ネジ運びとか、大人たちに工具をただ持っていくだけの仕事とか。ちょっと前までは大きい仕事やらせてもらってたのにな」ヴォルフは得意げに、しかし嘲笑交じりに言った。「俺が上の学年のやつらよりも上手く出来てたから、そのあたりを調整してたんだと思ってたよ」

 当時はそんな風に自分を納得させていた。

 けれども段々そんなことでは片付かなくなっていった。

「そのうち工具も触らせてもらえなくなってさ、それで他のやつの失敗をなすりつけられたり。ごくたまに回された仕事を上手くこなせば、他のやつに成果を横取りされるか、陰で上級生に殴られた」

 他のアジェンダ人らも同じ扱いを受けていた。

 その頃から、ラジオはよく鳴るようになっていた。朝も昼も夜も、同じ声が流れていた。ダールベルクの声だ。工場でも、帰り道でも、誰かが同じことを口にした。

 ヘルデンズが世界を導く。

 この国は正しい。

 子孫に強いヘルデンズを。

「そう言いながら、街のやつらは当たり前のように石を投げつけてきた。俺ら、アジェンダ人に」

 映画館には「アジェンダ人お断り」の紙が貼られ、店に行くとパンを売ってもらえない。

 気が付いたら、そんなことが当たり前になっていた。

「お父さんが警察でも……そんな扱いを受けるんですか?」

 ブランカが、恐る恐る尋ねた。眉尻を下げ痛々しい表情をしている。

 ヴォルフは逡巡したが、頷いた。

「親父はそれくらいのときから、帰りが早くなった。家にいる時間が増えて……多分、現場を外されてた」

 それでも父が制服を着て、街中での不当な暴力を止めに入っていったのは何回か見た。ちゃんと止められたところも見ている。ああいうときの父は、正直かっこいいと思った。

 しかし、結局父も石を投げられるようになっていった。

「だんだん学校に来ないやつも増えた。近所からも人が出て行った……ゼルマのところも」

 街には軍服姿の人間が目立つようになり、開戦論が当たり前のように語られるようになっていった。その一方で、アジェンダ人の住む地域では、強盗や家屋の破壊が頻発していた。アジェンダ人への風当たりが、激化していた。

 流石にヴォルフも身の危険を感じて、父に何度か説得した。

 俺たちも逃げようって。

「親父は馬鹿真面目にこう言うんだ。ここに残ってる連中を誰が守る。目の前で殴られている奴を、警察が放って逃げろっていうのかって」

 当時ヴォルフは、そんな父を馬鹿だと思っていた。街がアジェンダ人排除の空気に染まっていく中で、そんな抵抗して何になるんだと。

 最終的に父は、警察官ですらなくなった。

 そしてヴォルフが十五歳の時に、フィンベリー大陸戦争が始まった。

 軍人が隊列を組んで我が物顔で街を歩く。そんな中、巷ではアジェンダ人絶滅計画の噂が流れ出した。

「その頃にはもう……間に合わなくなっていた」

 ノール家は、近所の父の友人の会社に身を寄せることになった。

 それが、潜伏生活の始まりだった。 


「このまま続けて大丈夫か?」

 ヴォルフはブランカの様子を確認した。

 ブランカは泣きそうな青い顔で、押し黙っている。それでも首を縦に振った。

 ヴォルフはブランカの右手を握った。

「きつかったら、無理はするな」

 ブランカは何度も頷いた。

 ぎゅっとヴォルフの手を握り返す。  

 ヴォルフは再び語った。

「潜伏生活を始めたとき、最初は、親父に腹が立ってた」

 何で早々に逃げなかったんだ。おかしくなった世の中で警察なんて職業にしがみついて、結局自分たちすら守れていない。そう父を責め立てた。

 父は暗い顔で、何も言わなかった。それが無性に腹立たしかった。

 代わりに母が間に入って、いつも話を切った。

 父の友人が注意しに来たこともある。お前ら、死にたいのかって。

 ……反抗期のガキに、潜伏生活はきつかった。

「それって、一歩も外に出られないんですよね? 食事とかどうしてたんですか?」

「親父の友人が届けに来てた。日用品も。そんなに多くはなかったけど」

 でもそうやって他人に頼るしかない生活が、落ち着かなかった。

 ヴォルフたちは普通の声も音も立てられないのに、外からは子供の声や工場の音が聞こえてくる。暑くても窓を開けられない。昔は明るかった母も、難しい顔をするようになった。

