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【新改訂】戦犯の孫  作者: ふたぎ おっと
第一章 ブラッドローから来たアジェンダ人
13/23

1-9.ゴールドのブローチ

 書類作成には、数時間かかった。

「素晴らしい、素晴らしいよ!」

 車の男性は、ブランカの書いた書類を嬉しそうに眺めた。目をきらめかせてブランカを見る。

「是非うちに来てほしい逸材だ」

 やけに大げさだ。ブランカはわずかに身を引いた。

 挨拶もそこそこに、ブランカは喫茶店を出た。町の端の方へ視線を向けた。

 まだやってるのかしら。

 ブランカはポケットから、白いハンカチを取り出した。

 昨日ヴォルフから借りたハンカチ。端にWの刺繍が入っている。

 返さなきゃ……。

 ふと、先ほどの店での会話がよみがえった。

 腕の番号。アジェンダ人。

 ブランカの頭の中に、灰色の世界が広がる。

 灰色の空に、何もない灰色の平原。木製のくすんだ色の列車から歩く、無数の人。

 凍えそうな寒さの中を薄着でぞろぞろ歩く彼らは、みんな虚ろな目をしていた。

――あれはね、この世にはびこる劣等民族なんだ。生きる価値もないから、駆除してやっているんだ。

 隣にいた人は、そう言って銃を放った。

 ブランカは胸元を、ぎゅっと握りしめる。

「ねぇちょっと」

 声を掛けられて、ブランカは顔を上げた。

 児童施設で、いつも絡んでくる女の子たちだ。

「ちょっと来てくれる?」


 ブランカは、麦畑へ突き飛ばされた。

 柔らかい土と若い麦の上に、ブランカは尻餅をついた。

「やだ、ぶざま」女の子たちがくすくす笑う。「でもよく似合ってるよ」

 ブランカは、ただ見上げた。

 こんなことは初めてでもない。相手にするだけ無駄だ。

 ブランカは黙って立ち上がり、服についた土を払った。

 それがさらに癇に障ったらしい。

 また突き飛ばされた。

 柔らかい土に踏ん張って立ち上がろうとしたとき、顎を掴まれた。いつも一番当たりの強い子が、ブランカを睨みつけた。

「あんた、"ミノホド"ってもんを分かってる? ちょっとちやほやされたからって、生意気なのよね」

 いったい何の話?

 ちやほやなんて、されていない。

「こいつ、昨日ヴォルフさん独り占めにして浮かれてるよ」

「さっきは別のお客さんの相手してた!」

「そんなナリで、やることやってんのね」女の子は嘲笑した。

 なんとなく意味が分かってきた。けれどブランカに言われたってどうしようもない。

 昨日はブランカも断ろうとしたのに、ヴォルフが強引に……。

 でも彼は、ずっと優しかった。

 生きてきた証。

 ただの、普通の子……。

 でも彼は――。

 ぐいっと、顔を上に向けられた。

「あんた、状況分かってる? ほんとにイラつく」

 女の子は顎を放すと、ブランカの胸元に手を突っ込んだ。

 あ――と思った時には、もう布袋を取り上げられていた。

 ブランカは手を伸ばしたが、女の子は布袋を高く持ち上げた。

「あたし、知ってんだからね。あんたがこれを大事に身に付けてんの」

「返して!」

 ブランカは女の子に飛び掛かるが、身長の低いブランカはあっさり振り払われた。

 女の子たちが、布袋の中を開く。

 だめ……だめ――!

