1-10.ヘルデンズとアジェンダ人
ブランカは、ヴォルフを見上げた。
射貫くような薄鳶色の瞳が、こちらをまっすぐ見ていた。
なんで分かったの?
胸に押し付けた薄萌葱色の手紙を、ぎゅっと握りしめる。心臓が激しい音を立てた。
否定しなくちゃと思うのに、頭が真っ白になって、言葉が出てこない。口の中が乾き、喉が凍り付く。
思わず後ずさると、土に足を取られて後ろに転ぶ。
「おい、大丈夫か?」
ヴォルフが手を差し出した瞬間、ブランカは目を閉じて身を小さくした。身体が震える。
しかし聞こえてきたのは、呆れたようなため息だった。
「別に殴ったりしない。その理由もないし。それよりもその手紙、しまった方がいい」ヴォルフは静かに言った。
ブランカは恐る恐る目を開く。
ヴォルフは再び麦畑をかき分けながら、ブローチ探しをしていた。
訳が分からなかった。
「どうして……探してくれるんですか?」
「どうして? 聞く理由が分からない」
彼の口調は、さっきと何も変わっていなかった。
ブランカは首を横に振った。
「だってあなたは……」
「アジェンダ人の生存者だから?」ヴォルフが振り返った。
まっすぐな薄鳶色と目が合う。
ブランカは何も言えなかった。嫌な予感が、当たってしまった。
フィンベリー大陸戦争中、アジェンダ人に何が起きていたかくらい、 ブランカだって知っている。迫害、摘発、虐殺。筆舌に尽くしがたい惨劇が、ヘルデンズによって組織的に行われた。
ブランカは、それを間近で見たことがある。
ヴォルフは、その被害者だった。
ブランカは首を横に振った。
なおさら彼がブローチを探す必要なんてない。
だってあのブローチをくれたのは……。
「君、今いくつ?」
「え……?」
聞かれた質問が、理解できなかった。
ヴォルフはブローチ探しに戻りながら、もう一度聞く。「いくつ?」
「十六……です」
「そうだよな、十六」彼は麦畑を進んだ。「だったら戦中は、十になるかならないかくらいの子供だったんだろ」
「そうですけど、でも――」
「だったら、いちいち気負わなくてもいいんじゃないか?」
言われた意味が、よく分からなかった。
ヴォルフは麦畑を奥まで進むと、向きを変えて戻ってくる。
「確かにフラウジュペイでは気にするかもしれないが――あぁ、フラウジュペイ語うっとうしいな」
彼は途中で言葉を変えた。
ヘルデンズ語、だった。
「とにかく君は戦中、子供だったんだろ、ヘルデンズ出身だとしても」
「あなたも、ヘルデンズ人なんですか……?」ブランカはヘルデンズ語で返した。
「まぁ、昔な」ヴォルフはニッと笑った。「今はブラッドロー人だけど」そこだけブラッドロー語で言う。
ブランカは首を横に振った。
だったら本当にブローチを探す必要なんてない。
だって彼はヘルデンズ出身のアジェンダ人で、収容所に入っていたのなら――。
そこまで考えて、ブランカはハッとした。
この人がヘルデンズ出身なら、マクシミリアン・ダールベルクのことも、クラウディア・ダールベルクのことも知らないわけじゃない。
思わず後ずさりかけたとき、ヴォルフが手を差し出した。
「全部、大人がやったことだ」
彼の大きな手のひらに、花の装飾の付いたゴールドのブローチが乗っていた。
見上げると、穏やかな薄鳶色の瞳があった。
「憎く……ないんですか?」
ヘルデンズを。ブランカを。
マクシミリアン・ダールベルクとクラウディアを。
ヴォルフは麦畑に目をやった。
「正直分からない。それなりな目に遭ったし」
「ごめんなさい……」
「別に君が謝る必要はないが」
ブランカは首を横に振った。
ブランカには、いくら謝っても償いきれない理由がある。
しかしヴォルフは、ブランカの手を取った。
「何度も言うが、君は子供だった。その上ひどい火傷を負っている。むしろ被害者だ。そんな子供が背負わなきゃならない罪なんてない」
そう言って、ブランカの手にブローチを握らせる。
花の装飾が手のひらに食い込んだ。
「そんな理屈……」
「それでいいだろ」ヴォルフの両手が、ブランカの手を包んだ。「それでいいんだよ」
ヴォルフは安心させるように笑った。
まっすぐな言葉。まっすぐな眼差し。
ぬくもりを伝える、大きな手。
涙が、頬を伝った。
ひとたびこぼれた涙は、次から次へとあふれ出て来る。
「ごめんなさい……わたし、どうかして……」
ヴォルフは困ったように笑うと、ブランカの頭に手を置いた。「つらかったな」
涙がますます止まらなくなった。
両手で顔を覆う。指に付いた土が、頬をこすった。
「顔、泥だらけになるぞ」
ヴォルフはズボンのポケットを漁る。
ブランカはブローチと手紙を片手で持ち直すと、自分のポケットから白いハンカチを取り出した。
「ごめんなさい……借りたままで」涙で、声が上手く出なかった。
「じゃあ、また必要だな」
ヴォルフはハンカチを持つブランカの手を、目元に持っていった。
ブランカは結局ハンカチに顔を埋めた。頭の中が、ぐちゃぐちゃだった。
戦争が起きた時、ブランカは確かに子供だった。外の世界で起こっていることなんて――祖父の所業なんて、知らなかった。
けれども本当のことなんて誰にも言えない。ヘルデンズ人であることすら、ひた隠しにしてきた。
心細い罪悪感の中で、生きるしかなかった。
大きい手が、背中を上下する。
「お願いです……」ブランカは嗚咽を上げながら言った。「私がヘルデンズ人であることは……」
「言わない。二人だけの秘密だ」
彼はそっと、ブラッドロー語で言った。
その響きは、どこか悪戯っぽくもあった。
ブランカはハンカチから顔を上げた。「今日返すつもりだったのに……」
また汚れてしまった。しかも今日は泥もついている。
昨日借りたときは真っ白だったのに。
「なぁ知ってるか? 『ブランカ』ってフィンベリーの古代語でどういう意味か」
ヴォルフはブランカの手からハンカチを取り上げて広げた。
「白って意味らしいぞ。いい意味だよな」
そう言って、汚れていない方を表に折り返して、ブランカに差し出した。
ブランカはしばらくハンカチを眺めてから、ヴォルフを見上げた。
夕陽を受けたまっすぐな笑顔。
心の奥が熱くなるのを感じた。
夕焼けに染まる麦畑で寄り添う二人を、離れた場所からじっと見つめる影。
あいつが来てから、なんか全部むかつく。
仲間はすっかりあいつに手懐けられ、町の女は浮かれてやがる。何がブラッドローだ。フラウジュペイ語が下手なアジェンダのくせに。
しかも噂によると、腕に囚人番号の入ったアジェンダらしい。ただのブラッドローかぶれじゃねえか。
一番むかつくのはあいつだ。
インテリただれ人形め。
俺らの前ではシカト決め込むくせに、ぽっと出のアジェンダ野郎なんかに惜しみなく泣きっ面見せやがって。
くそむかつく。
石を蹴飛ばして、町の方へ歩く。
すると、後ろから声を掛けられた。
「ねえ君、不機嫌そうだね」
そいつは、歯を見せて笑った。