 家の中にいると、息が詰まりそうだった。

「だから、一日だけ抜け出してみたんだ」

 潜伏生活開始から、数ヶ月後の秋だった。

 世の中のアジェンダ人狩りもいい加減収まっただろうと思ってたし、何より、家にいたくなかった。

「夕方に、少し近くを歩くだけのつもりだった」

 家の周り――父の友人の会社の周りは、案外人がいなかった。

 ヘルデンズ兵はどこにもいないし、警察もいない。……いけると思った。

 しかし少し歩くと、銃声が聞こえてきた。

 気が付いたら、ヴォルフは物陰から覗いていた。

 アジェンダ人らが、壁際に並ばされていた。小さい子供も、混ざっていた。

 その前に、ヘルデンズ兵たちが銃を構えて並んでいた。

 ヴォルフはその先をブランカには語らなかった。

「とにかく、気が付いたら家まで走ってた。親父の友人が途中で俺を見つけてさ……母さんにひどく叱られた」

 父が蒼白な顔でヴォルフを見ていたのを、よく覚えている。恐怖で何も考えられなくなっていたヴォルフの肩を叩いて、父は何度も謝った。当時のヴォルフは、父に謝るべきか、一生日の目を見られない運命を受け入れるべきなのか、分からなかった。

「そんな顔しないでくれ」

 顔を上げると、ブランカが眉根を寄せて罪悪感に顔を曇らせていた。

 ブランカの目には、涙がにじんでいる。「ごめんなさい……」

「お前が謝ることじゃない」

 ヴォルフは首を横に振り、ブランカの頭を撫でた。

 ブランカは肩を縮こまらせた。

「そういえば元々空襲の話だったっけ。空襲警報は何度か聞いた。飛行機の音も……なんか鈍い衝突音も。後で聞いたら工場がやられてたらしい」

「……ヴォルフは、そのときどうしてたの?」

「家でじっとしているしかなかったけど、正直あんまりよく覚えてない」

 空襲で街がやられれば、自由になれるんじゃないかと思ったこともあった。

 でも潜伏期間中は、ルトビュッテルはあまり標的にされなかった。

 その頃ヴォルフは、ありったけの本を読んで勉強し、物音を立てない程度の運動をしていた。それくらいしかやることがなかった。 

 そして二十歳のときに、ノール家はヘルデンズ兵に見つかった。

 その場で母と引き離された。以来会っていないし、後に死んだことを収容所で知った。

「その先は、お前も知っている通りだ」

 ブランカは、重く頷いた。

「ヴォルフは……」しばらくの沈黙の後、ブランカは尋ねた。「今ブラッドローに行って、その……どうですか?」

「どう、とは?」ヴォルフは首を傾げた。

「その……」

 ブランカは俯いて言葉を探した。どう聞いたらいいか分からない、そんな雰囲気だ。

 ヴォルフはブランカが聞こうとしていたことを、なんとなく察した。

「どうだろうな。ブラッドローに行こうと思ったときは、とにかく地に足付けたかったし、強くなりたかった」

 ヴォルフのいた収容所は、ブラッドロー軍によって解放された。その部隊にいたブロンソン少佐に拾われ、そのまま向こうに渡った。五年前のヴォルフは、ヘルデンズのこともフィンベリー大陸のことも振り返らないつもりでいた。

 けれどこうして今、東ヘルデンズにいると、自分が時々何者なのかが分からなくなる。


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