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【新改訂】戦犯の孫  作者: ふたぎ おっと
第四章 変わらぬ故郷の街
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4-6.東ヘルデンズとオプシルナーヤ①

 それから二時間。

 約束通り、ヴォルフはゼルマとヘルネーの街中へと向かっていた。

「うふふっ! こうやってヴォルフとデートなんて夢のようよぉ」

「良かったな……」

「ええとっても! しかもスクーターで二人乗りなんて、少し前の映画みたいでいいわねぇ」

「……そうだな」

 ヴォルフはうんざりしながら、スクーターのハンドルを操作した。ゼルマが普段使っているスクーターだ。

 ……胸が当たっているんだが。

 身体を前に引いても、ゼルマは容赦なく押し付けてきた。おまけに、腰に回された手がやけに落ち着かない。

「……ゼルマ、じっとしてくれないか?」

「どうして?」耳元でハスキーな声を出す。

 耐えろ……。

「一応、怪我人だから。事故るかも」

 そう言うと、ゼルマは大人しくなった。

 ヴォルフは内心ため息をついた。

 俺は何をやっているんだ……。

 下手に身動きできない間、ヘルネーのことを知っておくのは確かに必要だ。東ヘルデンズの現状を把握するのにもいい機会だ。普段簡単に立ち入れる場所ではないから、尚更だろう。

 しかし、まるで休日を過ごしているかのような感覚が、落ち着かない。こんなことをしていていいのか? いや、オプシルナーヤ兵の目を逸らすには遊びを装った方がいいが、片や工場に働きに行ったやつもいるわけで――。

 くそっ。

 アロイスは何を考えているんだ?

 いくら髪を黒くし変装したとしても、ブランカを外に出すのは危険すぎる。彼女をオプシルナーヤから隠さなくてはいけないのは、アロイスにしても同じはずだ。

 ヴォルフはあの後、外出するブランカとヤーツェクを止めに行った。しかしアロイスとブランカの間の取り決めだからと言って聞かず、また心配するようなことには絶対ならないと強く言われ、結局二人を止めることは出来なかった。

 だが――。

 やっぱり引き下がるんじゃなかった。

 大体取り決めって何なんだよ。アロイスに転がされている状況にもいらいらする。

 特にあいつだ。

 あの黒いおかっぱ頭。頑なにこちらを見ようともしない。

 確かに俺も良くなかったが――……。

「ねぇ、ヴォルフ? 聞いてるのお?」

 不意にゼルマの声が耳に入ってきて、ヴォルフは我に返った。

 ヴォルフは深くため息を吐く。

「悪い……聞いてなかった」

「もぉ何よそれぇ。だからね、今日は南の運河沿いでマーケットやってるから、是非行きたいんだけど、ヴォルフはどこか希望はある?」

「そうだな。とりあえず街をひととおり把握するためにも適当に走るから、重要箇所とか治安の悪いところとか、何でもいいから気が付いたことがあれば解説してくれ」

「ふふっまるで観光案内人ねぇ。任せて頂戴」

 ゼルマは終始嬉しそうだ。

 仕方ない。

 ヴォルフも自分の仕事に集中するしかない。

 それこそ時間は限られているしな……。

 自身に跳ね返ってきた失言にしみじみ頷いていると、同時に黒いおかっぱ頭も脳裏をよぎり、ヴォルフは再び深くため息を吐いた。

「……ゼルマ。もう一つ頼みがあるんだが」

「なぁに? 何でも言ってちょうだい」

「帰りにヤーツェクが働いているとか言う工場の場所を教えてくれ」

「え? まぁ、いいけれど……」

 後ろでゼルマが驚いたように返した。正直自分でもどうかしていると思う。

 しかし、ブランカを……確認しておく必要がある。

 つまりはそういうことだ。


――それにしてもひどいな……

 中央通りの小脇の道に入り、でたらめにスクーターを走らせながら、ヴォルフは思った。

 人通りの多い中心部には、新しい商業施設やホテル、整った集合住宅が並び、戦後の復興は順調に進んでいるように見えた。

 だがそれも一角だけだ。看板はどれもオプシルナーヤ語に変わり、数百メートル離れれば景色は一変する。抉れたビル、崩れたアパート、焼け跡の残る病院。屋根を失った教会と、がれきに埋もれた道。

