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【新改訂】戦犯の孫  作者: ふたぎ おっと
第四章 変わらぬ故郷の街
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4-5.ブランカは見た

 部屋に入ると、その人は、ベッドに座りながらこちらを不思議そうに見てきた。

 赤茶の短髪に切れ長の瞳。面影を残しつつ、落ち着きと力強さを帯びた顔立ちへと変わっていた。

 彫りも深く、見違えるほど男前だ。

「お前は……」

「ヴォルフ! また会えて嬉しいわぁ!」

 ゼルマは朝食の盆をサイドテーブルに置くと、まっすぐにヴォルフに抱きついた。頬に返ってきた硬い筋肉質の感触に、ゼルマは満足する。

 更にぎゅっと抱きつこうとすると、強い力で引き剥がされた。

「ゼルマ、いきなり飛びつくな」

「ごめんなさい、怪我に触ったからしらぁ?」

「いや、問題ない。まったく、お前は相変わらず……」

 ヴォルフは右手で左肩を押さえながら、呆れたように息を吐いた。

 そしてニッと笑みを浮かべた。

「久しぶりだな、ゼルマ。お前に助けられたと聞いてまさかと思っていたが、本当だったんだな」

「本当にびっくりしたわよぉ。まさかパパのトラックにあなたが乗ってるなんて思わないじゃなぁい! でもその場にあたしがいて本当に良かったわぁ。ねぇ、最後に別れてから何年ぶり? 十年は確実に経っているわよねぇ?」

「十年……十二年くらいか? 戦争が始まる前だったか、お前の家が引っ越したのは」

「そうねぇ。あのときのあたしは、もう二度とあなたと会えないんだと思っていたわぁ」

 ゼルマとヴォルフはヘルデンズ東部の都市にあるアジェンダ人地区で生まれ育った。幼稚園から職業訓練学校に上がる頃まで、ずっと一緒だった。

 しかし二人が十二歳くらいになると、アジェンダ差別が過激化した。外に出れば物を投げられ、家にいても突然襲いかかられる。そんな中、ヨアヒム一家は家を捨てヘルデンズから脱出し、フィンベリー大陸からも抜けて、海の向こうの大陸へと亡命した。

 それから間もなくして、フィンベリー大陸戦争が始まった。他国からの激しい攻撃もないその地で、ゼルマは戦争が終わるまで平穏に過ごした。

「だけどそこの気候が合わなくてママが死んじゃってねぇ。どうせなら故郷の土に埋めてあげようって、終戦の翌年にここに戻ってきたの。ここはママの生まれ育ったところだから」

「そうか……おばさんのことは、無念だったな。だが、お前と親父さんが無事に元気でやっていて、本当に良かったよ」

「それはこっちの台詞よぉ! あっちで色んな噂を聞いていたのよぉ? あなた、その……あの後もヘルデンズにいたの?」

 ヴォルフは少しだけ逡巡すると、力なく笑って答えた。

「ああ、完全に逃げるタイミングを失ってな。知り合いのところで潜伏生活をしていたんだが、生憎アジェンダ狩りで捕まってしまって、親父と母さんはそれで……」

 最初こそは穏やかな調子で話していたが、話終わる頃にはどこか苦いものが滲んでいた。

「そう。でも尚更あなたと再会できて良かったわぁ。とりあえず朝食持ってきたから食べて頂戴」

 ゼルマはにっこり笑ってスープの入った皿をヴォルフに差し出した。

 彼は目を丸くしてそれを眺めた。

「それ、あいつに頼まれたのか?」

「あいつ? 黒髪のおかっぱの子? 作ったのはあたしよ」

「そうか……」

 ヴォルフは深くため息を吐き、スープ皿を受け取った。

 彼の瞳は不機嫌そうに細められていて、それでいながらどこか遠くを眺めている。明らかに上の空に見える。

 ゼルマは片眉を吊り上げた。

「あの子はあなたの恋人か何か?」

 ヴォルフは飲んでいたスープを吹き出した。

 ープが変なところに入ったのか、彼は思いっきり噎せ込む。

「馬鹿言え。んなわけあるか」

「ええ、でも二人で何処かから逃げ込んできたんでしょぉ?」

「はぁ……そうか、そこまでは知れ渡っているのか。別に、ただ事情があって行動を共にしているだけだ」

 ヴォルフは「だけだ」の部分をやたら強調して言い切った。心底不愉快そうな表情だ。それでいて焦点の合ってなさそうな彼の瞳は、確実に目の前のゼルマを映していない。

 へぇ、事情ねぇ?

