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【新改訂】戦犯の孫  作者: ふたぎ おっと
第四章 変わらぬ故郷の街
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4-1.ヘルネー②

 ブランカの頭の中は真っ白だった。

「ヴォルフ、ねえ、ヴォルフ」

 腕の中にぐったりともたれかかってきた大きい身体を揺らすが、ヴォルフは何も言わない。荒い呼吸が肩にかかる。首元に触れた瞬間、息を飲んだ。

 なんて熱さなの……!

 異様な熱だった。汗で濡れた肌が、じっとりと手に張り付く。

 身体を起こして荷台の壁にもたれさせると、ヴォルフは低く唸り、肩を激しく上下させた。息をするのも苦しそう。

 もしかして……怪我が膿んでいるの?

 ブランカは彼の服の前を開き、左肩に巻き付けてある布を緩めた。痛々しく穴の空いたそこは、暗がりでも分かるほど黒ずみ、腫れ始めていた。

 おかしくない状況だった。

 どうすればいいの?

 この場には水も薬もない。このトラックがどこへ向かうのかも分からない。見つかれば、医者どころではなくなる。

 そうなったらヴォルフは――……。

 頭に過ぎった最悪の状況を、ブランカは無理矢理掻き消した。

「だめ……そんなの絶対にだめ」

 ブランカは外した布を一旦元に戻すと、ポケットから白いハンカチを出して、ヴォルフの汗を拭っていく。軽く押し当てているだけなのに、触れる度にヴォルフはきつく顔をしかめた。荷台の壁に伝わる車の振動も、きっと悪さしている。

 一通り汗を拭い、はだけさせた服を元に戻すと、ヴォルフの身体がびくりと揺れた。幌の隙間から入ってきた冷気が、彼の身体を震わせている。呼吸もさっきより浅くなっている。

 ブランカは彼の身体を床に寝かせると、今度は荷台の中へと視線を巡らした。

 荷台の奥には、壁の片側に寄せるようにして沢山の木箱が積まれている。その脇に毛布のようなものが重ねて置いてあった。

 ブランカはそれを取りに行く。

 すると、突然左向きの力が掛かった。思わず毛布に突っ伏した。カーブに差し掛かっているのか、トラックは右へ左へと車体を揺らす。

 なんとか体勢を整えていると、荷台の前方が窓になっていることに気が付いた。そちらへ近づくと、座席の話し声も微かに聞こえてきた。

「うっぷ。おいティモ、もう少し丁寧に運転してくれよ」

「娘が待っとるんだ、我慢せい。ったく、道が混んでなければこんなに急ぐこともなかったんだが」

 ブランカの位置からは座席に座る人たちの姿はよく見えない。声の雰囲気から、中年男性だろうか。

 当たり前に聞こえてくるヘルデンズ語。本当に生まれ育った国にいるのだという実感を、ブランカは噛みしめた。

「しかし日付が変わるまででいいんだろう? 全然余裕だぜ? つーか、あいつら今日は一晩中飲むつもりだろうし、そんなに急ぐことないじゃんかよ。ずっとこんな運転が続くとなると、俺が吐きそうだぜ」

「ええい、うるさい。吐きそうになったら飲み込め。ただし汚したら許さん」

 運転席の男が無慈悲にもそう言えば、助手席の男が「うわ、鬼め」と辛そうな声で返した。

 ブランカはそっとその場から離れ、毛布を数枚持ってヴォルフの方へ戻り、寝ている彼の身体をそれで包み込む。身体の熱が、先ほどよりも高くなっているように感じた。

 日付が変わるまで……。

 ブランカはヴォルフの手首から腕時計を引き抜き、再び座席側の方まで行って、それを薄明かりに照らした。

 短針はまだ八を指している。

 ブランカはヴォルフの方を見た。彼はずっと苦しそうに唸っている。一刻も早く彼を医者に診てもらわないといけないのに、このトラックはあと数時間も走り続けるの?

