3-7.村八分①
「お連れしました」
防音設備の整った会議室に、ロマンが、下っ端の職員に案内されて入ってきた。
既に席に着いていたブロンソン少佐とその隣の人物は、立ち上がって彼を歓迎する。
「わざわざ出向いてもらってすまないね。こちらカーター駐フラウジュペイブラッドロー大使だ」
「ロマン・クリシュトフです。お会いできて光栄です、大使」
「こちらこそ、お待ちしていました。どうぞ、お掛け下さい」
比較的朗らかな様子で挨拶を済ませ各々席に着くと、ロマンの左向かいに座った大使が早速話し始めた。
「もう既に君の耳に入っていることでしょう。まだ生死は分からない状況ですが、このような事態になり、誠に悲しい限りです。そのような状況だというのに、君にこんなことをお願いするのは、本当に酷なことと思います」
大使は顔の前で手を組み眉尻を下げ、非常に申し訳なさそうな表情を浮かべた。隣のブロンソン少佐も感慨深げに瞳を細めている。
ロマンはひとたび固く目を閉じると、覚悟を決めたかのように表情を引き締めて二人に向き合った。
「それで、何から話せば宜しいでしょうか?」
「そうですね。君には聞きたいことが沢山あるのですが、その前に――」
大使は手元にあった資料から、一枚の紙切れを取り出した。
思わずロマンは息を飲む。
それまで悲哀の色を浮かべていた大使の目が、いつの間にか鋭いものへと変わっていた。
「これが何か、君は知っていますね?」
「それは……」
言いながら、ロマンはブロンソン少佐へと目配せした。
「君が今朝ホテルの朝食を取りに行っている間に、勝手に荷物を調べさせてもらった。申し訳ない」
言葉と同じくブロンソン少佐は申し訳なさそうな表情で頭を下げるが、構わず大使がその紙切れをロマンの前に突きつけた。
「ここに書かれた名前はどう見ても東フィンベリーのものです。また、下にある電話番号も、これはメルジェークのものですね。この人物と君は一体どういう関係ですか?」
そこに書かれているのは、四週間前にダムブルク児童施設を訪れたロマンの旧友ヤーツェク・ルトワフスキの名前と連絡先だった。
「君は、東側の人間ですか?」
ロマンを見据える大使の目が、更に仄暗く光った。
ダムブルクへ戻る列車の中で、レオナは呆然と窓の外を眺めていた。
長距離では喋っていないと落ち着かない性分なのに、今は口を開く気になれない。
今朝、大使館で事情聴取を受けた後、児童施設の捜査のためダムブルクへ向かっている。車内にはブラッドロー兵が一般人に紛れて座り、前後を挟まれている。下手な会話もできなかった。
しかし、それ以上にここに至る経緯に、こたえていた。
――クラウディア・ダールベルクを乗せていたとされる列車が、今朝ヘルデンズ中東で爆発した。
今朝、大使館の会議室に案内されて一番にもたらされた情報が、それだった。
何を言っているのか理解できなかった。ブランカ奪還の失敗すら知らなかったのに、そんな事態が起きていたなど、想像できるはずがない。
レオナは、何も考えられないままにそのまま事情聴取を受け、ようやく現実に頭が追いついた時には、こうして列車に揺られていた。頭の中は今もぐちゃぐちゃだけれど。
レオナはちらりと隣へ視線をやった。
隣に座るロマンも、ずっと黙ったまま虚空を見つめている。肘掛けに頬杖をつきながら、難しい表情を浮かべている。大使館でレオナよりも長く事情聴取を受けていた彼は、会議室を出てからずっとこんな調子だった。
彼も、気持ちのやり場に困っているのだろうか。
当然か。
彼は五年間、ブランカを匿い続けてきた。それほど思い入れていたのに、この結末だ。しかも列車にはヴォルフも乗っていたらしい。
生死も分からないまま、大切な人を二人失ったかもしれない。不安と悲しみ、やりきれない怒りが渦巻いているに違いなかった。
あたしはどうなんだろう?
ヴォルフが亡くなったのだとしたら、もちろん悲しい。あんまり彼のことを知らないけれど、無事でいて欲しかった。
じゃあブランカに対しては?
