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【新改訂】戦犯の孫  作者: ふたぎ おっと
第四章 変わらぬ故郷の街
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4-6.東ヘルデンズとオプシルナーヤ②

 同じ頃、ブランカはひたすらタイプ打ちをしていた。

 手書きの作業記録を打ち直す。難しいことを考える必要のない非常に単純な作業だ。

 ブランカの頭の中では、ずっと今朝の光景が再生されていた。

 ベッドの上で抱き合いながら熱く口づけをしていたヴォルフとゼルマ――。

 何に傷ついているの……。

 おかしいことなんてない。恋人同士であればキスやハグなんて当たり前……だと思う。ヴォルフにそういう相手がいても、不思議ではない。

 けれど……。

 今朝は、頭を鈍器で殴られたかのような衝撃が走った。喉の奥が苦しくなって、泣きたくなってしまった。

 ああいう光景をこれからも見るのかしら……。

 十年以上ぶりに再会したというヴォルフとゼルマ。ゼルマは彼のことを初恋の相手だと言っていたけれど、元から二人はそういう関係だったのかもしれない。そうでなくともあんなに魅力的な女性なら、ヴォルフだって惹かれる。

 私がとやかく言うことではない……。

 だって私は――。

「お、早いねー! 頼んだ分、ほとんど出来てんじゃない?」

 突然話し掛けられ、ブランカは身体を揺らした。

 近くで作業をしていた男性が、ブランカの横に積み上げられた書類の山をにこやかに覗いた。打ち直した帳票の清書は、ブランカの目の位置より高く積まれている。

「すごいねぇ! いやぁ、アロイスに頼まれたときはおじさん驚いちゃったけど、よく働いてくれて助かるな、なぁヤーツェク!」

「あぁ、うちでもよくやってくれてるけど、あんまり無理するから逆にヒヤヒヤするぜ」

 休憩に入ったヤーツェクが呆れ口調で近づいてきた。

 同じ作業場には、金属を打ち付ける音や甲高い溶接音が鳴り響いている。主に自動車や電気製品などに用いる金属部品を作っている。

 従業員のほとんどは、アロイスの家の近所に住んでいる人たちだ。

「なぁ、そういえば、あんたの彼氏、大丈夫だったのか?」別の男性が尋ねてきた。

 ブランカは首を傾げた。「彼氏……?」

「おいおい、何だよーとぼけてんのかあ?」

「いやぁー反応が初々しいねぇ!」

 男性たちは陽気に笑って盛り上がる。

 全く話についていけない。

「あいつ、今ゼルマと街に遊びに行くくらいぴんぴんしてんぜ」

 ヤーツェクが男たちの会話に割り込んだ。言葉がやけに刺々しい。

 ブランカはようやくそれで察した。

 早く訂正しないと……。

 ブランカが急いで言葉を探していると、男性たちは同情の眼差しで口を塞いだ。

「そ、そうだったんだな。野暮なことを聞いちまって悪かったな」

「相手が悪かったな……嬢ちゃん、他にいい奴見つけろよ」

 あたかもブランカが失恋したかのような物言い。それすらも誤解であると、どう言えばいいのだろう。

 ブランカは胸元をぎゅっと握った。

「はぁ、お前ら好き勝手言い過ぎだろ。ブランカの気持ちも考えろよなぁ」

「いやだってゼルマが相手じゃあなぁ。あんな爆乳近寄ってこられたら、冷静でいられる自信ねえ」

「おいおい、それ奥さんに言いつけるぞ」

 おじさん二人が陽気に笑い合っている横で、ヤーツェクが呆れたようにため息を吐いた。

 ブランカの方へ向き直って言う。。

「ゼルマはともかく、あんたも言いたいことあるんなら、溜め込んでないでちゃんとあいつにぶつけろよ。言われっぱなしはむかつくだろ?」

「そんなことは……彼の言うことももっともだと思いますし……」

 確かにもやもやするけれど。

 でも私がヴォルフに何を言える?

「はぁ、どんだけ良い子なんだよ、あんたは。そうやって遠慮してたって、あいつは振り向いちゃくれないぞ」

「振り向く……」

 ヤーツェクの言葉がすっと入ってこない。

 私はヴォルフを振り向いてほしいの?

