6-12.救済のダール二世③
低い振動が、一定の間隔で床を打っている。薄いカーテンが、列車に合わせてゆったり揺れていた。
上等なベルベッド地のソファに腰かけて、フィルマンは雑誌を読んでいた。
向こうの個室から、男女が歩いてきた。上質な仕立てのスーツを着た紳士と、堅苦しそうな詰襟を立てた婦人。
彼らは横を通り過ぎる。
フィルマンは、笑みを浮かべた。
完璧に装った服に残る、僅かな皺。女の髪は、少しだけほつれていた。鼻腔を差す香りに、フィルマンは目を細めた。
フィルマンは、雑誌の記事を指でなぞった。
『救済のダール二世、労働者の手当てをする』の見出しの下で、微かに微笑む少女。
植物園に行ったときは、ただの人形だったのに。
すると、優雅なクラシックを流していたラジオが、ニュース番組に切り替わった。
『オプシルナーヤ当局に保護されてから三カ月ほどでしょうか。どのような毎日をお過ごしですか?』
『……与えられた環境の中で、出来ることを学び、役割を果たすよう努めています』
フィルマンは雑誌から目を上げた。
ひじ掛けにもたれて、ラジオの続きを待つ。
『先日はがれき撤去現場で、いわゆる看護婦のようなことをされたとか』
『大層なことではありません……。大変な作業ですので……少しでもお手伝いできればと思っただけです』
フィルマンは、口元を押さえた。
ラジオが続きを流すたび、指先が微かに震えた。
『あなたはこの国にどう償うべきだと考えますか?』
しばらく沈黙が続いた後、相手はこう言った。
『国家のために働きます』
フィルマンは手で顔を隠した。僅かに息が漏れる。
しばらく顔を上げられなかった。
素晴らしい。
そう来るか。
今回もまた、楽しくなりそうだ。
すると列車が急に止まった。ラジオは、雑音だけを流す。
近くに座っていた人たちが、ざわめきだした。彼らを煽るように、列車内が真っ暗になる。給仕係が動揺する彼らをなだめた。
「<またゲリラか>」
そんなオプシルナーヤ語が、車両の奥から聞こえてきた。それを拾った婦人がヒステリックな声を上げる。
フィルマンは顔を上げて、それらを眺めた。
まったく。スリルも味わえないとは。
ちらりとカーテンをめくると、軍用車が多数走っているのが見えた。
別に珍しくない。フラウジュペイとノイマールを往復するたび、何かしらの停止に遭遇している。銃声が聞こえてこないだけ、まだマシだ。
ぎゃあぎゃあわめく声が煩わしくなり、フィルマンは廊下に出た。
すると、若い女性が立っていた。
淡い金髪の、それほど年端も行っていない、清純そうな見た目。薬指には、何も付いていなかった。
彼女は、不安そうに窓の外を眺めている。
「心配ですか?」フィルマンは歩み寄り、丁寧なヘルデンズ語で話しかける。
女性はフィルマンを見上げると、力なく笑って首を傾げた。「少しだけ……」彼女は片言のヘルデンズ語で返す。
フィルマンは笑った。
「<あんまり外を眺めていても、恐ろしさが増すだけですよ>」オプシルナーヤ語に切り替える。「<中でお茶でもいかがですか?>」
女性は少しだけ目をきらめかせるが、不安な顔を崩さなかった。「<でも、暗いのが苦手なんです>」
「<なるほど>」フィルマンは柔らかく微笑んだ。「<いい場所を知っています。行ってみませんか?>」
女性は少しだけためらい、フィルマンの出した腕に手をかけた。
「<オプシルナーヤ語、お上手なんですね>」女性は感心したように言う。
フィルマンは、彼女を見たまま、笑みを深めた。
まだあの声が、耳に残っている。
彼は、女性の耳元で囁いた。
「<必死で覚えたんですよ>」
――国家のために。
フィルマンは、ポケットに入れた反対側の手で、小さな瓶を転がした。




