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【新改訂】戦犯の孫  作者: ふたぎ おっと
第四章 変わらぬ故郷の街
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4-3.六点

「ブランカ、まだ起きてんのか? もう十二時過ぎてんぞ」

 ヴォルフの部屋で考え事をしていると、部屋の前を通ったヤーツェクが顔を覗かせた。呆れた様子で入ってきた。

 ブランカは首を横に振った。

「目が冴えてしまって……」

「それでも限度ってもんがあんだろ。目の下かなり黒くなってんぜ。ちょっと待ってな。いいもの持ってきてやっからよ」

 ヤーツェクはその場を離れ、五分ほどしてから湯気の立ったマグカップとビスケットを抱えて戻ってきた。

「寝れない夜と言えば、ほら、ホットミルク!」

 ヤーツェクは大げさな手振りを加えながら、カップをブランカに差し出した。

 ブランカは戸惑ってただ瞬きをした。

 この反応の薄さに、彼はやれやれと肩をすくめた。「ほら、とりあえずこれ飲んで気持ちを落ち着けな」

「あの、ありがとうございます……」

 マグカップに口を付けてゆっくり息を吹きかける。

 ヤーツェクは満足げに頷いて、黒くなったブランカのおかっぱ頭をわしゃわしゃとかき混ぜ、近くの椅子に座った。

 一昨日は警戒していたヤーツェクも、この二日でずいぶん打ち解けた。時折顔を覗かせては、ブランカを気遣ってくれる。

 ブランカはサイドテーブルに置いたままの今朝の朝刊を眺めて、小さくため息を吐いた。

「相変わらず暗い顔してんな。こいつの具合は回復してきてんだろ? それとも他に何か気がかりなことでもあるのか?」

「いえ……そんなことは」

「あ、もしかして、アロイスに何か小言でも言われたか? あいつたまにすげー嫌味くせーもんなっ」

 冗談交じりでヤーツェクは言ってくるが、あながち嘘ではない。ブランカはホットミルクをこぼしそうになってしまった。

 アロイスさんが必要としていて、わたしに用意できるもの。

 それが、ヴォルフを西へ逃すためにブランカに与えられた条件だ。やはり反オプシルナーヤに関わるものだろう。

 でも、いくら考えても全く分からなかった。

 そんなものが用意できるなら、とっくに差し出している。それとも――やっぱり人質のような役割を求めているのか。でも、それでは辻褄が合わない。この話は、ブランカがここを出て行く前提なのだから。

 必死に寝不足の頭を働かせるが、去り際のあの嫌味っぽい顔ばかりが頭に浮かんで、それらしいことが全く思い浮かばない。

「アロイスさんが何を考えているのか全く分からないです……」

 気が付いたらそんなことを呟いていた。

 言ってから、ハッと口を噤む。

 案の定、ヤーツェクは目を丸くした。「まさか本当にあいつに何か言われたのか?」

「いえ、すみません。今のは忘れて下さい。何もないです」

「何もないっつっても……はぁ。あいつはこんな二回りも年下相手に」

「いや、だからあの、本当に違うんです。私が失礼なことを言ってしまって……」ブランカは必死に否定する。

 どうしよう。

 ヤーツェクの頭の中で、アロイスが悪者になってしまった。あの件についてはブランカが悪いのに。

 俯いていると、横からビスケットが差し出された。

「どんなきついこと言われたのか知らないけど、あいつはそれで引き摺るタイプじゃないし、あんたたちのことを途中で投げ出そうなんてしないから、あんまり気負うなよ」

 ヤーツェクはブランカの肩を叩いて励ました。

 でもブランカとしては、やっぱり複雑だ。

 そこでふと、疑問に思った。

 ヤーツェクもアロイスたちの計画に関わっているのだろうか?

