表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「最果の物語」  作者: 灰那
第1章・中央大陸編「この理想を、世界が許すまで」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/18

第6話「選択する意思」

 回響市かいきょういちの喧騒が、徐々に遠ざかっていく。

 人々のざわめきが、背後で消えていく中、フィナの足元は、知らぬ間に土の感触へと変わっていた。


「こっちだよ、君にしか見せたくないものがあるんだ」


 そう言いながらフィナの手を引く少年──名をまだ名乗らないその少年の手は、小さくて、やけに温かい。

 けれど、その温もりは妙に不自然だった。


(……空気、変)


 気づけば周囲には、人の気配がなくなっていた。

 さっきまであれほど賑わっていたのに、今は草と土と、湿った風の音だけ。

 風に混じる、錆びついた鉄の匂い。


(この匂い……あのとき、虚大穴アケホラで……)


「待って」

 

 フィナは立ち止まり、目を細める。

 

「ここ……変。戻る」


 少年は、そこで初めて振り返った。

 その顔には、相変わらず無邪気な笑みが浮かんでいた。


「そうそう、自己紹介がまだだったね。僕は、カエル。よろしく」


 名を聞いた瞬間、フィナの背筋にひやりと冷たいものが走った。

 

「君とは、長い付き合いになりそうだ……オリティスから、僕のこと聞いてないんだ?意外。あの人なら、もう少し気を利かせてるかと」


(オリティス……知ってる……?)


 フィナの頭に警戒が点滅し始める。だが、カエルは構わず続けた。


「別にいいよ、君に選ばせてあげる、ついて来るか、ついて来ないか」


 虚大穴アケホラの記憶が、脳裏に蘇る。

 だが、足はもうここまで来てしまっていた。


(ここ、やばい)


「僕は今から君に真実を見せる──君は、1つ、決めなきゃいけないからね」


「決める……?」


「うん。君はもう選ばれた。だから、これからは選ぶ側にならなきゃいけない、その覚悟が、君にあるか」


 その言葉に、フィナの身体が一瞬だけ硬直する。

 けれど、喉の奥から出てきたのは、はっきりとした言葉だった。


「……ある」

 

「私は、逃げない」

 

「自分の物語を選ぶ」


 カエルは、ふっと笑った。だがその笑みは、今度はわずかに……ほんのわずかにだけ、興味と驚きの色を帯びていた。


「へぇ……面白いね。フィナちゃん。じゃあ、行こうか、アケホラ通りに」


 そのまま、彼は奥へと足を踏み入れる。


 フィナも、ひとつ息を吐いて──その背中を、静かに追った。


 アケホラ通り──。


 その名を耳にしたとき、フィナの心に走ったのは、確かな“警告”だった。


(まさか、ここ……)


