4-7.矛盾①
「帰れ」
工場の入り口で、ヤーツェクが仁王立ちでヴォルフの前に立ちはだかった。彼の方が背が低いのに、それを感じさせない気迫を放っている。
今朝から思っていたが、こいつはヴォルフのことを良く思っていないらしい。
理不尽な嫌悪にうんざりしつつも、ヴォルフは落ち着いた口調で言った。
「そろそろ終業時間だろう? あいつを迎えに来た」
「いらねえよ。あんたどうせあの子にひどいこと言うつもりだろ? 大人しくゼルマといちゃついてろ」
「はぁ、何でそうなる――」
「ですって。うふふ、ヤーツェクからお許しが出たから、あたしたちはそうしましょうよ」ゼルマは胸を押し当てながらヴォルフの腕に抱きついた。
ヤーツェクの視線が一層に鋭くなり、ヴォルフはため息を吐いた。
ゼルマには街案内で世話になったが、相変わらずこういうところは受け付けない。工場の場所だけ聞いて出直すつもりだったが、でたらめな案内に振り回され、ようやく正しい場所を聞いたときには終業間際で、引き返す余裕もなかった。
昼間の一件が、ヴォルフをここへと急かしていた。
――私子どもだったんだから、何も出来るはずがない!
そう叫んでいた少女は、ダール体勢時代の政治家の娘という理由で手酷く嬲られていた。救急隊員によって運ばれていく姿は悲惨で、他の人たちと同じように嘲笑う気にはなれなかった。
ヴォルフは、その少女にブランカを重ねていた。想像した結末に、寒気がした。
とにかく、ブランカを連れ帰るために来たんだが――。
「大丈夫です。ちゃんとまっすぐに帰りますし、私のことは気になさらず……」
奥の部屋から現れたブランカは、珍しく芯のある声で言い放った。感情を丸ごと落としてきたかのような抑揚の無さと表情は、人形のように機械的で、ヴォルフと目を合わそうともしなかった。
突き放されたような感覚。
ヴォルフは無性に苛立ちを感じた。
「そういうことだ。とっとと帰んな」
ヤーツェクはヴォルフに向かって手を払うと、隠すようにブランカの背後に周り、作業場らしき部屋へと戻っていった。
「ヤーツェクったら、よっぽどあの子のことが気に入ったのかしらねぇ」隣でゼルマがくすくす笑う。
ありえない。
ヴォルフは内心でそう叫んでいた。
その後、四人は結局一緒に帰ってきた。
しかしゼルマがヴォルフにくっつき、ヤーツェクもずっとブランカに付いていたため、なかなかブランカとまともに話せないでいた。
そして翌朝。
『おじいちゃんがいつも言っていることがあります。それは、わたしたちヘルデンズ人が、世界で一番とうとい民族だというこ――』
「ああもう、昨日からしつけぇな。朝からこんなの聞かされて、一体誰が喜ぶんだよ」
もともと不穏な雰囲気の漂っていた朝食の席に、更に気分を悪くするラジオが流れてきた。
ヤーツェクが局を替えた。全身から不快を放っている。
「よっぽどオプシルナーヤはこの子を悪者にしたいんかね? こんなん流したところで、自分らへの反感が薄まるわけちゃうのにな」
アロイスは、しれっと呆れ口調で言った。
ヴォルフは思わずアロイスを睨みつけるが、やつは気にする様子もない。
「だけどさ、やっぱりこうやって聞かされると腹立つぜ。子どもだからって許されるはずもない」
「あぁそれで言えば、昨日ダール時代の政府の娘だっていう子が街に現れたわよぉ。自分は子どもだったから無実だ、なぁんて言ってて呆れたわぁ。そういうこと言う子に限って結構えげつないことしてたりするもんよねぇ」
何故か一緒になって朝食を食べているゼルマが、吐き捨てるように嘲笑した。ヤーツェクが「最悪だな、それ」と眉間に皺を寄せた。
ヴォルフはちらりとブランカを見た。
斜め前の席に座る彼女は、無表情に黒パンを口に運んでいる。当人であるというのに、眉一つ動かさない。
五年間、正体を隠し続けてきただけのことはあるのか。
というか、何で俺の方が気にしているんだ?
