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【新改訂】戦犯の孫  作者: ふたぎ おっと
第四章 変わらぬ故郷の街
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4-4.八つ当たり

 どうしたものか……。

 ヘッドボードにもたれて、ヴォルフはため息を吐いた。

 あれからヴォルフは再び眠りについたが、あまりよく寝付けなかった。

 窓の外はもう明るくなってきている。動き回りたいが、鋭い痛みと気怠さが残る身体では、思うようにいかない。

 仕方がないので傍らに置いてあった新聞を読みながら、夕べの件を考えていた。

 アロイスの言いたいことは分かる。

 確かに東ヘルデンズでのやり方は、噂以上にかなり汚い。搾り取り、苦難を強いる。反発は当然だ。

 この問題に、ブラッドローも西から圧力を掛けてはいるが、止めきれてはいない。

 だからクラウディア・ダールベルクを追っている。

 だが――それで得たものを東のために使われる保証はない。アロイスの懸念は、否定しきれない。

 しかし、ヴォルフはブラッドロー軍の一兵士。任務を遂行しなければならない。

――君が今ぽろっとうっかり言うた『任務』には、僕らの明日の生活が掛かっとる。

 くそっ。

 夕べのアロイスの言葉が、何度も甦る。共感するべきではないのに。

 ヘルデンズは……ヴォルフの故郷だ。この有様に、何も感じずにいられるものか。たとえ、自分を迫害した国であっても。

 ヴォルフは腕の内側を見た。

 刻まれた数字は、昔の囚人番号――……。

 そのとき、部屋の扉がそっと開けられた。

 扉の向こう側に、黒いおかっぱ頭が立っていた。色の付いたその髪色は見慣れないが、その顔立ちと右頬に走る赤い火傷の痕、そしてこちらに向けられる深緑色の瞳は、紛れもなくブランカだ。

「起き……ていたんですね……」

「……見ての通り」

「そうですね……。良かった……」

 良かった、だと?

 ブランカは、ゆっくりと息を吐き全身で安堵する。

 それを見てヴォルフは眉をひそめた。

「あの、気分はどうですか? 実はここの家の方に助けていただいて――」

「知ってる。アロイスとヤーツェクだろ? 夕べ少し喋った」

「そう……だったんですね。えっと……包帯、替えます。アロイスさんから消毒の仕方もちゃんと教わったから……」

 ブランカは洗面器を抱えてベッドの側まで寄り、用具を準備する。

 ヴォルフは怪訝な目でその様子を眺めた。

 どういうつもりだ?

 ひとまずは彼女に身を任せた。しかしヴォルフの着ていたシャツを脱がす手は非常に辿々しく、不安げにこちらを伺う様は、相変わらず頼りない。

「具合はどうですか? まだ熱がありそうですが……」

「良くはないが、そんなことより現状とこの辺りの情報を教えろ」

「そんなことよりって……えっと、こうなったきっかけですが……」

 ブランカは、ヴォルフが倒れてから今までのことを話し始めた。

 乗っていたトラックが、ヴォルフの幼馴染みの家のものだったこと。アロイスとヤーツェクの職業と二人の国籍。この辺りにはヘルデンズ人以外に、メルジェーク人やアジェンダ人など、様々な国籍・民族の人たちが住んでいること。彼らは総じてオプシルナーヤを良く思っていないこと。

 おどおどしながら話す彼女の話を聞きながら、ヴォルフは段々苛々してきた。

「――お前はバカか?」

「え?」

「俺が寝ていた二日、一体何をやっていたんだ? それくらい一、二時間あれば分かることだろう?」

「そう……ですが、でも……」

「まさか髪染めてこんな包帯の巻き方覚えるのにそんなにもかかっていたのか?」

 ようやく包帯が巻き終わった肩を高くして言えば、ブランカは唇を噛んで黙り込んだ。目を大きく見開きじっとこちらを見る様子は、図星と言うことでいいだろう。

 ヴォルフは盛大にため息を吐いた。

 こっちは一体誰のせいで頭を悩まされていると思っているんだ……!

 アロイスとの取引は彼女の身柄だ。こいつが軽々しく頼らなければ、ここまで不利にはならなかった。それに東ヘルデンズの現状も――元を辿ればマクシミリアン・ダールベルクの戦争で、すべてはあの独裁者が溺愛した孫のためだった。

 そう、何もかもこの娘――クラウディア・ダールベルクのせいなのだ。

 この娘のために、ヴォルフは振り回されている。今も、昔も。

「だ……っだけど、よく知らないところにヴォルフを置いて出掛けるわけにもいかなくて……」

「それでお前がいてどうにかなるのか?」

「それは……」

「大体俺はお前にこんなことを一言でも頼んだか? いや、頼まないな。こんな甲斐甲斐しく世話してどういうつもりだ?」

 マクシミリアン・ダールベルクの孫である彼女が、かつて滅亡を望んだアジェンダなどを世話して。

「まさかそれで罪滅ぼしのつもりか?」

 ヴォルフは薄く笑って言った。

 視界に映る彼女の顔が、ひどく歪んで見えた。

「違う……私はただ……」

「ただ何だと言うんだ? こんなことで俺の気が済むとでも? むしろ不愉快だな。俺の目的は言ったはずだ。どうせそんな無駄なことをされるくらいなら、お前一人だけでもブラッドロー陣営に向かってくれた方が遙かにマシだっただろうな!」