 オリティスから言われていた。「一人では決して入ってはいけない」と。


 けれど今、フィナの足は止まらなかった。心の中で何度もごめんなさいと謝りながら、カエルの背中を追っていた。


 やがて、通りの雰囲気が変わる。ひび割れた煉瓦の壁、窓に張られた古びた板、石畳の隙間から生えた苔。世界から切り離されたような、朽ちた空間。


 ふと、視界からカエルが消えた。


「こっちだよ」


 後ろから首元を鷲掴まれ、身体がふわりと浮いた。

 驚いて顔を上げたフィナの目に映ったのは──もう“少年”ではなかった。


 そこにいたのは、背が伸び、赤黒い豪奢な魔術師の衣を纏った青年。

 髪は銀に近い白、瞳は血のように赤い。

 だが、その真っ赤な瞳には光がなかった。

 まるで、魂の代わりに“空洞”が詰め込まれているような目。


「君がこれから見るもの、それが真実だよ」


 軽い声。

 だが、その軽さが不気味だった。


 フィナは宙に持ち上げられたまま、カエルに運ばれていく。

 彼の足取りは軽やかで、まるで散歩にでも出かけるかのようだった。

 今から見せる光景を、心から楽しみにしているような──そんな足取り。


 やがて、通りの一角に差し掛かる。


 そこには──人がいた。


 いや、正確には“倒れていた”。


 壁にもたれかかり、うつろな目をした男女。

 身なりは様々だが、皆、まるで魂を抜かれたかのように動かない。

 呼吸だけが、かすかに残っている。


「君、自分の“物語”を描くつもりかどうか、どうせまだ決めてないでしょ?」


「……」


 答えようとした瞬間、カエルは笑って遮った。


「答えなくていいよ。興味ないからね」


 空気が変わった。


 風が止まり、音が消えた。

 世界が一瞬、呼吸を忘れたような静寂。


 カエルは笑っていた。

 だが、その目だけが、何の感情も宿していない。

 まるで別の誰かが、彼の中に潜んでいるかのように。


「さあ──見せてあげるよ。君が“選ぶ側”になる前に、知っておくべきものを」


 カエルはフィナを地面に降ろし、先へ進む。


 そして──それは現れた。


 ミオルタに来たとき、遠くから見た廃教会。

 だが、近くで見ると印象はまるで違った。


 扉は半ば溶け、木材と金属が混ざり合ったような異様な形をしていた。


 まるで、誰かが“教会の形を真似て作った偽物”のようだった。


 カエルは軽い足取りで扉に触れた。

 その瞬間、扉は音もなく左右に割れ、暗闇が口を開けた。


「入ろう。君の“未来の姿”が、ここにある」


 フィナは一歩踏み出そうとして──止まった。


 虚大穴アケホラの記憶が蘇る。

 息が詰まり、胸が締め付けられる。


 だが、フィナは一度目を閉じ、ゆっくりと息を吸った。


(……行こう)


 そして、一歩踏み出した。


 教会の中へ足を踏み入れた瞬間、フィナは思わず息を呑んだ。


 そこは──“壊れている”という言葉では足りなかった。


 床はところどころ陥没し、石畳は黒く焦げ、まるで巨大な爪で抉られたような深い溝が走っている。

 壁には無数の斬り跡が刻まれ、そのどれもが、普通の武器ではつけられないほど深かった。


 天井は半ば崩れ落ち、残った梁は黒い煤に覆われ、風が吹くたびに軋む音を立てていた。


(……ここで、何が……)


 フィナの胸がざわつく。


 祭壇へ続く中央の通路は、かつては赤い絨毯が敷かれていたのだろう。

 だが今は、焼け焦げ、裂け、ところどころに黒い染みがこびりついている。


 血ではない。

 もっと“重い”匂いがした。


 喪失の匂い──虚大穴アケホラで嗅いだ、あの鉄と土が混ざったような、世界が腐りかけた時にだけ漂う匂い。


 壁に掛けられていたはずの祈りの絵画は、すべて破れ、燃え、額縁だけが歪んだ形で残っていた。


 窓は粉々に砕け、床に散らばった破片は、光を失ったまま鈍く光っている。


(……全部、壊されてる)


 ただの破壊ではない。

 そこには“意志”があった。


 祈りを否定するように。

 救いを嘲笑うように。

 この場所にあった何かを、根こそぎ奪い取るように。


 フィナは足元の石をそっと踏む。

 石は湿っていて、冷たく、まるで生き物の体温が抜けた後のようだった。


 天井の隙間から落ちる水滴が、ぽたり、ぽたりと音を立てる。


 その音が、やけに大きく響いた。


 風の音も、街の喧騒も届かない。

 ただ、湿った空気と、喪失の匂いだけが満ちている。


 フィナは思わず腕を抱いた。

 寒さではない。

 もっと深い、底のない冷たさ。


 カエルはそんな空気の中を、まるで散歩でもするかのように軽い足取りで進んでいく。


「ここが、旧ミオルタを襲った大災害、喪失獣メメリアルが“生まれた場所”なんだよ、生まれたというよりは、発生したと言った方が正しいか」


 その声は、どこか楽しげだった。


「奴らは、人が祈り、願い、縋った場所を壊すと面白いと感じるらしい」


 フィナは息を呑む。


 カエルの言葉が、この教会の死を説明していた。


 空気は淀み、胸の奥がざわつく。


(……空気が重い)