 ゼルマは更に片眉を吊り上げた。

 ヴォルフの反応が面白くない。

 そもそも、あのおかっぱ頭の女の子のことでこんなにも分かりやすく機嫌を悪くするのが気に入らない。ヴォルフともあろう男前が、あんな貧相な小娘のことで頭を悩ませるなど、納得がいかない。

 目の前には美貌の女がいるっていうのに。

「じゃあヴォルフ、あなた他にそういう女いるの?」

 ゼルマは悠然と足を組み、膝に頬杖を付いて彼をまっすぐに見た。スカートから少し脚を見せれば、動揺しない男はいない。

 しかし彼は、ゼルマの仕草に対する反応はほとんど見せなかった。不機嫌そうな顔を引っ込めず、この手の話に心底うんざりといった様子で答えた。

「生憎、独り身だよ。仕事での出会いもほとんどないしな。そういうお前はどうなんだ? その歳で独身は笑えないぞ」

 ヴォルフは冗談ぽく笑い飛ばした。

 ゼルマは内心ほくそ笑んだ。

「本当に笑えないんだけど、あたし、独身なのぉ」憂いを帯びた様子で大きく肩を落としてみせた。

 正確には亡命先で一人、ヘルデンズに戻ってから一人、それぞれ結婚と離婚を繰り返した後ではあるけれど。

 ヴォルフは分かりやすく狼狽えた。

 しかしまだゼルマの望む反応ではない。

「この歳でこれだからねぇ。早くパパを安心させてあげたいんだけど、あたし売れ残っちゃったみたぁい」

「はぁ……大袈裟だな。別に男なんかその辺にゴロゴロいんだろ? 選り好みしなきゃいいんじゃないのか?」

「それじゃあ嫌なの」

「は?」

 ゼルマはヴォルフの手からスープ皿を奪い取った。彼の両手を握って上目遣いで見上げる。別れた夫を含め、これで落ちなかった男はいない。

「ねぇ、この再会は運命だと思わなぁい?」

「は? い……いやいや、待てゼルマ。意味が分からない」

「あなたこの十二年でとても素敵に成長したわぁ。あたしはどーお? 綺麗になった?」

「ああ? あ、ああ、綺麗になったと思うよ、見違えた。だが俺はな――」

「まぁ嬉しいわぁ!」

「おい、俺の話を聞けっ――っておいゼルマ!」

 ようやく状況を察したらしいヴォルフは、ゼルマの手を解こうとする。ゼルマは彼が左腕に力を込めないのをいいことに無理矢理ベッドに乗り上がり、彼の膝に跨るようにしながらヴォルフの胸にもたれ掛かった。自分の豊満な胸を彼に押しつけるのも、忘れない。

「おい、離れろゼルマ。俺はお前にそういう感情はないからやめろ」

「今は、でしょお? それにつれないわぁ。あたしがいなかったらあなた、助からなかったのよぉ?」

「それは……ぐ……っ感謝しているが、それとこれとは別だろ。いいから降りろっ」

 ヴォルフは右手でゼルマの身体を離そうとするが、ゼルマは構わずヴォルフの首に腕を回した。ちょうど彼の目線の位置にゼルマの胸が近づくが、ヴォルフは至極嫌そうな表情で顔を逸らす。

 こうも自分に靡かないのは納得がいかない。

 ゼルマの心は更に燃え上がった。

 嫌がるヴォルフの顔を無理矢理こちらに向かせ、顔を近付けた。

「ねーえ? 本当にあなたがあたしに感謝しているのなら、ご褒美、もらってもいいかしらぁ?」

「はあ? だから何でこうなる……っ!?」

「いいじゃない、減るもんじゃないんだから」

「おいっちょっゼル――」

 ベッドのヘッドボードと自分の身体の間で藻掻くヴォルフを抑えて、ゼルマはその凛々しい唇に自身のそれを重ね合わせた。

 少しかさついた彼の唇は固い力が込められている。まるでそれは、ゼルマの身体を押し返そうとする右手と同じく、ゼルマの唇を拒絶しているかのようだ。

 当然ゼルマとしては面白くない。

 ゼルマはぎゅっとヴォルフの顔を固定しながら、一層強く彼の唇を吸った。

 するとそのとき――。

「あの、入ります」

 消え入りそうな小さい声と共に、部屋の扉が開かれた。

 瞬間、息を飲むのが唇越しに伝わってきたかと思うと、強い力で身体が引き剥がされた。

 ヴォルフは焦ったように扉の方を見る。

 その視線の先では、黒髪のおかっぱ頭の女の子が、ベッドの上でじゃれ合っている二人の様子に瞠目し、固まっている。

「あ……えっと、私……お薬をゼルマさんに預け忘れていて……えっと……その……ごめんなさいっ!」

「おいっ待て!」

 ブランカは青い顔で少しずつ後ずさると、勢いよく来た道を引き返していった。

 同時にヴォルフもゼルマの身体を剥がし、ベッドから飛び降りて彼女を追いかけていった。

 何この状況……。

 ゼルマはベッドの上で呆然と瞬きする。

 自分のような女を差し置いて他の女の子を追い掛けるなど、納得がいかない。


***


 廊下を駆けていく黒いおかっぱ頭を、ヴォルフは必死に追い掛ける。

 何故追っているのか、何故こんなにも焦っているのか、そんなことを考える間もなく衝動的に身体が動いていた。

 台所らしき部屋に入る直前、その細腕を捕まえた。

 走った衝動で左肩の傷が疼くが、構わずヴォルフは彼女へ声を掛けた。

「おい……お前、今の……」

「見てません。知りません」

「そ……れならいいが、こっち向け」

 ヴォルフは彼女の肩へ手を回し、その小さな身体をこちらへ向かそうと力を入れた。

 彼女はヴォルフの手から逃れるように肩を逸らす。もう一度ブランカの肩を引っ張るが、身体はこちらの方へ向いても、彼女は頑なに顔をヴォルフの方へ向けようとはしなかった。