 ひと思いに言い切った瞬間、ヴォルフはハッとした。

 あまりに感情的になりすぎた。流石にこれは良くない。

 ブランカは静かに席を立った。

 彼女はぎゅっと噛んだ唇を震わせ、深緑色の瞳を大きく開いてこちらを見下ろしている。その瞳にはうっすらと膜が掛かっていて、よくよく見れば、目の下も黒くなっている。

 ヴォルフは咄嗟に何か言おうとするが、それよりも早く、彼女がこちらに背を向けた。

「……お薬と、食事の用意を……頼んできます」

 ブランカは逃げるようにして部屋から出て行った。紡がれた声が、僅かに震えていた。

 ヴォルフは額に手を当てた。

 何をやっているんだ、俺は。

 今のは完全に八つ当たりだった。

 確かにどれもこれも彼女は深く関係するが、こんな事態になったのはヴォルフの失態だ。むしろ、あの状況でアロイスのところまで辿り着けたことを、いたわるべきかもしれない。

 いたわる? 

 この俺がクラウディア・ダールベルクを?

 それはそれで腹立たしい。

 あんな娘に礼だの賞賛だのくれてやろうと考えると、忌々しくて堪らない。

 それに間違ったことは言っていないだろ。

 彼女が時間を無駄にしていたことは事実だ。そんなことで傷ついた顔をされても、知ったことか。

 いや、しかし――……。

 考えるほどに、左肩の痛みが増した。


***


「ブランカ、もう起きてんのか? 夕べまであれだけ無理してたのに、早すぎだろ」

 台所で朝食の準備をしていると、寝ぼけ眼のヤーツェクが起きてきた。少し長めの黒髪は盛大に寝癖がついているが、おそらく今日もそのまま仕事に出るのだろう。

 この家では一応ブランカも家事を手伝うことになっている。もっとも、料理はほとんど出来ない。今も言われた通りに手を動かしているだけだ。

「あぁ、そう言えば知ってるか? あんたの連れ、昨日ようやく起きたんだぞ!」

 良かったな、とヤーツェクは嬉しそうにブランカの肩を叩いた。

 けれどブランカは反応に困り、ぎゅっと身を縮める。

――まさかそれで罪滅ぼしのつもりか?