 次の瞬間、フィナの肩が掴まれた。


「──っ!」


 だが、痛みは来なかった。


 目に映ったのは、赤い奔流。

 カエルの背後から放たれた赤い光が、影のような何かに襲いかかり、原型を維持できずに消滅させていた。


 カエルはフィナの前に立ち、軽く言った。


「大丈夫。僕がいる限り、君に触れられるものはいないよ」


 その声は優しげだった。

 だが、そこに慈悲は一欠片もなかった。


 闇の中で、何かが動いた。


 最初は影だと思った。

 だが、影は壁にもたれ、ゆっくりと揺れていた。


 人だ。


 いや──人だった“何か”。


 虚大穴アケホラで見た喪失獣メメリアルに似ている。

 だが、違う。


 まだ人の形を保っている。

 だが、目は虚ろで、焦点が合っていない。

 皮膚は灰色に近く、ところどころ黒い斑点が浮かんでいる。


「……っ」


 フィナは反射的に身構える。


 だが、カエルが手を軽く振ると、赤い奔流が喪失しかけた者たちに襲いかかり、無慈悲に、無音で、体を貫いた。


 悲鳴もない。

 抵抗もない。

 ただ、存在が“止まる”。


「彼らはね、まだ“完全には”喪失していない。でも、自我を失いかけて、彷徨っている途中なんだ。喪失獣メメリアル一歩手前の存在さ」


 カエルの声は淡々としていた。


「助け……られる……?」


 フィナの声は震えていた。


 カエルは肩をすくめる。


「さあ?助けたいなら助ければいい。でも、君にそんな力があるのかな?」


 その言葉は、優しさの皮をかぶった刃だった。


 ぎしり──。


 骨が軋むような音が、闇の奥から響いた。

 喪失しかけた者たちが、ゆっくりとこちらへ顔を向けた。

 目は虚ろなのに、どこか“飢えた獣”のような気配が滲んでいる。


「……来る」


 カエルが笑い、手を軽く振っただけで──天井から赤い槍が降り注いだ。


 音もなく、抵抗もなく、喪失しかけた者たちの身体を貫く。

 最後に残っていたはずの“自我”が、赤い光に触れた瞬間、まるで霧のように消えていった。


 フィナは思わず後退し、震える声で問う。


「なんで……こんなことに……」


「なんで?簡単だよ」


 カエルは振り返り、微笑んだ。

 その笑みは、優しさの形をしているのに、どこにも温度がなかった。


「“物語を持てなかった”からだよ。才能がなく、世界に打ちのめされて、哀れな人生しか持てなかった」


 その言葉は、刃のようにフィナの胸を締め付けた。


 教会の奥へ進むほど、影は増えていく。

 壁にもたれ、床に倒れ、祈るように膝をつき──どれも、もう人ではなかった。


 カエルは歩きながら、淡々と殲滅していく。

 赤い光が走るたび、影は静かに崩れ落ちた。


喪失獣メメリアルを生み出すのは、喪失メメントモリ、元々、三大災厄の一種、生命を持つ存在に侵蝕し、その自我を蝕む。喪失メメントモリが選んだ侵蝕体は人間。思いに縋る人間は、さぞかし美味しかったんだろうね」


