6-12.救済のダール二世②
暖かい陽気に冷たい風が忍び込む。午後の影が、日に日に伸び始めてきた。
国会議事堂の屋上は、風がよく通る。ブランカは、ストールの合わせをきゅっと閉めた。
すると後ろから伸びてきた手が、ブランカの腕を掴んだ。
「せっかくきれいにしたのですから、我慢してください」
カミーユは無表情にブランカを見下ろして言った。ブランカは目を合わせないように頷いて、腕を下ろした。カミーユは一歩後ろに下がる。
最近はカミーユが近づくたびに鳥肌が立って仕方がない。
やたらと無表情。フラウジュペイ訛りの間延びした喋り方も、抑揚だらけだった口調も、ここ最近は一切ない。
夜に部屋に入ってくることは、あれ以来ないけれど――。
「<お待たせしました>」
軍の広報部の兵士が、メモ用紙を手にやってきた。ブランカの向かいに座る。
彼の後ろには、既にカメラと照明が、スタンバイされていた。
ようやくカミーユが離れて行ってくれたので、ブランカはわずかに息をついた。
「<早速始めましょう。まずは簡単な質問から>」兵士はマイクをブランカに向けた。「オプシルナーヤ当局に保護されてから三カ月ほどでしょうか。どのような毎日をお過ごしですか?」彼はヘルデンズ語に切り替えて尋ねた。
ブランカは答えた。「……与えられた環境の中で、出来ることを学び、役割を果たすよう努めています」台本があって良かった。
「素晴らしい」兵士は大げさに言った。「最近あなたのご活躍を耳にします。先日はがれき撤去現場で、いわゆる看護婦のようなことをされたとか」
「大層なことではありません」ブランカは咄嗟に首を横に振った。「大変な作業ですので……少しでもお手伝いできればと思っただけです」
言葉の終わりが、少しずつ小さくなる。
ブランカは膝の上で両手を重ねて、肩を縮こまらせた。
「なるほど」兵士は目を細めてブランカを見る。「配給の場でも、ずいぶんご活躍のようですね」
ブランカは頭の中で必死に台本を手繰り寄せた。「はい。微力ながら、皆さんの生活を支えることが……とても光栄に思います」
「市民は喜んでいますよ。あなたのような方が手ずから、スープやパンを与えていることに」
本当に?
ブランカは、配給の列で見る人たちの顔を思い浮かべた。
最近は、自分の食事の余りや部屋のお菓子を持っていくようにしている。人々の顔は、以前よりも少しだけましになっているように見える。
でも、みんな痩せている。疲れた顔は変わらない。
ブランカが持っていけるものも、ほんの少しだ。
これで復興だなんて――何年かかるのだろう。
ブランカは柵の向こう側の景色を見た。
この屋上からは、街を広く見渡せる。きれいな表通りも、裏の廃墟も。人々が手作業でがれきを撤去し、食料を求めて縋るように配給に並んでいる。
これが、ノイマールの街――ブランカの故郷だ。
昔の面影は、ほとんど残っていない。
元の姿に戻るのにどれくらいの年月が必要なのだろう。
「ところで――」ブランカは兵士の方へ顔を向けた。「あなたは確か、ダールベルク家の血統だとか」
ブランカはわずかに首を傾けた。
兵士は続けた。
「あなたの血筋は、この国に多大なる被害をもたらしました。あなたはこの国にどう償うべきだと考えますか?」
こんな質問――台本にあっただろうか。
ブランカは頭の中の台本を必死に漁った。
どうしよう。
兵士は口元を歪めて言った。
「今の本心を聞かせてください」
「わ……私は――」
――お前がこの国を明るくするのだ。
その言葉が、突然頭に浮かんだ。
ブランカは膝に目を落とし、もう一度、ノイマールの街を見た。
光のない、灰色の暗い街。
昔は輝きに満ちていた。
その眩しい光を浴びながら、みんなを幸せにしたいと、当時は思っていた。この国のために働きたいとも。
そして世界は輝いているのだと、信じていた。
祖父の理想はどこにもなかった。
戦争は、あらゆる輝きを奪った。生活を奪った。直接の攻撃がなくても、人は狂う。それをブランカはもう知っている。
あれから色んな人に会った。色んな町を見てきた。
ダムブルク。右手のない図書館館長。家族を失ったレオナ。故郷を奪われたロマン。
みんなわだかまりを抱えていた。それでも前を向いて未来を見続けていた。麦畑が実るごとに喜ぶ人々が、とても眩しかった。
ロゼは美しい街なのに、人々は怒りに狂っていた。遺恨は見えない形で、人々の心を巣食うのだと知った。
ヘルネーの下町には活気があった。同じ東ヘルデンズなのに、あの地域のアジェンダ人やメルジェーク人は、とても気さくで明るかった。けれども戦争の責任を押し付けられるヘルデンズ人を見ると、心が痛くなった。
エンゲル地方のオットーさん。
ヴォルフは、潜伏生活と収容所の過酷さを教えてくれた。
そして今のノイマール。
アンネリーゼ……。
奪って、搾取して、誰かが傷ついて。そして人々に渡るのは、ほんのわずかな食事。
こんなこと、いつまで続くのだろう。
本当に悲しい。
「お答えください」
オプシルナーヤ兵士が、辛抱強く尋ねた。
ブランカは、目の前の彼と、カメラを構える兵士たちを見渡した。
「私は――」
――お前はお前だ。
その言葉に、ブランカは心の中で頷いた。
脳裏に、ヨモギの葉が浮かんだ。いつも渡してくれる男の子の笑顔も。
ブランカは姿勢を正した。
今、自分はこうして父の元で、オプシルナーヤに尽くしている。
けれどブランカが願うことは、昔から変わっていない。
「国家のために働きます」
その言葉を、ブランカは静かに飲み込んだ。




