3-7.村八分②
数時間後、二つのバッグが、ロマンの前に投げ置かれていた。
彼の前に立つのは、ダムブルク児童施設の大人たちだ。
施設長が、困惑した表情でロマンに問いかけた。
「ロマン、さっきの人たちは一体何者なんだい? ブラッドロー語を話していたけれど、一体何でそんな人たちがうちに来てブランカの持ち物を漁っていったんだ?」
館長の質問に、みな恐ろしい顔を浮かべて固唾を飲んでいた。
一時間前、ロマンとレオナがゆっくりする間もなく児童施設内の捜索が始まった。
フラウジュペイ語を話せる兵士が職員に説明している間に、他の兵士たちは施設へ上がり込み、手早く捜索を済ませた。やがて彼らは、ブランカの数少ない持ち物を一式回収して去っていく。ブラッドロー軍であることは伏せられていたが、それらしい理由で、職員の何人かは一応納得していた。
だが、突然押しかけたスーツ姿の男たちと、頻繁に聞こえるブラッドロー語に、違和感を抱かないはずもない。
当然その疑問は、彼らを連れてきたロマンへ向けられた。
ブラッドロー兵を施設の前で見送っていたロマンの前に、職員達は集団で立ち塞がり、その一人が彼の前に二つのバッグを投げ捨てた。
一つはロマンがこの旅で使っていた旅行鞄。そしてもう一つのバッグには、本や洋服など、施設に置いていた彼の荷物が詰められていた。
少し目を離した隙にこんなことになっていて、レオナは慌てて彼らを止めにいく。
「待ってよ、何でこんなことになってるの!」
「レオナ、君は黙っていなさい」
「ちょっと!」
レオナはすかさず女性たちに抑えられた。
一方のロマンは、何も言わずに、驚いた表情すら見せずに、職員達の顔をまっすぐに見据えていた。
焦れた男性職員の一人が言った。
「聞いたぞ、ロマン。君、東側の人間と関わりがあるらしいな? まさかブランカもそれに関わっているのか?」
「最近ロゼに行っていたのもそれが理由か?」
「違うわよっ!」
レオナが必死に否定の声を上げるが、誰かが「そうそう、胡散臭そうな人だったよ」と言うから、彼らの不信感は余計に煽られるばかりだ。
確かに四週間前、東フィンベリー系の人がロマンを訪ねてやってきたけれど、それだけだ。なのにただ見慣れない人が来たからって、ロマンの今までも一切抜きにされてしまうの?
児童施設の周りに、だんだん町の人たちが集まってきた。みんな、ロマンを不審の目で見ている。
どうしてこんなことになるの?
レオナは必死に否定したが、誰一人としてまともに相手にしなかった。
やがて施設長が言いづらそうにしながら言った。
「ロマン、君にはとても世話になっているし、もちろん君が悪いことに関わっているとは思いたくない。君にも事情があるとは分かっている。しかしこちらも厄介事は持ち込まれたくないんだよ。分かってくれるだろう? だからロマン」
「待って!」
その後に続くであろう言葉を聞きたくなくて、レオナは一際大きな声で遮ろうとした。
しかし彼女の制止も空しく、施設長はその一言を放ってしまった。
「出て行ってくれないか」
瞬間、辺りはしんと静まりかえった。
レオナは絶望的な気持ちで、児童施設の職員や町の人たちを見た。みんな、異論は一切認めないと語っていた。
ロマンは力なく微笑んだ。
彼は腰を折り、深々と頭を下げる。
「今までお世話になりました」
彼は足元に転がっていた二つのバッグを取って、施設の前から去って行った。
嘘でしょ……?
彼の背中を、レオナは信じられない気持ちで眺めていた。
そうしていると、散っていく町の人たちの話し声が耳に入ってきた。
「まさかあのロマンが」
「人は見かけによらないねえ」
「いいや、ロマンもどこか胡散臭い気がしていたんだ」
「あれだけブランカに入れ込むくらいだしな」
少なくとも二週間前、レオナがロゼへ経つ時までは、ロマンに対して不審な目を向ける人はいなかった。
それなのに、どうして彼がこんな言いがかりを付けられて、こんな仕打ちを受けなければならないのか。
「何でよ!」
好き勝手言って去っていくダムブルクの人に向かって、レオナは叫んだ。
「一体ロマンが何をしたって言うの! 何でそんな薄情に彼を追い出せるの!? 何一つ彼の事情を知らないくせに!!」
レオナは施設を飛び出しロマンの後を追った。
こんなのはあんまりだ。
彼はただメルジェーク出身なだけだ。それ以外に怪しいところなんて一切無い。
彼はただ人よりも優しいだけだ。自分が町に連れてきた子を人より気に掛けていただけだ。
それがそんなにおかしいこと?
