1-7.川②
それからどれくらい時間が経ったのだろう。
ブランカは身体を起こした。
「すみません、服を汚してしまいました」
ヴォルフはニッと笑った。「スッキリしたか?」
ブランカは曖昧に頷いた。
これで何かが変わるわけではないけど、少なくともぐちゃぐちゃに混乱していた頭は冷静さを取り戻した。
「恥ずかしいところを見せてしまいました。失礼な言葉も」
「気にしてない。泣きたいときは泣いたらいい。特にきみくらいの年頃は」
ブランカは目を閉じて首を横に振った。感情的になったところで何がどうなるものでもない。
手の中のブローチと封筒に視線を落とした。
花の装飾の付いたゴールドのブローチと焼け焦げの残る薄萌葱色の手紙。
それは、ブランカの正体そのものだった。
わたしはこれを残して、どうしていくのだろう。
……どうするつもりなのかしら。
捨てるべきだと分かっている。けれども捨てられない。
――じゃあ、このまま進めばいい。
……それも無理だ。
過去の罪が、立ちはだかる。
正体を明かすのは――とてもできない。
ロマンやレオナたちに知られたら。館長に知られたら……どうなるのか、考えたくもない。
結局、何者にもなれない。ただみんなを騙すだけ。
何も変わらない。いつもと同じ。
ゆっくり深呼吸して目を開く。
すると、視界の端に、白いものが差し出された。
視線を上げると、ヴォルフは苦笑した。「全然スッキリしてないな。ほら使えよ」
ヴォルフは、ブランカの手に白いハンカチを押し付けた。
ブランカはブローチと手紙を布袋に戻すと、ハンカチを借りた。
「いつもは……こんな風にはならないんです」
ヴォルフは首を傾けた。「そうなんだろうな」
「今日は……おかしかったんです」ブランカはハンカチに顔を埋めて言った。「……わたし、壊れてるから……」
横から、ため息が降ってきた。
大きな手が、背中に当てられる。
「君は壊れてなんかない」ヴォルフは静かに言った。「人形でもない」
ブランカは首を横に振った。
けれども彼は、更に低く穏やかな声で言った。
「ただの普通の子だよ」
川のせせらぎに、言葉が溶けた。
ブランカは、ハンカチから顔を上げた。まっすぐこちらを見る薄鳶色の瞳と目が合う。
ヴォルフは、何でもないような顔で、こちらを見下ろしている。
ブランカは、またハンカチに顔を伏せた。
カエルの鳴き声が、響き渡った。




