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【新改訂】戦犯の孫  作者: ふたぎ おっと
第三章 故郷へいざなう爆発列車
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3-6.五年前②

「それが本当なら、あいつはヘルデンズ人なのか?」

 ヴォルフは思い出したかのように尋ねた。

 当然の疑問だった。

 ギュンター・アメルハウザーは、オプシルナーヤ軍の高官として名を馳せている。近年は東ヘルデンズ統治者としても知られるが、いずれにせよ彼がオプシルナーヤ人であるという認識は大前提だ。少なくともフラウジュペイではそうだったので、ブラッドローや他国でも同様だろう。

 ブランカは少し逡巡してから、覚えていることを話すことにした。

「わたしが知る限り、あの人は生粋のヘルデンズ人。というか、ギュンター・アメルハウザーなんて人は存在していませんでした」

「偽名、なのか?」ヴォルフは息を飲んだ。

 ブランカは小さく頷く。「母と結婚してダールベルク姓になったんですが、あの人の元々の名前はエーリヒ・ポルケ。ヘルデンズ最高軍事司令部の若手幹部だった……みたいです」

「みたい?」

「わたしも幼かったから、詳しい役職とかはよく分かっていないんです。ただ、それほど裕福な家庭で育ったわけでもないのに、ノイマール大学を首席で卒業し、その後も軍部で精力的に働いている姿を評価されて大抜擢された、という話は昔よく聞かされました」

 ブランカは、昔の日常を脳裏に思い浮かべた。

 まだブランカが幼い頃、今よりもだいぶ若かった父と祖父は、週末はいつも杯を交わしてボードゲームをしながら、難しい議論を繰り広げていた。話している最中はお互い一歩も譲らないのに、議論が終わるといつも祖父が誇らしげに「未来が楽しみだ」と父を褒めていた。よく分からないくせに、何故かブランカ――クラウディアも誇らしくなったものだ。

 フィンベリー大陸戦争の中頃まではそんな様子だった。

「それほど有能な人物で、尚かつダールベルクの娘婿だった男が、何故当たり前のようにオプシルナーヤ軍の指揮官なんかやっているんだ? 名前を変えたにしても、そんなものすぐに特定されるだろ」

 ヴォルフはますます不可解そうな表情をした。ブランカにとっても疑問だった。

 ブランカは曖昧に首を傾げながら、自分の考えを並べていく。

「詳しくは分かりませんが……おそらくヘルデンズ時代のものは、とにかく全て消しているのではないかと。少なくとも特定できるようなものを処分するのなんて中央にいれば不可能ではないし、元の名前の人も五年前の新聞では既に死んだことにされていたので」

「だが、昔を知っている者については? モノを消したところで人の記憶からは消せやしない。しかも再びヘルデンズで活動しているんだ。別人で通すなんて無理がある」

「それについても……当時を知っている幹部の人たちのほとんどは戦犯で捕まっているから今はもういないし、他に知っている人がいてもあの人なら……」

 どんな手を使ってでも、簡単にねじ伏せられる――。

 そう言いかけて、ブランカは思わず言葉を切ってしまった。

 列車でブランカと向き合った父は、幼いクラウディアが大好きだった優しい瞳をしていた。真剣な眼差しで共に暮らそうだなんて言われて、思わずブランカの心は揺れてしまった。

――大佐は君を道具としてしか見ていない。いずれ大佐に君は殺されるだろう。

 車内で会ったあの将校の言葉が、脳裏に蘇る。きっと彼の言うとおり、それこそが父の本当の姿なのだろう。

 その証拠にあの人は――。

「……お前も、その一人というわけか」

 ヴォルフは躊躇いながらも聞いてきた。未だ信じられなさそうな彼の薄鳶色の瞳は、困惑した様子でブランカの右手や右頬を映している。

 ブランカはぎゅっと唇を引き結んだ。

 改めて言葉にされるのは、首を絞められるようなつらさがあった。抑えていた恐怖と絶望が、胸の内から一気にせり上がってくる。

 だけど何度昔の光景を思い描こうとも、ブランカが大好きだった父は、もう消えたのだ――五年前のあの瞬間には既に。


***


 クラウディアが十一歳になった翌日、一家は祖父を首都ノイマールに残し、フラウジュペイの田舎へ疎開した。

 当時の彼女にとってそれはただの旅行のようなもので、祖父の顔を見ることも、あの家に帰ることも、二度と叶わないとは思いもしなかった。

 それが悪夢の始まりだった。

 疎開して間もなく、父は豹変した。ノイマールでは祖父と笑い合っていたはずの男が、平然と彼を罵るようになった。

 最初は部下との愚痴に過ぎなかったそれは、やがてクラウディアやジルヴィアの前でも繰り返されるようになる。耳を塞いでいたクラウディアだったが、ある夜、父が母に向けて言った言葉は忘れられなかった。

――この国は終わる。分からないのか? あの男のせいで、俺たちの命まで危ない。どちらが正しいか、分かるだろう?

