5-5.戦争の爪痕②
やがて景色は廃墟から古い歴史を感じさせる石畳とレンガ造りの町並みに変わり、間もなくして古城が二人の前に現れた。ヴォルフはその駐車場でスクーターを停めた。
「夕べ、ティモにここの入館チケットもらったんだ。知り合いがここで働いているらしい」
「それで今日出かけることになったんですね」
ブランカは町の風景を眺める。
市街地から町外れのここに来るまでの廃墟の道は、車通りもそんなに多くなく、道を歩いている人もそれほど多くはなかった。
しかしここは観光地なのだろう。独特の賑わいがそこにはあった。
突然視界にヴォルフが入り込んできた。「大丈夫か?」
ブランカはハッと我に返り、勢いよく首を縦に振る。
「ごめんなさい。ぼーっとしてました」
「いや、別にそれはいいんだが……」
ヴォルフははぁと息を吐いて、心配そうな眼差しでブランカを見る。いつの間にかブランカの頬を持ち上げていた手で、そのまま彼女の頭をごしごしかき混ぜた。
「ま、とにかく着いたんだ。せっかく来たんだし、楽しもうぜ」
ヴォルフはニッと笑ってブランカの手を取った。当たり前のように引かれる腕に、ブランカは思い出したかのようにじわじわ顔を赤くする。
ブランカの恥ずかしさとは裏腹に、ヴォルフはそのまま古城の入り口を進んでいく。
建築様式からして数世紀前のものだろうか。重厚な石造りの城が、目の前に広がっていた。
ヴォルフは「すげえな」と見上げながら嘆息するが、ブランカは別の方に違和感を抱いていた。
町は、どこも綺麗だった。
壁も屋根も崩れた跡はなく、古いはずの建物がそのまま残っている。
戦中に攻撃を受けなかったのだろうか。
それでも、行き交う人々の顔は明るくなかった。
ヘルネー市街地よりは幾分ましだが、それでもどこか重たい空気が残っている。
整った町並みと、人の表情が噛み合っていない。
それを察したように、ヴォルフが繋いだ手に力を入れた。
「俺さ、ヘルデンズのこういう城来るの初めてなんだ」城の中へ足を進めながら、ヴォルフは明るい口調で言った。
「それは外を出歩けなかったから……?」
「あー……まぁそうだな。小さい頃も。だからこういう田舎の城に来てみたかったんだ」ヴォルフはブランカに顔を向けた。「ブランカは? こういうところ、昔はよく行ったか?」
「そうですね。こういう小さなところは初めてですけど、ヘルデンズ国内の有名なところとノイマール近辺はいくつか――」
祖父に連れてもらいました。
そう言いかけて、ブランカは口を閉じた。妙な沈黙が降りる。
ヴォルフは、そうかと困ったように笑った。
「有名どころの城はどうなんだ? 迫力とか豪華さとか」
「どうでしょう……私も小さかったので記憶が曖昧ですが、庭が見渡せないくらい広くて、お城自体も大きかったような気がします」
ぼやけた記憶の中で、一番印象深かった真っ白い大きな城が頭に浮かぶ。
迫力だけなら、他の城に負けていたような気もする。けれど幼いクラウディアは一番そこが好きだった。清廉な外観と白薔薇の庭園に惹かれたのもあるだろう。
けれども一番の理由は、祖父がよく連れて行ってくれたからだ。祖父は時間を見つけるとクラウディアをそこへ連れて行き、庭園の脇のベンチで色んな話をしてくれた。クラウディアもアカデミーの話を沢山祖父に話した。
今思うと、きっと愚かで残酷な話ばかり。けれどもその穏やかなひとときが、クラウディアは好きだった。
もう焼け落ちて無くなってしまった真っ白な城。
そこで過ごした時間は、ブランカにとってはかけがえのない思い出だ。
そう、こんな思い出すら忘れられないのに……。
ブランカは胸元の中のブローチをぎゅっと握りしめる。
すると、目の前で指が鳴らされた。
「おい、大丈夫か? さっきから上の空だな」
「え、あ……ごめんなさい……」
「いや、まぁ無理もないが……。とりあえずここ空気こもってるし、一旦外に出よう」
ヴォルフは近くの窓から中庭へブランカを引っ張った。適当なベンチにブランカを座らせる。
「あそこで飲み物買ってくるから、ちょっと待っていろ」
ヴォルフが親指で差した先を見ると、中庭の脇に清涼飲料と簡単なお菓子のワゴンが立っていた。
ブランカは自分が情けなくなった。
「ごめんなさい、せっかく連れてきて頂いたのに考え事してしまって……」
「いい、俺が来たかったから連れてきたんだ。気にするな」
ヴォルフは柔らかく笑ってブランカの肩を軽く叩くと、ワゴン車の方へ向かった。
ブランカは深々とため息を吐く。
