6-13.世界は動く①
オプシルナーヤ兵士が、現場周辺を捜索していた。
列車から逃げた男たちの何人かは捕まえた。だがその間に、別の車両に詰め込んだ男の数が減っている。
家畜すら、貨物車から逃げ出していた。
「<応答願う! そっちはどうだ?>」
一人が無線に向かって叫ぶ。
誰からも返事はない。
今月に入って、こんなことが何度も起きている。上からは圧ばかり降りてくる。
兵士たちの苛立ちは高まるばかりだった。
走り回る兵士たちを、逃げた男たちは草陰から伺う。
「俺たち……このままどうすればいい?」
徴兵からの脱走。自宅には帰れない。
一人が低い声で言う。
「道は二つある」
その言葉に、誰もすぐには答えなかった。
逃げ出した家畜は、畑を走り、森を抜けた。
やがて一頭の牛が、とある町に駆け込んだ。
町の住人は、騒然とした。
一体どこから来た牛だ? この辺りには見覚えがない。
――だが、今はオプシルナーヤ兵士がいない。
「天の恵みだ……!」誰かが言った。
住人たちは、寄ってたかって牛に飛びついた。
「足押さえろ!」
「早くしろ、逃げるぞ!」
血の匂いが広がった。
誰かが言った。
「……なあ、知ってるか?」
「何をだ?」聞き返した男は、肉を斬るのに必死だ。
「アメルハウザーって、ダールベルクの娘婿らしいぞ」
ギュンターは、執務室の中を左へ右へ行ったり来たりしていた。
また電話が鳴る。
ギュンターは辟易しながら受話器を取った。
「何だ? またか? 先週も同じことを言っていなかったか?」
相手は言い訳を繰り返す。
中身がない。
ギュンターの眉間に皺が寄る。受話器を握る手に力が入った。
「地位を奪われたくなければ、結果を出せ」
乱暴に受話器を置いた。
乾いた笑いが、背後で響いた。ギュンターは振り返る。
参謀長が、扉の前に立っていた。
「随分、活躍しているようだ」
ギュンターはぐっと奥歯を噛んだ。「ご用件は」
扉にもたれかかり、パイプに火をつけた。ゆったりと手を揺らす。火が安定してから、ようやくパイプに口をつけた。
その間、参謀長の目は、ギュンターから離さなかった。
「最近苦労しているようだな」
「滅相もございません」ギュンターは頭を下げた。「現場の監督が不十分で」
「ほお? 無能ばかりを持つと苦労するな」
参謀長は煙を吐いた。
ギュンターは下を向いたまま、歯を軋らせた。
「優秀な君に聞くが――」参謀長はタンバーでタバコをいなしてから続けた。「我々はいつまで待てばいい?」
ギュンターはすぐに答えられなかった。
参謀長は、パイプの先を二、三振って灰を床に落とした。
「まだ人形遊びから抜けきれないのか?」
「そういうわけでは――」
「ならば結果を出せ」参謀長は低い声で言う。「まだその首が惜しいならな」
ギュンターは何も返さなかった。
実際のところ、ギュンターも焦れていた。娘はなかなか吐かない。一度迫った時も、意味を成さない言葉を発しただけだった。
まさかあれは、あの男から何も聞いていなかったのか?
「いい知らせをやろう。西からの情報だ」
参謀長は、ゆったりと執務室の中を歩き回る。彼が通った後に、灰が落ちてゆく。
「ダールベルクの秘密は、やはりお前の娘が握っているようだ。悪い知らせは、ヤツらが既に動き出しているということだ――お前の娘を巡って」
ギュンターは頭を上げた。
参謀長は、ギュンターへ歩み寄ると、ヤニのついた手を肩に置いた。
そのまま何も言わなかった。
同じ時期でも、ノイマールの空気はロゼとは随分違う。むしろ、この灰色の街には、刺すようなこの冷たさの方が合っていた。
フィルマンはダークグリーンのコートを羽織り、駅舎を出た。迎えの車に乗り込み、ヘルデンズの国会議事堂――現在のオプシルナーヤ軍西部地区総司令部司令塔へ到着した。
ギュンターの部屋の前まで行くと、扉の前で足を止めた。中から話し声が漏れている。
「ですから、私はお嬢様の状態を管理しようと申し上げているのです」
「君はあくまで家庭教師だ。領分を忘れるな」
「忘れておりません。勤めの一環にございます」
「……君の代わりなど、いくらでもいる」
そこで言葉が途切れた。
フィルマンは笑みをこぼした。扉を叩いて、中に入れてもらう。
アメルハウザー大佐の机の前で、カミーユが蒼白な顔をしていた。
「あまり、穏やかではない様子ですね?」
フィルマンはカミーユの隣に立った。カミーユは、縋るようにフィルマンを見た。
ギュンターは、目の前の二人を睨みつけた。「従弟をどうにかしろ」
フィルマンは、カミーユに視線を向けた。「どういうことかな?」
カミーユは、弱々しく首を横に振った。「ただ……心配で。彼女の様子がおかしくて」
「娘の寝室に入ったそうだ」ギュンターは吐き捨てるように言った。
カミーユは何度もギュンターに食い下がった。
フィルマンは僅かに目を細めた。
「カミーユ。確かにそれは行き過ぎだ。しかし大佐」フィルマンはギュンターに向き直った。「我が従弟に同情せずにはいられません。彼女を見ていると誰しもが守らねばと思いたくなりますから」
ギュンターは、椅子に深くもたれてフィルマンを見上げた。
フィルマンは、笑みを崩さないまま言った。
「こちらに来る途中で記事を読みましたよ。先月最後に見たときから、随分美しく成長している。実に驚きました」
「あの見てくれで皆が評価するのが不思議なものだ」
ギュンターは息をついた。
フィルマンは首を傾げた。
「噂の彼女は、今どちらに?」