 ブランカは心の中で首を横に振った。

 そんな身の程知らずなこと、思うはずがない。

 望めるはずもない。

 そもそも彼に憎まれているし、誰かに恋心を抱くことすらおこがましい――。

『――わたしのおじいちゃんはヘルデンズ帝国の一番えらい人で、世界を今よりももっとよくするために、毎日一生けんめいはたらいています』

 突然、スピーカーからそんなフレーズが流れてきた。

 ブランカは凍り付く。

 それまでBGMでしかなかったラジオ番組が、たちまちはっきりとした音となり、雑談していた人たちを一瞬にして黙らせた。

『おじいちゃんがいつも言っていることがあります。それは、わたしたちヘルデンズ人が、世界で一番とうとい民族だということです。めずらしい発明品を作るのも――』

 間違いない。

 ブランカが八歳の時に書いた作文だ。

 一ヶ月前、フラウジュペイ語に翻訳されて聞いたそれを、今度はヘルデンズ語で読み上げられる――ブランカが昔書いたままの言葉だ。

 ブランカは耳を塞ぎたくなった。

「おい、局替えろよ。こんなの聞きたくもねえ」

 ヤーツェクがラジオの近くにいた男性に向かって言った。あからさまに不快さを滲ませている。

 ラジオの局はすぐに替えられるが、重苦しくなった空気は、すぐには変わらなかった。ヤーツェクも、さっきまで陽気に盛り上がっていた男性も、険しい表情をしている。

「何だってあんなのを何回も流すんだか。ジジイ崇拝の孫の作文聞かされて誰が喜ぶんだよ」

「そうやってちょっとでもオプシルナーヤへの反感を逸らす魂胆だろ? 奴らの思惑通りなのは悔しいが、確かに胸くそ悪いよな、今の作文は」

「あんなガキのために……っ」

 各々が、さっきの作文に――それを書いたマクシミリアン・ダールベルクの孫に怒りを示す。何も言わずに作業を再開する人もいるが、その背中からは深い悲しみが漂っている。

 ブランカは唇を噛んで、静かに自分の作業を再開した。

 しかし、彼らの会話は容赦なく耳に飛び込んでくる。

「にしてもあの子も憐れだよ。誰よりもダールの洗脳を受けていたんだろ。あんな子どもにあんなこと書かせるなんて、まるで操り人形だよなぁ」

「プロパガンダに使える良い道具なら、孫も関係ないんだろ」

 嘲笑混じりの会話に、ブランカはタイプを打つ手を止めてしまった。

――プロパガンダに使える、良い道具……。

 その言葉に、ひどく違和感を覚えた。

 手の震えが大きくなり、目の前がぼやけ出す。

「おい、いい加減そんな話やめろよ。ダールベルク関連の話なんざ聞きたくねえ」

 ヤーツェクが鋭く男たちの会話を一刀両断した。不機嫌も顕なそれに、男性たちは口を噤み、作業に戻っていく。

「――で、ごめん。何の話してたっけ?」

 ヤーツェクは深呼吸をしてから、ブランカに向き直った。

 ブランカは立ち上がった。

「あの、これ、書庫に運んできます」そう言って帳票のファイルを持ち上げる。

「え? あ、手伝うよ」

「構わないです……重くないので」

 ブランカは足早にその場から逃げた。

 後ろで「振られたな」などと男たちがヤーツェクに声を掛けるが、ブランカの耳には届いていなかった。

 考えないようにしていたけれど、当然だわ。

 ここで働いている人のほとんどは、メルジェーク人とアジェンダ人。一方は祖国を破壊され、一方は民族ごと虐殺された。さっきの人たちもきっとその犠牲者――あんな作文を書いたクラウディア・ダールベルクのために。

 その当人が同じ作業場にいるなんて、一体誰が考えるだろう。本当のことを知ったらどうなるのか、一目瞭然だった。

 分かっていて彼らに紛れ込んでいる自分自身が嫌になる。抑え込んでいた罪悪感が、せり上がってきた。

 それなのに、彼らの言葉にブランカは反感を覚えてしまった。

 操り人形だなんて……。

 ブランカは書庫に入ると、胸元の布袋からブローチを取り出した。

 花の装飾のついたゴールドのブローチ。唯一手元に残った祖父との繋がり。

 これをもらったときのことは、今でも鮮明に思い出せる。

――クラウディア、何があってもお前だけは私の味方であってくれるね?

 そう言ってブランカに向けた笑顔。切実な懇願。

 父に没収されてしまった薄萌葱色の手紙もひどい内容だったけれど、それらを通じてクラウディアに向けられた祖父の想いは、おおよそ孫を道具として操るためのものとは思えなかった。

 クラウディアだってそうだ。

 確かに偏った教育を受けていた。祖父の所業もきちんと理解していなかったからこそ、あんな作文を残してしまった。

 でも――洗脳なんてされていなかった。

 少しでも祖父の心労が和らぐようにと、八歳のクラウディア自身が、心から願って書いたものだった。

 正当化するつもりはないけれど、一人の孫として祖父を慕う気持ちは、本物だった。

 それを操り人形などと、プロパガンダの良い道具などと、揶揄され否定されるなんて。

 それで、いいじゃない……。

 ブランカはゴールドのブローチを握りしめた。

 この期に及んで、どうしてあんな言葉に腹を立てるの?