 先程言われた言葉が、胸に深く突き刺さっている。

 言われてみれば当然だ。ブランカは彼に憎まれている。憎い仇に世話されて不快に思わないわけがない。

 でもわたしだって……。

 ブランカは包丁をニンジンに当てた。一切れ、ぴんと弾かれて飛んだ。

「お……おい、大丈夫か?」

 ヤーツェクは落ちたニンジンをそっとまな板に戻した。

 ブランカは無言で野菜を切った。

 罪滅ぼしのつもりなんてなかった。

 甲斐甲斐しく世話していたつもりもない。彼に感謝されようとか、昔の過ちを許してもらおうとか、そんな気持ちは一切なかった。

 ただ……必死だったのに。

「はいはい! ストップストップ!」

 ヤーツェクがブランカの手から包丁を取り上げた。

 まな板には、ニンジンが粉々に刻まれていた。

「なんかあんた、めちゃくちゃ泣きそうな顔してんな? 何かあったのか?」

 ヤーツェクがブランカの顔を覗き込んだ。

 ブランカは唇を噛んで、首を横に振った。

 こんなのはただの言い訳。ヴォルフは何も悪くない。

「何でもないです」

「またそれかよ。本当か?」

「本当です。少し……彼の意識が戻ったことに、身体の力が抜けてしまって……」

 ブランカはまな板に視線を落とした。

 きっとヤーツェクを誤魔化しきれてはいないだろうが、下手なことを言ってヴォルフの印象を悪くしたくない。

「そうか。まあ、あんたもずっと気が気じゃない数日間だったしな。頑張ったな」

「いえ、私は特に何も……してないですから……」

 ブランカは首を横に振る。

 自分が出来たことは、せいぜい髪を染めて包帯の巻き方を覚えるくらいだったのだから。

「いーや、俺はちゃんと見ていたからな。あんたはよくやっていたよ。そうだ、ご褒美に帰りに何か買ってきてやるよ」

「え? いえ、そんなことは……」

「遠慮すんな、俺がしたいだけだからさ。何がいい?」

「いや、だからあの、そんな大層なことは私してませんし……」

 困った。どうしてこんな話になっているのだろう。

 見上げると、冗談じゃなさそうだから、本当に困る。

 ブランカが必死に言葉を探したときだった。

「ごきげんよお」

 艶めいた声が、玄関から響いた。

 ヴォルフの幼馴染みのゼルマ・ヨアヒムだ。

 彼女は遠慮もなしに台所までやってきた。

「おいおい、お前も人んち来るのに朝早すぎだろ。つーか、すぐ近所の家来るのに何だその格好は。派手過ぎんだろ」

 ゼルマは、豊満な身体を見せつける明るい花柄のワンピースに身を包み、きれいな赤茶色の髪をスカーフで巻いていた。

「人のお祝いに汚らしい格好で来るだーれかさんよりはマシだと思うけれどお?」

 ゼルマは目一杯言葉を間延びさせて顎をしゃくった。

 ヤーツェクはやれやれと肩を竦める。

「あの、ゼルマさん。きちんとお礼に伺えなくてすみません。何から何までお世話になっているのに」

 ブランカはゼルマに向かって頭を下げた。

 今ブランカが着ている服は、昔ゼルマが着ていたものを借りている。ヴォルフの着替えについても、彼女の父ティモから借りていて、ヨアヒム親子には世話になりまくりだ。

「いいのよいいのよお」ゼルマは顔の前で手を横に振った。「あんたも事情があるんでしょうし、最悪全部ヤーツェクに払わせるから気にしないでえ」

「はあ? 何でそうなる……いや、まあいいけどさ」

「それより、差し入れ持ってきたのよぉ、男所帯で色々と大変だろうと思ってねえ」

 ゼルマは台所の作業台にバスケットを置いた。ふと、まな板の上の残骸を見て、形の良い眉を上げる。

 ブランカはバスケットの中身を確認した。

 入っていたのは、ひととおりの食材と調味料、そして焼き菓子が端っこに詰められていた。

「すげーな、これ。どうしたんだよ?」

「お店のお客さんからのお裾分け。だからお裾分けのお裾分けみたいなものかしらねえ。人数も増えたし、ちょうど良いと思ったのよぉ」

「それでもこんなに……ありがとうございます」

「そう堅くならないでえ。それで、ヴォルフの具合はどうなのお?」

 ゼルマは期待の籠もった目でブランカとヤーツェクを見た。

 ブランカは思わず目を逸らした。

 彼女のお陰でヴォルフを助けることが出来たのだから、彼が意識を取り戻したことも言うべきだろう。けれど、先程のヴォルフの言葉が頭にこびりついて、口が上手く回らない。

 ヤーツェクが親指を寝室の方へ向けて答えた。

「夕べ目を覚ましたぜ」

「あら、本当ぉ? 良かったぁ」

「にしてもゼルマ、お前よく分かったよな、あいつがお前の幼馴染みってさ」

 ヤーツェクは心底不思議そうに尋ねた。

 するとゼルマは満面の笑みで答えた。

「当然じゃない。だって彼はあたしの初恋の人だったんだもの!」

 空気が固まった。

 ヤーツェクは口をあんぐりと開ける。

 ブランカは、目を丸くしてゼルマを見つめた。

「ねえ、会いに行っても大丈夫?」

 ゼルマは再びブランカの顔を覗き込んで聞いてきた。

 ブランカは彼女の魅惑的な瞳を見ながら、呆然と頷いた。

 ……うん、そうよね。

 だってヴォルフには、惹かれてしまうもの。

 頭に何かが引っかかる感覚がするけれど。

「あの、それなら食事も持って行ってくれませんか? きっと喜ぶと思います」

 少なくとも自分が行くよりは確実にヴォルフの機嫌はマシになるだろう。

「ふぅん? ま、それくらいお安いご用よ」しかしゼルマは鼻に皺を寄せた。「でもちゃんとしたもの食べさせないと」

 ゼルマはブランカとヤーツェクを押しのけ、てきぱきと朝食を用意した。湯気の立ったスープとパンを皿に盛ると、それらを盆に乗せてヴォルフの部屋へと向かって行った。

 ヤーツェクが気まずそうにブランカの顔を覗き込んだ。

「お、おいおい、あいつ、あんなこと言ってたけどいいのかよ? つーか、ようやく目が覚めたんだろ? 本当はあんたもゆっくりあいつと過ごしたいんじゃないのか?」

「いいんです、私はいつでも……。それに、ゼルマさんだって十年ぶりなんですよね? きっと彼女の方が積もる話もありますから……」

 ブランカはゼルマから受け取った食材を片付けた。

 これでいい。

 これでいいの……。

 ブランカはこれ以上、この話を考えないようにした。

 けれどそう思った矢先、ブランカはゼルマに薬を預けるのを忘れたことに気が付いた。起きたからにはちゃんと飲んでもらわないといけない。

 気が進まないが、ブランカはヴォルフの部屋に届けに行くことにした。


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