 荒廃が、そのまま放置されていた。

「……フィンベリー大陸戦争の痕……なんだよな?」

「そうみたい。あたしも初めてここに来たときには目を疑ったんだけれどねぇ」

 フィンベリー大陸戦争の後半から、ヘルデンズはブラッドローとオプシルナーヤから幾度も空襲され、終盤は国内のあちこちで激しい陸上戦が繰り広げられた。この光景も報復を受けた結末だ。

 しかしそれから五年は経っている。

「これは意図的に残しているんだよな?」

「ほとんどはねぇ。解体も建て替えも、今はほとんど止められてるみたい。こんなの、地元の人は封印したいでしょうにねぇ」

 敢えて残している。

 罪の記憶を刻みつけ、オプシルナーヤに逆らえないようにするために。

「うちの周りは早くに家を建て替えたから良かったんだけれど、今じゃ自由に家を建てられないじゃない? うちに来るお客さんもまだ仮設住宅で暮らしている人も多くて、気の毒よぉ。中央通りのアパートだって、本当は地元の人が建てていたんだけれどねぇ」

「奪われたんだな」

「理不尽よねぇ」

 だからこそアロイスのような反対勢力が生まれたのだろう。

 それにしても――。

 無気力に歩く人も、やけに多くはないだろうか?

 すると道路の先の路肩に、人だかりが出来ていた。

 気になって近くまで寄ると、自動車の衝突事故が起きていた。地元タクシーに真新しいスポーツカーが突っ込んだ形だ。

 凹んだタクシーから血まみれの女性が運び出される一方、タクシーの運転手ともう一方の車の運転手、そして地元警察と何故かオプシルナーヤの将校が、事情を話していた。

「相手はオプシルナーヤ人ねぇ。しかもやぁだ。あれ、お酒入っているわよぉ」

 ゼルマがぼそりと呟くが、確かにスポーツカーの運転手と見られる男は、東フィンベリー系の顔立ちをしていて、頬や鼻が赤くなっている。目も焦点も合っていない。

 飲酒運転の衝突事故。

 ヘルデンズの法律は知らないが、確実に刑罰対象のはずだ。

「<では、この男は我が国の刑法に則って厳重に処罰する故、我々が身柄を引き取ります。異論はありませんね?>」

 オプシルナーヤ将校は、高圧的に地元の警察官に確認した。警察官がおどおどしながらタクシーの運転手に通訳して聞かせると、タクシーの運転手は地面に崩れ落ちながら頷いた。

 オプシルナーヤ将校は相手の運転手を連れ、追突したスポーツカーを牽引して去っていく。

 去り際、相手の運転手は「<俺悪くないっすよね? 向こうは人殺しのヘルデンズ人っすよ>」などと大声で笑っていた。隣に座っていたオプシルナーヤ将校は諫めようとはしなかった。

 その場にいた全員、今のオプシルナーヤ語を理解出来たのかは謎だ。しかし、どいつも怒りを露わにしようともしない。諦めに似た虚無感が、漂っている。

「なぁ、あの連行された男はどうなるんだ?」ヴォルフは小声でゼルマに尋ねた。

「何の刑罰も無し。これが逆だったら過剰に慰謝料請求してくるのに、ひどい話よねぇ」

 この場のヘルデンズ人は何も言わない。

 凶悪なオプシルナーヤ相手には反論することも出来ないのか、そもそも言う気力が失われているのか――。

「本当に嫌なものを見たわぁ。ヴォルフ、そろそろ行きましょう」

「あ……あぁ……」

 ゼルマに促されて、ヴォルフはスクーターの向きを変え再び発車した。

 走っていると、倒壊した建物が再び目に飛び込んでくる。その中には「ヘルデンズ人は人殺し」と大きくスプレーで書かれた壁もあった。


***


 ひととおり街を走りきると、ゼルマご所望の南の運河へ辿り着いた。

 そこだけは、他の惨状とは打って変わって整備されていた。石畳と、橋や道に施された新しい細工が不自然なく溶け合い、妙に洗練された空気を作っている。戦後に建て直された一帯らしい。