 ここに居候している彼だ。詳しい事情は分からない。だが、あり得ない話ではない。それどころか、アロイスの望みまで知っている可能性もある。

――いや。

 ブランカは首を振った。

 迂闊には聞けない。今のままでは、確実にボロが出る。

 ちゃんと考え直さないと。

 それに、流石に身体の限界が近付いてきた。瞼が少しずつ重くなり始める。

「――にしても、あんたもずっと籠もりっぱなしで色々良くないぞ。明日は少し外に出て気分転換でもしたらどうだ?」

「そんなわけには……彼もまだ起きませんし……」

「まったく真面目だよな。献身的なのは良いことだけどさ。じゃあ明日帰りに何か美味いものでも買ってきてやるよ。何がいい? あんまり高いのは無理だけど……って、おい、ブランカ?」

 ヤーツェクの声が段々遠ざかっていく。

 横から揺すられながら、ブランカは睡魔に飲み込まれていった。


***


 つんと鼻に触る薬の匂い。久々に感じる安っぽい枕の固さ――それでもこうして横になれているのは、かなりありがたい。

 僅かに身じろぎすれば、左肩が鋭く痛んだ。その反動で思わずぐっと身体に力を入れるが、同時に全身がやけに重く感じた。独特の関節痛と暑苦しさがある。

 俺はどうしていたんだっけ?

 ひどく靄の掛かる思考の中、ヴォルフはぼんやりと自分の記憶を遡る。

 確か何かを追って、そして追われていた。

 果たしてそれは一体――。

 するとすぐに二人の人物が頭に浮かんだ。

 一人はプラチナブロンドの髪に薄萌葱色の瞳の子ども。

そしてもう一人は白いおかっぱ頭の少女。

 なんだかヴォルフは急激に苛立ってきた。

 そうだ、あいつ!

 あいつだけはただじゃ済まさない。

「おーい、ブランカ? こりゃあ完全に寝ちまったな」

 知らない男の声が、耳に飛び込んできた。

 そいつが呼んだ名を、ヴォルフはよく知っている。

 そこにあいつがいるのか?

 段々頭が冴えてきた。同時に頭の中の苛々が募っていく。

 とにかく彼女に何か一言言ってやりたくてたまらない。

 未だ重く感じられる瞼を、ヴォルフは無理矢理こじ開けた。

 見たことのない天井が、真っ先に視界に飛び込んでくる。

 視線を彷徨わせると、黒髪と目が合った。

「うお、あんたすごいタイミングで起きたな。おいブランカ、もう少し頑張れ。ようやく起きたんだぞー……ってダメだな。あんたももう五分くらい早く起きれば良かったのにさ」

 男――ヤーツェクは苦笑混じりに、隣の少女を揺すった。

 ヴォルフは目を見開いた。

 これは、ブランカか……?

 見たことのない黒髪のおかっぱ頭。しかし、その顔立ちも小柄な体つきも、右半身に走る赤い火傷の痕も、紛れもなく全て彼女だ。

 どうなっている?

「意味不明、って顔だな」ヤーツェクが説明した。「簡単に説明すると、あんたが銃弾受けて今にも死にかけていたところを、その子に頼まれてうちで面倒見てたってわけだ。まぁ、俺は何もしてないけどさ」

「そうか……銃に撃たれて……」

 段々思い出してきた。

 確か自分はブランカを連れて西へ逃げようとしていた。途中で進路変更して目の前に停まったトラックに乗り込んだところまでは覚えている。

 そうか、そこで倒れたのか。

 だが、そんな状態でどうやってここまで来た?

 ベッドの向こうに点滴が立っている。助けられたのは間違いない。左肩の痛みも、倒れる前よりはましだ。

 状況は分かる。だが――経緯が繋がらない。

 ヴォルフは眉をひそめてブランカを眺める。

――いや。

 今はそれどころではない。

「それでここは?」ヴォルフは上体を起こした。

 ヤーツェクはさらりと答えた。「ヘルネーだよ」

「は? ヘルネー?」

「そうだ。その下町な」

 マジかよ。

 確かに目的地はヘルネーだった。だが、あの状況で辿り着けるはずがない。

 俺は倒れる前に、ブランカに伝えたか?