 戦況は悪化していった。

 ヘルデンズは「敵」を非難し、フラウジュペイは勝利を謳う。現実を拒んでも、三ヶ月も経たぬうちにヘルデンズ軍はロゼから撤退した。

 敗戦の色は日に日に濃くなり、一家はフラウジュペイの田舎に取り残された。父は次第に狂気じみていった。

 鳴り止まない電話、部屋から漏れる機械音、出入りする部下たち。苛立ちはやがて母へと向けられた。

――お前などと結婚したせいで、俺の人生は滅茶苦茶だ!

 殴る音が、日常になった。

 逃げ場はなかった。外はもっと危険で、ここが一番安全だった。

 クラウディアは遠くの祖父に祈るしかなかった。

 どうか世界を救ってほしい、と。

 そんなある日、父は言った。

――クラウディア。何があっても、お前だけは私の味方でいてくれるだろう?

 祖父と同じ言葉だった。

 それで父の機嫌が良くなるなら。理由も分からぬまま、彼女は頷いた。

 それから父は穏やかになり、母への暴力も止んだ。祖父への罵倒は続いたが、クラウディアは安心していた。

 祖父の自殺が報じられたのは、それから十日も経たない頃だった。

 手紙を読んで部屋を飛び出したクラウディアが見たのは、母の首を絞める父の姿だった。

――クラウディア。父さんと一緒に来てくれるだろう?

 甘い声。冷えた深緑の瞳。

 そして、その手には拳銃が握られていた。


***


「――なるほどな」

 ヴォルフの声に、ブランカは我に返った。

 いつの間にか布を強く握り込んでいる。

 手当てを切り上げ、彼から距離を取った。

 身を小さくして俯きがちに絶望をやり過ごしていると、暫しの沈黙を挟んでから、ヴォルフは再び尋ねてきた。

「……それで? 会ったんだろう、ギュンター・アメルハウザーに。何を言われた?」

 数時間前の父の表情を頭に浮かべながら、ブランカは弱々しく答えた。

「ノイマールでもう一度親子としてやり直そうと……言われました」

 ヴォルフは息を飲んだ。「それだけか? 他には?」

「特には何も」

 二人の間に沈黙が降りた。

 川の音と葉のざわめきが、やけに大きく響いていた。徐々に天頂へと昇る太陽が、近くの岩を明るく照らし、ブランカ達のいる空洞を余計に暗くしていた。

 人の気配もない森の奥。誰かいたとしても味方なんて一人もいない。

 そうして迫るは父の脅威。

 一体いつまでこんなことを続けるのだろうか。

 その愚かしさに、ブランカは思わず笑ってしまった。

「何がおかしい?」

「ごめんなさい。情けなくて……」

 ブランカは岩にもたれ掛かるようにして、空を見上げた。

「昔殺そうとしたくせに、もう一度親子としてだなんて……そんなこと、まったく思ってもいないくせに、狂っている」

 気が付いたらそんなことが口をついて出ていた。

 なんだか全てがどうでもよく思えてきたのだ。

「でも……そんな父の言葉を、本気に捉えてしまった自分がどこかにいたの。もしかしたら父も心から私のことを望んでいるんじゃないかって。自分でも笑っちゃうけれど、仕方がないの。そんな人の血を、私は受け継いでしまっているから」

 ひとたびこぼれ出した本音が、次から次へと溢れてくる。ブランカは、珍しく饒舌になっていた。

「それでも父は私よりもまだいい方なんです。だって私はマクシミリアン・ダールベルクの血も受け継いでいるから。フィンベリー大陸中を蹂躙した人間の血が、この身体には流れているの」

 言いながら、ブランカは胸元からゴールドのブローチを取り出した。あんな怒濤の爆発列車からの脱出にも関わらず、これだけは手放さずに持ってきていた。

 けれどもその行為こそが、自分の全てを表している気がして、ブランカは更に自嘲した。

「今思えば、父が私を殺そうとしたのは当然の行いだったのかもしれない。大戦犯の孫なんて、害悪でしかないもの。あのまま私は死ぬべきだった」

「いいからそろそろ黙れ」

「本当に最悪。半分は子殺し、更に残りのうちの半分は大悪党の血。自分でもこの身が怖くなる」

 ブランカはブローチを握りしめて言った。

「私、どうして生きているんだろう」

 流れ出るままに放った言葉が、空洞の中に木霊した。

 空しく消えたそれは、ブランカの胸の内にずっと潜んでいた一番の本音だった。

 誰からも憎まれて、時代に翻弄されて、どこに行っても暗闇ばかり。光の差すところなどどこにもない。祖父も母も生きろと言ったけれど、ブランカの生きる未来などどこを探しても見当たらない。