彼が一体どんな気持ちで故郷から遠く離れたこの地に居続けたのかも知らないくせに。
数時間前、列車で見せたロマンの姿が脳裏をよぎる。レオナは悔しくて仕方がなかった。
泣きそうになりながら、レオナは必死にロマンを追い掛ける。
ロマンが施設を出て行ってからまだ五分も経っていないのに、彼はもう駅に着いていた。彼の周りには、先に出て行ったブラッドロー兵たちがいたが、レオナは構わず彼を呼び止めた。
「待ってよ! ロマン!!」
レオナは力の限りの大声で叫んだ。
全速力で、ホームに立つロマンの元へ駆け寄った。
せっかく彼をつかまえたのに、あまりに息切れがひどくて、何か喋ろうにもすぐに言葉が出てこない。レオナは彼の服をぎゅっと掴みながら、自分の呼吸を整えた。
すると、ロマンがふっと笑った。「そんなに必死になって追い掛けてきてくれたんだね、ありがとう」
レオナはロマンを睨み付けた。「あったり前じゃない! 何でそんな素直に従うの! みんな言いたい放題言ってるだけじゃない! 何で……っ!」
「うん、本当にそうだね」
ロマンは一切の不満も悲しみも漏らすことなく、レオナの怒りに優しく笑って頷いた。さっきの列車の中の様子とは一転していつも通りの柔らかい表情を浮かべる彼に、レオナは余計に泣きたくなった。
レオナはロマンの腕を無理矢理引っ張った。
「ねえ、戻りましょう? ロマンもちゃんと説明しないからダメなのよ。戻って事情を説明すれば、みんなきっと――」
「うん。でも、ごめん」
ロマンは、レオナの手を離した。
レオナは絶望的な気持ちで彼を見上げた。
何となく吹っ切れた様子は、まるで彼がこうなることを予想していたかのようにレオナには思えた。それどころか、彼の空色の瞳は、どこか心を決めたような色を浮かべていた。
レオナはロマンの横にいるブラッドロー兵をちらりと見て、そして彼を見上げた。
「どこに……行くつもりなの?」
掠れる声で、レオナは尋ねた。
何となく、彼が遠くの地へ旅立っていくような気がしてならなかった。
ロマンは困ったように笑いながら首を横に振った。
「ダムブルクには、帰ってくる?」
レオナは再度尋ねた。
何となく、これから彼が危険なことに関わる気がしてならなかった。
だけどロマンはこれにも困ったように笑って首を傾げた。
「もうここには僕の帰る場所はなくなってしまったけれどね」
「それならあたしが作る!」
「え?」
気が付けばレオナはそんなことを口走っていた。
目を丸くするロマンに構わず、レオナはそのまま続けた。
「ロマンがちゃんとここに戻ってこれるように、あたし、みんなを説得する。施設が居づらいなら、うちに来ればいいわ、部屋も空いてるし。ロマンは安心して帰ってくればいいのよ」
ロマンを引き止めることに必死になりすぎて、レオナは自分が何を言っているのか分かっていなかった。だから彼が何故きょとんとした瞳を向けてくるのか、レオナには不思議だった。
ロマンは数回瞬きをすると、ぷっと堪えきれなくなったかのように突然笑い出した。
「あはは、まさかそんなことを言われるとは」
「ちょっと! 何で笑うの!」
「何でってレオナ、そういうことは意中の人に言うべきだよ」
「いちゅ……っ!?」
言われてレオナは自分の発言の重大さにようやく気が付いた。
これではまるで誘ってるみたい。
もちろんそんなつもりは一切無かったのだけれど、流石に自分の発言に恥ずかしくなる。
「もう、いいわよ。人が必死になってるって言うのにそうやって笑うんだから。勝手にすればいいわ」
未だにロマンが目に涙を溜めるほどに笑っているので、レオナはふんっとへそを曲げて彼に背を向けた。
だけど突然腰を引かれ、いつの間にかレオナはロマンの腕の中に閉じこめられていた。
背中越しに、彼の体温を感じる。
ロマンはレオナの肩に顔を埋めると、耳元で小さく言った。
「今までありがとう。君の明るさに救われた」
彼はレオナのこめかみに一つ口づけを落とすと、やってきた列車に乗り込んでいった。
列車はすぐに発車する。
けれどもレオナは振り返るどころか、動くことすら出来ないでいた。
列車の音が遠ざかるにつれて、一つ、二つと涙がこぼれ落ち、気が付けば次から次へと溢れ出てきた。
レオナの世界は一日にして変わってしまった。
ブランカは、生きているのかも分からない。
あんな言葉をぶつけたまま、別れることになるなんて思ってもいなかった。
ロマンもまた、目の前から去っていった。
ようやく本音に触れられたと思ったのに、何もできないまま、どこかへ行ってしまった。
当たり前のようにあったものが、音もなく崩れていく。
失ってから襲いかかってきた悲しみに、レオナは何時間もずっとその場で泣き続けていた。