確かにここで彼女の正体が知られるのは避けたい。しかし彼らの発言にブランカが何を思っているかなど、ヴォルフには関係ない。本来であればヴォルフもヤーツェク側だ。作文への怒りも彼女への憎悪も間違いなく燻っている。
それなのに、こんなブランカを気遣うような心境――……。
――いや、そんなことはどうでもいい。
あんなラジオが普通に流れているヘルネーで、ブランカを外に行かせるわけにはいかない。
ヴォルフは胸の内に浮かぶ自身の違和感を、必死で誤魔化した。
「そうや、ブランカちゃん」アロイスがブランカに話し掛けた。「工場の人らがよう働いてくれて助かるって褒めてたわ。やから今日も行ったって」
「おい、アロイス。昨日もそうだが何考えて――」
「あぁ、それから四番通りの編集社がタイピスト不足で困っとるらしいんやわ。ブランカちゃん、お願いできる?」
「もちろんです」ブランカは短く答えた。
「よし」アロイスは笑みを浮かべた。「じゃあ午後はそっちな。ヤーツェク、うちと工場と編集社への送り迎え、頼んだで」
「それは構わないけど、そんなに働いてブランカ大丈夫かよ?」
「大丈夫なわけがあるか」
ヴォルフは割って入った。
アロイスのにやついた視線と、ヤーツェクの非難の目が突き刺さる。
「そいつには家のことをさせればいいだろう? 人手が必要なら俺が代わりに行く」
「はぁ? 何だよそれ」ヤーツェクが鼻に皺を寄せた。「あんたが口出しすることじゃないだろ。あんたはこの子の保護者か」
「そうだな。だから口出ししている」
「ちょっと二人ともぉ、朝からいがみ合いはよしなさいよぉ」
ゼルマが呆れ口調で止めに入る。その隣でアロイスはやれやれと肩を竦めた。
アロイスのやつ……マジで何を考えてるんだ?
にやついた顔に何か言ってやろうとしたとき、か細い声がその場を切り上げる。
「私は平気ですから……出掛ける準備してきます」
ブランカは食器をまとめてキッチンへ消えていった。まるでこの場のやりとりが他人事のようだ。
ヴォルフは彼女を追い掛けた。
「おい! お前本気かよ。自分の立場分かっているのか?」
「分かっています。でもここでじっとしていたって非効率だと昨日言っていたでしょう?」
ブランカは皿洗いしながら機械的に返した。
ヴォルフは口の中で舌打ちする。
「あ、ああ言ったな。確かにそう言ったが、だがお前――」
「それに勝手に逃げ出そうとか、他にもヴォルフが心配するようなことにはならないので。みなさん、親切ですし」
「そういうことじゃねえよ!」
ヴォルフは苛立ちのままに、泡だらけのブランカの腕を掴んだ。
「危機感持てって言ってるんだ! いくらお前が大丈夫だと思っていても、何が起こるか分からない状況なんだぞ!」
「そんなこと分かってます。だから放っておいて下さい」
「いや、分かってないな。大体親切って何だ。そんなもん上辺だけに決まってんだろ。お前なんか一体誰が――」
「分かってますから!」
ブランカは勢いよくヴォルフの手を振り払った。
洗剤の泡が空しく飛び散る中、傷ついたようにぎゅっと歪めた彼女の顔が、ゆっくりと人形に戻っていく。
しまったと思うのはこれで何度目か。
「そういうことも含めて、ちゃんと、理解していますから……」
僅かに震えた声でそう言うと、ブランカは洗っていた皿を乾燥棚に置き、台所から立ち去った。
代わりヤーツェクが台所に現れる。
「あんた、今日はもう工場来んなよ」
それだけ言うと、彼はブランカを追い掛けていった。
ヴォルフは何も言えず、その場に立ちつくす。
すると、ゼルマの大きなため息が聞こえてきた。
「とりあえず、包帯替えるからこっちに来て頂戴」
呆れの滲んだ口調でゼルマがヴォルフを手招きする。
ヴォルフは目を見開いてゼルマを見た。
「あの子に頼まれたのよぉ」
ゼルマはブランカが去った方向を親指で差した。
一度は萎んだヴォルフの苛立ちが、再び頭をもたげる。
昨日から薄々感じていたが、ブランカは、明らかにヴォルフを避けるようになった。