 逃げ場のない絶望の淵に追いやられながら、目的のないまま生きる毎日。

 まるで無意味な人生だ。

「……それを俺に聞いて、何と言って欲しいんだ」

 あからさまに苛立った様子で、ヴォルフが言ってきた。そこでようやくブランカは、自身の発言の愚かさを思い知った。

 こんな話をヴォルフに聞かせてどうするつもりだったんだろう。ましてや彼は、ブランカのことを憎んでいるというのに。

「ごめんなさい。どうか今のは忘れてください」

 ブランカは空洞の外へと顔を向けた。

 それ以降ヴォルフは何も言わなかったが、時折彼は深いため息を吐いていた。


***


 ヴァルツハーゲンからヘルデンズ北部へ向かう国道を、一台のくすんだグレーの小型車が走っていた。傷だらけの車とは思えない軽快さで、山道を駆け抜けていく。

 車内には、その走りとは不釣り合いに、抑揚のないニュースが淡々と流れていた。

『――またもや爆発事件です。今朝五時頃、アルテハウスタットからノイマールへ向かうオプシルナーヤ軍の軍用列車が、ヴァルツハーゲン郊外で爆発・全焼しました。乗員約百二十名のうち、三十五名が死亡、四十九名が重傷です。列車には西部地区総司令部のギュンター・アメルハウザー大佐も乗車しており、火傷を負ったものの命に別状はないとのことです。爆発は計四回、いずれも走行中に車内で発見された爆弾によるものと見られています。また、四回目の爆発地点とされる線路上からは起爆剤も確認されており――ヘルデンズ中東局は、一時間前に拘束された旧メルジェ……の集団との関連を……』

 途中で大きくなったノイズ音が、ニュースの声を掻き消していく。勾配の激しい山道では、ラジオの電波が安定しにくい。

 それでも必要な情報だけは、聞こえた。

「くそっ! あいつ死ななかったのかよ!」

 助手席に座る男が、荒々しく車の窓ガラスを叩いた。

 運転席の男は、うるさいノイズラジオの電源を切りながら、慌てて彼を窘めた。

「おいおい、頼むから暴れやんといてくれ」

「しかしよお! あんたも聞いただろ、今のニュース! 悔しくないのかよ!」

「そら悔しいけど、これが結果や。僕らは失敗したんや。腹立つのは分かるけど、それはちゃんと受け止めやないかん」

「くっそ……っ! あいつが死ななければ、俺だけ逃げてきた意味がねえじゃねえか! せっかくあいつらが逃がしてくれたっていうのに……!」

 助手席の男は再び乱暴に窓ガラスに頭を打ち付けた。無造作に伸ばした黒髪に、黒革のつばの黒いキャスケットをかぶった彼は、激昂しているせいで普段よりも野生的だ。

「やからって物に当たんなって。窓割れてまうやんか」

 運転席の男は、助手席の男よりも頭一つ分背が低く童顔で、背格好だけ見るとまるで少年のようだ。ハンドルを握る姿も全く様になっていない。

 しかし、後ろできっちりと一つに結ばれた白髪交じりの髪と、どこか達観した様子の青灰色の瞳、何より落ち着いた物言いは、彼がそれほど若くない男であると感じさせる。

 二人が話す言語は、ヘルデンズ語だ。

「あんたはいつも余裕そうだ。そりゃあそうか。あんたにとっちゃ俺たちよそ者は駒でしかないもんな」

「そんなん言うとらんやん」

「じゃあ何でそんな冷静なんだよ! 十人も生け贄に差し出しながら俺たちは失敗したんだぞ!? それなのにあんたは平気そうで――」

「――落ち着いとるんと平気なんは別物や」

 運転席の男は、人より高い声を突然低くした。

 乱れ荒ぶっていた助手席の男は、息を呑んで彼を見た。

「さっきも言うたやん、悔しいって。そら悔しいわ。爆発は上手くいったってのに、あの男は生きとった。これでもしあいつが死んどったらと思うと、怒りで頭がどうにかなりそうや」

 まっすぐ道路を見つめる青灰色の瞳は、いつの間にか瞳孔が開ききっていた。そこに確かな怒りが存在していることに、助手席の男はようやく気が付いた。

 運転席の男は至って落ち着いた口調で「やけどな」と続けた。

「どれだけ取り乱したところで時間は戻ってこやんし、そういう結果も想定して、あいつもお前の仲間も協力し、僕らに託してくれたんや。やったら僕らは次は何するべきか、分かるやろ?」

 運転席の男が鋭い一瞥を隣に向ければ、助手席の男はぐっと喉の奥で唸りながらも、何も言い返さなかった。彼は自身を落ち着けるかのように深く息を吐いた。

「……さっきは心にもないことを言って悪かった」

「ええよ、構わん。それより自分もあんまり寝とらんのやろ? 何かあったら起こしたるから、それまで寝とき」

「何かあったらって何なんだよ」

「何かは何かや。いいから寝ときんさい」

「……じゃあお言葉に甘えて」

 助手席の男はシートの背もたれを倒すと、後部座席に置いていた毛布を頭から被った。程なくして彼の寝息が車内に響き渡る。夕べからかなり走り回っていたので、疲れも相当溜まっているのだろう。

 運転席の男はアクセルを踏み込み速度を上げた。目的地にたどり着くまで、まだ数時間はかかるだろう。

 左右に広がる森を視界に入れながら、運転席の男は呟いた。

「白いおかっぱ頭――か。どんな子か知らんけど、もし無事に逃げられてたら、必ず辿り着いてや」

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