 けれども運転手に声を掛けるのは躊躇われた。勝手に乗り込んでいる以上、引きずり下ろされても文句は言えない。仮に応じてもらえたとしても、この辺りの病院を知っているとは思えなかった。かえって時間を失うだけだ。

 でもこのままではヴォルフは……。

 すると、再び右向きに大きな力が掛かった。咄嗟に荷物の山に手をついた。

 その瞬間、瓶のぶつかる音がした。

 積まれた木箱の中で、揺れに合わせて鳴っている。

 ブランカは手近にある木箱の蓋を開けた。

「やっぱり……」

 箱の中には酒瓶が詰められていた。

 ブランカはその中の一つを取り出し、もう一度座席側まで行って薄明かりに照らしてみた。

「ウイスキー……」

 ぽつりと呟きながら、かつて見た光景を思い出す。

 五年前、ダムブルクは怪我人で溢れていた。そのとき、一度だけ見た。誰かが酒を傷口に吹きかけていた。

 アルコールが効くのだと――そう言っていた気がする。

 僅かに逡巡すると、ヴォルフのところへ戻る。彼の服を再びはだけさせ、左肩に巻き付けてある布を取った。冷気に晒されて、ヴォルフがぐっと肩に力を入れる。

 どうしよう……。

 絶対沁みる。

 でも、少しでも化膿を抑えられるなら。

「ヴォルフ……ごめんなさい」

 痛々しく抉れたそこへ、ブランカは持ってきたウイスキーを流しかけた。

 ヴォルフは一際辛そうに呻く。

「ぅぐ……っ」

「ごめんなさい……」

 ヴォルフは固く目を閉じたままぐっと歯を噛みしめ、苦痛に顔を歪めている。一層荒くなった呼吸が、意識をなくしながらも痛みをやり過ごそうとしているように見えた。その息も刻一刻と熱さを増している。

――本当に、ごめんなさい……。

 ウイスキーで濡れた身体を、ハンカチで拭う。残りで洗った布を、左肩に巻き付ける。

 その間、ブランカは心の中で何度も謝った。

 わたしのせいだ……。

 ブランカのせいで、ヴォルフはこんなにも苦しんでいる。

 彼は庇って銃弾を受け、爆発する列車から連れ出してくれた。

 本当に、この人には助けられてばかりいる。

 ダムブルクでも、畑のブローチを一緒に探してくれた。昨日も追われる中で、何も言わずに匿ってくれた。正体を知られてから態度は変わったけれど――結局、助けられている。任務のためとはいえ、憎い仇のはずなのに。

 重傷を負わせただけでも最低なのに、愚かな発言で自暴自棄になって、彼の容態の変化に気が付けなかった。心底自分に嫌気が差す。

 とにかくどこかに到着したら、一刻も早く医者に診てもらわないと。

 ヴォルフの服を元に戻し、再び彼の身体に毛布を巻き付けながら、ブランカは心の中で固く決意した。

 二週間前の出来事が、頭をよぎる。ロゼの中心で母を亡くしたあの悲しい事件。伸ばせば手が届くほど近くにいたというのに、ブランカは何も出来ず、ただ見殺しにするしか出来なかった。

 涙が頬を伝う。

 だめ、泣いている場合じゃない。

 ブランカはぐっと涙を飲んで、ヴォルフを見た。

 彼はまだ救える……。救わなきゃ。

 運転手に見つかれば、ただでは済まない。勝手に上がり込み、毛布もウイスキーも汚してしまったのだから。

 仮にその場を逃れられたとしても、この時間に診てくれる病院があるかも分からない。この格好では受け入れられない可能性もある。むしろオプシルナーヤ兵に見つかる危険すらある。

 そんな状況だとしても――。

「あなたのことは……絶対に守るから」

 そのためなら何だってする。

 ブランカの持つものはとても少ないけれど、ヴォルフを救えるなら、どんな仕打ちだって受ける。

 そして、必ず彼を――彼一人だけでも、必ずオプシルナーヤ支配域から逃がすのだ。

 ブラッドローにどういう意図があるのか分からない。けれど、ヴォルフの任務も彼の命が守られてこそだ。ブランカが父の元へ行くことで彼が西ヘルデンズへ逃げられるのなら、進んでこの身を差し出す。

 もともと自分に守るべきものなどない。

 こんなもので彼の命を救えるのだとしたら、迷うまでもない。

――だからどうかお願い。

「あと少しだから、耐えて」

 数枚の毛布に包まれているというのに、彼は熱と寒さに身体を震わせている。

 こんなことをしたと知ったら、きっと彼は激しく憤るだろう。

 けれど、少しでも震えが収まるなら。

 少しでもその苦痛が和らぐならば。

 ブランカはヴォルフの身体を毛布越しに包み込んだ。

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