 運河沿いには露店が並び、ひときわ賑わっている。だが、それまでの景色との落差に、ヴォルフはうまく馴染めなかった。

 すると突然至近距離にゼルマの顔が現れた。

「うわ! びっくりした。いきなり驚かせんなよ」

「びっくりした、じゃないわよぉ! ずぅっと考え事してるんだからぁ」

「悪い……」

「まったく、さっきのことが気になっているのかもしれないけど、そういうの良くないわよぉ」

 ヴォルフは何も言わなかった。

 先程の理不尽な一件が衝撃過ぎて、後を引いている。おかげで何を話していたか覚えていない。

「来たはいいが、俺今一文無しだぞ」

「ほらぁ、全く聞いてなかったじゃなぁい! 今日は見て回るだけってあたしさっき言ったわよぉ?」

 ヴォルフは口を閉じた。

 ゼルマが口を尖らせる。

「ヴォルフってば夕べ起きたばかりだっていうのにずぅっと難しい顔をして。早死にするわよ?」

「そうかもしれないな」

 自嘲気味に返した。

 まぁ自分の職業を考えれば、あながち間違いじゃない。

「とにかく、あなたは今はリフレッシュしなくちゃいけないんだから、難しいことは今日はもう無し! あ、ほら見てぇ。この帽子お洒落じゃなぁい?」

 ゼルマは通りかかった露店の棚からベージュ色の小振りなハットを手に取った。それを被って形の良い笑みをヴォルフに向ける。

「いいんじゃないか?」

「ちょっとぉ、もうちょっと気持ちを込めて言ってよねぇ。あ、ヴォルフはこれ似合うんじゃないかしら?」

 ゼルマは手近にあった帽子をヴォルフの頭に載せた。そうして別の帽子を被り、鏡の前でポーズを取って楽しそうに遊んでいる。

 その姿にヴォルフは肩を竦めた。しかし彼女の明るさに、少しだけ気持ちが和む。

「ねぇ、覚えてる? あたしたち昔、こういう帽子使って大道芸ごっこしたわよねぇ」

「そんなこともあったな。確か全く儲からなかったんじゃなかったっけ?」

「それはヴォルフのダンスが下手だったからよぉ」

「お前のダンスも悲惨だっただろう」

「だけどこの十数年で成長したのよぉ?」

 ゼルマは一歩下がり、スカートの裾をつまんで踊り出した。南フィンベリーの民族舞踊だ。複雑な足取りを、軽やかに踏み切る。

 最後にポーズを決めると拍手が起き、ゼルマは笑って会釈した。

 それを見ながら、ヴォルフは自分が笑っていることに気付いた。

 ……確かに、こういうのも悪くない。

 そう思えるのは、ゼルマが相手だからかもしれない。  いきなり迫られたときには動揺したが――。

 そう思ったとき。

 別の顔が脳裏に浮かび上がった。

 まっすぐにこちらに向けられた瞳は、ちょうど目の前の棚に掛かった翡翠のペンダントのようで――。

「――ねぇ、待って! お願いだから話を聞いて!」

 泣きそうな声が、少し離れたところから聞こえてきた。

 ヴォルフとゼルマは気になってそちらを観察する。

 運河沿いの反対側で、女が男に、泣いて縋っていた。

「ねぇお願い! 心からあなたのこと愛してるの! あなた無しでは生きられない! だからお願い、別れるなんて言わないで!」

「君には心底がっかりだよ。もう見たくもないけれど、うちに帰るまでは許してあげる。帰ったらすぐに荷物をまとめて出て行ってくれ」

「待って!!」

 若いその女は何度も男を引き止めようとするが、その男は冷たく突き放す。

 こんな往来での痴話喧嘩は、格好の見せ物だ。周りにいる人たちは薄ら笑いを浮かべ、ゼルマは「みっともないわねぇ」と呆れ返っている。

 しかし彼らの続きの会話に、とんでもない爆弾が落とされた。

「あなただって、さっきは私を愛してるって言ってくれたわ! ねぇ、そうでしょう!?」

「ああ、言ったさ愛していたさ、さっきまではね! 僕は君が身寄りのない可哀想な子どもだったから面倒を見ていたのに、まさかそれがダール時代の国家保安官の娘? 市民を痛めつけていた極悪人じゃないか!」