「何これ、きっない紙」女の子は薄萌葱色の封筒を取り上げた。「焦げてんじゃない」

「中開こうよ」別の子が囃し立てる。

 ブランカは手紙を奪い取った。これは見られるわけにいかない。

 両手で胸元に引き寄せる。心臓が、ばくばくと暴れていた。

「ったー……」女の子が顔を歪めた。「切れたじゃん、あんたのせいで!」

 女の子は勢いよくブランカを平手打ちした。

 ブランカは体勢を崩して地面に倒れ込む。ぶつかる衝撃を受けながら、手の中の手紙だけは、ぎゅっと握りしめた。

 手をついて顔を上げると、女の子たちが輪になって布袋を漁っていた。

「何これ。あんたこんなの持ってたの?」

「それは……」

 女の子はゴールドのブローチを掲げた。表面の花の装飾が、傾いた陽に反射している。

 ブランカは立ち上がり、女の子たちに近寄った。「返して」

 女の子たちは、ブランカの伸ばした右手を見た。ただれた火傷の痕が、濃く残っている。

 女の子はブランカの右頬を見ると、鼻で笑った。

「あんた、鏡見たことある? よくこんなの持ってられるね」

 そう言って、女の子はブローチを無造作に麦畑に放り投げた。

 ブローチは少し離れたところに落ちた。若い麦が、さわさわ揺れる。

 ブランカはブローチが落ちた方を、呆然と見た。

 後ろから突き飛ばされる。

「いい気味。ただれ人形には泥のがよく似合ってるよ」

 くすくす笑いながら、女の子たちは去って行った。

 ブランカは柔らかい土に倒れ込んだまま、動けなかった。


 ヴォルフは、今朝の男性に車の鍵を返した。

「大きい街に出たら、修理工場に行った方がいいと思います」

「ありがとう。助かりました」彼は胸に手を当てて、礼を言った。

「なあアニキ。次何修理する?」

 手伝っていた不良たちが、肩を組んできた。今朝と打って変わって嬉しそうだ。

 ヴォルフはにやりと笑った。「また今度な」

 物足りなさそうにする不良たちの肩を軽く叩いて、ヴォルフはその場を離れた。

 狙い通りだな。

 ヴォルフは町に戻りながら伸びをした。

 あまり大きな変化がなさそうなこの小さな町で、あれくらいの年頃の男が退屈するのはよく分かる。自分も昔はそうだった。

 視界に、腕まくりした腕が覗いた。腕の内側に刻まれた番号に、ヴォルフは視線を落とした。

 俺の小さいときは、もっと退屈で、何もできなかった……。

「ねぇ見た? さっきのインテリただれ人形」

 ヴォルフは顔を上げた。

 道行く娘たちが、ひそひそ話をしている。

「本当にぶざま。畑でうずくまっちゃって、お似合いよね」

「でもあの子、何であんなブローチ持ってたんだろう?」

 インテリただれ人形。ブローチ。

 また何か巻き込まれてるのか?

「あ、ヴォルフさん! ご飯食べた? これから一緒に――」

「ごめん、また今度」

 ヴォルフは町の外れに向かった。

 畑と言っていたか? ダムブルクの周りは畑だらけだ。

 とりあえずさっきの娘たちが歩いてきた方へ向かった。

 夕日を受けた緑色の低い麦畑に、丸まった背中が見えた。

 なんでこんな場面ばかり目撃してしまうんだ。

 ヴォルフは近寄った。「ブランカ」

 ブランカは肩を揺らして振り向いた。

 顔を真っ青にして眉毛を下げて、今にも泣きそうに見えた。

「どうした? 何か探してるのか?」ヴォルフは麦畑に入った。

 ブランカは首を振るも、麦畑に視線を戻した。無表情に取り繕っているが、どこか一点を見つめたまま、細かく息をしている。

 ヴォルフはそのとき、ブランカが薄萌葱色の封筒を大事そうに胸に抱えているのに気が付いた。手の端から覗いた文字に、ヴォルフは目を見開いた。

 じっとブランカの横顔を見つめる。

 彼女はもしかして――。

「……大丈夫です」

 小さい声が聞こえてきた。

 ブランカは、地面に目を落として言った。

「もう、いいんです。だから、大丈夫」

 ぽつりと言う声は、とても小さく沈んでいる。

 ブランカは何度も首を横に振って、大丈夫、と呟く。

「何が?」

 しかし彼女は首を横に振るばかりで、何も答えない。

 ヴォルフはブランカの虚ろな横顔を見て、そういえばと思った。

 何で彼女はわざわざ封筒を出しているんだろう。昨夜の様子では、大事にしまっている雰囲気だったのに。

 そこまで考えて、さっきの娘たちがブローチの話をしていたのを思い出した。

「どこに落ちたんだ?」

 ヴォルフはブランカが見つめる方へ、麦をかき分けて歩いた。昨日の記憶では、そこそこのサイズがあったはず。

「やめてください……」ブランカが小さい声で言った。「見つからなくていいんです」

「何でだよ。大事なんだろ?」

「でも……」

 ヴォルフは無視して探した。泣きそうな顔しやがって。

 すると、服をくいっと引っ張られた。

 暗い顔で俯く白いおかっぱ頭が、すぐそこにあった。

「やめてください。あなたが……わざわざ探す必要ない……」

 ブランカは、ヴォルフの腕を一点を見つめて言った。

 腕まくりした腕の内側の、数字の列。

「なんでそんなこと言うんだ?」ヴォルフは静かに聞いた。

「だって……」

 ブランカの深緑色の目は、腕の番号を見たまま動かない。

 ヴォルフは声を低くして聞いた。

「君は、ヘルデンズ人なのか?」


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