 そうしているうちに、ヴォルフは何故だか無性に苛立ちが湧いてくる。それと同時に、こんなことをしている自分自身に疑問を抱く。

 キス一つで、俺は何でこんな取り繕うかのようなことを――。

 すると、ブランカは身じろぎしながら、小さな声で言った。

「別に……ヴォルフがどこで何していようと……私には、関係ないですから……」

「何?」

 彼女が言っていることは、何もおかしくない。

 ヴォルフにしても、彼女がどこで何をしていようと知ったことではない。こちらのこともそうだ。たださっきの偉そうな言葉が引っかかっているだけだ。

 頭ではそう思うものの、まるで壁を作るかのようなブランカの発言に、納得がいかない。腹が立つ。

 ヴォルフの苛立ちが余計に増していく。

「私は……っ言われたとおり時間を有効活用しますから……どうぞ、ごゆっくり療養してください」

「はあ? 何でそうなる……いや、とにかく! いいからこっちを――」

「――ブランカ、アロイスの提案なんだけどさ」

 もう一度彼女をこちらに向かせようとしたとき、リビングからヤーツェクが現れた。

 彼は二人の間にある微妙な空気に息を飲む。やがてヴォルフの方を見ると、怪訝な表情でこちらを睨んできた。

 なんなんだいったい。

 一瞬ヴォルフが手を緩めた隙に、ブランカはヤーツェクの方へと寄っていった。

「アロイスさんの提案ですか? 何ですか?」

「え? ああ、なんか今日あんたをうちの工場で働かせてやれって言ってくるんだよ」

「え……私を、工場で?」

「待て、どういうことだ?」

 ヴォルフは二人の会話に割り込んだ。

 未だこちらには顔を見せないくせに、ブランカは簡単にヤーツェクの方を向いて話す。それがまた無性に気に入らない。

 だがそれよりも、今の話だ。

「兄さんも自分で行動できるようになったし、ブランカちゃんがずぅっとついとる必要もないやろ」

 どこからか現れたアロイスが、軽い調子で答えた――「ずぅっと」の部分をやけに強調して。

「それにうちに居候するなら、ちゃんと働いてもらわんと困るからな」

 アロイスはブランカの方へ含みのある同意を求めた。「ってなわけで、ヤーツェク、今日一日ブランカちゃんよろしく」

「任せときな。ブランカ、用意するから手伝ってくれ」

「はい……よろしくお願いします」

 アロイスが強引に話を進め切り上げると、ヤーツェクはブランカを連れてリビングの方へと向かっていった。

 ヤーツェクはちらりとヴォルフへ一瞥を寄越した。野生的な彼の目は、尚もヴォルフに不穏な感情を抱いていることをまっすぐ伝えた。

 既に募っていたヴォルフの苛立ちが、余計に刺激される。

 ヴォルフはアロイスに詰め寄った。

「アロイス、あいつを働かせるってどういうつもりだ。そんな場合じゃないって分かってるだろ?」

「兄さんがそうやってカリカリしとるからやろー? ヤーツェクなら大丈夫や、ちゃんと見てくれるから」

「だからって何でわざわざ……」

「ちょうど良いじゃなぁい。あたしたちも出掛けましょうよお」

 深みのある艶やかな声が、割り込んできた。

 ヴォルフがげんなりとして目を向ければ、厄介事の元凶は、悠然とした笑みを湛えて廊下の壁にもたれ掛かっている。

「はぁ……お前なぁ……」

「ヘルネーの街、案内してあげる」

「お、それいいやん。時間は有限やからな、いいように活用しやんとな」

 アロイスはまた含みのある物言いをする。

 まさか今朝のブランカとの会話を聞いていたのか?

 腹立たしいが、ヴォルフには何も言えない。

 それに、ゼルマの提案もあながち悪くない。

「ふふ、そうと決まったら二時間後に出発ねぇ。ちゃんと用意しておいてよぉ」

 ヴォルフが頭を抱えて項垂れていると、ゼルマがヴォルフの頬にキスして出ていった。

 苛立ちと頭痛と肩の痛みが、一気にヴォルフに襲いかかる。

「前途多難やな、兄さん」

「うるせえ。ほっとけ」

「はいはい。やけど兄さん」

「何だ」

「口紅付いとる」

 ヴォルフはすぐに洗面所に向かい、その有様に、思わず顔をしかめた。

 同時にゼルマにキスされたときのブランカの顔が、脳裏に浮かぶ。

 ……まだ本調子じゃないだけだ。

 ヴォルフは冷たい水で顔を洗いながら、心の邪念を振り払った。

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