 まったく思い出せない。

「あんたもう少し寝といたらどうだ? まだ顔色悪いし、頭も混乱してんだろ?」

「いや、大丈夫だ。とにかく世話になったようですまない。えっと……」

「ああ、俺か? ヤーツェク・ルトワフスキだ」

「感謝する、ヤーツェク。ついでに一つ聞きたいことがあるんだが――」

「お、ようやくお目覚めか? 気分はどうや?」

 やや高めな男の声が、二人の会話に割り込んできた。

 背が低く幼い顔つきの見た目の割に、妙に落ち着いている。

「彼は?」ヴォルフは尋ねた。

「ああ、こいつがあんたの怪我を治したんだよ」

「アロイス・テールマンや。よろしく」アロイスは片手を出した。

「アロイス、テールマン……?」

 ヴォルフは驚きを隠せなかった。

――ヴァルツハーゲンを北に抜けたら、ヘルネーへ向かえ。北部の下町にあるテールマン保険事務所で、君を待っている奴がいる。

 列車でヴォルフを逃したあの男は確かにそう言っていた。そこまで行けばヴォルフ達の安全は守られると。

 だが、そこまでブランカに伝えたはずはない。偶然にしては出来すぎている。

 視線を向ければ、ヤーツェクは目を丸くしている。アロイスも、わずかに目を見開いていた。

 いや、流石にそれはないよな……。

 そう思った瞬間。

 アロイスの口角がゆっくりと上がった。

 細められた青灰色の瞳。

 こいつ……知っている。

「ヤーツェク。これからこの兄さんの検査するから出てってくれやん? ああ、ちゃんとその子も寝かしたって」

「はいはい。ほらよっと」

 ヤーツェクは寝落ちたブランカを抱え上げ、部屋から出て行った。

 それを見て、喉に何かが詰まった感覚を覚え、ヴォルフは咳払いした。アロイスが水のグラスを差し出した。

「それで? 何か聞きたそうやな。何?」

 ベッドサイドの椅子に座ると、アロイスは尋ねた。

 ヴォルフはゆっくり喉を潤した。

 まさか起きたらこの有様だ。頭が追いつかない。聞きたいことも山ほどある。

 だが――ここは冷静に。

 相手は命の恩人だが、無償で動く類じゃない。

 ヴォルフは慎重に切り出した。

「それで、あいつからどこまで聞いている?」

「どこまでって?」

「……俺たちの事情について」

「そうやなあ。二人の名前と君がどっか撃たれて死にそうや、くらいしか僕は聞いとらんよ」

――本当かよ。

 ヴォルフは内心で悪態吐いた。

 アロイスは先程の含みのある表情を隠し、目を丸くして素知らぬ様子を見せる。明らかに胡散臭いが、自分からボロを出すわけにもいかない。

 とにかく、主導権を握られる前に、情報だけ引き出してここを離れる。

「そうなんだ。俺と彼女は厄介事に巻き込まれていて、逃げている途中で倒れてしまったようだ。助けてくれたあんたには、心から礼を言う」

「どういたしまして」

「しかし、俺たちはあまりここに長居するわけにはいかない。明日にでもここを出発したいんだが、俺たちはヘルネーのことをよく知らない。危険な区域とか街の情報とか教えてくれないか?」

 少々苦しい気もするが、何か言われてもかわせばいい。

 アロイスは、わざとらしく息を飲んだ。

「明日って、えらい急やな。自分まだそこまで動けやんやろ? っていうかしばらく安静にしとくべきやで」

「そういうわけにもいかない。少し――複雑なんだ。下手するとあんたたちまで巻き込みかねない。その前に俺たちはここを出て行く」

「何やそれ。よう分からんけど、めっちゃ怖いこと言うやん。自分らが出て行っても、結局僕らも危ななるんちゃうん?」

 アロイスは剣呑に返した。

 ヴォルフはすぐに否定を重ねようとするが、僅かに与えてしまった隙を、彼は見逃さなかった。

「大体何? 急いどるから起きたらすぐに出てくって、なんかめっちゃ恩知らず過ぎやん。ずっと寝とったから知らんやろけど、自分の怪我治すのにこっちは色々かなり掛かってるんやけど」

「それは……その通りだ。あんたには感謝している。しかし俺たちは先を急ぐ必要があって――」

「――もうええわ、兄さん六点」

「は?」

 六点?

 意味不明な数字に、ヴォルフは息を飲んだ。

 アロイスは、盛大にため息を吐いた。

「兄さんの言い方はせこいな。情報を掠め取ろう感が滲み出すぎ。これはまだあの子の方がずっとかマシやわ。潔さがあった」

「は? どういうことだ……?」

「とにかくもうええわ。こっちもとぼけて悪かった。いちいち探り合うのは疲れるからな。腹割って話そや、ブラッドローの軍人さん」

 ヴォルフはまたもや息を飲んだ。

 アロイスの口角が、再び持ち上げられる。

「言うとくけど、これ以上とぼけるのは無しや。こっちは君の軍手帳見てしまっとるからな。証拠に写真も撮っといたわ」

「何だと?」

「ああ、別にそれ使ってどうこうしようなんて思っとらんよ。そんなんに利用価値ないし、そちらさんの大事なもんはこっちの手元にあるからな。とりあえずまずは兄さんの望みを聞こか」