マクシミリアン・ダールベルクの孫だった彼女。もちろんレオナはマクシミリアン・ダールベルクが大嫌いだし、クラウディア・ダールベルクも大嫌いだった。
戦中、レオナはヘルデンズ軍の激しい空襲に遭った。フラウジュペイ軍として出兵した父は国境で命を落とし、強制的にヘルデンズ軍へ入れられた兄も遠い海で不名誉な死を遂げた。アジェンダ人の親友は、連れて行かれてから帰ってきていない。深い悲しみの中で、レオナと母は容赦なく働かされた。
「孫のため」と言われて大切にしていた食糧を奪われた悔しさは、今も消えない。そんな孫が死んだのなら、ざまあみろと言うべきなのだろう。
そう思えていたら、今よりももっと気持ちは楽だった。
脳裏に浮かぶのは、せっせと町の手伝いをする伏し目がちな白いおかっぱ頭。
一夜明けても結局レオナの中では、彼女とクラウディア・ダールベルクが結びついていなかった。その状態で、果たして喜ぶべきなのか、悲しむべきなのかも分からない。
規則正しく車輪が線路を叩く音を聞きながら、流れゆく景色を呆然と眺める。ロゼを出発してから、列車は四つめの駅を通過した。ダムブルクまでは、まだ数時間かかる。
そこでようやくロマンが口を開いた。
「一つ聞きたいんだけど、君は僕を軽蔑する?」
レオナは彼の方を向いた。未だ虚空を見つめたままのロマンは、どこか思い切ったような表情を浮かべていた。
近くに座っているブラッドロー兵が耳をそばだてているのを感じながら、レオナは首を横に振った。
「ロマンに軽蔑するなんてないわよ。そりゃあずっと秘密にされていたことにはショックだったけれど」
「それは……ごめん」
「ううん、もう怒っていない」
仮に秘密を共有していたとしても、彼のように自分の感情を押し殺しながら見守り続けていたとは思わない。
ロマンは再び黙り込むと、深く息を吐いてからまた話し始めた。
「ダムブルクに帰るのは二週間ぶりだね。みんな元気にしているかな」
それまでの沈んだ雰囲気と変わって、ロマンは明るい声で言った。
「なんだかんだ長い休暇だったな。帰ったらいっぱい働かないと」ロマンは腕を伸ばした。
そののんびりした雰囲気に、レオナは苛立ちが募るのを感じた。
「正直ロゼにはもう少し長居すると思っていたんだけど、まさかこんなに急に帰ることになるんだったら、おみやげの一つでも買って――」
「――やめてよ!」
レオナは思わず大声を上げていた。
周りに座る客が、何事かとこちらを振り返る。
気恥ずかしさを感じつつも、レオナは声を低くして続けた。
「そうやって無理して笑わないでよ。無理して和ませようとしないで」
ロマンは明るく笑っていたが、いつもの柔らかさはどこにもなく、彼の空色の瞳は今にも泣きそうだった。
「だけどレオナ、君だって」
「あたしよりもロマンよ!」
レオナはロマンの胸ぐらを掴み、キッと彼を睨み付けた。
「本当はロマンが一番泣きたいくせに、そうやって誤魔化すの。ロマンはいつもそう、何でもないように振る舞うの」
ブランカがロゼに連れられて行ったことを、どれだけ悔やんでいたか、レオナは隣で見ていたから知っている。連絡が取れないブランカを、彼はずっと心配していた。昨日、ブランカが大変な目に遭っているとヴォルフから連絡をもらったときだって、彼は心底安心していた。本当は昨日また彼女を守りきれなかったことを悔やんでいることも。
それなのに無理矢理笑うロマンが、とても痛ましかった。
なんだかレオナも泣きそうになってきた。揺れるロマンの視線が突き刺さる。
だけど彼の前で自分が先に泣くのは癪だった。
一度目を瞑って涙を堪えると、再び彼を見上げて言った。
「ねえ、お願いだから、こんな時くらい素直に弱いところも見せてよ。そうやって抑え込んでいるのを見るのは辛い。あたしじゃあ役不足かも知れないけど、事情は分かっているわけだし……」
最後の方は自分で言っていて空しくなってきた。ロマンが今まで弱味の一つも見せなかったのは、もしかすると本当にレオナでは頼りないからかもしれない。
一方的に言っておいて気まずさを感じたレオナは、弱々しく彼のシャツから手を離し、距離を離そうとした。
しかし次の瞬間。
突然腕を引かれたかと思ったら、気が付いたら彼女は強く抱きしめられていた。レオナは何が起こっているのか頭が一瞬真っ白になっていた。
「ごめん、しばらくこのままでいさせて」
ロマンはぎゅっと腕に力を入れ、レオナの肩に顔を埋めた。彼の身体が震えているのが、伝わってくる。肩に感じる冷たさに、静かに彼が涙を流していることが分かった。
この五年間、一体この人はどれほどの葛藤や不安と戦い続けてきたのだろうか。
初めて見るロマンの弱い姿に、いよいよレオナも涙を堪えるのが辛くなってきた。
レオナはロマンの首に手を回し、ぎゅっと彼にしがみついた。
ようやくそこで、レオナは自分が悲しんでいることに気が付いた。
そして悔しいのだ。何もかもが悔しすぎて、どうしようもないのだ。
ブランカにずっと騙されていたことも、クラウディア・ダールベルクのことも、生死の分からないこの状況も。
そのどれもがままならなくて、とても悔しくてとても悲しい。
慰めていたはずなのに、いつの間にかレオナも一緒になって泣いていた。
「レオナ、君にお願いがある」
しばらくしてから、ロマンが震えた声で言ってきた。未だレオナの肩に埋めたままの彼の顔を確認することは叶わない。
そのままの体勢で、レオナは先を促した。
「もし、もしというか本当であって欲しいけど、あの子が生きていてもしダムブルクを訪れたときには、今まで通り――というのは難しいかもしれないけれど、彼女を温かく迎え入れてあげて欲しい」
ロマンはそこで一度言葉を切ってから、先の言葉を続けた。
「どうか……君が見てきたあの子だけは、否定しないであげて」
またもや彼の言うことは突然で、どうしてここでロマンがこんなことを言うのか、レオナはまったく頭がついていかなかった。
その理由を知るのに、そんなに時間は掛からなかった。