 フィナは息を呑む。


 最奥に近づくにつれ、フィナは気づく。


 彼らの手には、まだ“何か”が握られていた。


 ひとりは、ぼろぼろになった旅の地図を胸に抱いていた。

 指は震え、紙は湿り、ところどころ破れている。

 それでも、地図を離そうとしない。

 まるで、どこかへ行きたい記憶だけが、最後に残ったかのように。


 別の者は、小さな靴を握りしめていた。

 子どものものだ、靴底はすり減り、紐は切れかけている。

 その靴を抱えたまま、喪失しかけた者は壁にもたれ、かすれた声で誰かの名前を呼んでいた。


「……ぁ……る……」


 その声は、もう言葉ではなかった。

 けれど、確かに“誰か”を呼んでいた。


 さらに奥では、祈るように手を組んだまま固まっている者がいた。

 指は骨のように細く、皮膚は灰色に乾いている。

 それでも、祈りの形だけは崩れていなかった。


(……まだ、人だった……)


 フィナの胸が痛む。


 喪失しかけた者たちは、皆、何かを抱えていた。

 旅の荷物、家族の遺品、壊れた魔道具。

 誰かからもらった布切れ、小さな木彫りの人形。


 それらは、彼らの何かの起点、物語を紡ぐ起点だったかもしれない。


 だが──その起点は、もう彼らを支えてはいなかった。


 目は虚ろで、焦点は合わず、ただ、残された“思いの残滓”だけが身体を動かしている。


 フィナは震える声で呟いた。


「……まだ……人、だったのに……」


 カエルは振り返り、淡々と言った。


「そうだね。でも、もう人ではない。残っているのは、壊れた物語の欠片だけ」


 その言葉と同時に、カエルの赤い奔流が走り、淡々と全てを貫いた。


 彼らの証を持つ手は、崩れ落ちる瞬間までほどけなかった。


 フィナは息を呑む。


 カエルはまばたきひとつせず、まるで埃を払うように言った。


「哀れだよね。哀れだからこそ──壊れやすい」


 教会内部は崩壊しかけていた。

 床、壁、天井──どこもかしこも、無数の斬り跡が刻まれている。

 まるで、ここで何度も“戦い”があったかのように。


「こいつらに決まった姿はない、人の思いに決まった形はないからね。そして、喪失メメントモリにとって最も都合のいい存在は──」


 カエルは振り返り、フィナを見た。


「明確で強力な意思を持ち、なおかつ“物語を持たんとする人間”」


 フィナの心臓が跳ねた。


 祭壇の前──そこには、溢れんばかりの喪失しかけた者たちが倒れていた。

 重なり、埋もれ、そして、フィナに向かって手を伸ばそうとしている


 呻き声。

 呼吸の音。

 かすれた祈りのような声。


 その全てが、フィナの耳に刺さる。


 カエルは祭壇の前で立ち止まり、ゆっくりと振り返った。

 

「フィナ。君は、こうなりたいかい?」


 その問いは、刃のように鋭かった。


 フィナは息を呑む。

 喪失しかけた者たちの呻きが、胸の奥を締め付ける。


「結末は決まってる。ただ、君は道を選べる。自分で描くか──描かれるか」


 その言葉が落ちた瞬間。


 教会の奥で“何か”が動いた。


 重い、湿った音。

 壁を擦るような、低い唸り。


 フィナは反射的に振り向く。


 そこにいたのは──虚大穴で見た喪失獣メメリアルに似た“何か”。


 だが、違う。


 所々に人の部位が残っている。

 腕の形、指の形、顔の輪郭──それらが獣の肉に埋もれ、歪み、混ざり合っている。


 最早、人の形を保っていない。

 完全に“獣”になろうとしていた。


(……喪失獣メメリアルの……始まり……)


 フィナの心臓が跳ねる。


 カエルは微笑んだ。

 その笑みは、まるで舞台の幕が上がる瞬間を楽しむ観客のようだった。


「フィナ。君に、良い提案をしよう」


 喪失獣メメリアルが、低く唸った。

 その声は、獣の声でも、人の声でもなかった。


 カエルは一歩下がり、フィナの前に立つことをやめた。

 まるで、喪失獣メメリアルに舞台の中央を譲るように。


 喪失獣メメリアルの目が、フィナだけを見ていた。


 カエルは静かに言った。


「ここから先は、君の“選択”だよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