 アロイスは椅子の背にもたれ掛かり、高慢に顎をしゃくった。

 ヴォルフはアロイスを睨み付ける。

 下手な誤魔化しは効かない。

「……一つ確認だが、お前もあの列車の爆発に関わっていた一人か?」

「『あの』がどれを指してるんか分からんけど、この件やったら兄さんの言うとおりやで」

 アロイスは傍らに置いてあった新聞をヴォルフに見せた。『ヴァルツハーゲン列車爆発 犯行グループ八人の死刑執行』と大きく見出しの走ったそれは、ヴォルフとブランカが乗っていた列車のことだ。

 要するに、アロイスが予想通りの人物であるということだ。

 ヴォルフはしばしの逡巡の後、話し始めた。

「……俺たちはオプシルナーヤ軍に追われている。理由は察しているはずだ。東側に長居するわけにはいかない。とにかく奴らに見つかる前に西ヘルデンズへ逃れたい」

「そうやろな。そやけどさっきも言うたとおり、兄さんは僕らに大きな借りがある。当然僕らはタダで逃すつもりはないし、兄さんも僕らが何を望んどるんか知っとるやろ?」

 アロイスは語尾に含みを持たせて言う。

 想定はしていたが、ヴォルフは歯噛みした。

 彼らが望んでいるもの――それはヴォルフ達ブラッドロー軍が探し続け、オプシルナーヤ軍が狙っているもの。

 クラウディア・ダールベルクだ。

 正確には彼女が握っているはずの情報なのだが、そのためには彼女の身柄も不可欠だ。

「悪いが、譲るわけにはいかない」

「何で?」

「何でって、俺にも任務が掛かっているし……いや、それにブラッドローが手にすることでオプシルナーヤを牽制出来る。ヘルデンズにとっても悪くないはずだ」

「ほんまにそう思うか?」

 アロイスは声を低くして前屈みになった。

「それでブラッドローがオプシルナーヤを牽制したとして、西ヘルデンズは安心するやろな。でも東ヘルデンズは? 結局オプシルナーヤの一部として見られて終わりなんちゃうの?」

「……それを俺に言われても、一介の兵士にどうすることも出来ない」

「そうやな。僕の愚痴やったわ。やけど、自分が今ぽろっとうっかり言うた『任務』には、僕らの明日の生活が掛かっとることは、分かって欲しいけどな」

 先程までの落ち着いた口調が、途中から明らかに荒れた。

 ヴォルフは何も言い返せなかった。

 アロイスはゆっくり息を吐き出した。

「ま、いずれにしても、しばらくの間自分らは動けやんやろうけどな」

「……というと?」

「列車爆発の件以降、東西境界の警備が強化されとるらしい。少なくとも一週間は厳しいやろな。怪我のこともあるし、当分ここで大人ししといた方がいい」

 アロイスは椅子から立ち上がると、カーテンの隙間から外を眺めてぽつりと言った。

「そういや兄さん、昔ヘルデンズに住んどったんやって? この近所に兄さんの幼馴染みが住んどって、まぁそれでここに運ばれてきたわけやけど――兄さんは、ヘルデンズは好きか?」

 声を落として、アロイスは尋ねた。

 小柄な背中だが、妙に重く見えた。

「……生まれ育った国だ。どうでも良いわけじゃない」

 本心だった。

 だからさっきのアロイスの言葉が、耳に痛かった。

「そうか。それならここにおる間、この国の現状をちゃんと見て欲しい。その上で、さっきの件を考えてくれ。今言えることはそれくらいや」

 アロイスは、これで話は終わりとばかりに入り口の方へ向かった。ヴォルフはじっと彼の背中を見据える。

 すると退室する直前、アロイスはヴォルフを振り返った。

「こんな話しといて言うのもあれやけど、兄さんあの子のことちゃんと大事にしたり」

「は?」ヴォルフは目を丸くした。

「見てたらあの子、あまりに自分のこと粗末にしすぎや。まぁ、そのお陰で兄さん助かったわけやけど。朝になったらちゃんと礼言うたりや」

 苦笑混じりにそう言い残し、アロイスは完全に部屋から出て行った。

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