 あんな人の孫に生まれたばかりに、あんな作文を書いて、消えない罪を残してしまった。罪悪感に塗れた真っ暗闇で、誰もを裏切るしかない苦痛を強いられた。

 当たり前に誰かを信じ、幸せを望むことすら許されない。

 こんな世界に突き落としたのは、他ならぬ祖父だというのに……。

「はあ、何でだよ!? 何でそんなことになってるんだよ!」

 事務室から、激しい怒声が響いてきた。大きな物音も聞こえる。

 ブランカは気になって覗きに行った。

 事務室の奥の一番良いデスクの前で、作業服姿のアジェンダ人男性が、椅子に座っている男性――おそらく工場長へと掴みかかっていた。

「あそこはうちの大事なお得意様だろ!? あそことの契約無くしたら、うちがどれだけ厳しくなるのか、分かってんのかよ!?」

「分かってる……分かっているとも……。しかし相手はオプシルナーヤ系列の会社で、先方にもこちらにも圧力を掛けられて……どうすることも出来なかった……」

「何だよそれ! それで仕方ないで済ますつもりかよ!? 一体これで何件目だと思ってんだよ!!」

 アジェンダ人男性は、工場長を椅子から投げ飛ばした。

 異変を察知した他の作業員が駆けつけるが、アジェンダ人男性は構わず続けた。

「あんたらヘルデンズ人は昔からそうだ! 昔はダール、今はオプシルナーヤ。いっつも上の言いなりじゃねえか! 自分の工場くらいまともに守れねえのかよ!!」

「オプシルナーヤの……軍部に絡まれては、私たちに為す術はないんだよ……」

「それはヘルデンズ人(お前ら)の事情だろうが! いい加減、現実見ろよ! このままじゃ潰れるんだぞ!?」

「おい、やめろよ!」

 仲裁に入った人たちが、工場長からアジェンダ人男性を遠ざける。工場長はひたすら申し訳なさそうに顔を伏せていた。

 ブランカは事務室の前から一歩下がった。

 この会話を、長く聞いていたくなかった。

 オプシルナーヤ軍部が絡んだ企業契約の破棄。嫌な予感がした。直接関わっていなくとも、そういう政策にあの人は関与しているはずだ。

 のしかかる罪悪感が、一層重くなる。堪らなくなって、ブランカは少しずつその場から遠ざかる。

 そのとき、工場長の震えた声が、耳に飛び込んできた。

「確かに情けなくて、すまないが……昔も今も、こうなったのは全てマクシミリアン・ダールベルクと――さっきの孫のせいなんだよ……。我々は従うしか無かったんだ……」

――全て、私たちのせい……。

 ブランカはブローチを握りしめた。

 その通りだ。

 ヘルデンズ人にしても、メルジェーク人やアジェンダ人にしても、それ以外の人たちにしても、マクシミリアン・ダールベルクは極悪非道な大悪党でしかない。その祖父を、ブランカは未だに忘れられずに庇い立てしようとしている。

 おまけにブランカにはもう一つ、邪悪な繋がりがある。

 東ヘルデンズに住む人たちを苦しめるオプシルナーヤ軍高官ギュンター・アメルハウザー。

 私は、ここにいてはいけない……。

「あれ? 外にいるの、ゼルマじゃないか? 隣のアジェンダは、あんたの連れか?」

 近くにいた男性が、窓の外を見ながらブランカに声を掛けてきた。

 彼が指差す方向に目を向けると、工場の裏の駐車場にスクーターを停めるヴォルフとゼルマの姿があった。入り口の方へ向かうヴォルフは、僅かに笑っていた。

 彼のあんな顔を見るのは、いつぶりだろう。

 ゼルマもとても綺麗で、二人とも、とてもお似合いだ。

「あいつら何しに来たんだよ。おい、あんたも何とか言ってやれよな」近くにいたヤーツェクがブランカに耳打ちする。

 ブランカは無表情に首を横に振った。「書庫で作業をしています」

 それからブランカは書庫に閉じ籠もった。

 入り口の方からヴォルフとゼルマ、そしてヤーツェクの声が聞こえてきたが、ブランカは聞かないふりをした。

 ブランカは、ブローチを握りしめたまま、作業服の内ポケットからハンカチを取り出した。角にWの刺繍のついた、もう白くもないハンカチ。

「私が一体、何を望めるの……」

 クラウディア・ダールベルクであるのに。

 存在しているだけでも罪深いのに、あんな作文を書いて、彼の父を死なせ、重傷を負わせてしまった。それでいて、このブローチ一つ捨てられずにいる。

 そんな自分が、二人並んだ姿に胸を痛めるなど、なんと身の程知らずだろう。

 早く……アロイスさんの条件を叶えないと……。

 仮に父の脅威を逃れられても、自分の存在は必ずこの町の人を脅かし、ヴォルフを危険に晒す。

 自分はこの町に居続けるわけにはいかない。

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