息抜きにとせっかくヴォルフが連れてきてくれたというのに、本当に自分は何をしているのだろう。気分転換どころか考え事ばかりしている。本当に彼には申し訳ない。
だけど、どうしても考えてしまうんだもの……。
祖父のこと。爆弾のこと。
確かに部屋に籠もって考えてばかりいても答えは出ないけれども……。
そう思って下を向いたとき、ブランカはふと足元の石畳に目を向けた。
その表面には、『戦争はいつ終わる?』という文字が彫られていた。視線を上げると、同じような文字が、庭園の石畳にぽつりぽつりと散らばっていた。
ブランカは息を飲んだ。ドクドクと心臓が鳴り始める。
けれども引き寄せられるように、ブランカはその文字を一つ一つ追い始めた。
『|どうか神様、早く戦争を終わらせてください《ヴァー・ベンリグ・アフサルト・クリーゲン・スナート》』
『子供にミルクを!』
『息子を帰して』
やがて城の壁まで行くと、その文字はかなり多くなった。
『ここは地獄だ』
『ブラッドローよ。何故我々を攻撃する?』
『わたしたちが何をした?』
『平和を!』『平和を!』『平和を!』
どれも、削り取るように刻まれていた。
ふと視線を下に向けると、看板が立てられていた。
「『祈りの壁』……?」
そこに書かれている内容をブランカは読み始める。
すると、間もなくしてぐいっと後ろから肩を掴まれた。
「戻ったらいなくて焦った」ヴォルフは少し血相を変えてブランカの顔を覗き込んだ。
ブランカはまたも後悔した。「本当に今日はごめんなさい……」
「はぁ、謝らなくて良いが、流石にいなくなるのは焦る……」
ため息混じりに言いながら、ヴォルフはブランカが見ていたところへ視線を向けた。
「何だ、これは?」
「ここを見て……」
看板だけ見て眉を顰めるヴォルフへ、ブランカは壁に書かれた文字を指差した。
瞬間、ヴォルフは目を見開いた。
看板の説明を追う。
空襲の噂が広がり、人々はこの城に逃げ込んだらしい。だが、結果的にこの地域に実際の攻撃はなかった。
それでも――。
食糧は途絶え、いつ来るか分からない恐怖の中で、人々はここに閉じこもって過ごしたという。
異常な精神状態の中で、人々は心の叫びを城の壁に刻んだそうだ。
「ブランカ。さっきも言ったが、つらいなら見なくて良いんだぞ?」
じっと彫られた文字を眺めるブランカへ、ヴォルフは言い聞かせる。
けれどもブランカは首を横に振った。
ブランカはそっと彫られた文字を指でなぞる。
「ねぇ、ヴォルフ。空襲ってどれくらい怖いの?」
気が付いたら、そんな質問をしていた。
するとヴォルフは大きく息を飲んだ。
「何でいきなりそんなことを聞いてくるんだ?」
明らかに困惑した声音で、ヴォルフは聞き返す。
ブランカは咄嗟に答えるのを躊躇った。何故ならあまりに恥ずかしい理由だから。
しかし、そう思った自分を、ブランカはすぐに叱責した。
「知らないんです、私。空襲の怖さも、街中での銃撃戦も。勿論、収容所の過酷さも……」
それどころか戦争が引き起こす飢えの苦しみすら、ブランカは知らない。
フィンベリー大陸戦争が始まってから終わるまで、ブランカはずっと守られ続けていた。終盤、家の中は決して幸せとは言いがたい状態だったし、いつ連合軍が襲ってくるか分からない状況ではあったけれど、それでも食べるものには困らなかった。屋根のある家の中で、ちゃんとベッドに寝て過ごせていた。父に殺されそうになって全てを失った後も、ダムブルクの施設で、ブランカはずっと守られていた。
どれほど自分の生活が悲痛だったとしても、この町の――多くのヘルデンズ人の生活に比べれば、比べものにならないほど恵まれていた。そんな自分がいくらこの城の壁に書かれた文字を悲しく思っても、ブランカがそれらを理解しきることはないのだ。
きっと耳を塞ぎたくなるような話だろう。
けれどもブランカは純粋に知りたいと思った。
ヴォルフは一つ息を吐くと、静かに話し出した。
「俺自身は空襲を経験していない。俺が住んでたところがやられたのは、俺が収容所に入れられてからだし。だが、空襲に怯えることは何回かあったな――まだ街中に潜伏してた頃」
そうしてヴォルフは昔自分が体験したことを一つ一つ話してくれた。
その最中、ブランカはふと薄萌葱色の手紙に書かれていた文を思い出す。
『ヘルデンズの運命は、お前の手に』
同時に胸元にあるブローチをブランカは強く握りしめた。
そこに書かれている暗号は、ホフマンの爆弾に関する情報と認識されている。
街を丸ごと吹き飛ばせるものだ。
――けれど、よく見て。
爆弾なんてなくても、街は壊れるのだ。