 ヴォルフは息を飲んだ。呆れ返っていた周りの人たちの表情も、一瞬にして変わっている。

 女は泣きわめいた。

「確かに私はそう言ったわ! 父がどんなことをしていたのか、知っている。だけど私は無関係よ、父の所業に何も関与していない! あなたも知ってるでしょう、私子どもだったんだから、何も出来るはずがないわ!」

「そんな理屈が通るものか! どうせ君は僕たちがダールに酷使されているときも、高見の見物をしていたんだろう? それで父親が死んだら難民のフリか、なんてことだ。そんな穢らわしい女をまんまと囲っていたなんて、あぁ自分にも腹が立つ。みなさん! ここに僕らを苦しめた悪党の娘がいますよ!」

「待って! 話を聞い――っきゃああ!!」

 どこからか飛んできた石が、彼女の頭に直撃する。石は次々投げられた。

 男はその隙に彼女の前を去っていく。女は「私は何もしていない!」と声を上げ男を追い掛けようとするが、物を投げていた一人に殴られその場に崩れ落ち、やがて取り囲む人々の壁で見えなくなっていった。

 どこかで見たような光景に、ヴォルフは絶句する。

「今日に限って嫌なものばっかり見るわねぇ。だけど、同情は出来ないわねぇ。国家保安官ってアジェンダ狩り進めた人でしょう? そんな人の娘が正体を隠してぬくぬく生きてきたなんて、虫がいいわよねぇ」

 ゼルマは言葉に刺を含ませ言った。

 ダール体制時代の国家保安長官と言えば、ヘルデンズと占領地でアジェンダ人や反乱分子などの取り締まりを推し進めていた人物だ。アジェンダ人にとっては敵であり、長引く戦争に巻き込まれたヘルデンズ人にとっても憎むべき存在だった。本人が処刑された後も怒りは消えない。むしろオプシルナーヤの今の支配の圧力の中で、その矛先が娘に向くのも、不思議ではなかった。

 しかし、ヴォルフは何故か、いい気味だとは思えなかった。

 何より、交通事故の時には怒りすらも表さず、皆諦めたように無気力だったというのに、あの娘を取り囲んでいる人たちは、思い出したかのように怒り狂っている。

 その落差が、異様に思えた。

 それに今の娘……。

――僕の目の前にいたのは、体中焼き焦げて今にも死にそうになっている、たった十一歳の小さな女の子。

「――あの子も馬鹿だよなぁ。どうせこうなること分かっていたんだから、正体隠すなら隠し通せばよかったものを」

 帽子屋の店主が、ゼルマの愚痴に乗り話し掛けてきた。ゼルマが「それもそうよねぇ」と応じて振り返るので、ヴォルフもつられてそちらを見た。

 瞬間、ヴォルフは凍り付いた。

 ヴォルフよりもやや年上に見える帽子屋のその店主を、彼は知っている。

「ま、幹部の娘で贅沢暮らしをしていたツケが回ってきたことなんだろうけどな!」

 この男はヴォルフに気が付く様子もなく、運河の向こうでリンチに遭っている女を見ながら、嘲笑気味に言った。ゼルマや周りにいた人たちはこの男に同意するが、ヴォルフは不愉快でならない。

「おい、行くぞ」

「え、ちょっとヴォルフ?」

 無理矢理ゼルマを引っ張り、ヴォルフはその場を離れた。後ろから帽子屋の店主が「またいらしてください」などと暢気な声を掛けてくる。

 二度と行くか。

 その帽子屋の店主は、ヴォルフがかつて入れられていた強制収容所の看守だった。中でも悪質な虐待を日常的に行っていた一人で、収容所仲間も殺していた。

 贅沢暮らしのツケが回ってきただと?

 一体どの口が言っているんだ?

 こんなところで当たり前のように生活していることが信じられない。

「ねぇ、ヴォルフ? 怒ってるの?」

「悪い。流石に今のは俺も気分が悪かった」

「そう……あなたも色々あったものねぇ」

 ゼルマは「軽率だったわ」と謝った。

 ヴォルフは運河の対岸を見た。

 ようやく到着した警察が、娘を取り囲んでいた人たちを抑え、同時に駆けつけた救急隊員が娘をその場から運び出していた。

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